浪漫飛行への誘(いざな)い

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ANAの中国への思い入れ

2023年02月26日 06時33分39秒 | ビジネス

ANAと中国との親しい関係を築いたのは、ANAの第二代社長の岡崎嘉平太氏である。日本銀行の上海に長く駐在し、日中友好の大切さを身を持って体験し、ANAの社長に就任後、訪中回数は100回を超え、日中貿易交流に尽力し、日中友好関係の促進に寄与した。1972年の日中正常化の際、周恩来総理自ら『わが国には「水を飲むときには、井戸を掘った人のことを忘れない」という言葉がある』と岡崎氏の労をねぎらったという有名な逸話があるほどである。岡崎氏のご子息は、ライバルであるJALに勤務し、貨物関係の仕事をしていたのも面白い関係である。

そんなANAは、1972年に日本の航空会社として初めて羽田=上海のチャーター便を運航し、中国の大歓迎を受けた。1987年には定期便の運航を開始し、20路線まで路線網も拡大し、中国便にかける思い入れは大変強いものがある。現在のANAホールディングスの社長は、東京外語大学の中国科出身で中国のスペシャリストでもあるので、さらに力を入れていくものと思われる。ANAの中国への思い入れは、個人的にもいろいろな場面で感じる。

まず、卓球といえば中国が世界一であるが、ANAは、いち早く日本卓球協会のスポンサーとして協力し、卓球日本代表のユニフォームには中央に大きくANAのロゴがプリントされている。卓球の世界では、JALは出る幕がまったくないといえる。中国と卓球といえば、個人的には、1983年に北京、杭州、上海に日中友好卓球試合で遠征するという稀有な経験を持っているが、その時に知り合った女性(当時の中国民航の社長秘書)から、ANAの中国への思い入れの話しを何度も聞いたことがある。

また、ANAは、北京で毎年開催される北京国際マラソンの冠スポンサーとしても長年サポートしてきた。中国での認知度アップにも貢献している。2006年にこの北京マラソンを現地で見たことがあるが、ANAの会長も現地入りし、力の入れぶりを身近に感じた。ANAは、卓球に限らず、スポーツ競技へのスポンサーに力を入れている。フィギュアスケートの羽生結弦もANA所属であったし、テニスの大坂なおみ、ゴルフの松山英樹、池田勇太とスポンサー契約を結んでいる。水泳、スキー、スケート、バドミントン、バレーボール協会とのスポンサー契約もあり、サポートの範囲は広い。エアラインの場合、通常のスポンサー料とは別に、国際試合に伴う海外遠征のチケットを提供できるというメリットがあるので、スポンサーになりやすい面もある。ANAのセールスマンはいくら使ってもいいから、スポーツ競技団体のスポンサー契約を取るように言われているという話を聞いたことがあるほど、力を入れているのである。こういったスポーツ支援はANAの知名度、好感度アップに貢献していると思われる。サッカーと陸上競技だけは、JALがスポンサーを死守しており、ANAはまだ入り込めていないようである。

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