田んぼの中にある塔の基壇の一部です 撮影日;2006.7.13
「大野丘」と通称され
蘇我氏の居住地ではないかとされている「和田廃寺」の推定地です
日本書紀によると
敏達天皇の14年(585)、蘇我馬子が大野丘の北に塔を建てたとの記述があります
★所在地;橿原市和田町
★交通;近鉄橿原神宮前駅より 徒歩12分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-22-4001(橿原市教育委員会)
土壇近くからは、大型の鴟尾も発見されています
すぐ東には推古天皇の小墾田宮(おはりだのみや)推定地
飛鳥川を隔てて雷丘北方遺跡など
飛鳥時代の中心的な施設が近い重要な位置にあります
「大野丘」と通称され
蘇我氏の居住地ではないかとされている「和田廃寺」の推定地です
日本書紀によると
敏達天皇の14年(585)、蘇我馬子が大野丘の北に塔を建てたとの記述があります
★所在地;橿原市和田町
★交通;近鉄橿原神宮前駅より 徒歩12分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-22-4001(橿原市教育委員会)
土壇近くからは、大型の鴟尾も発見されています
すぐ東には推古天皇の小墾田宮(おはりだのみや)推定地
飛鳥川を隔てて雷丘北方遺跡など
飛鳥時代の中心的な施設が近い重要な位置にあります