花森えりか My Room

─愛と官能について語る部屋─

P子の号泣

2015-11-03 15:09:43 | P子の不倫
「ゆうべは珍しく寝付きが悪くて、1時間半も眠れなかったわ」
 と、P子。
「愛が足りなくて?」
 クックッと笑って聞き返すと、怒るでもなく笑うでもなく、真顔の彼女。
「愛は足りてるわ。自分のことじゃなく他の人のことが原因で寝付きが悪くなることだって、あるのよ」
「誰のこと?」
「人生に、いく度となくおとずれる選択の1つが、違うと言いたいのに言えないもどかしさと焦れったさ。親戚の女性が婦人科系の体調悪くなって病院で受診したら、医師は診断がつかず、治療も薬もなしで、「様子を見ましょう」と言って数日ごとに来院させるらしいの。いずれ専門医に紹介状書くって医師は言うらしいけど、3度も行って、またしても昨日、「様子を見ましょう」って言われたんだって」
「婦人科系の体調悪くって言うと……貧血とか……生理のこととか?」
「それよ。生理でもないのに不正出血が続くらしいの」
「あら、大変。それは心配ね」
「本人と話したのじゃなく、車で送り迎えしてる彼女の母親と電話で話したんだけど、あたし、もう驚愕中の驚愕、さっさと紹介状書いてもらって専門医の診察受ければいいのにって、もう焦れったくなってね」
「それはそうだわ。早期発見早期治療。早く治療を始めないと取り返しのつかないことになるかもしれないし。で、P子がそう言ったら、何て?」
「お医者さんに任せてあるから、って言うの。医者は神様と思ってる典型的タイプ。医師の診断は当たりはずれがあるし、能力にも限界がある。あたしが常々言ってるでしょ。医学は進歩してない。進歩してるのは医療機器だけって。原因不明の病気がたくさんあることを、数々ある難病を治せないことを、最終的には自然治癒が一番てことを、大半の医師はちゃんと知ってるのよ。電話であたしは言ったわ、慢性治療、じゃなく、治療してないなら、慢性通院で病院が儲けてるだけじゃないのって。○ちゃんだって早く診断つかないと毎日不安でしょう? 紹介状をなかなか書いてくれないなら、さっさと他の病院へ診察に行けばいいのにって。医師によって診断が違うってよく聞くし、そこって○ちゃんが出産したクリニック? って聞いたら、違うって。行きつけの総合病院だって言うから、○ちゃんが信頼してる病院で信頼してる医師なら無理もないわねって言うしかなかったわ」
「それもそうね。医師と患者は何より信頼関係だって、よく聞くしね」
「ところが○ちゃんは診察終えた後、処置してくれないとか不満を言うんだって。それって具体的に意味がわからなかったけど、ああいうことかなと想像でね」
「レントゲンとか超音波検査は?」
「しないんだって。映らないんだって。そんなことってあるのかしら。レントゲン撮って写ってないっていうのじゃなく、不可能なんだって。あたしが経験した婦人科系の検査って、妊娠と子宮筋腫と子宮ガンの検査で触診だけだったから、よくわからないけど、レントゲンに超音波にCTにMRIばやりの現代で、そのどれかの検査で診断つきそうなのにね。生理じゃなく延々と不正出血が続くなんて、可哀想だし残酷でしょう」
「確かに残酷ね」
「その残酷な医師、質問してわかったわ。医師は男性か女性か聞いたら、女医だって。ああ、何て何て可哀想にと涙が出そうになったわ」
「P子は女医ぎらいだものね、過去の経験で」
「今でも鮮明に記憶してるけど、男性婦人科医の指って、もう、まるで愛撫みたいにヌル~~~~~リって挿入してきて気持ち良さのあまり快感の声あげそうになったわ。どの年齢のどの男性医師も、本当に上手なの、巧みなの、絶妙なの。その指の甘美な感覚が、診察後もずうっと残ってたわ。な~んて冗談。痛みも不快もない診察だったわ。ところが女性婦人科医の指は、まさしく悪魔の指。まるで同性への憎しみこめてって感じで指を荒っぽく突き刺されて、悲鳴をあげるほど激痛だった。そのトラウマで、婦人科だけじゃなく、あたし、すべての女医が嫌い。今後、何があっても、女医の診察だけは絶対絶対受けないわ」
「P子の人生で一番悲惨な体験だったみたいね。妊娠の診察?」
「規則正しい周期なのに55日も生理こないし、妊娠みたいな兆候もあったから、避妊の失敗かもって。装着前に少し漏れたかも、って言うから思い当たるし。でも、想像妊娠だったのね。その後生理がきて、いつもの順調な周期に戻ったけど。妊娠ということに、いつにも増してナーバスになってた時期。妊娠は怖い、でも愛するひとの子を産みたいって、人生でただ1度だけの熱い願望」
「でも、20代の時、恋愛結婚出産したんじゃ……?」
「22歳で愛するひとの子を産みたいって気持ちになるほど女って成熟してないわよ。避妊の失敗、っていうか、最初から避妊具付けてたわけじゃなく、途中から付ける習慣で、爆発を我慢できなくなりそうになった瞬間、あたしの中から引き抜く時に少し漏れちゃったの。付けてから、あとの残りをね。だから、子宮の中に漏れたの全部じゃないから大丈夫って楽観してたら、怖れてた妊娠。初めて中絶を経験することになるのか産むのかで、2人でずいぶん悩んだわ。その時、結婚式の2か月前。お腹が目立つ新婦にはならなかったけど。あたしも彼もまだ子供は欲しくなかった、22と25だからね。もちろん22歳の妻と25歳の夫は世間にいたし珍しくもなかったけど、あたしたちの場合は父と母になるのはまだ若い、稚い、未熟。せめてあと3、4年後にって思ったし。それで、怖いけど中絶の初体験を99%覚悟してた。ところが、いろいろ本を読んで調べた彼が、中絶は母胎を傷つけることになる、だから産もうって。結果論だけど、あたしとの赤ちゃんが欲しいから産むことにしよう、じゃなく、中絶は母胎を傷つけるから産むことにしようって言われた言葉は、ちょっぴり寂しかった。数年後の心境だけどね」
「でも産んでみたら可愛かったんでしょ」
「それはもう、美男の夫に似た顔立ちの美人赤ちゃんだしね。祝いに来てくれた友達がみんな、可愛い可愛いの連呼で、テレビのCMに出られそうとか、女優の目みたいとか、美人になるわよ~って大騒ぎ」
「出産はその1度だけね」
「そ。女は40年間、生理のたびに妊娠という神秘にナーバスになる宿命」
「40年は長いわよね。個人差で40年以上の人も40年以下の人もいるみたいだけど」
「中学1年生の中間テストの時期に初めてそれがきた驚きは、今でも鮮明に覚えてる」
「生理のたびに妊娠という神秘にナーバスになる宿命って、なかなか名言じゃない。生理のたび、子供が欲しい女性にとっては落胆、欲しくない女性にとっては安堵」
「ああ、今月も大丈夫だった、避妊の失敗しなかったって深い深い安堵。子供は1人って決めてたから、結婚生活もずっと深い安堵の連続。避妊具って効果100%じゃないとかって読んだしね」
「結婚してる時も避妊してたわけね」
「もちろん。妊娠という神秘にナーバスになる宿命で、女って、どれほどの不安の日々を過ごす人生であることかって思うわ。ところが、超ビックリ、ある日、愕然となるネット記事を読んだの。結婚してすぐ妊娠して子供を産むことを、女性はステータスと思っている、って揶揄するような文章を読んだ時は、もう息が止まりそうなほど愕然となって唖然となって茫然となったわ。もうパソコンからのけぞりそうなほど、ううん失神しそうなほど、愕然唖然茫然状態だったわ」
「それ書いたの、女性?」
「女であるわけないでしょ、男性よ。ステータスって言葉に超愕然となったのよ。ステータスっていうのは、作家が銀座で飲むのはステータスとか、よく、そんな言葉聞いたでしょ。昔の話だけどね。今は銀座で飲むと時代遅れってバカにされるらしいけど。その意味で使うステータスって言葉は正しいわ。結婚してすぐ妊娠して子供を産むことをステータスと思ってる女性なんて、この世界中に1人もいない、と断言するわ。封建時代ならそうでしょう、お世継ぎを産むってことがステータスと言えば言えるかもしれない。男性には絶対絶対わからない、理解できない、経験できない、女の心理と感情と宿命。ああ、今月もって深い安堵を感じる女性が95%、落胆する女性が5%」
「もちろん確かなデータじゃないんでしょう? 落胆する女性が5%は、ちょっと少ない気がするけど」
「あたしの主観。妊娠という神秘にナーバスになる女の宿命で、ああ、今月もって深い深い安堵を感じるのは、神様の、快楽への戒めなのかもしれない。もちろんセックスで快楽を味わうことを神様は許してくれるし認めてくれる、人間には必要なんだってね。だけど快楽に支配されてしまうことは許されないのよ。結婚してすぐ妊娠して子供を産むことを、女性はステータスと思っている、と揶揄した男性は、何て女性という生き物を知らない人と驚愕したし、次の瞬間に湧き上がったのは憐れみの感情。そんなに卑屈になることないのに、って。もうもう、どうしようもないほどの、やるせないほどの卑屈感と劣等感を、行間に感じたわ。多分、死ぬまでその卑屈感と劣等感を無自覚無意識潜在心理で持ち続けるに違いないって。子供が欲しいのに、子供ができない人の宿命でね」
「ところで、親戚の女性は自分の体調をネットで調べたりしないのかしら。病気になったら、自分の病気をよく知って賢い患者になるのが大事とか読んだことあるけど」
「あたしもそれは質問したわ。仕事でパソコンは使うけど、ネット情報読むとかはしないみたいって言ってた。さらに驚愕の言葉、あまりネットに頼るのはよくないからねって。もう愕然としたわ。ネットは頼る物というより利用する物でしょう。さまざまな情報知るのにこんなに便利な物はないのに、なんて言わなかったけどね。○ちゃんの生活と母親の意見を否定することになって可哀想だから」
「じゃ、○ちゃんのご主人は?」
「パソコン機器関連の仕事だから情報は読むと思うけど。結婚式で会ったわ、お坊ちゃんタイプのやさしそうなご主人。○ちゃんに付き添って送り迎えするのは母親で、チビちゃんを保育園に送り迎えするのがご主人だって」
「婦人科系の病気じゃ母親が付き添うほうがいいでしょうしね」
「あ、付き添いで思い出したわ。あたし、今年は、つくづくショック受けたのよ」
 連想癖のあるP子、ついに口癖のショックの話を始めたので、おかしさを隠して聞いてあげたんです。
「どんな、ショック?」
「友達と思ってた同業で少し年上のKさん、もう何年も前から、原因不明の体調不良で、紹介された都内の大学病院のペイン何とかって科に通院してて、数年後は、何とか心身症とかいう科に通ってて、その帰りに都内で久しぶりにお茶しましょうって誘ってくれたの。以前、食事はしたことあるけど、彼女の自宅は近県だし、1時間ぐらいしかないってことかもって、あたしも久しぶりのお喋り楽しみにしてたら、一向に連絡がこないで、賀状には書き合ったりするけど実現しなくて、今年の確定申告で、ある出版社のこと聞くために電話したの。以前はよくメールのやりとりしたけど急いでたしね。今は良くなったらしく、毎月ではなく3か月に1度、都内の大学病院に通ってるって言うから、じゃ、連絡してね、久しぶりにお喋りしましょう、って言ったら、彼女、こう言ったのよ。私、主人が付き添ってくれるから、って」
「気が変わったんでしょ。P子とお喋りしても、っていうか、お喋りする気にならないって」
「何年も前にね、用事で電話かけたことがあって、今からKさんはご主人と一緒に同じ総合病院の別々の科に受診に行くところ、って言った時、あたし驚いて、思わず、えっ、夫婦で同じ病院の別々の科に行くの? って、あとで本当に本当に後悔して反省したけど、つい笑いの混じった声で聞き返してしまったの。そんなの珍しいし聞いたことないから。Kさんも笑いの混じった声で、そうなの2人ともなの、って言ったけど、その後メールが途絶えたし、ああ傷つけてしまったんだって、そんなつもりなかったのにって、もうもう激しく後悔して何度も反省して、あたし、神様の罰を受けたわ」
「どんな罰?」
「夜中に眼が覚めるほどの喉の痛みで、凄い苦しい重病の風邪を引いたのよ。間違いなくあれは神様の罰だわ。それでKさん、病院の帰りにお茶しましょうって誘っておきながら、賀状じゃなく電話でそのことをあたしが言ったら、私、主人が付き添ってくれるから、って仕返しみたいに冷ややかに言ったわけ。シングルのあなたと違って私には付き添ってくれる主人がいるのよ、って、そんな意味がこもった言葉だったわ。だってそうじゃなかったら、そのうちねって社交辞令を口にすればいいんだもの」
「それはそうかもね」
「本当にショックだったわ。友達じゃなかったって悲しかった。そしたら数か月後、歯科クリーニングに行った時、待合室で中高年男性が、話しかけて来たの。歯が痛いのって辛いですよね、とかって。あたし歯がしみた経験はあっても歯の痛みって経験ないけど適当に相づち打って話してたら、その男性とあたしの間に割り込むようにして座ったのが奥さんで、夜中に痛くて眠れないって何度も起こすんですよ、って話し始めて、男性があたしに話しかけると奥さんが遮って喋り続けて、もうあたし、超ビックリ。たとえば高齢とかだったらともかく、50代半ばか後半の普通の元気そうな中高年夫婦で、歯科受診に奥さんが付き添って来たの見たの、初めてだったから」
「確かに高齢とか身体に障害がある夫婦を除けば、あまり見ないわね」
「でしょう? 歯以外は元気な普通のご主人なのよ。奥さんはご主人のことバカにしたみたいなことも言ったりするけど、夫婦ともよく喋るし、ご主人が変な話し方ってわけでもないし。中年以上の夫婦と同席すると、よくあることだけど、ご主人は奥さんよりあたしの顔ばかり見てたわ、喋りたそうな顔つきでね。それであたし、つくづく思ったの。あたしが知らないうちに現代は、病院だけじゃなく何と歯科にまで夫婦は付き添って来る習慣があるんだって。病院やクリニックに、妻が夫に付き添って受診に行く、夫が妻に付き添って受診に行く、そのことがまるで夫婦の唯一の愛情表現であり、人生最高の喜びであり最高の幸福なのだと、無意識のうちに表現してるみたいに見えるわ。まさに隠しきれない喜び、抑えきれない喜び、人生でこれほどの喜びと幸福は他に何1つないと言わんばかり。そこには自慢と優越感と即席愛と偽装愛の匂いがプンプンで、あたし、もう可哀想で可哀想でたまらなくなるの。もちろん本人たちは、それが習慣とか日常とかってつもりみたいに口にするけど、人間の言動は明確な意志半分あとの半分は無意識無自覚潜在心理によるものだって、最近、つくづくわかったの。これって名言中の名言でしょ。あたしが作った名言。つまり無意識無自覚潜在心理から夫婦は付き添って病院へ受診に行くことを他人に口にしないではいられない。何て哀れな憐れな、もうもう、1万どころか100万も超が付くほどの憐憫を感じてしまう、何て心やさしいあたしでしょう」
「その気持ちってわかるような、わからないような」
「いいのよ、わからなくたって。その憐れな夫婦以上に可哀想なのは……超が100万ううん1億付くほど可哀想なのは……こ、このあたしだわ……だって……シクシク……だって……だって……シクシク……あたしが体調悪くなっても自宅から病院まで付き添ってくれる人は……シクシク……シクシク……だ、誰も……シクシク……誰もいないんだもの!」
 泣き声混じりにそう言うなり、「うわああああん!」と声をあげて泣き出すP子を見て、笑うに笑えない気持ちでした。