奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

大渕池公園

2007年05月21日 | 名所
 公園は東地区と西地区とに分かれています 撮影日;2007.5.7

 東地区には芝生広場があり
 船をイメージした木製遊具とタコをイメージした石の複合滑り台があります

 西地区にはファミリー広場や展望広場があります
 傾斜を利用した滑り台、複合遊具、アスレチック風の木製遊具などがあります

★所在地;奈良市中山町西1-839-1
★交通;近鉄学園前駅より 徒歩20分
★駐車場;無料 有り
★休園日;年末年始
★開園時間;9:00~19:00
★問合せ;0742-47-0700

 大渕池畔には松伯美術館が有ります

 西公園の西側に御嶽山大和本宮が有ります


 参考;青垣協同組合グループのページ

中村直三農功之碑

2007年05月20日 | 碑・塚
 明治三老農の一人「中村直三」の功績碑です 撮影日;2007.5.2

 「勧農微志」を初め、農家によくわかる農事改良と農民啓発に努め
 幕末から明治にかけて活躍した奈良県の人です

★所在地;奈良市登大路町
★交通;近鉄奈良駅より 徒歩8分
★駐車場;県庁の駐車場等(有料1000円)
★入場料;見学自由
★問合せ;0742-34-1111(奈良市教育委員会)

 文政2年(1819)大和国山辺郡永原村(現天理市)の貧農の家に生まれた彼は
 幕末各地で起きた農民一揆を機に、米の増収こそ問題解決の根本であると考え
 文久3年(1863)以後稲の比較試作による品種改良を終生の仕事とした

 維新後その成果は着々と実り明治5年(1872)に「地蔵早稲」を同9年には76種の優良稲種を明治政府勧業祭に(現農水省)へ提出
 秋田・宮城・石川・大分各県の稲作指導にも当たった
 さらに明治14年第二回内国勧業博覧会には実に740種の稲種を出品
 全国の代表的稲種品種改良家と仰がれたが翌15年(1882)8月13日病を得て急逝した
 =案内板より=

 【明治三老農:中村直三、香川の奈良専二、群馬の船津伝次平の三人】


 参考;PDF中村直三

国際奈良学セミナーハウス

2007年05月19日 | 名所
 「旧世尊院客殿」を奈良県が改修し保存しています 撮影日;2007.5.2 

 桃山初期創建時の姿のままだそうです

 奈良を訪れる方々のため、奈良公園の一角に1988年にオープンした施設です

 研修室・資料閲覧室を備え、宿泊研修棟や庭園とともに、新旧が調和した美しい景観を作り出しています

★所在地;奈良市登大路町63
★交通;近鉄奈良駅より 徒歩5分
★駐車場;10台 (有料1000円)
★入場料;施設使用料、宿泊料金についてはお問い合せ下さい
★休館日;年中無休
★開館時間;9:00~21:00
★問合せ;0742-23-5821

 「旧世尊院」は桃山時代初期に興福寺の子院として建てられました

 50名様まで収容可能な研修室は、ビデオ・OHP・スライド映写機・スクリーンなど各種AV機器を備えています
 学会・研修の場として、また、セミナー・講習等にも広くご利用されます


 参考;国際奈良学セミナーハウスのホームページ

 ゴールデンウィークの頃に珍しい【盆藤展】が行なわれます
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植桜楓之碑

2007年05月18日 | 古跡
 猿沢池の通称「五十二段」と呼ばれる石段の横にあります 撮影日;2007.4.20

 幕末に外国奉行、勘定奉行として、幕臣中に重きを成した川路聖謨が
 奈良奉行時代に東大寺・興福寺を中心にこの附近に桜と楓を植樹したときの記念碑です

★所在地;奈良市登大路町
★交通;近鉄奈良駅より 徒歩5分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0742-34-1111(奈良市教育委員会)

 碑の隣りに楊貴妃桜の若木が有ります
 ≪昔、興福寺に玄宗という名の法師がいました。玄宗はここにあった桜樹が好きで好きでたまりませんでした。そこで唐の玄宗皇帝が楊貴妃を寵愛した故事に因み 誰いうとなくその桜を「楊貴妃桜」と呼ぶようになったということです。≫
 =「大和名所図会」寛政三年(1791)より=


 参考;幕末維新史跡訪問

纒向東田大塚古墳

2007年05月17日 | 古墳
 纒向古墳群の中で、墳丘の保存状態が良い古墳です 撮影日;2007.4.30

 後円部は現在畑地化していますが、本来は三段の段築があったようです

 周濠は幅20mのものが確認されているそうです

★所在地;桜井市東田字大塚
★交通;近鉄巻向駅より 徒歩8分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;

 被葬者:不明
 築造時期:古墳時代前期初頭
 墳形:纒向型前方後円墳(葺石・埴輪無し)
 規模:全長約96m・後円部径約64m、後円部高さ9m、周濠幅約21m
 埋葬部:未調査
 出土遺物:土師器(布留0式)、木製品、甕棺(周濠外堤部より東海系壷片で蓋をした中部瀬戸内系土器棺埋納)

 試掘調査により前方部に盛土が残っていることが確認され
 2007年4月12日、桜井市教育委員会は全長がこれまでの推測より14m長く110m以上である旨発表しました


 参考;大和の古墳探索のページ:纒向東田大塚古墳

 この辺りは纏向遺跡です

纒向矢塚古墳

2007年05月16日 | 古墳
 周りは田畑に囲まれ、なぜかシュロの木? 撮影日;2007.4.30

 周濠部の発掘調査では幅23mの濠が確認されています

★所在地;桜井市東田町字矢塚
★交通;近鉄巻向駅より 徒歩7分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;

 被葬者:不明
 築造時期:古墳時代前期初頭
 墳形:纒向型前方後円墳
 規模:全長約96m、後円部径約64m、後円部高さ5m、周濠幅約17~23m
 埋葬部:未調査
 (墳頭部に板石が露出しているので縦穴式石室又は、箱式石棺が考えられる)
 出土遺物:埴輪、須恵器(纒向Ⅲ式期)、瓦器


 参考;大和の古墳探索のページ:纒向矢塚古墳

纒向勝山古墳

2007年05月15日 | 古墳
 箸墓古墳よりも古いといわれます 撮影日;2007.4.30

 周囲には築造時の濠の痕跡を残す「勝山池」が存在しています

★所在地;桜井市東田(ひがいだ)町字勝山
★交通;近鉄巻向駅より 徒歩7分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;

 埋葬者:不明
 築造時期:古墳時代前期初頭(3世紀前半の築造)
 墳 形:前方後円墳(葺石・埴輪無し)
 規 模:全長約110m、後円部径約60m、後円部の高さ約7m、周濠幅約25m
 埋葬部:未調査のため詳細不明
 出土遺物(主に周濠部より出土);木製の刀剣把手、団扇、槽等の祭祀具、U字形木製品(クビレ部の周濠から出土)、土師器(布留0式土器)


 参考;纒向勝山古墳第4次調査

纒向石塚古墳

2007年05月14日 | 古墳
 墳頂部は太平洋戦争末期に削平され、砲台がおかれていたようです 撮影日;2007.4.30

 纒向古墳群に属する古墳の一つ

 纏向遺跡内では最古の古墳の可能性があります

 2006年1月26日に国史跡に指定されました
 
★所在地;桜井市太田字石塚
★交通;近鉄巻向駅より 徒歩6分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;

 被葬者:不明
 築造時期:古墳時代前期初頭
 墳 形:纒向型前方後円墳
 規 模:全長96m、前方部長約32m・幅約34m、くびれ部幅約12.8m、周濠幅約20m
 葺石・埴輪無し
 出土遺物(周濠より出土):弧紋円盤、朱塗の鶏形木製品、木製鋤、木製鍬、横槌、水槽、建築部材などの木製品、土師器(纒向I式期)


 参考;纏向石塚古墳第9次調査

から風呂

2007年05月13日 | 文化財
 江戸時代に再建された天平時代の蒸し風呂です 撮影日;2007.4.20

 「光明皇后」が、千人の施浴のご誓願を立てられ建設されたと伝わります

 昭和初期に釜が失われたが、2003年9月解体修理が完了し釜の復元も行われました
 国の重要有形民俗文化財に指定されています

★所在地;奈良市法華寺町882
★交通;近鉄新大宮駅より 徒歩15分
★駐車場;無料30台
★入場料;(東庭園・光月亭)拝観料:大人300円
★問合せ;0742-33-2261(法華寺
 「華楽園」の入口正面に建てられています

 床下の釜で湯をわかし、すのこの板床を通して浴室に蒸気を充満させる構造
 別の釜では薬草を焚き、薬風呂としても用いられた
 内部は檜の板で囲われた浴室と、水鉢を置いた脱衣所があります

≪光明皇后千人の施浴の伝説≫
 千人目は見るに堪えられない病状の患者で、その病人の願いで患部の膿を吸うために朱色の可憐な唇を患部に当てた瞬間、病人は大光明を放ち姿が見えなくなりましたが、実は阿閦(あしゅく)如来の化身だったという・・・


参考;やまと建築詩のページ

華楽園「法華寺東庭園」

2007年05月12日 | 名所
 一年を通じて四季折々の花々が楽しめます 撮影日;2007.4.20

 法華寺境内東側にあり、約1000坪の平地に東屋・蓮池を擁する花園です
 100本の椿をはじめ、めずらしい法華寺蓮・にんじん木等
 約750種の花木・草花があります

★所在地;奈良市法華寺町882
★交通;近鉄新大宮駅より 徒歩15分
★駐車場;無料30台
★入園料;大人300円
★問合せ;0742-33-2261 (法華寺

 園内には「から風呂」と「光月亭」があります
 「光月亭」は梅の名所として知られる「月ヶ瀬村」にあった江戸時代の建物です


 昭和46年に庄屋を務めた東谷家の住宅(18世紀の建設と推定)を移築
 昭和45年3月24日に県指定文化財になっています

 構造は四間取りの原型とされる部屋割り構造や、居室部の天井が根太天井となっています
 土間部分が丸竹天井であるなど東部山間地方の民家の発展形態を示す貴重な建物です

 法事の振る舞いや総代会、茶室の控えなどとして年間7、8回使われているそうです
 土間のカマドは現在も(年に最低一回程度)使われているそうです


参考;やまと建築詩のページ