19世紀の半ばから本場の西ヨーロッパではバレエが衰退し、パリ・オペラ座の踊り子といえばブルジョアの愛人たちのたまり場の様相を呈していた。
これに対しロシアでは、種々の意味でバレエ芸術の水準が高く、例えばバレリーナのクシンスカヤは、愛人といっても相手は後のニコライ2世となる当時の皇太子であったし、そのほか貴族や上流階級がパトロンになっていた。新進バレリーナにも、本人が貴族出身で兄は有名な評論家という、カルサービナのような女性がいた。
エリックが文句タラタラなのもこうした理由なのでしょうか。
ヴェロン支配人時代から楽屋・共同控え室などが「パトロンのたまり場」になり、オペラ座事件があったと思われるあたりもこうした傾向は残っていたのでしょう。
このバレリーナや母親達の様子はよく聞くことですが、怪人が歌手でなくソレリやジャンムといったバレエ・ダンサーの行動や技術に対しての批難が多いのも面白いです。