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加納久宜没後90年(10) 19歳で一宮藩の最後の大名に 

慶応2年8月、
立花家の親類筋に当たる一宮藩の藩主
加納大和守久恒が22歳の若さで急死をしました。

そこで久宜は急ぎ養嗣子となり、
襲封することとなりました。
弱冠19歳でした。

かねてから、
立花家の末弟の久宜は、
大和守のお気に入りであったそうです。

久宜は、加納家16代、一宮藩8代藩主として
遠江守(とうとうみのかみ)を
名乗るようになりました。


一宮藩の足跡は
8代久通・旱害対策のため洞庭湖の整備
13代久儔・陣屋の建設
14代久徴・洞庭湖の拡張、海防のため一宮海岸に砲台を設置


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