![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/1b/2758b70e398bef97c049964adba6ec3f.jpg)
後南朝の自天親王の墓所とされています 撮影日;2011.01.08
神之谷金剛寺は、後南朝菩提所としても知られています
「本堂」に向かって左の急な石段を上がった所に後亀山天皇玄孫の「南帝自天皇陵」があります
長禄元年(1457)12月2日夜、自天王(尊秀王)は、ここで襲われ、あえない最後を遂げました
村の者が必死になって後を追い、寺尾の集落で弓の名人大西助五郎が敵将中村貞友を仕留め、王の首と神璽(しんじ)を取り返し、ここに葬ったと伝えられます
![尊秀王墓と自天王碑](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/0d/2d98a116df8379b0f359dad8a17c7908.jpg)
宮内庁は御墓を自天皇の弟宮である「河野宮墓」として管轄しています
明治15年(1882)、境内に小松宮彰仁親王題額の「自天王碑」が建てられています
毎年12月2日(自天王の命日)に当事の郷士らの子孫により御朝拝式が行われます
神之谷金剛寺の御朝拝式の歴史は室町時代まで遡るそうで、後南朝を興した後亀山天皇のひ孫にあたる自天親王を慰霊する行事です
![ケヤキの巨樹](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/75/2bceb38321d6932412f1c4f25e4d034d.jpg)
寺が造られた頃と前後して自生した物と思われる大きな「ケヤキ」の巨樹が、境内へ上がる石段の脇に植わっています
推定樹齢800年、幹周り6.5m、幹高約30m
★所在地;吉野郡川上村神之谷126「神之谷金剛寺」
★交通;近鉄「大和上市」駅より バスで「湯盛温泉杉の湯」 入之波温泉行きに乗り換え「柏木」下車 徒歩20分
★駐車場;有ります(無料)
★問合せ;
参考;blog・長生きも芸のうち日記のページ
神之谷金剛寺は、後南朝菩提所としても知られています
「本堂」に向かって左の急な石段を上がった所に後亀山天皇玄孫の「南帝自天皇陵」があります
長禄元年(1457)12月2日夜、自天王(尊秀王)は、ここで襲われ、あえない最後を遂げました
村の者が必死になって後を追い、寺尾の集落で弓の名人大西助五郎が敵将中村貞友を仕留め、王の首と神璽(しんじ)を取り返し、ここに葬ったと伝えられます
![宮内庁の河野宮墓板](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/99/9155fe01e225b2969ef37eab2b4a0af6.jpg)
![尊秀王墓と自天王碑](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/0d/2d98a116df8379b0f359dad8a17c7908.jpg)
宮内庁は御墓を自天皇の弟宮である「河野宮墓」として管轄しています
明治15年(1882)、境内に小松宮彰仁親王題額の「自天王碑」が建てられています
毎年12月2日(自天王の命日)に当事の郷士らの子孫により御朝拝式が行われます
神之谷金剛寺の御朝拝式の歴史は室町時代まで遡るそうで、後南朝を興した後亀山天皇のひ孫にあたる自天親王を慰霊する行事です
![南帝自天皇陵碑](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/c8/86468e374c100cbb8f1fb37bd62b4fe7.jpg)
![ケヤキの巨樹](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/75/2bceb38321d6932412f1c4f25e4d034d.jpg)
寺が造られた頃と前後して自生した物と思われる大きな「ケヤキ」の巨樹が、境内へ上がる石段の脇に植わっています
推定樹齢800年、幹周り6.5m、幹高約30m
★所在地;吉野郡川上村神之谷126「神之谷金剛寺」
★交通;近鉄「大和上市」駅より バスで「湯盛温泉杉の湯」 入之波温泉行きに乗り換え「柏木」下車 徒歩20分
★駐車場;有ります(無料)
★問合せ;
参考;blog・長生きも芸のうち日記のページ