『猿の惑星』では、人間が力を頼み、あるいは力の均衡(核抑止?)が可能であると信じて、
原子爆弾を増やしていった人間社会に警鐘を鳴らしている。
人類が持つ原爆の量は、地球を破壊するほどの力を持ってしまった。
それは、私たちのこの地球上でも予測されている。
我が国の原子力発電の状況を見れば、平和利用の結果として、そうなる可能性もある。
そのような近未来の予想図を踏まえて、この映画を見ると、妙に生々しい。
主人公が原爆で破壊された町を見て、「問題は良心の欠如だ」と言った。
しかし、「良心」などと、人の心のあり方に問題があるのではなく、
人間のあたりまえの責任として、「想像力」の欠如こそが問われるべきことであると思う。
もろもろの社会問題に対し、マスコミは、善意、優しさ、良心などに訴える傾向があるが、
問題解決の矛先を変える働きをするだけではないか。
多くの場合、善意、良心、優しさは、問題の真因を正そうとする働きに対し、
「何も今ここで言わなくても」に代表される雰囲気言葉で、現状を曖昧にぼかし、
抵抗勢力としての役割を果たす結果になっていると思う。
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