花森えりか My Room

─愛と官能について語る部屋─

愛の準備

2009-05-29 12:52:17 | 告白手記
 愛の初体験の日──。
 その行為の前の愛撫、つまり前戯をされて、くすぐったかったんですけど、だからといって、彼はやめてしまったわけではないんです。
 欲望からのようでもあり、性的な行為に慣らそうとするためのようでもあり、よくわかりませんけど。
 身体のどこを触れられても、私が、
「くすぐったい……!」
 と、しのび笑ったり身をよじったりしても、彼はむしろ、それを歓迎するみたいなことを言って、さらに愛撫を続けたんです。
 すると──。
 身体に小さな変化が現れたんです。
 その箇所に触れた彼の指の感触でわかったんですけど……。
 その変化のことを、彼は説明したんです。
「潤滑液」
 という言葉を使って。
 初めて聞くその言葉を口にして聞き返すと、
「準備ができたってことなんだ」
「準備……」
「女性の身体が、男性を受け入れる準備っていうこと。こういうふうにならないと、行為は不可能なんだ」
 彼はそう説明してくれたんです。
 今、考えると、性的なムードなんて、ありませんでした。
 教師歴8年の彼は、どこか教え諭すみたいな口調だったと思うんです。
 そのたびに、私はうなずいて……。
 言ってみれば、性のレッスンです。全然、性的なムードのないレッスンですけど。
 授業の時とあまり変わらないような口調で潤滑液とか準備とか、ロマンティックでもないような言葉を口にするのですから。そして、素直に私がうなずくのを見ては、彼は私の頬や唇に軽いキスをして……。

初めての愛撫

2009-05-25 10:44:59 | 告白手記
 愛の初体験の日、相手の男性とキスの経験はあっても、下着姿や裸を見られたり触れられたりするのは、もちろん初めてのこと。
 初夏の日曜日の昼下がり。彼の家の彼の部屋。窓とカーテンを閉ざした仄暗い部屋で、ソファ・ベッドの上に布団を敷き、薄い夏布団もはいでしまい、ディープ・キスの後、初めての愛撫をされたんです。
 純白のランジェリーを少しずつ脱がされ……。
 私の肌と肉体を賞賛するような言葉を、彼は口にしながら……。
 彼の手が……。
 彼の指が……。
 ──と、具体的な描写をするわけにはいきません。
 だって、どんな愛撫をされたか具体的に書いていくと、長くなってしまうし……。
 一応、プロのもの書きなので、原稿料、いえ、閲覧料が発生し──。
 な~んて冗談ですけど。
 でも、書いた文章がお金になる、文章を書けば原稿料というお金を貰える、という習性がしみついてしまっていると、たとえば他人のブログやHPのコメント欄とか掲示板に、たった一言でも書けないんです。その一言のコメントを読むのは、人数はともかく不特定多数の読者だからです。不特定多数の人たちに、たった一言でも文章を無料で読まれるのは損する……と、そこまでセコイ私ではありません。
 けれど、そのブログの執筆者への個人的なメールとかメッセージなら、タダの文章でもあまり損した気分にはならないと思うんです。それは、純粋に、私からその人への言葉であり想いであり感想であり励ましであり好意であるわけですから。
 でも、不特定多数の人たちが読む文章をタダで書くのは、やはり、惜しいとかもったいないとか、そんなセコイ気持ちからではなく、もっと言いようのない心理なんですけど、やはり、書けません。頼まれれば書いてもいいですけど。タダでも。あれはほとんど、頼まれて書くものでしょう? 掲示板とかコメント欄など読んでみると、1人3役とか5役とか自作自演とか同じ人がニックネームやハンドルネームを変えて書いてるだけみたいなブログやHPもありますよネ。文章を読めばわかるんです。同一人物のコメント文て。
 だから、私だって、頼まれないのに、不特定多数の人たちが読むコメントとかの文章なんて書く気はしません。
 ところで、このブログは、不特定多数の人に読まれることを承知で書いているのですけど、読者のために書いているのではないんです。自分自身のために書いているんです。
 私の性体験を追想しながら書くことを、とても気に入っているし、大事な日課……いえ、日課とは言えないけれど、貴重な記録であり、貴重な執筆なんです。
 というわけで、性の記録とは言え、具体的に描写してしまうと、原稿料や閲覧料が発生し──と、そんなセコい気持ちからではなく、抽象的に書くほうが、性の記録としてリアルになると思うんです。これは小説ではありませんから。小説は具体的描写がないとリアリティが出ませんけど。
 でも、ほんの少しだけ──。
 初体験の日の初体験の愛撫。彼という男性の手や指の愛撫に、私は思わず、
「くすぐったい」
 と、しのび笑ってしまったんです。小さく、くっくっくっと。身体のどこを、そっと、やさしく、ソフト・タッチで愛撫されても、本当にくすぐったかったんです。
 すると彼は、
「くすぐったい?」
 そう聞き返して、
「くすぐったいってことは感じるってことなんだ。何度も繰り返していると、くすぐったくなくて、快感に……」
 と、何故か感動したように私をギュッと抱き締めて言ったんです。

初体験の欲望

2009-05-19 21:36:20 | 告白手記
  愛の初体験の日、男性である彼は性の欲望があったからこそ、行為が可能だったわけですけど、少女の私には欲望はありませんでした。処女に、性欲はないのです。
 そう断言すると、異論のある人もいるようですが、私はそう思います。個人差がある、ということで言えば、私自身は初体験の行為の始まりに、性の欲望を感じていませんでした。あるのは欲望ではなく、抱かれたい、初めての経験をしたい、愛の証の行為をしたい、という願望です。
 それは、人生が始まりかけ、恋と愛を感じ始め、男性という異性を知り始め、生きることの歓喜と素晴らしさに、日々、感動しているような毎日です。
 フランスの女流作家で思想家のボーボワールが、
 ──女は女に生まれるのではなく、女になるのである。──
 と、書いています。
 初体験をする前から、女の子は少女になり、周囲から、可愛い女の子とか、きれいな女の子とか、男の子みたいな女の子とか、お人形みたいな女の子とか、おとなしい女の子とか、明るい女の子とか、<女の子>という言い方ではあっても、少しずつ、女であるということはどういうことか、心身共に感じたり学んだりして知っていき、女になっていくんです。
 けれど、肉体的に女になるということを、観念としてしか、わかりません。男性と肉体的に結ばれる、そのことを恥じらいながらクラスの女友達とお喋りしたり、クスクス笑ったり、『保健体育』の授業で何となく知ったりしていくことになります。
 そうして、夜、眠りにつく前などに、あれこれ、想いをめぐらせるんです。
(どんな感覚かしら)
(どんな気持ちかしら)
(痛くて怖いかもしれない)
(相手の男性は、やさしくしてくれるかしら)
(嫌がったら、やめてくれるかしら)
(痛いのは我慢しなくちゃいけないのだわ)
(行為の後は、どうなるのかしら)
(本当に小説みたいに感動したり、快感なんてあるのかしら)
(相手の男性は、どんな人かしら)
(愛し合う男性と、2人きりの部屋で、キスをして、裸になって、愛撫されて、それから……)
 と、そのあたりまでは空想できても、その後のことは、わかりません。
 その行為を経験していないのだから、想像にも空想にも限界があるということなんです。
 けれど、
(その日は、いつ、来るのかしら……!)
 そう呟くと、キャッと叫びたいくらい、期待と不安と歓喜の予感と、愛の予感、そして生きる歓びに包まれるんです。
 そうして、とうとう、その日を迎えて──。

ダイエットが好き

2009-05-16 11:39:44 | 私のこと
 昨日、体重を測ったら、49.8キロ。
 うれしかったけれど、この間みたいに数字の表示を携帯撮影しようなんて思いませんでした。測り直すと、また、増えてしまうかもしれないし。
 考えてみると、もう数か月前から、49.8キロから50.3キロの間を上下してるんです。50.0キロの日が結構、続いて、ようやく40キロ台、そして、少し上下するので、そのたびに一喜一憂という毎日なんです。
 でも、ダイエット歴の長い私、正確に言えば、ダイエット意識を持ち続けた時期の長い私、本質的に、というのはオーバーですけど、ダイエットって好きなんです。
 自分の体型を変える。努力して、目標の体型にする。
 こんなに素晴らしいことって、あるでしょうか。
 つらくて苦しくて不健康なダイエットは、論外です。あくまでも健康的に、スリムになって行くダイエットです。
 これは、生きる喜びの1つだと思うんです。
 自分の身体を、こよなく愛するということ。
 自分の何もかもを愛するということ。
 不可能なようでいて、そうでもないと思うんです。
 自分の体型にも執着するけれど、他人の体型にも、私はほんの少し、こだわるんです。
 体型というのは、その人の生き方が表れている、と信じてるからです。
 太っている人は、太っている自分の体型を許せる、というか、愛着があるのだと思うんです。贅肉を、醜いものとは思わない、その感性は、間違いなくその人の生き方と人生から生まれるものだからです。
 告白すると、私は、実は一時期、56キロもあったんです。
 そして、56キロの自分の体型を、そう嫌いではなかったんです。バストとヒップが大きくなると、自然にウェストが細く見えるんです。
 俗に言う、肉感的な体型で、男性の欲望を刺激して魅力的だわと、鏡を見るたび、思ってたんです。
 けれど、洋服や下着のサイズが合わなくなる、お気に入りの服が着られなくなる、買いに行く店で試着するたび、56キロの体型の自分に嫌気がさして来たんです。それに、バストとヒップが大きければ細く見えるウェスト・サイズも、確実に増えていくことの恐怖といったら、ありません。
 それで、40キロ台だったころの体型に戻そうと、必死で、健康的な、他人には涙ぐましい努力と言っているけれど、ひそかにワクワク楽しいダイエットを何年間も続けたんです。ダイエットが好きで、楽しくなければ、何年間も続きません。
 というわけで、私はやはり、太っていない体型の自分を愛しているので、日々、健康的なダイエット意識を持ち続けて、標準体重を目指しているんです。
 

迷いのダイエット

2009-05-13 12:09:11 | 私のこと
 昨日の夕方、体重を測ったら、予想より少し多いんです。
 というより、減っていることを予想して、ワクワクしながら体重計に乗ったんです。
 有酸素運動と美容体操とストレッチの涙ぐましい努力の結果が、その瞬間に出るのです。ワクワクしないではいられません。
 私の標準体重は48.5キロ。
 何とか、せめて、49キロ台になっていますようにと、祈るような気持ちで体重計に乗ったら──。
 50.3キロ。
 ショックを受けてしまいました。
 それからは、自己分析と反省の時間。
 49キロ台まで、たかが1キロです。
 いえ、0.35キロ減れば49.95キロで、49キロ台です。たかが、0.35キロ、されど0.35キロ……。
 運動量は変わらないし、美容体操&ストレッチだって毎日のように欠かしていません。
 けれど、反省すべき点は……。
 フルーツとお菓子などの甘い物を半分に減らせばいいのかもしれない。
 8時間睡眠を2時間減らして、6時間睡眠にすればいいのかもしれない。
 ごはんとパンなど炭水化物を減らせばいいのかもしれない。
 でも、それが、できないんです。甘い物を食べると小さな幸福感が得られるし、食事を減らせば美容に良くないし、眠気というより睡魔には、どうしても負けてしまうんです。
 体重計、壊れてないかしら……。3年前にもそう思って、買い換えたんです。
 毎日、測っているわけではなく、週に2~3回だけ。
 先月、49.8キロになった時、うれしくてうれしくて、その数字の表示を携帯撮影しようと思い、リビングのテーブルの上に置いてある携帯を持って来て、ふたたび体重計に乗ったら、何と、増えてたんです。50.2キロに!
 ええっ! と私は愕然となって、思わず携帯を見て、この携帯が400グラムもあるはずがないと思い、けれど、それを置いて、測り直したら、やっぱり50.2キロなんです。
 40キロ台と50キロ台。たった0.4キロの差なのに、私にとっては重大問題です。
 そこで、夜、何でもよく知っている友人に携帯メールで、体重計って何度も測ると増えてしまうのかどうか質問してみたんです。そうしたら──。

 <そんなこと私にはわかりませんが、乗る位置、姿勢等でその位の誤差は、市販の体重計ではあるのでは。>
 
 返信メールのその文章に、明らかに、呆れているみたいな感じが、行間から読み取れて、またしてもショックを受けてしまったんです。
 昨日、そのことを思い出し、誰も理解してくれない私の心理、と寂しくなったり……。
 こうして、ダイエットの闘いは一生続くのだと、つくづく自覚したんです。

緊張感のあるやさしさ

2009-05-11 11:40:00 | 告白手記
 初体験の時、男性が女性にやさしい言葉をかけ、やさしいしぐさや愛撫をするというのは、当然過ぎるほど、当然なことです。
 特に書くことでもない、かもしれません。
 いつの時代も女性は男性のやさしさに飢えている、と言えるのではないでしょうか?
 よく、女性への街頭インタビューとかアンケートで、どんなタイプの男性が好きかというお決まりの質問があります。
 すると、大半の女性は、そうねえ、と少し考えてからの人も、即座に答える人も、
「やさしい男性」
 という言葉を口にすることが多いですよネ。
 それから、男らしくて、責任感があって……と、続ける女性も、真っ先にあげるのは、やさしい男性。
 それほど、女性は、やさしい男性が好きなんです。
 でも、
「やさしいだけじゃイヤ」
 というふうに、女性も恋愛経験を重ねると、変わってくるんです。
「やさしくて、男らしくて、思いやりがあって、責任感があって、夢を持っていて、生活力があって、寛大で、計画性があって、実行力があって、めめしくない人……」
 なんて。
 もし、私が質問されたら──、
「純粋で純真で純情で、行動力と包容力がある男性」
 と答えるかもしれません。包容力がある人って、精力絶倫という意味ではありません。いつか、誤解した人がいましたから。念のため。性的にはノーマルな人であれば、精力絶倫というほどではなくても……。
 それで、私の初体験の相手の男性、初めての愛の行為の始まりに、とにかく、やさしかったんです。もともと、やさしい男性なんですけど。もう、やさしさの固まりみたいな男性。固まり、というより、塊(かたまり)、と書きたくなるくらい。
 だから、そのやさしさに感動したわけではないんです。ただ、そのやさしさが、ふだんのやさしさと少し違う、何か、揺れるようなやさしさというか、緊張感がかすかに感じられるようなやさしさだったんです。
 緊張するのは、女である私です。
 けれど、男性である彼も、どこか緊張感がその声や手の動きに、感じられるようなやさしさだったんです。

やさしい言葉と愛撫

2009-05-08 12:41:10 | 告白手記
 <お行儀の良いセックス>と<お行儀の悪いセックス>、どう違うかというと、それは主観の問題であり、想像力と空想力の個人差の問題ですから、具体的に書けと言われても、書けません。
 それで、<お行儀の良いセックス>と<お行儀の悪いセックス>と、どちらのほうが好きかというと……。
 <お行儀の悪いセックス>でしょう、と言われそうですけど、そんなことはないんです。
 実は、どちらも好きなんですね、多分。
 多分、というのは、実際は、よくわかっていないからなんです。
 人間て、他人のこと以上に、自分自身のことが、よくわかっていない生き物なのではないでしょうか?
 それで、私は、<お行儀の良いセックス>と<お行儀の悪いセックス>と、どちらが好きかというと、本当に、どちらも好き、というほかないんです。
 何故なら、心身共に愛し合ったことがある男性……そう、多くはないんですけど、思い返してみると、<お行儀の良いセックス>をするタイプの男性と、<お行儀の悪いセックス>をするタイプの男性が、いるんです。
 そして、愛の初体験をした男性は、<お行儀の良いセックス>をするタイプの男性であり、セックスとはそういうものだと私は教え込まれたのだと思うんです。
 でも、その時はもちろん、<お行儀の良いセックス>という言葉も観念も定義も、もちろん、ありませんでした。ずっと、ずっと後になって、そんな言葉を思いついたんですから。
 つまり、<お行儀の悪いセックス>を知った時に、それまでの<お行儀の良いセックス>という言葉も観念も生まれたわけなんです。
 それで──。
 ソファ・ベッドの上で、彼が私のランジェリーを脱がせる、その手の動きも、言葉も、初めての愛撫も、すべて、やさしかったんです。これ以上、ないというくらいのやさしさです。
 そのやさしさは、緊張感と不安と期待に、ふるえ出しそうな私のためであり、彼の性格と人間性でもあったのでしょう。

男性の欲望

2009-05-06 09:54:41 | 告白手記
 初体験の日──。
 ソファ・ベッドの上で、2人とも下着姿で抱き締め合って、ディープ・キスをしたんです。
 初夏の昼下がり。彼の家の彼の部屋。窓もカーテンも閉ざして、仄暗い室内です。ただし、遮光カーテンではないから、薄暗いというほどではありません。
 キスの後、彼は私の純白のランジェリーのことを、似合うねとか素敵だねとか言って、ゆっくりと、やさしく、脱がせ始めたんです。
 この時の私は、羞恥心と緊張感と好奇心と不安と期待と歓びなどの感情に包まれていました。そして、次第に肌が、あらわになるにつれ、
「あ……」
 イヤ、という感じに、形だけの抵抗が羞恥のあまり、あったと思うんです。
 では、彼は、どうだったでしょう。
 12歳年上の彼は、欲望を感じていたでしょうか。とても冷静で落ち着いていたように見えるのは、記憶違いでしょうか。それとも、欲望をあらわにするのが、教師として、あるまじき行為、でもあるような理性がはたらいていたのでしょうか。
 たとえば──。
「○子が欲しい、我慢できないんだ、この身体を早くぼくのものにしたい!」
 とか何とか、襲いかかるような感じだったら、どうだったでしょう。
 愛していると思い込んでいる恋人なら、当然、羞恥と歓びに包まれながら、
「あたしだって……!」
 そう口走って、荒々しい彼の征服欲に、身をまかせてしまうのが大半の女性かもしれません。
 けれど、彼はそんなふうに男性独特の欲望も征服欲も見せなかったんです。
 後になって考えると、見せなかっただけで、男性独特の欲望も征服欲もちゃんとあったんです。
 ただ、彼の性格、人間性、愛とセックス観、というようなことを考えると、<お行儀の良いセックス>をする男性だったんです。
 男性って、<お行儀の良いセックス>をするタイプと、<お行儀の悪いセックス>をするタイプの、どちらかなんですね。いえ、どちらかだと思うんですね。
 言い直したのは、男性遍歴したわけじゃないし、男性体験が豊富ってわけではないので、断定はできないんですけれど……。 

現実とラブ・レター

2009-05-04 09:46:45 | 告白手記
 愛の初体験の日まで、交際を始めてから約1年、ラブ・レターのやり取りがあって、途中からですけど初体験についても書くようになったんです。
 もちろん、初体験なんていう言葉ではなく、もっとロマンティックな表現で。
 私は文学少女。彼は文学青年。お互いに、手紙や文章を書くのが好きだったのでしょう。
 手紙には、早く愛の初体験をしたいというようなことを何度も書いたはずなのに、現実にその日を迎えたら、不安と期待と好奇心の他に、ちょっぴり怖さもあったんです。
 その行為そのものへの怖さ。
 未知の世界を知る怖さ。
 自分という人間が変わることへの怖さ。
 現実とラブ・レターは違うということを自覚させられたんです。
 だからといって、
「イヤ、やっぱり、怖いから、やめて」
 なんて言えるはずがありません。
 だって、早く愛の初体験をしたい願望は私のほうが強く、彼は結婚してからのつもりだったのですから。
 やめてという言葉は口にしないけれど、反射的に身体が怖さを表現してしまったような気がするんです。彼がディープ・キスをしていた唇を離し、私の純白のランジェリーに手を触れてきた時──。

初めての愛の記憶

2009-05-02 13:52:57 | 告白手記
 女性は初体験の相手の男性を、一生忘れられないものだという俗説がありますけど、それは違うと思うんです。
 大半の女性は、忘れてしまうのではないでしょうか? 歳月が流れてということではなく、2番目の男性を愛した時にです。その時にはもう、忘れてしまっているはずです。
 初めての男性を忘れられないというその俗説は、男性の願望であり、一方的な思い込みだと思うんです。
 女性は現実的です。現実に、いま、愛し合っている男性のことだけを想ったり考えたりしているんです。
 初めての男性のことを憶えていたら、現在の恋人なり愛人なり彼のことを純粋に愛せるものではないと思うんです。
 それで、私自身のことですけど──。
 連日のように愛の初体験のことを書いていて、初めての男性のことを忘れてしまっているなら、この告白手記はフィクションかというと、そんなことはないんです。
 何故なら、まず、私の性体験の告白手記を書きたいという欲求があること。
 書きながら、ン十年も前の初夏の日の初体験の記憶が、かなり鮮明によみがえってくること。
 そして、その記憶を、事実と心理と心情と感覚と言葉と挙措動作をかなり鮮明に書くことができること。
 それらの条件を満たしているために、フィクションではない告白手記を書き続けられるんです。
 それで──。
 ソファ・ベッドの上に布団を敷いたその上で、下着姿の彼に下着姿の私は抱き締められ、ディープ・キスをされ、一瞬、気が遠のきそうでした。
 ラブ・レターでは何度も、愛の初体験の願望を、書き続けた私です。
 とうとう、その日が訪れた──と、期待と不安とで、胸がきゅーっとなるような感じ。
 無理もありません。手紙と、現実は、違うのですから。
 手紙は、いつも、夜、書いたんです。そこにいない彼に向かって。書きながら、感情も愛もどんどん昂(たか)ぶって、
 ──早く逢いたい、抱かれたい、キスされたい、愛の証(あかし)に早く私を先生のものにして──
 そんな愛の言葉を書き連ねたラブ・レターを書いた記憶があるんです。