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シネマ座椅子

座椅子に座り、酒を飲みながら日々映画鑑賞。
映画の結末を待たずに酒の力で本日の結末を迎えることもしばしば。

私は「うつ依存症」の女

2006-08-15 | おもろい
タイトルだけに惹かれてCSで観ました。予習ゼロ。こういうノリで映画を観るのが好きです。その2時間が無駄になるかも知れない、人生変わるかも知れない。それが映画ですな。

主役の大学生の女の子が「鬱」に苦しむ物語です。
両親の離婚。片親となった母親からの過度の期待。学業その他で結果を出せる自分への義務感。そして父親との再会。これでもかと鬱の原因となりうる出来事が主役に起こります。そして当然発症。

ここでは、自分自身に対して「~をやらねば」の思いが強すぎるゆえに追い込まれていく、というのが強調されてますね。でもコレってそんなものなのかな。
鬱は自分の限界を認められず(あるいは認める余地を与えられず)に、自分自身を諦める勇気を持てなかった(あるいは持つ余地を与えられなかった)人間がその過ちの代償として背負う(あるいは背負わされる)十字架なのだと思います。

鬱は周囲の人間にうつる伝染病であること。自分の精神的な症状を「皆そういう悩みや思いはあるもの」などと中途半端に理解されたように扱われると激しくその相手に嫌悪感を持つこと。鬱の持つ独特の「特性」がしっかり表現されていることが見事、リアルムービーと呼ぶにふさわしい。

主役は薬を用いることで精神的な落ち着きを徐々に得ていくワケですが、そこで思う。。
「この精神は薬で作られたもの。今落ち着いてものを考えられている自分は本来の自分ではない?」
・・・なるほど、そういうものの考え方があるのか!これぞ現代病!目からウロコの発想でした。、、、ってネタバレしてんな俺。ごめんなさい。でも、これは特筆せねばならぬのですよこの映画では。

主役のリジーを演じるクリスティナ・リッチ。あまりに演技が上手すぎる。すごい。こりゃ一体、、、と思い調べてみたら、なんだ、「モンスター」に出てたシャーリーズ・セロンの恋人役じゃねーか、なるほどネ。ていうかこの人、映画に出る以上主役以外ないような大女優じゃねーかよ。要チェックだなオイ。なんかカワイイし。

しかし、自己を喪失し、鬱となってしまった主役は、自分の中に確立できない自分を男の中に見つけようとする。要は抱かれることで自分を確かめようとする。自分を見失った女が取る行動としては実にリアルなのかも知れない。でもね、リジー、君は鬱患者、その行動は、、、

元気過ぎ。

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