花森えりか My Room

─愛と官能について語る部屋─

夜の電話禁止

2013-07-30 14:43:12 | P子の不倫
「最近、あたし、ショックを受けたのよ」
 P子がそう言ったので、
(出ました! P子の口癖)
 おかしさをこらえながらも、
「どんな、ショック?」
 興味深げに聞き返したんです。P子は年がら年中ショックを受けてる女なんです。よくよく話を聞いてみれば、そんなことと言いたくなるようなことが多いので、話半分に聞かなくちゃと思ったんです。
「夜の9時半に電話がかかってきたのよ、携帯じゃなく固定電話に」
「彼氏から?」
「違う。親しい知人男性」
「どんな電話だったの?」
「出なかったわ」
「どうして?」
「ビデオの映画を観てたのよ」
「面白い映画で中断できなかったってわけ? かけ直すつもりで」
「そんなに面白い映画じゃなかったわ。それに、かけ直さないわよ」
「固定電話は安いって言ってたじゃないの」
 ケチケチP子は携帯でかける時、すぐ切って着信表示見た相手にかけさせるけど、固定電話は安いからと普通にかけてくるんです。
「夜の9時半よ! アタマに来たわ! あまり面白くない映画が、そのあと気になって雑念が次々と浮かんで、いっそう面白くなくなったから、消去したわ」
「P子が映画を観てるなんて、電話の相手には、わからないでしょう」
「映画を観てなくたってアタマに来るわ。夜の9時半に電話をかけてもいいのは肉親と友人よ、もちろん愛する旦那様も」
 愛する旦那様というのは、P子の不倫関係の男性で、肉親と友人の後に言うのは夜の電話が一番少ないからでしょう。
「その電話、急用だったかもしれないじゃないの」
「ナンバーディスプレイを見て、その知人がこんな時間に、どんな用事で電話かけてくるのか、あまり面白くない映画観ながら考え込んじゃったわ」
「別にデートの誘いとかじゃないかもしれないし」
「そんなこと期待するような男性じゃないわよ。年に数回、アルコール飲んで食事しておしゃべりして、楽しかったわ、さようならの関係だもの」
「メールじゃなく電話なら、急用で、すぐ話したいことかも」
「だから、どんな急用があるってわけ? それにその人、メールはしないのよ、パソコンも携帯も。今まで電話は日中か夕方か、せいぜい8時近くだったわ」
「8時近くと9時半の違い、P子にとっては、そんなにあるの?」
「大ありよ。最近はメールが多いけど、昔は夜の8時以降に電話をかけたら、夜分すみません、とか言ってから話すのが礼儀であり常識だったでしょう。今はメールで相手が深夜に送信して来たって、読むのは翌日の朝か昼だから、夜分すみませんは不要だけど」
「その不快な電話が、ショックだったわけ?」
「夜9時半の固定電話の着信音て、一瞬、ドキッとするわ。春にお母さんが脱水症状で入院したのよ。回復して退院して、今は元気だけど。お母さんのことで実家からの連絡も話も、固定電話にかかってくるし、たいてい日中だけど夜9時台のこともあったし。だから、お母さん、また入院? ってドキッとしたのよ」
「わかるわ、無理もないわ」
「ナンバーディスプレイ見て、実家じゃなかったと安堵し、愛する旦那様でもなく友達でもなかったと失望する。その表示名見て、友達以下の関係の、親しい知人程度の男性が、その時刻にあたしに電話をかける権利があるみたいに思われてる、あたしが寂しさのあまり歓迎するとでも思われてる、そのことがあたし、アタマに来たしショックだったのよ」
「それで、翌日の昼にかかってきたの?」
「夜の9時過ぎに、また、かかってきたわ。その10分後に携帯にも」
「出たの?」
「出ないわ。前日より30分早くなったけど、そんな時刻にかけてきたってことに、またショックを受けたわ。連日のショックのショックだったわ」
 連日のショックのショックって、P子らしい言葉なんです。
「ストーカーってわけじゃないんでしょ」
「非通知じゃなく、番号表示だからね。第一あたしがストーカーされる理由も原因もないわ、そんな関係じゃないし」
「昼間、かけてみればいいじゃないの」
「絶対、嫌だわ! 電話代ケチってるわけじゃないわよ。このあたしに、夜遅くに電話をかける権利があると思ってるような男になんかかけるもんですか。もう、親しい知人から、ただの知人に格下げしたわ。確かにメールをしないから電話しか連絡手段はないし、昔だったら、ただの知人や親しい知人の男性でも夜中の電話に出たことがあるわ。男女が交わす夜の電話って、独特の甘い雰囲気になるでしょう。それを面白がるってこともあったし、酔っぱらってかけてくる男性もいて、携帯もナンバーディスプレイもないころなんて、かけてきたのが誰かわからないし、急用かもしれないから、片っ端から電話に出たわ。でも、今は違うでしょう。夜は外出以外の在宅日はビデオの映画を楽しんで心穏やかな気分で寝つき良くストンと眠りたいのよ。だから本当は肉親や友人だって夜遅い時刻はなるべく電話しないで欲しいのよ。その電話のやり取りを延々と考えて寝つきが悪くなっちゃうもの」
「それは、言えるかも。でも、その電話の男性に、P子が〈気のある素振り〉をしたんじゃないの?」
「その人に〈気のある素振り〉なんて絶対絶対してないわ! 神様に誓って、してないわ!」
「でも、相手はそう受け取ったかも」
「それは、人の心って、いろいろ受け取り方があるからね。こちらはそのつもりでなくても相手は違うということはあるかもしれないわ。でもね、それは男性特有の自惚れっていうものだわ。常々、男性って本当に自惚れ屋、女より、はるかにはるかに自惚れ屋って思ってるけど、もう、度し難いくらい自惚れ屋の男性って多いのよね。〈気のある素振り〉って言うけど、女は男性に対して本能的に気のある素振りをする生き物なのよ。女は、産む性、男は、産ませる性。神様が男と女を創った時からの宿命なのよ。たとえば女の社交辞令には、その〈気のある素振り〉の要素が必然的にあるのは生来備わっている本能だから仕方ないのよ。からかってるわけでもないし、面白がってるわけでもないし、まして、本心からの〈気のある素振り〉なんかじゃないってことが、男性には理解できないのよね。飲んだり食べたりしてタクシーで送ってやった女の部屋へ入るのは当然みたいに思ってるし、アルコールを飲んだ後はホテルへ行くのが当然みたいに思ってる。男性の100人中99人がそうだと言いたいくらい。実行するかしないかの違いがあるだけで、そう思ってるのよ大半の男性は。つまり、2人で過ごした相手の女が、自分に気があるんだと、そう思わないと精神のバランスが取れないんだわ。それは1人の女性から深く愛された経験がないからなのよ」
「ふうん、そうかしら」
「でもね、昔、年輩の人に、〈触れなば落ちん〉とか、隙があるとか指摘された時は眠れないほどショックだったけど、酔った女は、男性に対して本能的に気のある素振りをする生き物ということに気づいてから、あたし、男性の自惚れた言動にナーバスになってきたみたいなの。そのことがね、ショックだったのよ」
「つまり自分自身に対するショックね。夜の電話がかかってきたことのショックより。それで、その後も電話は?」
「夜は電話の着信音を切っておいて、翌日、着信メモリーを見てるけど、3度目はないわ」
「そのショック、日にちがたてば忘れるわよ」
 何しろ、P子には次々、新たなショックが起こるんですから──。