Gabbie's Cafe

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かみさまに知られている

2005年12月10日 | Gospel

                今日一日、朝おきてから夜寝るまでのこと
                   みぃんな神様に知られている
            嬉しいこと 悲しいこと 説明できないあんなこと こんなこと
                   みぃんな神様に知られている
             よいのか わるいのか よかったのか わるかったのか
               よくわからないけれど、みんな神様のみ手の中

               これから生まれる命と みもとにかえって行く命
                    犯した罪と その結果
               つたない導き手 泣き寝入りした子供の顔
                  愛のないことば 自分の限界
               手に負えなくなって、投げ出してしまった重荷


               あの人よりましだから 今までよりましだから
                    救われているんじゃない

                わたしが神様を知っているからではなく
                 神様がわたしを知っておられるから

                    希望が届く 救いが届く
                    わたしにも あなたにも
               神様に知られているという平等な、幸いが届く





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4 コメント

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なっちゃんの…… (aki)
2005-12-12 05:11:42
 なっちゃんの詩だね……色々なことを思い巡らしているんだね。自分のこと、だれかのこと……でも、ほんと、神に共に知られているということ、同じだね。それを恵みと取れる人、怖さと思う人、いるかもしれないけど、罪もひっくるめて、全部神様の前に出して歩くとき、愛がしみわたるほかない。ね。
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なんだかなあ (れ。)
2005-12-12 22:47:33
なんだか、これを読んで

「そうそう!そうなの!」っていう人

多いと思う。今日の私にもぴったりだった。

なんだか、涙が出て来ちゃう。

いろんな握りしめているもの、ぜんぶ、ぜんぶ明け渡して、いっぱいの愛で埋められたい。でも、なかなか、出来ない。。。
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どこまでも・・・ね。 (店主)
2005-12-13 16:15:50
akiちゃん、そうそう、かみさまの愛が完全に信用できてないときって、知られていることが怖いよね。“知ってるくせにどうして何もしてくれないのっ”と怒ってみたり。でも、そんな私もまた知られていて、許されている…で、またその連続…限りなく知られているし、どこまでも許されている…

計り知れないね、深いね。神様の愛。
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れ。ちゃんありがとう。 (店主)
2005-12-13 16:17:44
神様が取り去るものって、やっぱりどこかで自分には必要ないものなのかもしれないね。

でも持っていないと安心できなかったり、不足だと感じたりね。手放してみると、そのことに縛られていた自分とかにも気がつけるんだけどね。簡単そうで難しいよね、手放すって。。

ある日ふらりと韓国へ行ってしまってしばらく行方不明になってしまった教会の姉妹のことを考えていた時、書きました。神様に知られていた彼女は無事に保護されましたが、私たち一人一人も同じように失われていたのに見つけ出されたんだよね。良い羊飼いの主に。
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