花森えりか My Room

─愛と官能について語る部屋─

フラストレーションの女

2014-11-30 14:58:21 | P子の不倫
 最近のP子は、まるでフラストレーションの塊(かたまり)。グチグチネチネチ、グチグチネチネチ、口を開けば不平不満の言葉のオンパレード。
 つい、この間は、「愛が足りないの」なんてションボリ言ってたけど、多分それが原因で、今だに愛が満たされていないのでしょう。
 聞いているこちらが何を言おうと、グチグチネチネチが延々と続くんです。可哀想と言えば可哀想、おかしいと言えばおかし過ぎ、よくもそんなにグチグチ・ネタがあると呆れるほどです。
 たとえば――。一番最近のグチグチ・ネタは、先日、知人女性からメールが来たらしいんです。来年1月下旬に、ちょっとパリへ行って来るっていうメールだったらしいんです。
「ちょっとパリへ行ってくる、だなんて、その『ちょっと』っていう言い方が断然、気に入らないのよ!」
 と、P子。
「ちょっとパリへって、そう長くじゃなく4、5日か1週間程度っていう意味の『ちょっと』じゃないの?」
 と、私。何が気に入らないのか、わかりません。
「本心は、日数の意味なんかじゃないのよ。だいたいね、ちょっと、どこどこへ行くという言い方は、相手に、うらやましいでしょう、わたしにとっては、どこどこへ行くことなんて、あなたがうらやましがるほどたいした喜びでもなく、ちょっとトイレに行くっていうのと同じぐらいなんだからね、って言ってるのと同じなのよ」
「ト、トイレ?」
 思わず頓狂な声で聞き返しました。
「そうよ、ちょっとどこどこへ行く、っていう言葉のどこどこは、トイレっていう言葉が真っ先に浮かぶじゃないの、誰だって」
「ちょっとトイレ。確かに、そうね」
「だから、ちょっとどこどこへ行くって言う人間は、どこどこなんてトイレに行くみたいに簡単なことなのよ、っていう潜在意識が透けて見えるのよ」
「そういう受け取り方も、あるかもしれないけど。トイレじゃなく、ちょっとコンビニへ行く、とか、ちょっとビール買って来るとか、映画観て、ちょっと面白かったとか、ちょっと、っていう言葉の後につく言葉っていろいろと……」
「ほうらね、コンビニだってビールだって、『ちょっと』がつくのは、たいした内容の言葉じゃないでしょ。昔、知人の作家でいたわよ。世間が夏期休暇の時期になると電話をかけて来て、実にさりげない口調で言ったものだわ。明日から、ちょっと軽井沢へ行くんでねとか、ちょっとカナダへとか、ちょっと韓国へとか、毎年、電話して来た人が」
「自由業なのにオフ・シーズンじゃなく、世間の夏休みの時期に合わせることないのにね」
 P子の味方を、『ちょっと』してあげました。
「ま、あまりレベル高いとは言えない作家だからね。世間の人たちがあちこちへ出かけるのを見てうらやましくて自分も、っていう通俗的な生き方してるタイプなんでしょ。そのたびに、あたし、『ちょっとカナダへですか? うらやましいわ』って心にもないこと言ってやったわ。ちょっと、を強調したのは皮肉のつもりだったんだけど、全然通じないの。ま、女の皮肉は男に通じないものだけどね」
「P子としては、全くうらやましくなかったんでしょう」
「もちろんよ、カナダなんて行きたくないし、夏の軽井沢なんて人混みで他人の息を吸いに行くようなものだし、韓国なんてタダでも行きたくない国だわ。そういう人って、ちょっとどこどこへ行くって言いふらすことが目的で行くのだから、実際行ったら、若くもない体にいろんなストレス溜まって体調悪くしてお帰りになったらって内心、呟いたわよ」
「それで」
「それが本当に、気候のせいだの食べ過ぎのせいだの疲れ果てたとかで体調悪くしたって後で聞いた時は、心やさしいあたし、心から同情して、あたしがあんなこと内心呟いたせいかもって、神様にお許し下さいって就寝前に反省してお祈りしたわ」
「それで今回は、そんな皮肉は言わないのね」
「だって、ちょっとトイレに行くみたいなつもりで、ちょっとパリへ行くのが年末年始じゃなく1月下旬だなんて言うのよ」
 キーッとP子がハンカチの端を強く噛んで、もう一方の端を引っ張ります。
「その人、自由業?」
「自由業だか何だか知らないけど今ふうの仕事で自由業っていうより自営業みたい。ちょっとトイレに行くみたいなつもりでちょっと行くのがパリだなんて!」
「P子の憧れの街ね」
「しかも、ちょっとトイレに行くみたいなつもりで、ちょっとパリへ行くのが年末年始が終わった後なんて!」
「大半の海外観光客が帰国したあとね」
「しかもツアーでもパックでもなくガイドもなし、彼女、フランス語ができるのよ」
 キーーーッとP子がハンカチの端を噛んで引き裂きそうなほど引っ張ります。フランス語ができてパリへ旅行だなんて、私でも『ちょっと』うらやましくなります。英語ができれば、たいていの海外旅行は通用すると思うけれど、フランス語ができれば現地の人とも言葉を交わせます。
「でも今回が初めてってわけじゃないでしょう。ちょっとトイレに行くみたいなつもりで、ちょっとどこどこへ行く、って話を他人から聞かされることって」
「何度もあるけど、そういう人間は決まって虚栄心の強い人、さらに言えば、ふだん、他人に嫉妬と羨望を強く抱いている人。いつもいつも嫉妬と羨望を味わわせられてばかりの人生だから、ちょっとトイレに行くみたいなつもりで、ちょっとどこどこへ行く、っていう言い方をして、ついに、してやったり! 他人に嫉妬と羨望を味わわせてやったって狂喜してるのよ。聞かされて嫉妬と羨望を味わう人なんて、そんなにいないっていう現実も知らない度し難い無知でね」
「だけど、パリへ行く知人女性にはP子もやっぱり……」
 うらやましくないはずが、ないんです。
「だから、その『ちょっと』の一言がなければ、素直に返信メールできるけど」
「何て、返信したの?」
「ちょっとトイレに行くみたいなつもりで、ちょっとパリへ行くなんて、うらやましいわね、って」
「えええッ!」
 そんなメールなんてとP子を見たら、引き裂こうとしても引き裂けないハンカチを必死の顔つきで、左右の手で引っ張っていて、
(フラストレーションの塊みたいなP子)
 可哀想、って、しみじみ同情したんです。