創価学会の没落

悲鳴をあげる学会員

学会のルーツ

2010-07-05 20:23:25 | 牧口会長

戸田会長のように、御書講義や論文、質問会集など、その信心を多くの文献に残したが、それに比べ、それらが大変乏しい創価学会初代会長の牧口氏が如何なる信心を貫いたかを、時系列を追って検証して見た結果驚くべき実態が浮かび上がる。

昭和3年
日蓮正宗・常在寺講頭・三谷氏から折伏を受け入信。

昭和5年
「創価教育学体系」第一巻を創価教育学会の名称で発刊。

昭和6年
「創価教育学体系」第二巻を発刊。ここで価値論を発表。

本末転倒、価値論に法華経を採り入れたと発言
「百年前及び其後の学者共が、望んで手を着けない『価値論』を私が著はし、而かも上は法華経の信仰に結びつけ、下、数千人に実証したのを見て自分ながら驚いて居る、これ故三障四魔が紛起するのは当然で経文通りです」牧口氏の獄中書簡から

昭和7年
三谷講頭が死去。生前、牧口は何度も三谷氏と激論をかわし、絶交状態となっていた。

他の講員とも相容れなくなり、中野・歓喜寮(後の昭倫寺)に所属替え。

昭和12年
日淳上人から「在家団体・創価学会」の許しを貰えず、「創価教育学会」として発会式を行う。

「牧口氏は、所属寺院の歓喜寮主管・堀米泰栄師(後の日淳上人)と論議し、『もう貴僧の指導は受けない』と席を蹴って退去」(『畑毛日記』)

この頃から、上人に対し反抗し始める。

会員に対し歓喜寮へ参詣することを止めるよう指導。

会員を使って、上人への誹謗・罵倒を行う。

すでに信仰上、上人とも絶縁状態。会員も歓喜寮とも絶縁状態となる。

「本山宿坊理境坊住職の落合慈仁師とも別れ、牧口氏に率いられる創価教育学会は、ここで日蓮正宗と縁が切れ」(竹尾氏が日亨上人から伺った話)

日淳上人は、牧口らの信仰上の再起を願い、元の常在寺を所属寺院として戻れるよう手配。

【まとめ】
1、牧口の信仰は篤かったと思われるものの、入信当初から『価値論』の存在価値を高めるための利用であったこと。

2、日蓮正宗では「師弟子の筋目を違えることは謗法」と、日興上人以来の規範が存在するのに対し、牧口は何人もの手続きの師、猊下とことごとく縁を絶った信仰で終生を閉じた。

3、牧口の獄中死は謗法の故か。戸田が獄中で牧口の謗法を懺悔。
堀米先生に、去年堀米先生を『そしった』罰をつくづく懺悔しておる。と話して下さい。『法の師をそしり』し罪を懺悔しつつ『永劫の過去を現身に見る』と言っております、と」(昭和19年9月6日、妻あて)

事実上の創価学会創立は昭和12年であり、しかも、初代会長の後半生は仏法上の師を持たない自称宗教家と言ってよい状態であった。仮に出獄して会を続けたにせよ、宗門から直接ご指南を仰ごうともしない、我見信仰で終わったはずだ。

このような、欺瞞の集団が今年創立80周年とうかれても、そのルーツを辿ればそこに宗教など存在しないことが分かるではないか!あるのは『価値論』だけである!

創価学会に宗教はない!目を覚ましましょう!

【文証】
「私は日蓮正宗の信者であって創価学会の信者ではないと思っている」戸田会長指導集



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