花森えりか My Room

─愛と官能について語る部屋─

P子の恐怖症

2012-06-09 15:12:06 | P子の不倫
 P子とランチしながら、あれこれお喋りして、別れたのが午後3時半。
 ホームセンターとデパートと家電量販店で買い物してから電車に乗り、最寄り駅前スーパーに寄った後、自宅に向かって歩いていたら、携帯電話の着信音。バッグの中で、着信メロディがすぐ鳴り止んだので、
(P子だわ)
 そう思いながら、買い物紙袋やスーパーのレジ袋を左手にまとめ、携帯を取り出して見ると、やっぱりP子。コール音を1度か2度鳴らして、すぐ切るのがP子の癖なんです。着信を見た相手に、電話をかけさせるためです。
 最初に知り合った時、互いの携帯に着信させて番号を教え合った後、P子が、
「あたし、電話かけ恐怖症だから、あなたのほうからかけてね。かかってくるのは平気なの」
 恐怖症なんて言うから、
(この人、診療内科系の病気があるのかも……)
 そう思ったくらいです。〈電話恐怖症〉というのはありそうだけど、〈電話かけ恐怖症〉がP子の造語だなんて知らなかったんです。
 付き合うようになって、お喋りするうち、P子の口から恐怖症という言葉がよく出てくることに気づいたんです。〈高所恐怖症〉〈狭所恐怖症〉〈不潔恐怖症〉〈動物恐怖症〉〈血液検査恐怖症〉〈外科手術映像恐怖症〉〈口中映像恐怖症〉etc……。
〈注射恐怖症〉なんていうのもあるんです。とりわけ、P子のお気に入りみたいな。世間に言う、〈注射嫌い〉程度なのに、恐怖症だなんて。いい大人がと、聞いた相手が目を丸くするのを見て面白がってるに決まってるんです。
〈注射恐怖症〉だなんて、よく言うわよと、言いたくなります。男性のアレの気持ちいいお注射は大好きなくせに。
 電話かけ恐怖症も同じで、オーバーに言って面白がってるのかと思ったら──。
 ある時、お互いの携帯機能の話をしていて、料金の話題になった時、P子が、
「あたしの携帯、基本料金は安いけど、課金率の高いコースなの。数分話して、すぐ500円とか千円とか、ずっと前、10分ぐらい話して料金表示させたら、1500円以上! 1500円も払うなら映画のDVD買うほうがいいわ! 通信会社って〈濡れ手で粟(あわ)〉の儲け過ぎよ! つくづく損したと思ったわ!」
 昂奮して憤慨の口調で言うので、ふと気づいたんです。
「だからいつも、ちょっと鳴らして切って、着信見た相手にかけさせるのね」
「そうよ、いけない?」
 P子はキョトンとした眼で、私を見たんです。自分が電話かけて料金払わずにすむように、相手にかけさせるなんて──。典型的なB型性格です。
「電話かけ恐怖症だなんて嘘ついて」
「あら、嘘じゃないわ。緊張してかけられないの。ほんとに電話かけ恐怖症なの」
「固定電話の時は、すぐ切らないじゃないの」
「だって、市内局番は安いでしょ」
 自分の発言を、客観的に考えられないノーテンキP子です。
 携帯料金ケチるなんて、ほんとにケチなP子ですけど、ケチなことをちゃんと自覚していて、
「男のケチはめめしいけど、女のケチはカワイイからいいの」
 どこが可愛いのか意味不明のことを言って、
「あたし、ケチな自分が気に入ってるの」
 なんて言うんです。
 でも、時々、食事おごってくれたり、プレゼントくれたりすることもあるし、変人P子だけれど、愛すべきキャラというかニクメナイ感じで、絶交する気になれないんですけど。
 自宅に着いて、食料品を冷蔵庫に詰め込んでから、P子にかけようと携帯を手にしたら、電池残量が少ないアイコン表示で、固定電話でかけたんです。
 待っていたように、すぐ電話に出たP子。
「帰るの遅かったのね。固定電話にもかけたのよ……」
 と、弱々しく、思いつめたような声です。
「どうしたの? 何かあったの?」
「今日、あなたに言われた言葉がショックで、今夜、眠れそうにないの」
「何か、気にさわること言ったかしら」
 全く、思い当たりません。たとえ、気にさわるようなことを言っても、変人P子には通じないことが、よくあるんです。
「気にさわる、なんてことじゃなく、ショックだったのよ。そう言ったでしょう」
「だから、どんなこと?」
「ま、せいぜい、神様の罰が当たらないように気をつけなさいね、って。別れ際に言ったじゃないの」
「ああ、あれね、冗談よ。あんな言葉がショックだなんて。P子って見かけに寄らず繊細なのね」
「その言葉が頭から離れないの。今夜、眠れなくなりそう、ううん、きっと眠れないわ」
 と、その時、電話の向こうで、P子の携帯の着信メロディが鳴るのが聞こえたんです。電話とメールは別々の着メロで、聞こえるのはメールの着メロ。しかも、P子の不倫関係の〈旦那様〉のメールに指定してある着メロで、フランツ・リストの『愛の夢』。
「電話、かけ直すわね!」
 打って変わったように明るい声で言うと、P子は電話を切ってしまったんです。
 全く、人騒がせなP子です。


 ※ 濡れ手で粟=何の苦労もなく利益を得ること。


携帯チェック

2012-06-03 15:09:30 | P子の不倫
 友達のP子と、夜会ったのではなく、珍しくランチしたんですけど、先に店に着いていた彼女は携帯見ながら思い出し笑い浮かべてるんです。
「旦那様とのエッチ・メール読み返してるんでしょう」
 メニューを手にして冷やかしたんです。〈旦那様〉というのはP子の不倫関係の相手です。ずっと前、待受写真見せてもらったら、確かに素敵な熟年紳士ふう。その辺にいるオジサンより、ちょっとセクシーでスマートな男性の雰囲気が漂ってます。
「ラブ・メールって美容にいいのよ。女は恋してると若さホルモン出るんだから」
 携帯を置いて、P子はそう言いながらメニューを広げました。
「だけどラブ・メールのやり取り、彼の奥さんに、携帯見られる心配はないの? 帰宅前に彼は消去してるの?」
 もし、奥さんが、夫の携帯見てP子のエッチ・メールを見たら、大変です。三角関係のトラブルで、取り返しのつかない事態に発展する可能性だってあります。
 多分、彼がマメに消去してるのかと思ったら──。
「あら、旦那様が消去なんかするわけないでしょ。受信画面に、あたしの送信ラブ・メール、ずら~っと並んでるわ。自動消去されるまで。うふ」
「ずら~っと並んでるって、P子ったら、彼の携帯を……」
「もちろん、彼がうちへ来るたび、ちゃんと携帯チェックするわ。あたしにとっては常識、習慣よ」
「ええッ?! そんなことしてバレないの? 彼は承知してるの?」
「承知したわけじゃないけど、目の前でチェックしないもの。たいてい彼が仮眠してる時だけど、トイレとか、帰りのシャワーの時とか、その場にいない時にチェックするわ。あたしって思いやりがあるから、うふ」
「お、思いやり?!」
 目がテンになりました。というのは古い言い方ですけど。
「そ。あたしって、心やさしい女だから。うふ」
「どこが心やさしいの。他人の携帯、盗み見するなんて」
 私はあきれてしまいました。
「あら、盗み見なんかじゃないわ。それに、あたしと旦那様は他人じゃないもの。運命の赤い糸で結ばれた、運命の恋人同士、永遠の恋人同士ですもンね」
「じゃ、彼はP子が携帯チェックすること、知ってるの?」
 メニューを手にしたまま、食欲も忘れるほど驚きました。
「もちろんよ。その証拠に、あたしのメール以外は全部消去してあるわ。うちへ来る前にね」
「どうしてそれがわかるの? 消去してるのを見たの?」
「だって、ず~っと前は奥さんとのメールのやり取り残ってて、あたしがヤキモチやいて、もう別れるって宣告したの。妻とのメールを残しておくような無神経な男とは思わなかった、旦那様の人間性、よおーくわかりました、もうもう百年の恋も醒めたわ、って言ってね。それが彼にはショックだったのよ。旦那様って純情だから、奥さんとのメールはちゃんと消去するようになったの」
「ヤキモチやくような内容のメール?」
「夕飯はいりません、とか、誰々さんから電話がありましたとか……そんなのばかりだけど」
 思い出し嫉妬してるみたいに、P子は不満げなフクレ顔。
「そんな用件ぐらいメールし合うでしょう、夫婦なら普通は」
「メールの内容じゃないのよ、その「ですます」調のメール文が許せなかったのよ。何十年夫婦してて、メール文はみんな「ですます」調なの。それがあたしの神経に触って、嫉妬心を刺激したのよ」
「全然理解できない」
「だって、彼はいつか言ったわ。あたしと奥さんて対照的なんだって。奥さんは竹を割ったようにサッパリした男っぽい性格、あたしは感受性が豊かで感情的で女っぽい性格って。だから、「ですます」調のメールなんか書かない女性をイメージしてたのよ。「夕飯は不要」「誰々さんから電話」用件だけならそれでいいでしょ。「ですます」調の奥さんとのメールのやり取りが入った携帯持って、あたしのマンションに来る神経が許せなかったのよ。だから、携帯、壁に投げつけて、もうもう別れるって喚きたてて、近づく彼に両腕振り回してわあわあ泣いて、旦那様の腕の中でシクシク泣いて、それからエッチして、それから無口になって、他人行儀の言葉づかいになって、いつもの玄関でのキスを拒絶して、別れるとか別れないとか、しばらくメールと電話のやり取りして……」
「結局、別れなかったんでしょう」
「次の時から、あたし以外のメールの送受信は全部消去してあるから、許してあげたのよ。メールだけじゃなく、奥さんとの電話の履歴も消してあるの。もう10何年も前だけど。それ以来、ず~っと……」
「旦那様の携帯チェックしてるわけね」
「そ。あたしとのメールだけ、ちゃんと残してあるのを確認して安心するの」
「P子の携帯チェックを許すなんて、ずいぶん寛大な旦那様ね」
「うふ、旦那様って包容力があるの。ベッドの包容力は、やや落ちてきたけどね、ふふ」
 そこで私は気になっていたことを、もう1度、聞いてみたんです。
「P子のメール、奥さんに見られるかもって心配じゃないの?」
「奥さんは、旦那様の携帯見ないんだって。だから気にしなくて大丈夫なの」
「奥さんが見ないって、どうしてわかるの?」
「旦那様がそう言うんだから、見ないに決まってるでしょ。あのね、奥さんは50前の時から老眼鏡を使ってたの。携帯メールのずっと前からよ。老眼の人って小さい文字を見るのが億劫になるらしいのよね。老眼鏡をかけたりはずしたりも面倒だし、自然に、本能的に、小さな文字を読みたがらなくなるらしいの。仕事で文字や数字見る時が精一杯で疲れてるしね。だから、旦那様の携帯チェックなんて絶対あり得ないし、あたしのラブ・メール読むなんて100%ないってこと」
「ふうん……」
 納得したような、そうでもないような、複雑な気分でした。ただ、老眼の人が、新聞や携帯の小さな字を読むのが億劫になるという話は、あちこちで聞いたことがあります。携帯の着信音聞けば、電話には出るけど、マナー・モードの不在着信は見るのが億劫になるらしいんです。それで、電話かけたのを気づかれなかった経験が、私も2度あるんです。
 けれど──。妻は携帯チェックしないで、愛人女は携帯チェックするなんて、その逆かと今まで思ってた私、認識をあらためなくちゃと思ったんです。男女関係、夫婦関係、不倫関係って、多様なケースがあるということなのでしょう。
 それにしても、P子の旦那様の携帯にずらっと並んだラブ・エッチ・メールを、奥さんが読むことは100%ない、なんて断言していた彼女に、神様の罰が当たらなければいいと思ってるんですけど──。