悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

情報格差は想像以上

2017-07-11 10:07:48 | バリアフリー

「スマ-(マイナス記号)トフォン」と「スマー(長音記号)トフォン」とは違う。
視覚障害者がよく使用する「音声読み上げ装置」では、この2つを区別して読み上げる。
今朝の新聞に、情報へのたどり着きやすさ「ウェブアクセシビリティ」についての記事。
この中に書いてあった。
多くの視覚障害者は、テキスト状態のデータをパソコンの「音声読み上げ装置」で聞く。
その時に、普通に長音記号を使って入力したものは「スマートフォン」と読み上げるが、
マイナス記号を入れてしまうと、「スマ・マイナス・トフォン」と読みあげてしまう。
ホームページなども読み上げるが、画像の多いページは、読み上げ装置が生かされない。
先の東京都議選で話題になったので一般に知られたのが、「聞こえる選挙」。
すべて下のようなページで、選挙情報を流した。

視覚障害者や聴覚障害者は、「情報障害者」ともいわれる。聞こえ、見える人と比べ、
情報格差が強いためである。

以前所属していた歩く会には、聴覚障害者だけでなく、視覚障害者も在籍していた。
視覚障害の程度は、前を歩く人の後を歩けば例会で歩くことができる程度だった。
総会資料は、拡大文字にして配布したことがある。遠慮したので継続はしなかった。
多くの会で取り組んでくれれば、障害者も一緒に歩けるのにと思う。
実現には難しい面もあるが、工夫すればできないことではない。
NPOとなったら、茨城県ウオーキング協会でもぜひ取り組んでほしい。

<今日の歩きから>

谷中村跡付近に咲いていた「エゾミソハギ」

こんな上天気~東谷中橋へ向かう

葭焼き後の葭原はこんなに茂っている

  


あり得ない?憶測

2017-07-11 09:47:36 | 雑記

わが家では、1日に2回~3回、ポータブルトイレのお小水などをトイレに捨てている。
容器には35Lのビニール袋を被せているので、数年使っているがきれいなままだ。
捨てた後、トイレクリーナーで軽く拭っておく。便が付着したりひどい汚れがなければ、
ビニール袋は数日交換しない。そこに、セブンイレブンで購入する消臭剤を吹きつける。
ここまでの作業で、ポータブルトイレ周辺にも異臭はなく、清潔さが保たれている。
セブンイレブンで購入する消臭剤は優れもので、消臭剤特有の匂いがなく、爽やかだ。
部屋に、消臭剤の匂いも漂うことがない。わが家は散らかり放題で汚いにもかかわらず、
毎週来る訪問リハビリの職員から、部屋がまったく匂わないのは、珍しいとほめられた。

ここまでは、落語でいえば「まくら」

不思議と、その作業中に私は尿意を催す。捨てる前に排尿しても、捨ててからにしても、
2度水を流すことになる。水が勿体ないな~という考えが、数年来、毎回頭をよぎる。
その度に、私の排尿後そのままにし、すぐにポータブルトイレの汚物を捨てる順序なら、
水は1回流すだけで済むのに、と思いながら、たいていは2度に分けて流している。

今朝、いや、これまでにも何度か試したことはある~数回でしかないのがおかしいが。

排尿後、すぐにポータブルトイレのお小水を捨てて、思う。
天皇家の人や、金持ちは、そんな考えに頭を悩ませることはないだろうなと、考える。
金持ちこそ、無駄なことはしないとすれば、あんがい常識的なことかもしれないが・・・

そんな、憶測をいつもしている。~今朝、9時過ぎに思いついた、新鮮な話題である。


国会質疑を聞きながら歩く

2017-07-10 21:11:53 | ウォーキング

前にも政府側の人が言っていたが、前川氏は辞める前に主張すべきだったと。
どうして今になって・・・は、酷な物言いだと思う。
現職の人は覚悟をしているわけではないので、前川氏が真相を主張するに際し、
彼らの立場を慮って、歯切れが悪くなる。そこを衝いてくるのはお決まりか。
辞めてから楯を突くと、身内ではないので、かなり低俗な報復がなされる。
現職で楯を突くと、「そんなことを言って良いのかい、いられなくなるよ」
とばかりに、締め付けが来るのはわかりきっている。普通は口を閉じるし、
順調に勤め上げれば、辞めてからも口を閉ざすのは、世間知であり、お約束。

私は、小さな町の木っ端役人だった。何度か好き勝手なことをしたので、
居心地は悪かった。「ブラックリストに載ってるよ」と言われたこともある。
誰も望んで不利な立場に立ちたくはない。

新三国橋を渡り、渡良瀬の土手に登り返す頃、自民党議員が前川氏を責め始めた。
聞いているだに不快であった。

  


雪の瀬川(その4)

2017-07-09 22:20:16 | 雑記

三遊亭圓生の「松葉屋瀬川」を聴いた。長尺もので1時間半にも及ぶ。
噺の筋に関連してはいるが、解説部分にかなりの時間をかけて演じられている。
その解説が、正統派というか、時代背景などについても詳しく語られる。
圓生と比べて、柳家さん喬の場合は、解説部分にはあまり時間をかけず、
筋の組み立てと情感の表現に工夫を加えており、素人の私には噺に入りやすい。
また、最初にさん喬の噺を聞いていたので、圓生のそれは情緒不足と感じた。
また、言葉遣いが乱暴に感じ、噺に引き込まれない。
よく言えば、上等の古典落語を聞かされているという印象である。

そんなことを感じる人が他にもいてか、「聴き比べ」としてアップされている。
いずれの噺も最初にコマーシャルが入るのでウザイが、2人分全編聞けるので
よかったら聞いてほしい。さん喬~動画、圓生~静止画

  


少なすぎる事例

2017-07-08 21:21:10 | ウォーキング

知人からメールで問い合わせがあった。
ろう者の公認ウォーキング指導員が、ウォーキング例大会において、
スタッフ作業に従事する場合どうしたらよいか、というものであった。

これまで、花桃ウォークにおける微々たる事例しかないので参考になるか覚束ない。
もっと多くの経験の積み重ねが必要かと思うが、これまでの取り組みを伝えた。
これまでに対応したのは、駐車場担当、ゴール会場におけるコース誘導係であった。
いずれも、聞こえる人と2人ひと組にして配置した。
加えて大きめの名札に「聞こえないので、筆談、身振りで対応します」と表示した。
2人ひと組としたが、たまたまろう者が1人になったときに声を掛けられ、
参加者が無視されたと思い、軽いトラブルになったことがある。

また、相方が多少手話やろう者について知っていることが望ましい。
それと、ろう者が自分の役割をわかっていないと、1人での対応ができない。
2人ひと組の対応にしても、何らかの事情で1人になることはある。
その時に、担当作業を自覚していれば、自分の才覚で対応できる点が大事だと思う。

大会においては、ろう者でなくても、トラブルはつきものである。
主催者側の手落ちに端を発するものから、参加者の我が儘と思えるものまで、多様だ。
どちらにも、コミュニケーションにおけるトラブルが介在している。
ろう者の場合は、コミュニケーションが取れないという状況も発生しがちだ。
聞こえないウォーキング指導員の挑戦が始まったので、陰ながら支援していきたい。

今日の歩き~大洗を歩いた。スマホの取り扱いにミスがあったので画像は無し。


コース図

2017-07-07 21:27:22 | ウォーキング

ウォーキング大会や例会などで、コース図を見ながら歩く参加者は少ないのが現状だ。
そこでいきおいコース図は不要だとか、配布しなくてもよいのではという意見がでる。
ある会では、原則配布せず、入り用な者にだけ有料配布するところもでてきた。

以前所属していた会でのこと。
あるろう者が、電車の乗り換え時の行き違いではぐれてしまった。
連絡が取れず心配をしていたが、2時間くらい後にコース上で合流することができた。
この人は、コース図を見て、われわれの行き先に向かって電車を乗り継ぎ合流できた。

このときは東京都内での道迷いであったが、ハイキングなどで迷った場合は深刻だ。
ハイキングの場合、地図を見て歩けないような簡略なコース図を配布することがある。
あるいは、コース図を作成せず、現地で入手した案内図で済ませてしまうこともある。
このようなことは、会としての方針にきちんとした芯がない場合におこる。
間に合わせの地図であっても、現在地を把握し、1人でも行動できる地図を配布すべき
である。
傷害保険で対応できる、不可抗力の事故であればまだ良いが、コース図配布の不備や、
案内誘導の不備による、主催者の責に帰する事故であった場合、申し開きができない。

そうなった場合、ボランティアだからという言い訳は通用しない。
気を引き締めて対応したいと思う。

  


今後の予定

2017-07-06 21:14:42 | ウォーキング

何かの計画をたてるというのも、慣れ、習慣化が必要である。
母の介護を言い訳にしてきた向きもあるが、所用を作って行かざるを得なくすることも。
先週は、ある機材を届けるという用事を作った(その機材を試用することを提案した)。
今度の土曜日も、ある書類を届けるという用事を敢えて作り、参加へと尻をたたいた。

だが、例会に参加すると、帰りの時間を調整しなければならないことが多い。
デイサービスの帰宅時間を1~2時間遅らせることで、参加が可能となることもある。
時間の調整で済まないと、ショートステイの利用となる。ケアマネージャーに相談し、
いつもの施設の利用を打診してもらう。不可の場合は、別の施設を探してもらうが、
すべて不可の場合もある。その場合は、参加を諦めざるを得ない。

ところで、今後の日程である

7/8   道紀行100選 大洗 湊道<IWA>
7/23  第40回十和田湖ウオーク<MTC21>
7/27  東京ウオーク(お台場、両国界隈)<高萩>
8/26  太平洋はだしウオーク<高萩>
9/2~3 日光ツーデーウオーク<日光市>
9/9   「大宝八幡宮」から「砂沼」を歩く<IWA>

今のところ、これらがほぼ確定している。

今日の歩き

  


落語家への注文はありか~雪の瀬川(その3)

2017-07-05 21:36:39 | 雑記

柳家さん喬演じる落語「雪の瀬川」がたいへん気に入り、毎日のように聴いている。
若旦那の出身地が「古河」であり、太鼓持ちの名前が「崋山」というのも面白い。
描いている時代がいつかわからないが、雪が大きな役割を持って演じられている。
雪の殿さま「土井大炊頭利位」に掛けているのだろうか。
もしそうだとすれば、雪華のデザインは「大炊紋」とも呼ばれていたので、
最後の場面で、瀬川の肩や髪に雪片が落ちるところで、雪の結晶に触れたらどうか。

1つ気になるところがある。若旦那を居候させる元奉公人の言葉遣い。
基本的には、丁寧な対応、言葉遣いをするのだが、演じるとき(舞台)によって、
若干横柄な口調になったり、愚弄するような口調に傾くことがある。
私が最初に聴いたCDでは、あくまで控えめな元奉公人のそれであり、若旦那を
馬鹿にするような口調は現れない。
番頭の口調も、立場が悪くなると、小馬鹿にしたような口調が強くなる。

これらは、みな「さん喬師」が演じるものであるのに、時とところによって変わる。
いつの噺でも変わらないのが「瀬川」の扱いである。立派な花魁への向かい方は、
少しの狂いもない。にもかかわらず、番頭や元奉公人の態度は、微妙に変わる。

これはある意味で手抜きではないかとさえ、思うことがある。
あるいは、噺の進め方と時間との勝負でもあるので、時間を引き延ばそうとすると、
どうしても言わずもがなの口調になってしまうものだろうか。

総合公園の大賀蓮は見頃に

   


フリーランス

2017-07-04 21:27:47 | 雑記

働き方改革に関連して、夕方のニュースで「フリーランス」という働き方を紹介していた。
「フリーランス」というと、米倉涼子主演のテレビドラマ「ドクターX」を思い浮かべた。
外科手術の技能だけを武器に、大病院で思うままに働く女医の話で、大変面白かった。

ニュースで紹介されていたのは、企業の総合職と家事支援職に従事する2名の女性。
自分の環境に合った働き方を求めて選んだのがこの「フリーランス」という働き方。
子育てをしながら、それまで培ってきた職能を生かすのは容易ではない。ITを生かし、
自分に合った働き方を求める人と、それらの仕事を提供できる企業をマッチングする。
または、そのような人を求める企業と、専門職を生かしたい人とをマッチングする。
そのような人と仕事との出会いを、ITを使って企業として行なう、マッチング業がある。
これまでのアルバイト、パートという働き方とは少し違う方向に移行しつつあるようだ。

それでも、福利厚生や労働者としての権利の問題は課題として残る。
だが、自分を生かす道として「フリーランス」という働き方を選べる人ばかりではない。
自力で解決する能力を持った人には適した働き方かもしれないが、職安や労基署など、
既存の労働問題担当機関は目を光らせておく必要があると思う。

今日の歩き~体調が戻ったので、小雨の中、傘をさして歩いた。


  


固定電話

2017-07-03 21:57:43 | 雑記

子供たちは固定電話を持たず、スマホとLINEでやり取りをしている。
私も、通常のやり取りはスマホ、LINEで9割以上をまかなっている。

最近はあまり使わないが、FAXの利用に固定電話が必要なだけである。
ろう者からFAXが届くことも稀になり、メール、LINE、Skypeで間に合っている。

現状では、インターネット接続に必要なくらいである。
これも、NTTの光電話から外れ、別会社を経由している。
個人情報がどうとかで、電話帳も発行されなくなってしまう成り行きである。
家に電話をするという感覚ではなくなり、個人対個人のやり取りになりつつある。
KDDIは、NTTから他の電話会社に移行した人を対象に電話攻勢をかけている。
移行先との契約を取りやめKDDIにすれば、電話番号が変わる怖れがないと脅す。
一昨年、その話に乗り、契約を進めたが、けっきょく面倒になり取りやめた。
固定電話の利用はほとんどない状況なので、番号変更の痛手はほとんどない。

以前は携帯電話の普及に違和感を持っていたものだが、今は常態化してしまった。
さすがに話ながら歩く風景には慣れない。会って話すから会話なのだろうが、
普通の会話がすべて携帯電話を通して行なわれる社会になりつつある。
関係が濃密なはずの家族、友人、男女などが、互いにスマホに見入っている。

人間関係、社会のあり方が大きく変わっていくと、その病理も変質を余儀なくされる。

朝からの暑さに身体が慣れず、歩きを休止した。