花森えりか My Room

─愛と官能について語る部屋─

幸福感の話

2016-09-06 14:50:05 | P子の不倫
「ねえ、どんな時に、幸せを感じる?」
 P子から電話がかかってきて、いきなり聞かれたんです。
 何だか少し眠たげな声で。
 昼下がり。
 これから、お昼寝するところなのか、目が覚めたばかりなのか。
 そのどちらかを想像させるみたいな、声と口調です。
「ずいぶん、真面目な質問ね」
「質問するあたしが真面目な人間だからね」
「幸せを感じる時……そうね、面白いサスペンス映画とか、感動する映画を観た後かしら。こんな素晴らしい映画を観られて楽しめる人生って幸せ、って、生きてるってことが、つくづく幸せ、って思うわ」
「ふうん。それだけ?」
「感動する本を読んだ後とか、好きな音楽を聞いてる時とか、好きな男性と会ってる時とかもね」
「ふうん」
「P子は、どんな時? エッチしてる時、なんて……くくくッ」
「それは、言うまでもないわ。人間、誰でもそうでしょ。正直にそう言う人はあまりいないけど」
「じゃ、他には?」
「あたしね、最近、ああ幸せ~、って、もうもう心から感じる時があるの。あたしの人生で、初めてなの。こんな時に幸せを感じる、っていうのがね」
「だから、どんな時?」
「夏限定の幸福感なのよね」
「もったいぶらないで、早く言いなさいよ」
「在宅の時、夏って、全裸が一番、気持ちいいじゃない? お風呂で裸の気持ち良さは一年中だけど、浴室以外で、睡眠の前後じゃなくベッドに全裸であお向けになって両手両足を投げ出すように、やや開き気味にしたり、スマホを顔の上にかざしてニュース読んだりゲームしたりね。この時の全裸快感て、もうもう、超最高に超気持ちいいのよね。暑い夜や昼下がりは、自然の風に似た涼風のアダプター付き扇風機かけるとか、または間接的に他の部屋のエアコンを除湿にしておくの。つまり、暑いから全裸になるのじゃなく、全裸に涼気が触れる快感、ベッドの上であお向けの姿勢だからこその、自由で伸びのびとした、この上なく気持ちいい感覚に包まれる、この時こそ、ああ、幸せ~、って、つくづくと、しみじみと、心の底から幸せを感じるの」
「他人には見せられない姿でね」
「もともと、お風呂が好きなのは全裸になる心地良さだわ、リフレッシュ・ルームであるトイレに入るのが好きなのは、下半身裸になるからだわ、エッチが好きなのも全裸になる心地良さが前戯の前戯みたいなもの。朝、目が覚めたら、まるで夢遊病みたいに肌着も下着も脱いじゃってて裸になってる、って時もあるし。夏に限ってだけど。それでね、あたしって、何故、こんなに裸が、半裸でも全裸でも、裸大好き人間なのかって考えてみたの」
「P子の自己分析癖ね」
「つまり、自由で、自然で、健康が好きだからじゃないかって結論に達したの」
「自由と自然はわかるけど、健康が好きっていうのは誰だってそうでしょ」
「でもね、アメリカの作家のG・W・カーチスって人が……知ってる? G・W・カーチスって」
「知らないわよ。P子だって知ったばかりなんでしょ」
「そのG・W・カーチスの名言にね、〈幸福はまず何より健康のなかにある。〉っていう言葉があるの」
「そんなこと、当たり前だし、誰だってそう思ってるでしょう。どうしてそれが名言なの?」
「凡人と才人の大いなる相違、言葉に対する感性が鋭いか鈍いか。あたし、じっくり考えてみたの。病気も怪我もしないで、無病息災、健康が一番幸せとか言うでしょ。それって、逆なんじゃないかって。健康だから幸せなんじゃなく、幸福だから健康なんじゃないかって思ったの。つまり幸福の感じ方が問題。真に幸福を感じることができる人は健康でいられる、見かけだけの偽りの幸福、または既成概念や固定観念の幸福を感じている人は健康を損ねて病気や怪我をする宿命じゃないかって、そう思ったの」
「それが全裸であお向けの幸福感と、どう関係あるの?」
「大半の人は、暑い夏の夜や昼下がり、ベッドや畳の上に全裸であお向けになって、気持ちいい~、だけなんだけど、そのことに幸福感を感じる人間は、全裸であお向けの自由で自然で健康の幸せに浸れるってこと。ちょっと難しいかしら。じゃあね。あたし、今からちょっと午睡するから」
「えええッ、電話しながらP子はベッドで……」
 同性の裸なんて想像しても楽しくないので、慌てて打ち消したんです。
 電話を終えてP子とのやり取りを思い出しても、わかったようなわからないような彼女の幸福感のお喋りでした。