米国次期大統領候補のオバマ氏が演説する姿をニュースで見て、
私は故ジョン・F・ケネディ大統領を思い出した。
イヤ、ナニ、
もちろん
故ケネディ大統領が演説中の姿をTVニュースで見た事は無い。
しかし、カセットテープで彼の声を何度も何度も聴いた。
あれは大学1年の春の事・・・。
キャンパスをひとり歩いていたら、
優しそうな顔をした男子学生に声をかけられた、
「ESSに入りませんか?」と。
それからが悪夢の始まり・・・。
「ちょっと英会話ができたらエエわ。」と言う気持ちで
ESSに気楽に入部した私は、
その後、拷問のようなツライ日々を送る事になる。
マンモス私大のESSはスゴイ(今はどうなってるか全く知らんが)。
部員が何十人も居て、先輩部員が新入生をしごく。
このしごき方、今思うと、スポーツクラブ並だ。
最初に出された課題が「スピーチ」。
故ケネディ大統領の就任演説をそのまま暗記し、
演壇に立って、ケネディ大統領のように
聴衆(クラブの場合は100名ぐらいの部員の前で)に
語りかけるという無理難題が私たち1年生部員に課せられた目標。
そのスピーチの発表の本番まで、
約3ヶ月、毎日、放課後約3時間、先輩から色んな指導を受ける。
まず最初は発音指導から。
田舎の公立高校を出た私はもちろん発音はデタラメだ。
(だって先生もそんな人ばっかやったも~ん。・・・と人のせいにする。へへ)
そんな私を捕まえて、
毎晩「R」と「L」の発音の違いを先輩が私にたたき込むのだ。
できませ~ん・・・なんて言えない。
来る日も来る日も発音指導。
時には大学前の御所で発声練習。
次は演説に重みを持たせる読み方の指導。
内容によって、
「静かに語る、大きな声ではっきりと訴える」など、
その文章、文章で抑揚を変えるのだ。
次に目線。
聴衆全員を等分に見て語る。
まず、正面の人々に、
そして右側の人々に、
そして左側の人々に、
常にその配分を考えて話す。
もちろんキョロキョロしてはいけない。
威厳を持って堂々と。
発表の日まで何度も泣いた。
何で、受験勉強後の遊びたい盛りの時に、
こんな事で苦しまなければならないのか・・・。
しかし、今、TVでオバマ氏の聴衆に熱く語りかけるスピーチを観て、
あの頃が楽しいひとこまの絵として鮮やかによみがえる。
「あんな風にスピーチをするのだ」と先輩が真摯に一生懸命教えてくれた。
色んな事を精一杯できた若きあの頃。
スピーチの次は
英語で討論するという「ディベイト」という競技が待っていた。
その時のお題は「死刑」。
死刑に賛成か反対か、自分で考え、どちらかの立場に立って、
グループ一丸となり、とことん意見を述べる。
相手グループをを論破できたら勝ちだ。
ディベイトなどでは他大学との対抗試合もある。
その為、自宅学習はもちろん、
寒さで氷るようなお寺での合宿まであった。
「死刑」に関する本(日本語)を何冊も読んだ。
そして自分の考えを英語でまとめる。
甘ちゃんにとってなんと過酷なトレーニングだったことか。
結局、私は勉強ギライでESSは1年で止めてしまったが、
今となってはあの強制学習クラブは実にいい思い出だ。
(タダであんなに英語を教えてもらえるなんて・・・ん?)
4年間続けた先輩たちは数人しか居なかったが、
皆、とても聡明でキラキラと輝いていた。
確か、就職先も良かった。
今になって、あの時の自分がいかにバカだったか・・・思い知らされる。
あの頃、もう少し意志が強かったなら・・・
今頃私は違う人生を歩んでいたのだろうか・・・。
私は故ジョン・F・ケネディ大統領を思い出した。
イヤ、ナニ、
もちろん
故ケネディ大統領が演説中の姿をTVニュースで見た事は無い。
しかし、カセットテープで彼の声を何度も何度も聴いた。
あれは大学1年の春の事・・・。
キャンパスをひとり歩いていたら、
優しそうな顔をした男子学生に声をかけられた、
「ESSに入りませんか?」と。
それからが悪夢の始まり・・・。
「ちょっと英会話ができたらエエわ。」と言う気持ちで
ESSに気楽に入部した私は、
その後、拷問のようなツライ日々を送る事になる。
マンモス私大のESSはスゴイ(今はどうなってるか全く知らんが)。
部員が何十人も居て、先輩部員が新入生をしごく。
このしごき方、今思うと、スポーツクラブ並だ。
最初に出された課題が「スピーチ」。
故ケネディ大統領の就任演説をそのまま暗記し、
演壇に立って、ケネディ大統領のように
聴衆(クラブの場合は100名ぐらいの部員の前で)に
語りかけるという無理難題が私たち1年生部員に課せられた目標。
そのスピーチの発表の本番まで、
約3ヶ月、毎日、放課後約3時間、先輩から色んな指導を受ける。
まず最初は発音指導から。
田舎の公立高校を出た私はもちろん発音はデタラメだ。
(だって先生もそんな人ばっかやったも~ん。・・・と人のせいにする。へへ)
そんな私を捕まえて、
毎晩「R」と「L」の発音の違いを先輩が私にたたき込むのだ。
できませ~ん・・・なんて言えない。
来る日も来る日も発音指導。
時には大学前の御所で発声練習。
次は演説に重みを持たせる読み方の指導。
内容によって、
「静かに語る、大きな声ではっきりと訴える」など、
その文章、文章で抑揚を変えるのだ。
次に目線。
聴衆全員を等分に見て語る。
まず、正面の人々に、
そして右側の人々に、
そして左側の人々に、
常にその配分を考えて話す。
もちろんキョロキョロしてはいけない。
威厳を持って堂々と。
発表の日まで何度も泣いた。
何で、受験勉強後の遊びたい盛りの時に、
こんな事で苦しまなければならないのか・・・。
しかし、今、TVでオバマ氏の聴衆に熱く語りかけるスピーチを観て、
あの頃が楽しいひとこまの絵として鮮やかによみがえる。
「あんな風にスピーチをするのだ」と先輩が真摯に一生懸命教えてくれた。
色んな事を精一杯できた若きあの頃。
スピーチの次は
英語で討論するという「ディベイト」という競技が待っていた。
その時のお題は「死刑」。
死刑に賛成か反対か、自分で考え、どちらかの立場に立って、
グループ一丸となり、とことん意見を述べる。
相手グループをを論破できたら勝ちだ。
ディベイトなどでは他大学との対抗試合もある。
その為、自宅学習はもちろん、
寒さで氷るようなお寺での合宿まであった。
「死刑」に関する本(日本語)を何冊も読んだ。
そして自分の考えを英語でまとめる。
甘ちゃんにとってなんと過酷なトレーニングだったことか。
結局、私は勉強ギライでESSは1年で止めてしまったが、
今となってはあの強制学習クラブは実にいい思い出だ。
(タダであんなに英語を教えてもらえるなんて・・・ん?)
4年間続けた先輩たちは数人しか居なかったが、
皆、とても聡明でキラキラと輝いていた。
確か、就職先も良かった。
今になって、あの時の自分がいかにバカだったか・・・思い知らされる。
あの頃、もう少し意志が強かったなら・・・
今頃私は違う人生を歩んでいたのだろうか・・・。