護良親王を匿った仮の御殿跡とされます 撮影日;2009.11.08
鎌倉幕府の末期、第96代後醍醐天皇は倒幕を企てますが、計画がもれ隠岐の島に流されました(元弘の変)
天皇の第三皇子大塔宮護良親王は、難を避けて元弘3年(1333)の秋、しばらく十津川郷に身を潜めます
この時、竹原八郎をはじめとする十津川郷民は、谷瀬に仮の御殿を建て、親王をお守りしたそうです
天皇はその後、倒幕の軍を起こし「建武の中興」を成し遂げます
3年後再び政権は足利氏にうつり、親王は鎌倉に幽閉され、尊氏の弟直義によって殺害され、28才の生涯を閉じました
郷民は、明治38年(1905)谷瀬に「黒木御所旧址」の碑を建てました
★所在地;吉野郡十津川村谷瀬
★交通;JR五条駅より バスで「上野地」下車 吊り橋を渡って徒歩2分
★駐車場;有料(普通車500円)
★入場料;見学自由
★問合せ;0746-62-0001(十津川村役場)
黒木御所とは、「皮付きの丸木で作られた粗末な仮宮」を指す言葉で、この名の御所は全国各地に点在します
鎌倉幕府の末期、第96代後醍醐天皇は倒幕を企てますが、計画がもれ隠岐の島に流されました(元弘の変)
天皇の第三皇子大塔宮護良親王は、難を避けて元弘3年(1333)の秋、しばらく十津川郷に身を潜めます
この時、竹原八郎をはじめとする十津川郷民は、谷瀬に仮の御殿を建て、親王をお守りしたそうです
天皇はその後、倒幕の軍を起こし「建武の中興」を成し遂げます
3年後再び政権は足利氏にうつり、親王は鎌倉に幽閉され、尊氏の弟直義によって殺害され、28才の生涯を閉じました
郷民は、明治38年(1905)谷瀬に「黒木御所旧址」の碑を建てました
★所在地;吉野郡十津川村谷瀬
★交通;JR五条駅より バスで「上野地」下車 吊り橋を渡って徒歩2分
★駐車場;有料(普通車500円)
★入場料;見学自由
★問合せ;0746-62-0001(十津川村役場)
黒木御所とは、「皮付きの丸木で作られた粗末な仮宮」を指す言葉で、この名の御所は全国各地に点在します