花森えりか My Room

─愛と官能について語る部屋─

愛の試練

2013-08-31 09:46:45 | P子の不倫
 ワインを飲み過ぎて眠くなったのか、P子の口数が少なくなってきたんです。
 そこで、
「最近、私もショックを受けたの」
 と、呟いたんです。
「ふうん……どんな……ショック?」
 たいして興味もなさそうな、P子の口ぶり。
 2人ともカーペットの上に寝転んで、頭の下にクッションを当てがい、身体をエビのように曲げた姿勢です。
「親戚のお見舞いに行ったんだけど……」
 病院へお見舞いに行くというのは、めったにないけれど、胸の中にずっと想いが残るものなんです。
「ふうん……見舞いって何の? ……病気見舞い……陣中見舞い……災害見舞い……」
 眠そうに、どうでもいいような口調で、P子が聞き返しました。
「病気見舞いよ」
「ふうん……何の……病気……」
 病気と言えば恋の病しか縁がなさそうなP子。興味も関心もあまりなさそうだけど、P子が聞いていても聞いていなくてもいいという感じでしゃべり始めたんです。
「入院の連絡を受けた時は、驚いて信じられないほどだったわ。どうして、その年齢でって。救急車で運ばれた経緯の症状や医師の対応などを親戚の人から電話で聞いても、時々、涙声で、感情的になってて、説明が充分じゃないから、よく理解できなかったの。顔を見に来てやってと言われて、お見舞いに行ったの。10年ぶりの再会は、車椅子の上の姿。笑顔で明るく声をかけてきたわ。もう、何とも言えないくらい感慨深かった。帰りの電車に乗ってる間、可哀想で泣きたくなるくらいだった。帰宅してネットで調べたら、若年性という言葉がつく病気だったのね。若年性の病気があることは知ってたわ。若年性アルツハイマーとか若年性認知症、若年性糖尿病とかね。でも、その病気にも若年性がつくことを初めて知ったのよ」
「若年性インポっていうのもあるわ。そんな男性に会ったことないけど。あたしだったら絶対、治してあげられるけどね。ふふ」
 自分で口にした若年性インポという言葉に、P子の眠気が少し去ったみたいです。ふふ、なんて意味ありげに笑うP子に、ちょっとカチンときたので、
「真面目な話なんですからねッ」
 怒って言ったんです。
「はいはい、わかってます。真面目に聞いてます」
「比較的高齢の人でよく聞くその病気に、まだ中年にもならない女性が罹るなんて想像もつかなかったこと。高齢者なら、介護ということを受け入れられるかもしれない。でも、その年齢で……」
「たとえば交通事故に遭って怪我したら、子供だって介護が必要になるわよ」
「それはそうだけど、事故ではなく病気。夫と子供がいて、仕事もしていて、仕事は休めるかもしれないけど、家事をできなくなる主婦の病気ほど大変なことはないと思うわ」
「そうね……それはお気の毒ね。主婦は健康でも主婦ストレスが溜まり、風邪をひいて寝込めば家事ができず、家族に負担がかかり……どちらにしても大変よね」
「ベッドわきの椅子の横に置いてある物を見て、最初わからなかったけど、ポータブル・トイレのある病室にお見舞いに行ったのは、初めてだったから、一瞬、胸が詰まったわ。あまりにも可哀想で」
「わかるわ、お気の毒」
「人柄が良くて誰からも好かれる明るく活発な性格だから、ずっと笑顔で明るい口調で、お世辞も言うしジョークも飛ばすし、もう、しゃべり続けなのよ。私が来たことも喜んでくれて」
「あとで疲れたかも……」
「もちろん、疲れちゃいけないから、気がつくと親戚の人と3人で1時間しゃべってたから、帰ろうとして最後にもう1度彼女の手を握ると、なかなか離さないの。また胸が詰まって……10年ぶりに会った私にって……でも、最後は笑顔で……もう何て言っていいかわからなかった、胸も詰まって言葉も詰まって」
「わかるわ。そんな時は、言葉なんかいらないのよ」
「ショックを受けたのはそのことだけじゃないわ。親戚の人がね、トイレの面倒は見られないって彼女の夫が言ったって。だけどウチは車椅子で移動できる余裕はないし、って言うのよ。その2人の言葉に愕然としたわ。ジョークだと思うけど」
「家族に病人が出ると、本当に大変よね」
「健康であれば明るく暮らして仕事も順調で家族とも和気藹々(わきあいあい)。それが暗転してしまう〈病気〉って、人間にとって何なのかしらって考え込んでしまったわ。闘病記とかで読んだことがあるのは、神様の試練に耐えて、っていう言葉だけど」
「神様の試練……それは、神様の試練というより、愛の試練だと思うわ。誰が見ても平穏な家庭、自分たちも幸福な家庭と思い込んでいるその家庭にね、偽りもなく、秘密もなく、孤独な嘘もなく、真実の愛があるかどうか──を、見きわめる愛の試練、と言えるかもしれない」
「愛の試練……」
 たまにはいいこと言うわと感心したら、P子が言ったんです。
「あたしなんて、ベッドで愛する旦那様が中折れ現象になった時、そのたびに愛の試練と感じているわ」
 P子には、私のショックは伝わらなかったようです。