鷹見泉石の仕えた土井利位は、雪の殿様として有名である。墓は、正定寺にある。
雪の結晶の研究では、泉石が取り寄せた顕微鏡を使い、「雪華図説」を著した。
雪花の模様は、当時着物や身の回りの小物などにも取り入れられ、流行した。
また、大阪城代の時には、泉石が大塩平八郎の乱の鎮圧に当たった。
その意味では、無くてはならない部下であったことと思われる。
当時は「土井の鷹見か、鷹見の土井か」と言われるほどその能力を買われていたそうだ。
そんな働きの大きかった泉石の墓が、市内正麟寺にあるのを昨年初めて知った。
古河城のあった場所から遠く、城下の外れといった場所だ。
それだけに、どうして城に近く、または利位と同じ正定寺に葬られなかったのか。
そんなことを考えていると、能力の高かった泉石は、
実は利位からは疎まれていたのではないか、と思われてくる。
虚実織り交ぜて調べていくと、そんな推理小説が書けるのではないか。
この本が売れて、印税で暮らせるようになればいいなと、
この暑さに脳みそが暖まったせいか、つまらないことを考えている。
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