食育マイスターのひとりごと

食育マイスターが日常のひとりごとを綴っています。

実家の話②

2023-08-17 17:08:47 | 日常
実家は父と母が理容業を営んでいた。

私には、2歳下の妹と4歳下の弟がいる。

もともと父方の祖父と祖母との7人家族だったけど

私が6歳と時に祖母が亡くなった。

物心ついた頃から

私は父も母も妹も弟も大嫌いだった。

田舎の第一子。

時代が違えば、私は売り飛ばされ

国が違えば、私は家族を養うために

裕福な国に出稼ぎに行かされた立場だったと思う。

私は子供の頃から、褒められた記憶がなく

『お姉ちゃんでしょ!!!』と言われ続け

家の事や妹や弟の世話が当たり前だった。

父は妹を可愛がり、母は弟を可愛がっていたのは明白だった。

父は妹の夏休みの宿題を手伝い、

その年の学年の優秀な自由研究に選ばれていた。

私は自分で考えないといけず、考えつかなくて

結局、植物の観察になり、父にバカにされたことを今でも覚えている。

父にはよく、お前は○○川の橋の下に捨てられていたのを拾ってきた!と

からかわれ、それを母も笑って聞いていて。

当時やっていた『みなしごハッチ』の話を自分に置き換えていた。

でも、こんな意地悪な家族、

きっと血が繋がっていないはずだと信じたかったし、

血が繋がっていないことを望んでいた。


何かを教えてもらった記憶は全くなかった。

妹は自転車の乗り方を父から教わっていたけど

私は小学生になってから、自力でなんとかした。

全てがそんな感じ。

心配されたことも一度もない。

私が長女で、しっかりしているのは『当たり前』のこと。


私は好奇心旺盛な子どもで、色々なことに興味があり

小学生の頃はそろばんを習っていた。

小さな大会だけど、優勝したり準優勝したりで

トロフィーを2つ持っている。
(と言っても、結果を両親に報告しても『ふ~ん』だったけど)

日によっては暗く遅くなることもあり

遅くなると迎えに来てくれる友人たちが羨ましかった。

ある時、私が頼み込んで
(暗い中帰るのは怖い←なら、そんなもん、辞めてしまえ!だったんだけど)

遅くなった日はバスで帰ることが許された。

バス停は親戚がやってる商店の前。

ある日、バスに乗る寸前に、バイクに乗る父を見つけた。

私はてっきり、私を心配して迎えに来てくれたのかと思いきや

なんてことない、親戚の商店に用事があっただけ。

ヘルメットもないのに
(その通りなんだけど)

お前を迎えに来るわけないだろ!と怒られたことを

今でも覚えている。


田舎には親戚も多く、農業を営んでいる親戚も多かった。

その親戚の子ども達が(私のはとこ達)早起きして

家の事をよく手伝うのに

お姉ちゃんのくせに、お前は本当に何にもしない!!と

特に母によく怒られた。

ちなみに、食器も洗ったし、家の廊下も掃除した。

簡単な料理も出来た。

それでも何もしないというのなら

私に髪を切って欲しかったのか…

その頃から、ぜ~ったいに家の跡なんか継ぐものか!!!と

固く固く決意した。


小5の時に心筋梗塞で父が突然亡くなった。

その時は私が泣いた理由は

『優しかった父が…』ではなく、

父から私にとっての意地悪な家族を押し付けられた絶望感から。

案の定、私が第一子としてやらなければいけないことが

本当に増えた。


妹や弟は元々、スポーツも勉強も苦手。忘れ物も多い。

でもそれは、私が姉としてちゃんと見てあげてないから!と

妹や弟が先生から注意を受けると、母に怒られるのはいつも私。


私はどちらかと言うと、勉強が出来た方だった。

とは言っても、超田舎の学校だったので、たかが知れているけど。

一番、理不尽だったと思ったのは高校進学の時。

母は私が高校に進学するのは大反対。

理由は、あんたは、勉強ができるから、今ここで高校に行かなくても後からなんとかすればいい。

でも、妹や弟は勉強が出来ないから、行ける高校が限られる。

だからお前が我慢して、妹や弟を高校に行かせて欲しい!!

私からすれば『はっ?何言ってるの?勉強が出来ないから、勉強すればって注意すればいいだけの話でしょ?』と。

母が妹や弟に『勉強しなさい!』と言ってるところを

一度も見たことがなかったし、

『手伝いなさい!』と私に言うように言っているところも

一度も見たことがなかった。


私が考えたのは、周りから固める作戦。

田舎の悪いところは、み~んながみ~んなのことをよく知っている。

それなら私が勉強をすれば

私が成績がいいことがみんなに知られ、

成績がいいのに、高校に行かせてあげないの?と

周りの人が母に言う。

母はバツが悪くなり、私が高校に行くのを許可する…

その作戦は成功して、受験できることになったんだけど…

受験を許可するのは一校だけ。もちろん、行くのは公立。

それなら、行きたい進学校があった。

そこは少し遠かった。もちろん、交通費がかかる!!!で却下。

それでも、高校に行かせてもらえることに喜んだ。

もちろん、奨学金は必須。


母はそんな私が面白くなく、中3の時が嫌がらせのピークだった。

勉強している=自分のことをしている=家の事をしない→長女のくせに!!

で、それはそれは怒鳴られた。

包丁を向けられたこともある。(注:宿題をしていただけ)

私も反抗期。『殺れるものなら、やってみろ!!』だった。

本当に面白くなかったらしく

中3の時にはお小遣いももらえなかった。

『働かざる者食うべからず』ということだったらしい。

私が使った食器も、私の服の洗濯もしない。

それでも、家を追い出させるよりはマシ。

無駄に広い実家には使っていない台所と、使っている台所と2つあり

冷蔵庫も2つあって、片付けが苦手な母は

いつも冷蔵庫をパンパンにしていたから

食べるものには困らなかった。

小さい時から何でもやらなきゃいけなかったから

母が私のことをしなくても、家事全般は出来た。


そんな環境に育ったせいか

なぜか昔から『危機回避能力』みたいなものは備わっていて

そんなこともあろうかと

小さい時からお金を貯めていたから

中3の1年間はそれでなんとかなった。

ただ、女子特有の成長に伴う下着なんかは買ってもらえなかった。
(むしろ気持ち悪がられた)

高校のある街は用品店もある。あと1年の我慢だと。
(うちの田舎にもあるけど、私が買いに行くと母にばれる)


ちなみに、母は中卒。

家庭の事情での中卒ではなく、勉強が嫌いな子だったと思う。

なぜなら、母の兄達は私立の高校に行かせてもらえてたから。
(でもひょっとしたら、女に学は要らないって考えだったかもしれないけど)


そんな母をみて思ったのは

人間、知恵をつけないとダメだ…と。

それには本を読めないとダメだなって。

そう言えば、母は説明書とか読めないし理解出来ない。


それでも夫を亡くして大変だったと思っていたから

自分なりに家の事は手伝っていたつもり。

母はぜ~ったいに何もしなかった!と言い切っていたけど。


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