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歌え!だらリーマン
人生幸朗に近づく
「恋して悪魔 ~ヴァンパイア☆ボーイ~」のワンシーン。下の写真のように中山優馬と加藤ローサが並んで写真を撮ったものの、ヴァンパイヤである中山優馬は写っていなかったというものである。
「写真に写らない」というような設定は昔からよくあるのでそれはいい。着ている洋服はどうなったんだ、などというツッコミもしない。中山優馬が座っていた場所の背景がなぜ写っているんだ、などのツッコミもあえてしない。
しかし、なぜに写真を撮るシーンで加藤ローサは中山優馬にウサギをだっこさせるのか。中山優馬の膝のうえにいるウサギは加藤ローサが渡したものである。そのウサギはなぜ写らないのか。
しかも携帯の液晶には中山優馬の姿がぼんやりと映っているのである。白いものはウサギの姿だろう。撮影時に液晶に映っているものが撮影後はなぜメモリーに保存されないのか。
わざわざウサギをだっこさせる必然性がなぜあるのか。あとでヴァンパイヤが写っていないというストーリーに展開するときに邪魔になるではないか。ピントをぼかしているとはいえ、撮影時の液晶画面をなぜフレームに入れるのか。撮影者の手元だけでいいじゃないか。
などと突っ込んでしまうのは歳をとって私が人生幸朗師匠に近づいているためかも知れない。
「写真に写らない」というような設定は昔からよくあるのでそれはいい。着ている洋服はどうなったんだ、などというツッコミもしない。中山優馬が座っていた場所の背景がなぜ写っているんだ、などのツッコミもあえてしない。
しかし、なぜに写真を撮るシーンで加藤ローサは中山優馬にウサギをだっこさせるのか。中山優馬の膝のうえにいるウサギは加藤ローサが渡したものである。そのウサギはなぜ写らないのか。
しかも携帯の液晶には中山優馬の姿がぼんやりと映っているのである。白いものはウサギの姿だろう。撮影時に液晶に映っているものが撮影後はなぜメモリーに保存されないのか。
わざわざウサギをだっこさせる必然性がなぜあるのか。あとでヴァンパイヤが写っていないというストーリーに展開するときに邪魔になるではないか。ピントをぼかしているとはいえ、撮影時の液晶画面をなぜフレームに入れるのか。撮影者の手元だけでいいじゃないか。
などと突っ込んでしまうのは歳をとって私が人生幸朗師匠に近づいているためかも知れない。
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