Gabbie's Cafe

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Cafe At Home

2008年10月01日 | Season's Special


台風が近づいていたりして、ここ数日雨が続き、気温がぐっと下がりました。いくら九州とはいえ、そろそろ秋物を出さなくちゃ…と思っていましたが、あわただしく過ごしているうちに、気がつけば今日から10月。

ついこの間まで、ヘビーローテーションでアイスコーヒーを落として冷ましたりしていたのに、なんだか申し訳ないくらい温かい飲み物ばかり所望するようになっていたりして。

雨雲が去って今日はお日様が出ると聞き、請け負っているケーキ作りの仕事も後回しにして長袖やはおり物を出して洗ったりしていたら、あっという間に一日が終わってしまいました。でもこれでいつ寒くなっても大丈夫。あとは季節の変わり目で、体調を崩さないように気をつけなくちゃ。

秋は、やっぱり好きな季節。でも、おしゃれをするのが楽しみな秋は、多分今年が初めてです。

この夏、引越しをした際に、実は大量の衣類を処分したのです。自分のも、子供のも。今まで住んでいた広い田舎家に比べ、アパートの一室は収納場所も限られているから…というのもありました。が、いくらでも場所があるからと、もう着ないのにあえて取っておいてしまったものを処分するいい機会でもあったのです。折りしも新聞の折込チラシで、半年に一回の古着回収があることも知り、渡りに舟とばかりに張り切って選別をはじめました。

かなり思い切った取捨選択をしたので、驚くほどの古着の量。大きなビニール袋に6袋はあったでしょうか。夏の暑い盛りに、汗をかきかき冬服の選別などしていると、なにやら気が変にでもなりそうでしたが、今、秋になり、こうして見てみると、手元に残した衣類たちがなんともいとおしく思えたりします。無駄が省けた分、コーディネイトにも迷わずに済みそうな。

一年前に買った、オフホワイトのロングのカーディガン、黒のブイネックのセーター、ユニクロで買ったカフェオレ色のジップアップにフリースのタートルネック。
…去年おばあにいただいたスカーフ、ずっと前に無印良品の店で衝動買いしたブラウンのマフラー…色んなものが出てきました。今年はなんだか、どれも上手く着こなせそうな気がします。一昨年お友達のお母様がくださったかわいらしいボンボンつきのてぶくろには、もしかしたら私はもう年齢オーバーかしら…^^;
引越しの際に姿見を新調したので、その前でああでもないこうでもないと合わせてみる楽しみが増えました。

買ったはいいが、赤ん坊のRを抱っこしたまま脱いだり履いたりが大変だから…と、ずっとお蔵入りしていたショートのブーツも、今年はデビューさせちゃおう。
私が持っている靴の中で、きっと一番高価な(笑)赤茶色のローヒールの革靴は、七年前に靴屋さんで一目惚れしたのを夫が買ってくれたもので、履き心地も見た目も素晴しくて、ずっと一番のお気に入り。私には珍しくきちんと手入れしていたから、きっとまだまだ履けるはず…。
ずっとサンダルで過ごしたあとで、久しぶりに履いてみたワラビーの重さがなんとも心地よくて、年甲斐もなく、子供に気付かれない程度にちょこっとスキップしてみたりして。

秋になり、寒い季節のためのそんなアイテムに再会するのは、しばらく会わなかった友人と会うような、なんだか嬉しい気持ちです。


実は、今日読んでいた本の中に、自分を魅力的に見せる努力について、ちょっと新鮮なことが書かれていました。以前にも読んだことのある本で、ああ、そういえばこんなことが書かれていたな、と思い当たりつつ、やはり今回も、私にとってとても鮮烈な言葉でした。

「自分を魅力的に保つ努力、労力を払い自分に投資をすることは、決して自己中心的なことではなく、むしろそうしないことが自己中心的だ」と言うのです。

ふむ…なるほど…と腑に落ちる思いがしました。

この世に生きている以上、私たちは何らかの形で、誰かの何か、なのです。娘であったり、母であったり、妻であったり、嫁であったり。上司であったり、部下であったり、また友人であったりお隣さんであったりと…とにかく、よほど山奥で仙人のように孤立無援の人生を送っていない限り、私たちは誰かの何か、という肩書きを背負って生きている。その「私」が、素敵でいることに全く無頓着であるということは、これすなわち、自分でも気がつかないうちに、誰かの顔にドロを塗っているかもしれない。それでもなお、にもかかわらず自分の有り様に無頓着であるということは、実に自己中心的なマインドなのだ…と。

もちろん、人の為に自分を磨くというのでは、本末転倒なのだろうと思います。自分がそうすることを楽しめることが、きっと第一に大切なこと。
でも、私のように、ただ自分の満足のためだけに、素敵な洋服や化粧品にお金をかけたりすることに、ついつい罪悪感を感じてしまうタイプの人間には、この言葉は少なからず福音であり励ましでした。

そうか、オシャレは自分の為ならず…私が素敵になって、誰か(たとえば小学生の息子とか)が得をすることになるのなら…自分への投資の意味も広がろうというモノ。


…まぁそんな小難しいことでなくても、これといった大層なことをしなくても、アラフォーの私としては、確かにここらでひとつ、自分をトリミングしてみたいところ。私たちが引っ越してきたのと同じ日にこの同じ建物に美容院がオープンしたのも、きっと何か訳があってのことなのでしょう。
引越しのご挨拶がてら、髪型を自分の好みに限りなく近づけてみたついでに、今まで試さなかったあんなこともこんなことも、思い切ってしてみるつもりです。

なりふり構わず、ただ無我夢中で走り続けてきた人生の前半戦を終え、これからは少し自分に頓着してあげよう。素敵な歳の重ね方ができるよう、今できることをはじめてみよう。
夢中でかき集めてみたものを少し厳選してみよう。取捨選択して無駄を省き、自分が自分らしく輝けるためのアイテムだけを身の回りにおいて、身も心も軽くなって人生の後半戦に臨もう。この先どんな歩みが待っているとしても、決して対応に困ることのないようにフットワークを軽くしておこう。

どこに出かけるでなくても、それこそおうちで一人でコーヒーをいれて飲む時でも、今ここに誰かと一緒にいるような意識でいられたら、と思います。たとえばあなたがいつひょっこりお茶に寄ってくれたとしても、いつでも魅力的にお迎えできるおうちカフェの店主でいたいなぁ…なんて思うのです。

  そんな素敵な「誰かの何か」になりたいと願いつつ、今年の秋を満喫したいと思っています。