花森えりか My Room

─愛と官能について語る部屋─

不変の愛と恋

2015-01-30 13:28:29 | P子の不倫
「ニーチェの名言に、『愛が怖れているのは、愛の破滅よりも、むしろ、愛の変化である。』というのがあるの」
 P子が、そんな名言を口にしたので、
「ふうん」
 と、相づちを打ちました。内心、また、名言ねと思いながら。名言好きのP子は、自分流に解釈することが多いので、それが面白いと言えば面白いし、おかしいと言えばおかしいんです。
「最初に読んだ時は、何ていい名言て思ったけど、このごろ、違うの。あたしにとってはね、愛が怖れているのは、愛の変化より、愛の終わりである、っていう言葉のほうがピッタリに感じるの」
「愛の変化より、愛の終わりを怖れてるって、当たり前過ぎることみたいだけど」
「たとえば何十年と夫婦生活をしていれば、変化は避けられないわよね。恋人というより家族か肉親みたいな存在になるわけだから」
「まあ、そうでしょうね」
「でも、不倫愛のケースでは、最初に一目惚れで恋に落ちた時の情熱が、変化してしまうのは、愛が消えた時って言えると思うの」
「恋に落ちた時の情熱を、何年も何十年も変わらずに持ち続けるなんて、あり得ないような気もするけど」
「理屈ではね。でも、その情熱がなくなったら、恋の終わり、愛の終わりなのよ。別れの時が待ってるだけだわ」
「だから不倫愛の関係は長続きしないケースが多いっていうことになるんじゃない? 配偶者にバレたとか、何かトラブルが起きたとかがなくても」
「そうかもしれない。でもね、たとえばベッドの中で、歳月を重ねれば、互いの肉体への新鮮さは薄れても、互いの肉体への欲望は薄れない、という不倫男女には、恋の終わりも愛の終わりもないのよ。これは、断言できるわ」
「ふうん」
「この間なんて、愛の行為の休憩中に、昔のベッド・インの思い出話をしてたら、あたしの愛する旦那様がね、『あのころはP子と、やりたくてやりたくて』って言いながら、あたしの体の上にガバッとおおいかぶさってきたの。クククッ、可愛いでしょう!!」
「ま、可愛いと言えば可愛いわね」
 どこが可愛いのという感じでしたが、一応、そう言っておきました。
「2回3回と、愛する旦那様がお果てになったころは、若くもなく30代後半から50代で……」
「えッ、50代で2回3回とは精力絶倫」
「とは言えないでしょう。毎晩3回以上お果てになるくらいが、精力絶倫ていうんじゃないの? そういうのって動物じみてる感じで嫌いだから、1度も経験ないわ」
「大半の女性は精力絶倫男性と出会った経験は、ないんじゃない? 精力絶倫男性なんて、ごく少ないでしょうから、希少価値っていうか……」
「ま、希少価値なんて言葉が出るっていうことは、憧れてるのね、そういうタイプの男性に」
「言葉の弾みよ」
「回数の問題じゃないけどね。1回お果てになるのと、2回3回お果てになるのと、そこには変化があると思うの」
「それは加齢によるパワー減少、精力減退ってことじゃない?」
「理屈ではね。ところが、あたしの愛する旦那様が、『あのころはP子と、やりたくてやりたくて』って言いながら、あたしの体の上にガバッと、おおいかぶさってきた時、それは単なる過去の思い出話じゃなくて、その情熱と欲望が、決して失われてないって感じたの!」
「でも、あのころは、っていうことは、今は違う、っていう意味だから、あのころの情熱と欲望は失われたってことにならないの?」
「それは、物理的に言えばそうでしょう。でもね、思い出話のようになつかしむように穏やかな口調で言ったのじゃなく、その言葉を口にしながらあたしの上にガバッとおおいかぶさってきた、それがうれしかったし、ああ、失われてないわ、って実感したのよ。つまり、愛の変化はない、恋の変化もない、物理的な性愛の変化と、愛や恋の変化は違うのよ。ま、あなたみたいな単純な考え方する女には理解できないでしょうけど」
「物理的な性愛の変化と、愛や恋の変化は違うって、よくわからないわ。単純女には」
 つまりはニーチェの名言どおり、『愛が怖れているのは、愛の破滅よりも、むしろ、愛の変化である。』ということになるのではないか、愛と恋の不変はP子の願望にすぎないのではないかと――と、そう思ったけれど、彼女が怒りそうなので、言うのをやめたんです。