goo

(14)合併騒動の原因・・長生村離脱をはじめから想定したこと?

長生郡市の7市町村(茂原市、一宮町、睦沢町、長生村、白子町、長柄町及び長南町)の合併協議が、再び頓挫した原因は何だろう。
「合併の理念」について、検討してみる。

・長生郡市7市町村の合併が不可避であるとすると、広域市町村圏組合等で培ってきた一体感を活かし、均衡ある発展をめざして7市町村が共存共栄する道を目指すべきであったのではないか。
(本当は、7市町村による合併よりも優先したい何かがあるのではないだろうか。協議会で発言があったなかったかは別に、「はじめから長生村の離脱が織り込み済み」だったのではないだろうか。)

(1)「県の構想」と「合併基本合意事項」の対比
県の千葉県市町村合併推進構想(H18.12)概要版(茂原市・一宮町・睦沢町・長生村・白子町・長柄町・長南町)(5頁下)でも
「豊かな地域社会を孫・子の代に引き継ぐために、長生郡市が一つになる合併によって、自立性や総合性を向上させ、地域資源を最大限活用できる基礎自治体を目指すべきです。」としている。(注1)

しかし、
長生郡市合併協議会
「長生郡市合併協議準備会における合併基本合意事項」(第1回報告第1号参考資料2)(第1回長生郡市合併協議会資料、7頁目)(注2)は、
こうなっている。
「1.基本的調整方針
・この合併は、住民のための合併であることを改めて銘記する。
・この合併は、茂原市を中心とした長生地域全体の新たなまちづくりのスタートと位置付ける。
・この合併は、関係市町村数に変更が生じても、合併へ進むこととする。
・この合併により、一部事務組合は解散することとする。」

ここに、ボタンの掛け違いがある。
「今回の長生郡市合併協議会の理念」≠「県の構想」
である。

ポイント
「長生郡市が一つになる合併」
 ↓↑
「茂原市を中心とした長生地域全体の新たなまちづくり」
「関係市町村数に変更が生じても、合併へ進む」

注1:驚いたことに、長生郡市合併協議会では配布されていない。そのため、県の「構想」やパンフレットの存在を知らない住民がほとんどである(委員を含めて)。
わずかに、「合併基本合意事項」の「合併効果」で一部引用しているが、引用元は明らかにしていない。
なお、職員の削減による経費削減が合併効果としてあげているが、7市町村あわせて1000億円を超える債務の利息程度にしかならないのではないだろうか。
抜本的な改善をする必要があるのではないだろうか。
(構想の問題点についてはいずれまた別の機会に)

注2:「合併基本合意事項」
法定協議に先立つ長生郡市合併協議準備会では、「(仮称)合併基本構想素案」をとりまとめ、その第1として「基本的調整方針(協議の前提となる長生郡市合併の理念)」をあげていた。
第4回長生郡市合併協議準備会(2月22日)で「(仮称)合併基本構想素案」の名称を「合併合意基本事項」に改めた。
第一印象としては、とても「基本構想」とはいえない内容なので「基本合意事項」と変更したようであり、また、「法定協議会」であらためて「合併基本構想」を協議するのを避けたいかのような名称であるとも感じた。
前の任意協議会、法定協議会から続く「新市建設計画」の路線を変更したくない強い意志とも受け止められる。
(2.付属資料「(3)長生郡市7市町村の財政状況等について」で、市町村ごとの「実質公債費比率」「将来債務比率」などが、正直に紹介されている点が、良心的である。なお、「新市基本計画」の「財政計画」では、一般会計だけを羅列しただけのものであり、その点でも不十分と言わざるをえない)
 

(2)長生村の離脱を織り込んでいた進め方
何が何でも7市町村による合併を成就したいのであったら、今回とは別の合併協議の進め方、内容になっていただろうと予想できる。

「合併期日」について
第5回長生郡市合併協議会(6月25日)では、原案「平成20年4月1日」に対して、睦沢町・白子町・長生村から「平成20年9月1日」を対案として採用して欲しいとの提案があった。(第4回資料会議録第5回資料会議録
普通は、両案に対して、趣旨説明と質疑応答があり、採決するであろう。
しかし、
睦沢町町長の必死の訴え(議事録3頁、6頁目)も空しく、「対案として採用するかどうか」の採決の結果、賛成少数により、問答無用で却下してしまった。
こうして、なぜ「合併期日」が最善であるのか、理由が明らかにされないまま決まってしまったのである。

賛否は次の通り(全委員=首長を含む。委員数、茂原市13人、他各5人:規約第7条)
賛成:睦沢町(全委員)・白子町(全委員)・長生村(全委員)・一宮町(一部)・県委員(44名中18名、議長を含む)
反対:茂原市(全委員)・長南町(全委員)・長柄町(全委員)・一宮町(一部含首長)


本気で7市町村で合併し合併後も協力しあっていこう、そのために協議会でもお互いを尊重しあい、意見を聞こう。こういう考えで進めて行くべきだったと考える。苦しみながらも、解決策を見つけることができたことであろう。
「関係市町村数に変更が生じても、合併へ進む」という姿勢は、原案反対であれば離脱してもよいという立場から出てきた考えといえよう。

また、これほど強引なやり方をして、何が何でも「来年の4月1日」を「合併期日」にしなくてはならなかったのだろうか。公表できないような理由なのではないかと、思わざるを得なかった。


1市5町の首長と堂本千葉県知事との面談
8月9日の定例記者会見で、記者の質問に答えて、長生郡市合併協議会に言及したことが新聞報道された。
そこで、千葉県のホームページで公開されている会見録を見たところ、
「この間、6市町の首長さん方が来られまして、自分たちとしては、たとえ1つ欠けてもまとまっていくという意思表示をなさいました。」
と知事が説明していた。
つまり長生村の離脱が、正式になる前に、長生村を除く6市町での合併について、知事の理解と協力を得ようとしていたことがわかった。
長生村では、住民アンケートが7月末で終わり多くの村民が合併反対の立場だということがわかった後、村長と村議会が、ねばり強く今後の対応を相談している最中のことだと思われる。
長生村長が、離脱の意志を伝えに堂本知事を訪問したのは8月9日。記者会見の当日、第8回合併協議会の前日である。知事には会えなかったので、副知事に会ったそうだ。
長生郡市合併協議会の会長(茂原市長)も会長代行(一宮町長)も、、長生村の離脱が確定する以前から、6市町による合併を考えて行動していたことが、このことからもわかった。

以上などのように、今の長生郡市合併協議会は、県の「構想」とは異なった理念で協議を進めており、それが原因で頓挫したといえる。
今後、三度目の長生郡市の合併協議をはじめることがあったとすると、同じやり方、同じ内容ではいけないと考える。

「合併基本構想」から練り直し、規程を見直し、「新市基本計画」も「合併協定項目協議結果」(第9回会議資料9頁目から)もご破算にして、もう一度協議し直す覚悟で始めないと、何度やっても失敗するであろう。
今後しばらくは、各市町村が本気で自立自活する努力をすることが、地域全体、7市町村全体の今後にとって大切なことであろう。依存しあうだけでは、活力は生まれてこないであろう。


長生村離脱表明後
8月10日の第8回長生郡市合併協議会の冒頭に、長生村長から「離脱の表明」があった。
もしも、本心で7市町村による合併を考えているのであれば、直ちに休会とし、対応を協議するはずである。
しかし、
長生村長の不在のまま、協議が続行された。異常な状況である。
(合併する相手の自治体の首長が不在なのである。離脱表明後に協議した7項目は無意味であろう。)

協議会終了後、首長と議長で会合を持ち、合併関係市町村の数を減じ、6町村にする規約改正をする手続きをはじめた。
このことから、長生村の離脱は予定の行動であったと、予測できる。

しかし、現状は、不平等な長生郡市合併協議会規約を渋々議決し、一方的な運営に不満を持っていた町議会は、反旗を翻した。
議員も住民も、地域の将来を思い、懸命なのである。


以上のことからも、協議会は「年内に解散」して、振り出しに戻すべきであろう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« (13)「休止」... 土とl風(1)黄... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。