


一昨日、東日本大震災後2年がたとうとする宮城県石巻市を訪ねることが出来た、訪ねたと言っても某旅行社の東北ツァーに乗ってですから、多少後ろめたさはありますが。
その石巻市に入ってビックリしたのは、アノ東日本大震災の爪あとが我々門外漢にはほとんど分からないこと、これを復興が進んだからと見るのか?2年も経てば分からなくなるものなのか・・・・

そんな疑問はボランティアの「語り部」さんの案内で一変、重機が轟々と動いて瓦礫を処理している処理場、その手前のブロックにはあの時津波で流されいた車が野積み、当然錆びたり・ボコボコですが。
しかし、ひどい被害であった石巻漁港とその周辺道路は、復興工事がそれこそ槌の音が聞こえる感じで進んで、あーあ復興しつつあるなーと感じれれる。

反対に手前の住宅街跡おぼしきブロックは荒涼たる原野?被災した家の解体までが精一杯の感じ・・・そんな荒涼たる現場の中に門脇小学校が、そう校長等の機敏な判断で犠牲者が出なかったところ。
同じ小学校でも84名もの死者が出た大川小学校、リーダーだけのせいではないでしょうが考えさせられます、ちなみに門脇小学校の周辺の住宅は解体され更地状態、何せ6メートル超の津波だったようですから。

まぁ遅ればせながら復興は進みつつあるとの感じ、しかし港・道路等の公共物がその進捗ですから、個人の住宅は・生活はまだまだ・・・・の感じ。
そんな中でも「石巻まちなか復興マルシェ」はトレーラーハウスで作った食堂・みやげ物店だ、そう隣の女川市のトレーラー宿泊施設と同じやりかただ、まぁ決して繁盛している感じではなかったのですが。

我々のツァーもそちらで昼食を食べ支援の一助に、地元の方が利用の感じはなく我々のような見学ツァーとかボランティアの人が利用が主と見えたが、どうか?
たった2~3時間の見学ツァーで何が分かるか・・・といえばそうですが、やはり百聞は一見にしかず・・・でやはり感じることはできました、まぁ「語り部」さんの説明があったからですが。

まもなく あの日から2年、風化させないために何かの行動がいるのでしょう・・・・
語り部さんお世話になりました。

追、中国新聞の3日版をみると特集があり、石巻市はそれでも復興の進捗はいいほうでした。