💛A 老子 姓を李、名を耳とし、、河南出身。中国哲学に影響を及ぼした道教の創始者とされる。権威主義に疑問を抱き、現実に照らした法治国家を理想としたようだ。
💛2墨子(468-376)封建主義を批判し、人々に自己抑制と自己肯定、物質と精神のバランスを教えとく。墨子が広めようとした考えはキリスト教と似ているようで、秦の時代に焚書坑儒に遭い、以後忽然と消え、清の時代になって時代の変化とともに再評価にあがっているようだ。執筆物の53章が現存。
8月22日 了 トランプの哲学者を説明書きするのは、非常に負担を感じている。
💛3荘周(369-286)書物「荘子」を残している。老荘思想という言葉のように道教の始祖とされる。司馬遷「史記」63章に記述があるが、「荘子」からの引用抽出で、寓話が多いようだ。官僚への招聘に対し、平然と自分の在り方を自然の中でみいだし、隠遁者とも受け止められる。玄宗皇帝からは、敬称として「南華真人」を受けている。文章には逆説的な洒落や便法が多く見られ、封建社会には皮肉やユーモアを交えているようだ。
💛4荀況(313-238)「史記」によると、漢の時代の官僚制度を敷く基礎として影響力をもたらしたとされる法治国家を説く「性悪説」。塾長に任ぜられた後、楚の宰相春申君(ドラマ ミーユエでは、彼女の永遠の想い人)に採用された。日本では荻生徂徠が「荀子」の注釈を行い、現代でも再評価にあがる。
💛5韓非(280-233)吃非 があったため周囲から阻害視されることもあったそうだが、文才に長け、書くことで自分の考えを説明するようになった。故郷の韓が秦に飲み込まれそうな頃に自分の思想を現わしたのが「韓非子」。法実証主義。
8月23日 とりあえずここまで
💛6
今日は出かけて歩いてきたから、取り組もうとしたけれど、夜の9時では私の目には不都合で、取り組むのも孟子だから、明日にする。
8月24日とりあえずここまで
💛6孟子(BC372-289)人の本質は生まれながら善だと説き、自らの努力によって各々が能力を伸ばせば社会全体が治まり、君主が君主たりえる姿になる、と楽観的な 未来志向といえそうだ。北宋の時代1071年になって科挙の試験科目に「孟子」が加わった。
💛7王充(27-97)「論衝」を現わし、人間と取り巻く世界との自然科学的視野を展開。天文学・気象学に及び、実際に水の循環を記述に残している。他の多くの同時代思想家と違い、貧しく、本を立ち読みして記憶したそうだ。漢の時代に洛陽の宮廷の学舎に招かれ学ぶが、彼への賞賛者は、ただ単に裕福さと学派によるものだとし、落胆し、郷里で先生になるが、諍いのため辞めて執筆に就く。宮廷学者への招聘もあったが、受け入れていない。合理的哲学者としての著作物は曹操にも届けられたが、当時ではまだ受け入れられなかった。王充の気象についての考えが曹操に受け入れられたら、戦はどうなっていただろうか・・・
💛8范 缜(450-510)肉体は物質であり、精神は副次的なもので、肉体と精神は一個の物である。「神滅論」を現わす。当時浸透していた仏教に対する考えで、宮抱えの学者が彼に宮廷の役職と引き換えに考えを改めるのを試して、64の課題を課したそうだが、それに対して75を返し、論を変えず、追放された。
8月25日 ここまで了
💛9李Zhi(1527-1602)明の時代の思想家。「焚書」「続焚書 」「蔵書 」郷里で試験に通過した後、講師に任命されるが、家族の喪に服し、職を離れ、後に宮廷に入り陽明学・仏教を学ぶ。その後河北で講師に招かれるが、異端者から攻撃に遭い、剃髪の仏僧スタイルになる。マテオリッチ(イエズス会)と会い、仏教とキリスト教との違いなどを論じる。従来の儒教思想家以上にジェンダーの平等を説き、女性は生来優れた道徳包括力があると受け止めている。童心こそ、あらゆる嘘偽りから自由になり、完璧な真理だとする。異端の批判に遭い、投獄され、自殺。
💛10黄宋義(1610-1695)宋明理学(新儒学)において、憲法の必要性を説いたひとり。皇帝に対する公然とした批評・支配者が国に対して努める責任・皇帝の宮廷大学や官吏に尊敬を払う責任・地方で氏族、学者学生は供に審判事例を討論し、学ぶ場を作る必要があると説く。「明儒学案;」「宋元学案」など、明の時代に思想家・重要な学者・批評を体系化する。明末期の興亡が影響しているでしょうか。
8月26日 ここまで 景品で頂いたトランプのひとりひとりが、大変な時間を伝えている。どれだけ私に残るか怪しいかぎりではあるけれど、こうして出会えたのは、確かに貴重な機会です。
💛J顧炎武(1613-1682)14歳頃から学校教育が始まり、1945年に南京の宮廷職に推薦されるが、満足できずに辞めて帰郷。「音楽五書」「日知録」王夫之、黄宗羲と並び、卓越した儒学者とされる。明朝交代時に満州から流入する反清活動をし、清には仕えず、各地を旅し、研究に努めた。
💛Q王夫之(1619-1692)学者の家に生まれ、古典に親しんでいた。24歳で試験に通過し、職につくが、明の宮廷では満州民族の侵入で難を浴びることになり、逃亡と学究に費やす。唯物史観は現代中国の政治・歴史に影響を与えた。物自体には価値はなく、対象に徳と価値が帰属し、人の行為によってもたらされる。政治は人に益をもたらすべきで、権力においてではない。歴史は継続した変革の循環であり、混沌と希求(安定と繁栄)が社会の変革をもたらし、人民と皇帝の徳の程度に因る。封建地主の力は弊害であり、税で弱めれば、小作農家が増加すると、考えた。法治による社会管理が必要だと認識。「船山遺書全集 」他100以上の執筆があるが、消失。
8月27日 ここまで マイペースだけれど、きっと1週間は過ぎたと思う。
💛K嬴政 (BC259-210)秦の始皇帝 中国を統一した初めの王で、皇帝とした。中央集権国家(土木工事・通貨度量の統一・漢字書体の統一・万里の長城・兵馬傭他)の事業。生い立ちから暗殺事件・亡くなるまでのドラマは書かれなかった当時の事情・信ぴょう性・推察をも含め、大事業樹立者ゆえ、今でも楽しませてくれる。