
80年代前半に普段は植木職人をしているが、いつか来るゴジラの復活に
備えてトレーニングをしている人がいると紹介した深夜番組を観たのを
覚えている。しかし、筆者はあまり肯定的には感じなかった。世はガン
ダムやマクロスといったリアルロボット物が持て囃されており、円谷・
石森・永井・松本ヒーロー達は時代遅れの遺物とされ踏みにじられてい
たのだ。メロス・ゼクロス・ゴッド・SSXと人気シリーズの新作はあ
ったもののどれもテレビ化に苦戦してるか放映してもコケていたのだ。
ゴジラも負けじと新ゴジラ(1983年・年末)と VSビオランテ(1989年・
年末)と善戦したが、毎年新作製作にまでに届かなかった。しかし、19
83年年末の新ゴジラの時代はゴジラが悪役に戻った以外に2つの世の中
の変革があった。ビデオデッキとビデオレンタルの普及だ。怪獣映画は
ナイターの雨天中止時に放映される事が多かったので、これで雨乞いを
せず好きな映画を都合の良い日に観る事ができるようになった。当時の
レンタル料金は安くなかったが、同じ作品を観たい人と割勘にしたり、
合法ではないがデッキ2台でダビングしてコピーもした。作品そのもの
を手元に置ける時代となったのだ。それは映画館に行く人達を更に減ら
す結果となったが、その分、平成ゴジラは身近な存在となった。更にメ
イキングビデオの登場である。最初にやった作品は分からないが、その
走りは1980年のバラエティ風ドラマの翔んだカップルのNG集ではない
かな?新ゴジラのメイキングビデオはレンタルはされないので個人買い
で本編より売れたそうだ。しかし、薩摩氏はメイキングにはあまり協力
的ではなかったようだ。もっとも古い映画人は舞台裏を安易に見せては
いけないと考える人の方が多い気がする。80年代に黒沢監督が撮影現場
を8ミリで個人的に撮影したいという主演のパンツはかないと言ったス
ター男優と揉めた話は有名だし、それに比べるとずっと後の時代だがア
ギト(2001年)の映画のメイキングでは誰もが一番観たいゲストの藤岡
氏のシーンがなかった。しかし時代は進み「紅白の舞台裏を紹介」など、
世の中が舞台裏を見せるのは当たり前となり、薩摩氏の息子さんが撮影
現場を見学する企画がバラエティ番組でもあり、薩摩氏は落し穴の距離
感を間違えて地下道に足を取られてコケる芝居が本当にコケて取り直し
になり、撮り直した方がコケ方にリアリティーがないとNGとなる笑え
る部分もあったが(建物セットと落し穴を作り直した人の気持ちは?)
ほとんどがハードなアクションで、最初は自分が入りたいと言っていた
息子さんだが、何度も失神して覗き穴からボンベの酸素入れてもらいヨ
ロヨロと立ち上がるボロボロな父親の姿にショックを受けて「自分には
無理だ」と青ざめた顔で呟いている。ゴジラ人気は人気怪獣を呼ぶ事に
より安定していたものの、トライスターの海外版の企画が進み、国内作
品はゴジラが死ぬというショッキングな結末が1995年・年末に VSデスト
ロイヤで準備され完結の形となった(すぐ国内作品が復活する事は予想
できたが)。薩摩氏は「象の墓場みたいに人知れず死ぬと思っていたの
で人前で死ぬのはショック」と言っていたのを思い出す。薩摩氏は自分
の演じたゴジラ達と今は楽しく昔話をしているのだろうか???
~PS~
筆者の弟・アギトは特撮ファンではないが、旧1号とゴジラだけ
好き。落とし穴と息子さんの見学の紹介番組は別々のものらしい。
● 平成ゴジラの薩摩剣八郎氏の追悼リンク集 ● - ゼロロク第2計画
さよなら、平成ゴジラ(のスーツアクター…泣)-ゼロロク第2計画ゴジラ(1983年年末)からVSデストロイヤ(1995年)までゴジラの中身を演じた薩摩氏が亡くなった。追...
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