中森明菜が体調不良で芸能活動を休むとのニュースが飛び込んできた。
私はミーハーなのに、芸能人で特にこの人が大好き!という人が居ない。
その中で、明菜は好きなほうだ。
彼女のはかなげで壊れそうな姿が、いとしくて切ない。
だから彼女の活躍のニュースを耳にする度、
「良かった。がんばっているのね。」と嬉しくなったりしていた。
それが今回のニュース。
家族関係も複雑で、失恋して自殺未遂して本当に信じられる人もいなくて、
あのときの彼女は難破船そのものだった。
そしてあの頃の私も(時期は違うが)失恋して・・・まさに難破船だった。
私はカラオケにはめったに行かないが、
カラオケに行き歌うなら「難破船」は私が撰ぶ歌のひとつである。
5年ほど前にワインの会でカラオケに行った事がある。
明菜の「難破船」、
テレサテンの「つぐない」
チェッカーズの「ギザギザハートの子守歌」
え~っと、それから・・・なんだっけ・・・忘れたが(汗)、
上記のような失恋の歌ばかり歌っていたら、
ワインの会の仲間(幹事役の明るいオッサン・50才ぐらい)に
「エリリンちゃん、ふだん、超明るいのに何やねん、暗い歌ばっかり歌って。もう切るで!」と
歌の途中でカラオケの音楽をプチンと切られてしまった。
もおおお・・・と思ったが、
なぜか私は暗い歌が好きだ(やはり性格が暗いんけ?笑)。
イヤ、あの時、切られたのは「暗い歌」というより、
「下手な歌は聞きたくない!」だったと思うが・・・(。_・)
下記はご存知?明菜の「難破船」。加藤登紀子の作詞作曲だそうだ。
♪たかが恋なんて 忘れればいい
泣きたいだけ 泣いたら
目の前に違う愛が見えてくるかもしれないと
そんな強がりを言ってみせるのは
あなたを忘れるため
寂しすぎてこわれそうなの
私は愛の難破船♪
ここから先の一部「::::::」は「難破船」の歌の解説をネットで見つけ、
私の想いと相似していたのでコピペしたものです。
:::::コピペ部分::::::::::::::
加藤は歌いだしの「たかが恋なんて」というところが「いかにも、
明菜ちゃんっぽい」と思ったのだそうだ。
この「たかが恋なんて」という部分、これは逆説である。
それは「飾りじゃないの涙は」の冒頭、
「わたしは泣いたことがない」の逆説的手法とよく似ている。
「飾りじゃないのよ涙は」には、泣いたことがない、といいつつも、
どうしようもなく泣きたがっている彼女の姿がいたわけだが、
この「難破船」には、「たかが恋なんて」と強がりつつも、
本当は、恋を失ったら、何もかも失ってしまう。
それほど、恋が全てで、恋にこそ生きる意味がある、そう思いこんでいる。
張りつめたところまで自分を追い込んでいる彼女の姿がある。
この曲に中森明菜の姿を見たというのは、まさしく卓見としかいいようがない。
加藤登紀子は、中森明菜という存在そのものをよく知るものの一人といえるかもしれない。
::::::コピペ部分終わり:::::::::::::::::::::
大失恋して痛々しかったのは昔の宮沢りえもそうだった。
ガリガリに痩せて、もうそのまま消えてしまいそうだった。
あの時の彼女も私自身の失恋とだぶり、可哀想でならなかった。
だが、彼女は自分の幸せを見つけ今は結婚し子供もいる。
失恋で立ち直れない女と
失恋しても人生をもう一度リセットできる女。
もちろん後者のほうがいいに決まってるが、この両者の違いはどこにあるのだろう。
私は過去の男に未練は全く無いが(後者の図太い女か?笑)、
カラオケにもし行ったら、また「難破船」を歌ってしまうだろう。
あの時の自分が、若くて綺麗だった?頃の自分が、
失恋して行き場を失った自分が可哀想で、泣きながら「難破船」を歌うだろう。
明菜が「たかが恋なんて」と本当に笑いとばせる日が来ればいいな。
彼女が元気になってまた芸能界に復帰してくれる日が来る事を隠れファンの末席で、
私は今夜ひそかに祈ることにしよう。
私はミーハーなのに、芸能人で特にこの人が大好き!という人が居ない。
その中で、明菜は好きなほうだ。
彼女のはかなげで壊れそうな姿が、いとしくて切ない。
だから彼女の活躍のニュースを耳にする度、
「良かった。がんばっているのね。」と嬉しくなったりしていた。
それが今回のニュース。
家族関係も複雑で、失恋して自殺未遂して本当に信じられる人もいなくて、
あのときの彼女は難破船そのものだった。
そしてあの頃の私も(時期は違うが)失恋して・・・まさに難破船だった。
私はカラオケにはめったに行かないが、
カラオケに行き歌うなら「難破船」は私が撰ぶ歌のひとつである。
5年ほど前にワインの会でカラオケに行った事がある。
明菜の「難破船」、
テレサテンの「つぐない」
チェッカーズの「ギザギザハートの子守歌」
え~っと、それから・・・なんだっけ・・・忘れたが(汗)、
上記のような失恋の歌ばかり歌っていたら、
ワインの会の仲間(幹事役の明るいオッサン・50才ぐらい)に
「エリリンちゃん、ふだん、超明るいのに何やねん、暗い歌ばっかり歌って。もう切るで!」と
歌の途中でカラオケの音楽をプチンと切られてしまった。
もおおお・・・と思ったが、
なぜか私は暗い歌が好きだ(やはり性格が暗いんけ?笑)。
イヤ、あの時、切られたのは「暗い歌」というより、
「下手な歌は聞きたくない!」だったと思うが・・・(。_・)
下記はご存知?明菜の「難破船」。加藤登紀子の作詞作曲だそうだ。
♪たかが恋なんて 忘れればいい
泣きたいだけ 泣いたら
目の前に違う愛が見えてくるかもしれないと
そんな強がりを言ってみせるのは
あなたを忘れるため
寂しすぎてこわれそうなの
私は愛の難破船♪
ここから先の一部「::::::」は「難破船」の歌の解説をネットで見つけ、
私の想いと相似していたのでコピペしたものです。
:::::コピペ部分::::::::::::::
加藤は歌いだしの「たかが恋なんて」というところが「いかにも、
明菜ちゃんっぽい」と思ったのだそうだ。
この「たかが恋なんて」という部分、これは逆説である。
それは「飾りじゃないの涙は」の冒頭、
「わたしは泣いたことがない」の逆説的手法とよく似ている。
「飾りじゃないのよ涙は」には、泣いたことがない、といいつつも、
どうしようもなく泣きたがっている彼女の姿がいたわけだが、
この「難破船」には、「たかが恋なんて」と強がりつつも、
本当は、恋を失ったら、何もかも失ってしまう。
それほど、恋が全てで、恋にこそ生きる意味がある、そう思いこんでいる。
張りつめたところまで自分を追い込んでいる彼女の姿がある。
この曲に中森明菜の姿を見たというのは、まさしく卓見としかいいようがない。
加藤登紀子は、中森明菜という存在そのものをよく知るものの一人といえるかもしれない。
::::::コピペ部分終わり:::::::::::::::::::::
大失恋して痛々しかったのは昔の宮沢りえもそうだった。
ガリガリに痩せて、もうそのまま消えてしまいそうだった。
あの時の彼女も私自身の失恋とだぶり、可哀想でならなかった。
だが、彼女は自分の幸せを見つけ今は結婚し子供もいる。
失恋で立ち直れない女と
失恋しても人生をもう一度リセットできる女。
もちろん後者のほうがいいに決まってるが、この両者の違いはどこにあるのだろう。
私は過去の男に未練は全く無いが(後者の図太い女か?笑)、
カラオケにもし行ったら、また「難破船」を歌ってしまうだろう。
あの時の自分が、若くて綺麗だった?頃の自分が、
失恋して行き場を失った自分が可哀想で、泣きながら「難破船」を歌うだろう。
明菜が「たかが恋なんて」と本当に笑いとばせる日が来ればいいな。
彼女が元気になってまた芸能界に復帰してくれる日が来る事を隠れファンの末席で、
私は今夜ひそかに祈ることにしよう。