花森えりか My Room

─愛と官能について語る部屋─

別れの運命

2010-07-31 20:32:21 | 告白手記
 別れ話は堂々めぐりの感じで、なかなか終わりません。内心、早く終わればいいと思っていなかったみたいなんです。
 そこが、女心の複雑さというか、人間の感情の動きの、思いがけなさと面白さです。別れ話なんて早くすんで、早く帰って来ればいいのに、現実の別れ話はそんなに単純ではないというか、思いがけない心理の流れです。
(これが、男と女の別れ話。今まで多くの小説で読んだ、恋人同士の別れ話なんだわ……)
 恋人と別れ話をするという、生まれて初めての経験。もう1人の自分が、その別れ話を心のどこかで楽しんでいるような、そんな気持ちもあったみたいなんです。
 出会ってから約3年余り、愛し合うようになって約2年、肉体の愛を交わして約1年の恋人と別れることが、人生で生まれて初めての経験だから無理もないこと。何かトラブルがあって別れるとか、もう別れずにいられないとか、そんな状況ではなかったからです。
 そんな心理は、その後も2度か3度、経験したような気がします。1人の男性と、恋の始まりが1度なら、別れも1度。その最後の時間を、じっくりと味わいたいというか、経験したいという気持ち。相手がどんな反応を示すか、どんな怒りや反発や軽蔑や嫉妬や焦燥やプライドや屈辱や諦めや猜疑心や絶望感や決意を見せるか。それは男性という生き物に対する興味であり、人間という生き物に対する興味と言えるかもしれません。別れの時ほど、その男性が、人間が、正体も生身の感情もあらわにする時はないからです。
「結納の日も決まっているのに……」
 どうしても別れたいと言う私に、彼が呟くような口調、心変わりを期待する口調で言います。
「ごめんなさい」
 心から私は謝ります。私の短大卒業と同時に挙式、その半年前に結納を交わす約束でした。
「友人たちにも紹介してしまったし」
「ええ……」
 彼の大学時代の友人2人と、高校時代の友人1人に、私は紹介され、一緒に食事したり記念写真を撮ったりしたことを思い出しました。
「ご両親も賛成してくれたのに……」
「……」
 私は言葉を失って、うつむきたくなりました。彼の両親は最初から賛成してくれたけれど、私の両親は、
「12も年齢が違うなんて!」
 と、大反対でした。結婚式の披露宴で、皆に見られる時、彼と私の年齢差は歴然としているはずです。32歳の彼は黒ぶちメガネをかけた教師然とした外見ですが、実年齢より少し老けて見えたようです。それに比べて私は丸顔の童顔で、お化粧しても実年齢より稚(おさな)く誰からも見られてたんです。中学生の時は小学生に見られ、高校生の時は中学生に見られ、短大生のそのころは高校生に見られてましたから。そのことは、コンプレックスというほどでもないけれど、それに近い感じで不満でした。1度、海水浴場で係員から親子に間違われたことがあったくらいです。けれど、彼が頻繁に口にする「可愛い」という言葉に救われていたんです。
 だから12どころか、もっと年齢差があるように見られてしまうかもしれないという意識は、かすめたりしました。
 それで、両親は最初、相手がそんな年上だなんて、まるで後妻になるみたいに思われると反対してたんです。世間体を重要視する封建的な家だから無理もないことなんですけど。
 ところが、彼が両親を伴って私の家へ来て、話をしたら、結構気が合って会話は弾むし、両親同士も、好意と信頼を感じ合ったみたいなんです。親戚に公立学校の教師をしている人が何人かいたため、県立高校の教師である彼とご両親に親しみと安心感があったのかもしれません。3人が帰った後、
「仕方ないね、本人同士がどうしても結婚したいって言うんだから。ね、お父さん」と、そのような言葉を母が機嫌良く口にすると、父も「うん」と、ホッとしていたような顔つきと声で答えたんです。こうして、感情の起伏の激しい母も、口数が少なく、おっとりした性格の父も、最初は反対していた結婚を許してくれることになったんです。
(もし、お母さんとお父さんが、結婚に反対のままだったら……)
 別れ話をしながら、ふと、その思いが、かすめました。恋愛小説を片っ端から読んでいた、文学少女だった私は、禁じられた恋にいっそう燃え上がってしまったかもしれません。恋に恋するような年頃ですから。許されないなら駆け落ちしてまで、なんて気持ちにもなって、小説のヒロインみたいな情熱的な恋に酔いしれたかもしれません。
 ところが、私はそうでも、彼は違ったのです。
 ずっと以前、ゴルフ好きで酒好きの中年男性の知人で、アルコールが入るとからみっぽくなる、からみ酒というのか、店で同席するたび、奥さんの両親の反対を押しきって結婚した自慢話をする人がいたんです。また始まったと同席した数人の私たちは冷やかしたり笑ったり呆れたり。
「ぼくたち、親の反対を押しきって結婚したんです」というセリフは、10代か20代のカップルが口にすれば微笑ましいけれど、夫婦生活もトウの立った中年男性の場合は全く似合わないというか噴き出させられるというか、たいていの人は笑いをこらえながら聞かされるセリフです。妻が親の反対を押しきって結婚したことが、それほど彼女を虜にした男だったと、まるで男の勲章であるみたいな自慢であるのは明らかで、シラフであればトウの立った中年男性がそんな気恥ずかしいセリフは口にできなくても、アルコールの酔いが回って口走る、妻の親の反対を押しきって結婚した自慢話の深層心理と現実が、実は満たされない愛とセックスレスの不満だったことがわかって、同席した私たちを大爆笑させたというオチの、面白い話は今でも忘れられません。
 その知人と違って、彼は私の両親の反対を押しきって結婚することを、男の勲章と思わないタイプの人だったんです。そこに、彼の性格と生き方と人間性がよく出ています。私の両親が反対しているのを知ってから、
「○子のお父さんとお母さんが結婚を許してくれるまで、何度でも話をしに行くつもりだ。反対されたままで結婚したくないからね」
 よく、そう言っていたんです。1人でも反対する人間を説得して、皆に祝福される結婚をしたい。そこに彼の性格と人間性が表れていると、そのころも思ったものです。すべてにおいて、考え方が、そんなふうでしたし、そんな彼を私は尊敬していたんです。
 けれど、何度も説得に行かなくても、父と母は、彼とご両親と会ってから、あっけなく、というのもヘンですけど、結婚を許してしまう結果になったんです。そのことを、もちろん、私は喜んだものの、心の片隅で、
(現実って、小説みたいじゃないのね)
 そんな小さな失望が湧いてしまったんです。
(もし、お父さんとお母さんが結婚に反対のままだったら……)
 彼との結婚をやめることになったかどうか……と、そんな思いが一瞬、かすめたものの、
(ううん、やっぱり別れる運命だったのかも……)
 心の中で、そう呟き、男女の出会いも別れも運命なのだと思ったりしたんです。

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