こんばんわ。
最近はblogの更新が遅れ気味なのに、見てくださる方々ありがとうございます。
僕のblogで時々書いているビッグイシューですが、先日はこの関連でちょっといいことがありました。
一つはビッグイシューの応援団としてPodCastinで応援ラジオをやっている人がいて、インターネットの可能性を信じたい身として、かなりジーンときました。
しかもその管理者さんに
ビッグイシューについて書かれたblogを沢山読みましたが、本blogの意見が最も建設的だと思いました。「誰でもホームレスのような不幸と困難を背負う可能性はある」には全く同意します。
とおっしゃっていただき、ちょっと感激。
でも、今日はビッグイシューへの苦言です。
でももうひとついいお話は続きます。
僕は大学の授業を受けるために都庁にいく途中でビッグイシューを買っています。
急いでいるときなどで買えないときに目があうとちょっと悲しそうな顔をされたので、もう顔はお互いに覚えているのかもしれません。
そんなんで最近買えていなかったので、36号と37号を買いました。
最近寒くなってきましたが、まだ冬というほどではありません。
でも、ビッグイシューの販売員の方がダッフルコートを着ていたので
「風邪はひかれていませんか?」
と聞いたら、力強く
「えぇ、大丈夫です。ありがとうございます!!」
と応えてくださいました。
そういう人の心を気遣うというのも会社の同僚ぐらいまでで、気遣ってそんなにお礼を言われることも珍しく、不思議といい心持でした。
買った後しばらく歩いて後ろを振り返ると、深々と頭をさげていらっしゃいました。
時々話をしても、社交は苦手そうな方だっただけにちょっと隠れた一面を見た気がしました。
36号のビッグイシューでは無事にホームレスを脱出してアパートぐらしになった方の話も書かれていて、その記事が僕の最近での一番お気に入りの記事でした。
ところが、36号を見て、やっぱりビッグイシューが赤字で売れ行きが伸びないのはわかる気がするなぁという記事もありました。
テーマ改革という記事なのですが後半を抜粋して転載します。
中略
トモ子 「ともかく不安を煽っておいて、”断固”、”決然”とか言いながら、『変えられるのは俺だけだ』みたいな男気を示す人は、信用できないわね。そういう人に限って、裏で偉い人にゴマすってたりするし」
カズ男「どこの会社でもいるよな。熱血漢の岡田さんもいるし、したたかな神崎さんも、福島さんも、志位さんもいる」
トモ子 「そうね。それで、あたながいた会社は改革できたの?」
カズ男「変ったのは、人間関係。みんな憎悪と怨念にまみれた」
トモ子 「まぁ、もっと春風のような明るい改革を望むわ」
以上です。
どうですか?これって、民青(共産党の学生組織)が大学の構内でばら撒くプロパカンダのビラみたいだと思いませんか?
中身がなくて、与党の党首の人格批判だけです。
私はこういう批判は「ホームレスは怠け者だ」という世間の人と同様に、無思慮な発言だと思います。
ましてや、僕は自分がお金を出してこんな筆者のエゴ丸出しの幼稚な政治談議を聞かされるのは苦痛です。かなりムッとしました。
R25のようなビッグイシューよりもお金がかかっていて、記事も中身は薄いけど面白く読めるものが無料で配布されています。完成度も高いです。
でも、ビッグイシューはやっぱりボランティアベースな匂いが抜けなくて、時々アマチュアだなぁと思うことがあります。それ自身は仕方ないですし悪いことではありません。
僕が問題だと思うのは、腕の技巧の稚拙ではなくて、
「この記事を読んだお客さんは喜んでくれるか?」
ということに対する真意な問いができないアマチュアが書いていることです。
そしてそんなコラムを載せてしまうデスクの仕事の怠慢です。
ホームレスの人々の自立を助けたいと願う大志があるならば、その雑誌を買ってくれた人が手にとって「また買おう」と思える紙面づくりに注力して、自分たちの政治的思想を押し付けるのは我慢するべきではないのでしょうか?
37号での小泉氏圧勝への批判的記事は冷静な分析で読むに値していましたが、36号のような幼稚なものを紙面に載せるようなことを続けたらやはり冊数は売れないだろうと思います。
僕は自分のblogでは僕が好き勝手書いていますが、それは無料だからです。
そして読者の方々が気に入らなくて読んでくれなくなると、猫はかなしくて酒を沢山煽るかもしれませんが、困る人はいません。
でも、ビッグイシューが売れないと、本当に困る方々がいるはずです。
ビッグイシューのライターが書くべきは、安価とはいえ、有料で買ってくれた読者が満足する記事です。ライターのエゴで言いたい放題書くのは、やっぱりまだまだアマチュアだなぁと思います。
神は細部に宿る といいます。こういう小さな記事でも丁寧に書いていく心構えがなければ、クオリティーは上がらないだろうと思います。
今後も、左派だけで内輪盛り上がりのようにホームレスの方の抱える問題を論議し続けていくならそういうやり方もありでしょうが、僕のような保守論者の立場でホームレスの方々の自立を応援したいという人たちもいるのです。
このライターはそういう人たちは蚊帳の外においておくつもりでしょうか?
左派的主張は悪いとは思いませんが、人を小馬鹿にしたような政治評論なんて読んでいて気持悪いですし、そんなものを金を払って読むほど僕はお人良しではありません。
僕もあと半年で卒業で新宿にはあまりいかなくなるので、ビッグイシューが今のままの記者がいいたいことを書いたものが散見されることがあるようであれば、4月以降は買わないつもりです。
しかし、できれば4月以降も買いたくなる雑誌であるように頑張って欲しいなと思います。。
僕は36号にあったような自立した人の記事は素敵だと思うし、そういう記事を見ると電車の中でも涙ぐむような涙もろいのです。
そしてそういうちょっといい話を読むためだけで、僕は200円払っちゃいます。
個人的にはこれからの寒空の下で一生懸命うってくれるであろうホームレスの人々のために、彼らデスクの猛省を期待いたします。
買った人がまた読もうと思える紙面づくり、頑張ってください。
大事なのは技量じゃなくて、真心だと思います。
そしてこのblogの読者の方は猫が紙面がダメだと言っていたなんていってビッグイシューを買わないなんていわないで、ちゃっと一度は手にとって見てください。
いい記事も多いですよ。
(水の話とか、英国ホームレス事情とかアフリカネタとか良質でした。)
最近はblogの更新が遅れ気味なのに、見てくださる方々ありがとうございます。
僕のblogで時々書いているビッグイシューですが、先日はこの関連でちょっといいことがありました。
一つはビッグイシューの応援団としてPodCastinで応援ラジオをやっている人がいて、インターネットの可能性を信じたい身として、かなりジーンときました。
しかもその管理者さんに
ビッグイシューについて書かれたblogを沢山読みましたが、本blogの意見が最も建設的だと思いました。「誰でもホームレスのような不幸と困難を背負う可能性はある」には全く同意します。
とおっしゃっていただき、ちょっと感激。
でも、今日はビッグイシューへの苦言です。
でももうひとついいお話は続きます。
僕は大学の授業を受けるために都庁にいく途中でビッグイシューを買っています。
急いでいるときなどで買えないときに目があうとちょっと悲しそうな顔をされたので、もう顔はお互いに覚えているのかもしれません。
そんなんで最近買えていなかったので、36号と37号を買いました。
最近寒くなってきましたが、まだ冬というほどではありません。
でも、ビッグイシューの販売員の方がダッフルコートを着ていたので
「風邪はひかれていませんか?」
と聞いたら、力強く
「えぇ、大丈夫です。ありがとうございます!!」
と応えてくださいました。
そういう人の心を気遣うというのも会社の同僚ぐらいまでで、気遣ってそんなにお礼を言われることも珍しく、不思議といい心持でした。
買った後しばらく歩いて後ろを振り返ると、深々と頭をさげていらっしゃいました。
時々話をしても、社交は苦手そうな方だっただけにちょっと隠れた一面を見た気がしました。
36号のビッグイシューでは無事にホームレスを脱出してアパートぐらしになった方の話も書かれていて、その記事が僕の最近での一番お気に入りの記事でした。
ところが、36号を見て、やっぱりビッグイシューが赤字で売れ行きが伸びないのはわかる気がするなぁという記事もありました。
テーマ改革という記事なのですが後半を抜粋して転載します。
中略
トモ子 「ともかく不安を煽っておいて、”断固”、”決然”とか言いながら、『変えられるのは俺だけだ』みたいな男気を示す人は、信用できないわね。そういう人に限って、裏で偉い人にゴマすってたりするし」
カズ男「どこの会社でもいるよな。熱血漢の岡田さんもいるし、したたかな神崎さんも、福島さんも、志位さんもいる」
トモ子 「そうね。それで、あたながいた会社は改革できたの?」
カズ男「変ったのは、人間関係。みんな憎悪と怨念にまみれた」
トモ子 「まぁ、もっと春風のような明るい改革を望むわ」
以上です。
どうですか?これって、民青(共産党の学生組織)が大学の構内でばら撒くプロパカンダのビラみたいだと思いませんか?
中身がなくて、与党の党首の人格批判だけです。
私はこういう批判は「ホームレスは怠け者だ」という世間の人と同様に、無思慮な発言だと思います。
ましてや、僕は自分がお金を出してこんな筆者のエゴ丸出しの幼稚な政治談議を聞かされるのは苦痛です。かなりムッとしました。
R25のようなビッグイシューよりもお金がかかっていて、記事も中身は薄いけど面白く読めるものが無料で配布されています。完成度も高いです。
でも、ビッグイシューはやっぱりボランティアベースな匂いが抜けなくて、時々アマチュアだなぁと思うことがあります。それ自身は仕方ないですし悪いことではありません。
僕が問題だと思うのは、腕の技巧の稚拙ではなくて、
「この記事を読んだお客さんは喜んでくれるか?」
ということに対する真意な問いができないアマチュアが書いていることです。
そしてそんなコラムを載せてしまうデスクの仕事の怠慢です。
ホームレスの人々の自立を助けたいと願う大志があるならば、その雑誌を買ってくれた人が手にとって「また買おう」と思える紙面づくりに注力して、自分たちの政治的思想を押し付けるのは我慢するべきではないのでしょうか?
37号での小泉氏圧勝への批判的記事は冷静な分析で読むに値していましたが、36号のような幼稚なものを紙面に載せるようなことを続けたらやはり冊数は売れないだろうと思います。
僕は自分のblogでは僕が好き勝手書いていますが、それは無料だからです。
そして読者の方々が気に入らなくて読んでくれなくなると、猫はかなしくて酒を沢山煽るかもしれませんが、困る人はいません。
でも、ビッグイシューが売れないと、本当に困る方々がいるはずです。
ビッグイシューのライターが書くべきは、安価とはいえ、有料で買ってくれた読者が満足する記事です。ライターのエゴで言いたい放題書くのは、やっぱりまだまだアマチュアだなぁと思います。
神は細部に宿る といいます。こういう小さな記事でも丁寧に書いていく心構えがなければ、クオリティーは上がらないだろうと思います。
今後も、左派だけで内輪盛り上がりのようにホームレスの方の抱える問題を論議し続けていくならそういうやり方もありでしょうが、僕のような保守論者の立場でホームレスの方々の自立を応援したいという人たちもいるのです。
このライターはそういう人たちは蚊帳の外においておくつもりでしょうか?
左派的主張は悪いとは思いませんが、人を小馬鹿にしたような政治評論なんて読んでいて気持悪いですし、そんなものを金を払って読むほど僕はお人良しではありません。
僕もあと半年で卒業で新宿にはあまりいかなくなるので、ビッグイシューが今のままの記者がいいたいことを書いたものが散見されることがあるようであれば、4月以降は買わないつもりです。
しかし、できれば4月以降も買いたくなる雑誌であるように頑張って欲しいなと思います。。
僕は36号にあったような自立した人の記事は素敵だと思うし、そういう記事を見ると電車の中でも涙ぐむような涙もろいのです。
そしてそういうちょっといい話を読むためだけで、僕は200円払っちゃいます。
個人的にはこれからの寒空の下で一生懸命うってくれるであろうホームレスの人々のために、彼らデスクの猛省を期待いたします。
買った人がまた読もうと思える紙面づくり、頑張ってください。
大事なのは技量じゃなくて、真心だと思います。
そしてこのblogの読者の方は猫が紙面がダメだと言っていたなんていってビッグイシューを買わないなんていわないで、ちゃっと一度は手にとって見てください。
いい記事も多いですよ。
(水の話とか、英国ホームレス事情とかアフリカネタとか良質でした。)
私がときどきこの冊子を買うベンダーさんも、仮の住まいを得て、少しづつ状態は改善しているようです。
興味深かったのは、イラクでセキュリティ会社で働いていた傭兵経験者の話とかが、邦人の事件のずっと前に記事にされていたことや
一日農的労働を提供することで、食事とその日の住まいを提供してもらう海外ウーファー事情などです。
毎回、買ってはいませんが、一度は手にとって欲しいと思います。
意識の高い若い女性が立ち止まって買うケースをたまにみかけます。
ではまた。
雑誌の趣旨、と言うよりも雑誌刊行の趣旨に共感を覚えましたので、ビッグイシューを何度か購入していました。こちらで猫様の記事を拝読させて戴き、その思いが強くなり、購入頻度は増えております。唯、紙面に関しては正直な所、モヤモヤするものを感じていました。「一寸薄っぺらいんじゃないかなあ。」と。ですので、猫様の御意見には全く同感です。
ネットでも紙媒体でも、無料なもので在っても中身が濃厚なのが当然の時代。ましてや、ビッグイシューは”購入して貰う”訳ですから、無料のもの以上の内容が求められると思うんです。中身を作り上げる上で、”ポリシー”が在る事は重要です。でも、そのポリシーが独り善がりで薄っぺらなもので在ってはならないと思うし、やはり読者ニーズに応えるという意味で最低限の”妥協”も必要ではないかと。この妥協というのは、趣旨と異なるポリシーを打ち出せとか、安直に迎合しろと言っているのではなく、読者の好奇心を喚起したり、「又、読みたい。」と思わせる深みの在る紙面作りを念頭に常に置きながらしないと駄目ではないかという事なのです。
刊行趣旨には共感を覚えているだけに、そういった意識が深まる事を望んでいます。
P.S. 書き込み戴いた件ですが、興味深い内容でしたので、こちらではなく件の記事のコメント欄にレスを付けさせて戴きました。
おそらく書店に200円で置いても売れないでしょう。
ページ数も必要ですが、読むに耐えない記事は、載せない方が良いという判断ができるように成長して欲しいと思っています。
一度、二度と買ってくれてその後買わなくなる人って結構いるだろうと思います。
そういう人がいるのは決してホームレスの人のせいではなく、編集部の努力不足だということをちゃんと認識して頑張って欲しいと思います。
でも、赤字経営では記事の単価も安いでしょうし、難しいだろうとは思っています。
何か役に立ちたいと思ってこの雑誌を手にした人で在っても、雑誌自体に魅力を感じ得なければ継続して購入して貰うのは極めて難しいでしょう。金額同等の内容ではなく、金額以上の何か、情報の満足度でも良いですし、心の満足度でも良いのですが、そういった物が得られないと、”商業誌”で在る以上長続きしない懸念を覚えます。
期待しているからこそ、自分も「頑張れビッグイシュー!」と叫びたいですね。
P.S. 書き込み有難うございました。前回と同じ理由から、戴いた書き込みへのコメントは当該記事のコメント欄に付けさせて戴きました。
決して紙面のレベルを期待しているわけではないですが、やはりこういう良い志は成功させねばと思います。
普通の雑誌なら売れなくて消えていってもぜんぜん気になりませんが、ビッグイシューが倒産したりすると、一つの大事な可能性が消えてしまうようで悲しいですね。
36号の「トモ子とカズ男」は、おっしゃるように???な感はありましたね。ただ、編集部は「意見をお寄せください」と言っているわけなので、編集部は疑問反論を待っているのかもしれません。
雑誌の立ち上げ時期は多少内容が悪くても買ってくれる人は居るでしょうが、好意は永久に続くわけではないので、編集部には頑張ってもらいたいです。
38号では刑務所の記事と素数セミの記事が面白かったです。