~ いるかしあわせ宅配便 ~

ばあちゃんのひとりごと

インドの聖書「バカヴァット・ギーター」

2012-04-25 10:35:16 | Saranyaのひとり言
この間、インドで最も愛されているヒンドィー教の「聖書」といわれている「バカヴァット・ギーター」学ぶ会がありました。


聖典を生きる――『ギーター』から学ぶヨーガという生き方


「バカヴァット・ギーター」はインドの大叙事詩「マハーバーラタ」の一部だそうです。
中身の説明よりもインドにまつわるお話が多くて,大変興味深いものでした。
インドの正式名称はバラタだとか。このマハーバーラタのバラタなんですって・・・知らなかった。
ヒンドィー教は英語で、実は「サナータナ ダルマ」永遠の真理と言うそうです。
これも知らなかった。
初めて参加された方が,最初は意味が理解できるかなと感じていましたが面白いですね。


結局、内容に入られたのは1時間後でした。
私たちは永遠だということ。
何が永遠か「真に自己」だそうです。
真の自己は死ぬことはないので、生死に煩うことはない。と、クリシュナがアルジュナに告げるのですが
その場にいるようにリアルにお話をしてくださいました。
理解し実践するには少々かかりそうですが、心が変わりつつあることは気づき始めていました。


そして、
主体(真の自己)は幼少期から青年期、さらに老年期に達していき、別の身体に到達する。と、いうことです。
これも???わからん。と頭抱えている様子でした。
現実この世の変化は見えるが別の身体に到達することがわからない。と初回の方の声・・・そうですよね。
「理解できたら”さとり”だよね。いないと思うよ」と、言われて”ホット”している様子。
私も何処まで感じているのだろうか?
実際,乳がんになり死ぬと感じた時「病気なんだ,癌なんだと認識したとき、だけど、心は癌じゃないよ」と、言い聞かせた記憶はあり不安はなかったけれど、死なないとは思えなかった。


”私”と感じて認識している「私」は常に変化している。
今、感じたこと思っていることが午後には違う見解を示していることがあります。
「私」いつも同じではないということは理解できる。
物事との接触は苦楽をもたらし、来たりて去り、常に変化し無常である。
それらに耐える・・・それらに煩わされず、苦も楽も同等とみなす。
理屈は理解できる、楽の背後には苦が存在するものね。
しかし、納得して覚悟するのは難しいよね。
赤ちゃんを妊娠して喜びに満ちている、しかし妊娠中の暮らしは喜びばかりではない。
まして出産後すぐに困難はやってくる。
「赤ちゃんがよく泣く」「子育てに不安」「眠れない」「自由がなくなった」などなど。
苦が訪れる・・・それらに耐えろと教える。
妊娠の事実も子育て,赤ちゃんが泣くこともすべて同じだと。


楽しかった。
次回は5月28日!!!楽しみにいくぞ。