南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆インドネシアキニ

2012-04-15 22:43:11 | 情報

1186 カリマンタン ティムール(東カリマンタン)はジャングルの中のどこを掘っても石炭が出てくるという感じがする。上空から見るとあちこちに露天掘りの現場がる。マハカムをはじめブラウ沿いの大河にも石炭を積んだ超大型の箱舟をタグボートが引っ張っている姿が多くみられる。石炭を燃料として使うだけではなく、プラスチックの原料や価格製品の原料にしたらいいと思うのだが、それをできる研究が遅れているのでしょう。もったいない話です。

天然ガスも埋蔵量を確認できないくらい豊富にでる。陸にも海にもガス田がる。ガソリンの不足は、買占めと汚職の元になっている。インドネシア政府は家庭や屋台の燃料を灯油からLPGに変えたように、車もLPG車の生産と利用を奨励したらいいと思うのだが、そんな話は全然ない。日本の車メーカーも試作車を作ってプロモーシャンをしたら、インドネシアのためになると思うのだが、その気配がない。

プルタミナは天然ガスのステーションを増やしている。それを有効利用したら天然ガススタンドも容易に増やすことができると思う。

 

スカルノハッタ空港の車のお泊り費用は安いと思う。以前より安くなったような感じがする。チカランの自宅からタクシーで往復すると、ブルーバードで約60万Rpかかる。それに高速代はこちらが出す。

今回4泊5日で20万Rpだった。ガソリン代が20Lは使わないので9万Rp以下である。費用は半分以下で済む。10日くらい泊めれば、同じくらいになりそうだ。

11日に2004年12月に大地震と津波に襲われ10何万人犠牲になったスマトラの最北端、アチェで地震があった。津波はあったが、一部の場所で2メートルと、たいしたことはなかった。地震と津波による犠牲者はなかった。しかし、このとき10人亡くなった。原因はショック死3人、パニックで逃げるときの交通事故で7人亡くなったのでした。この人たちは、地震による犠牲者なのでしょうか。

刑務所の3mの高さの壁が200mにわたって外側に倒れていた。収容されていた人はどうしたか、ニュースでは聞き洩らした。

 

東カリマンタンのBerauから南東6時間ジャングルを抜けるとBiduk-Bidukの海岸に出た。翌日の朝のそこら辺り、たまたま、牛が一頭サンライズを眺めるために海岸を散歩していた。朝日はスラウェジ島の方角から上る。

 天然ガス 石炭 原油

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(^_-)-☆旅から戻った

2012-04-14 22:16:40 | 喜び

11853 5:30にプンギナパンを出発、7:30発の予定が8:30弐なってしまった。スリウイジャヤでバリクパパン、ジョクジャ経由でジャカルタ到着が12:30でした。ブラウ、バリクパパンの東カリマンタンはバリとおなじで、ジャカルタタイムより1時間早い、日本より1時間遅い。チカランの家に戻ったのは15:00、順調でした。

グラウからバリクパパンまでがSJ233でした。バリクパパンからジョクカルタ、ジャカルタはSJ231でした。しかし、同じ期待でクアビンアテンダントもそのまま、結局、ずっと、乗っていたのは私一人でした。おかげで、ケータリングを彼らから3食、受け取って、顔も覚えられ、別れる時には、私だけに、向こうから笑顔でお礼を言われた。と、私はそう思っている。

ネットに接続できずにストレスが溜まっていたが、開放された。ローディングが速いのは、気持ちがいい。

今回行った場所は、とにかく、インドネシアの中で行くところがなくなってしまっているので、無理やり見つけた感じでしたので、かなり難しいところでした。移動に時間がかかったし、その移動の光景が、何もない海の上か、ジャングルの中によくぞ作ったという感じの道でした。事前に一応サテライトからの写真でチェックしておいたが、近ずくとぼけてしまう写真しかなく、それには町や道はほとんど見えず、見えるのはジャングルだけでした。地名もその地図にはなかった。Berauの空港もどこにあるのか衛星写真で確認できなかった。Tanjung Batuタンジュン バトゥという岬の港も確認できていなかった。ビドゥクービドゥクのラブアン チュルミンもネットで名前を知っただけで場所がどのあたりか分かっていなかった。本当に行き当たりばったりとはこの事でした。

それに、島へ行くのに港の地元の人に聞いても、Derawanデラワンという島がどこか知らない。MaratuaマラトゥアKakabanカカバンSanglakiサンラキなどといっても分らない。

かの老人と海の爺さんにDerawanで会ったのがラッキーでした。15:00に出発して18:00過ぎにはその辺りの島を全部回ったのでした。だから、次の日に一日かけてジャングルの中を南下してBiduk-Bidukまで行けたのでした。行き当たりばったりにしては、目的は十分果たした、訪れようと思っていた場所に全部ゆくことができた。

 

こういう場所へ行ってみると、その辺りの人達も地元のことをほとんど知らないことを思い知らされる。ブラウのプンギナパンの従業員にブラウの空港まで何分で行けるか聞いても、知らないという。知らないといわない人は1時間ぐらいだという。実際は15分である。時間とか距離に関して無関心のようだ。何キロメートルくらいあるかと聞いて答えられる人は一人もいない。ATMのブルサマがあるところならどこでもいいから、教えてと聞くと?マークが頭の上に現われてしまう。ブラウは大河に沿った町だ。川の名前を聞いたが誰も知らない。結局、私も知ることができなかった。

そんな中で日本人の爺さんが一人であっちこっちへ行くのだから、どうなってしまうかわからないところが面白いですよ。

真っ暗なジャングルの中を車で進んでいても、不安は全くありません。あるのは、この先がどうなっているのか知りたい気持ちだけです。

写真は、ブラウからバリクパパンへ飛んだ時上空を通過したスンガイマハカム(マハカム川)です。ちょっと醜いが、中央に、去年落ちた橋がまだそのままの状態になっているのが見えますか。下流(上の方)がサマリンダです。大河でしょ。

もう一枚はスカルノハッタ空港で遭った、日本のバス、止めてほしい時に押すボタンがあったので、押してみたが、何も鳴らなかった。

 快感 自己満足 気楽

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(^_-)-☆ネット接続できず

2012-04-13 22:31:35 | 行きすぎ

1184 Berau(ブラウ)のホテルにいるが、ネットに接続できない。どうしようもない。明日、ジャカルタへ着いてから送信するしかない。今日はあきらめた。

今回の最大の目的地、Danau labuan curmin(ラブアン チュルミン)鏡のような港、とでも訳すのでしょうか、水は石灰岩を通って湧き出ているので澄み切っている上に、高い木々に囲まれているので風が水面を波立たせないようで、鏡のように平らである。

インドネシアには、特にジャワ島では、湧いて出る水自体がすでに茶色み掛っていて、海にそそぐ頃には完全なチョコレート色になっている。代表的なブンガワンソロも清き流れ、と、日本語の歌詞が付けられているが、真っ赤なウソ。清き流れなどどこにもない。途中でも川の中を見ることはできない。

しかし、スンガイ マハカムの上流もそうだったが、この辺りは島が石灰で形成されているので、綺麗な水がどこでも湧き出ている。直接飲める水である。上流に人が住むことを禁止していると聞いた。余りのも澄んでいるので、誘惑に駆られて泳いでしまった。それほど冷たくなかった。多分20℃以上はあったでしょう。石鹸で体を洗いたい、と、冗談を言ったら、禁止されている、と、真面目な顔でそこの人に言われてしまった。泳ぐのは良いが、マンディは駄目だという。

パンガンダランのグリーンキャニオンも石灰岩層からの湧水で、綺麗ではあるが、上流まで生活に依る汚染水が流れているので、ここには敵わない。もっとも、このことが言えるのは、インドネシアだからであって、日本なら、普通にある川の方がよほど澄んでいて綺麗だ。日本なら、観光地になりようがない。

  

  

観光で訪れる人は非常に少ない。オランダ、オーストラリア人が偶に来るらしいが、日本人が来たという話は聞いていないと、地元のポリスが言っていた。日本にサムライや忍者は今でもいるのか、などと、下らない話しかけ方をしてくるので、今でも、刀を持った人が町を歩いているし、忍者は探偵の仕事をしていると、説明しておいた。

 

返りはまた6時間きっちりかかった。途中、雨が降ったり晴れあがったり、車中の温度調整が難しい上に昨日より明らかに凸凹が増えて深くなっている、難行は昨日以上だった。しかい、一応今回の目的は達成した。

 

プンギナパンへ入ったトタンに停電になった。その上ネットにコネクト出来ない。

 澄んだ水 貴重 水泳

 

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(^_-)-☆もっと厳しい

2012-04-12 08:41:54 | 旅行

1183 三日目、9時にデラワン島を出発し、9時半にタンジュン バトゥに上陸、直ちにグラウへ向かう。グラウからビドゥックビドゥックのダナウ ラブハン チュルミンへ出発、到着したのが夕方6時を回っていた。スピ-ドボートが30分、車が8時間以上の旅でした。

其の厳しさは、きのうのボートのとび跳ね方以上で、尾てい骨の皮膚が完全に一皮剥けてしまってヒリヒリしている。それというのも、目的地へ向かう道の悪い事、半端じゃない。アスファルト舗装は行程の三分の一程度、それも、ジェットコースター並みの急な登りと急な下り、エレベーターの上り下りを繰り返しているような、浮き上がりと抑え込みの繰り返し、それも、上りの頂点の先が見えないので、ハラハラする。三分の二はホそうが無い凸凹道、洗濯板のような飛びはね道は続く、ヒドイのは雨水が溜まってしまった低い場所、ジュルジュルの上に深さがわからない。それも、左右の深さが当然違う。車はダッチロールの繰り返し、シートベルトをしていても座席から浮き上がるし、左右に体が大きく揺れる。そんな道が延々と続く、時速は20km以下である。四時間ほどそんな山道を進んで、下りにさしかかると、再びアスファルトの道になる。海岸まで近い、それまで、パームヤシのプランテーションだったのが、普通の椰子の実がなる、背の高い椰子の木のプランテーション地帯になった。東の海岸に出れば、今迄の辛さを吹き飛ばす、風光明媚な海岸にであう。海岸道路を南下すると綺麗な透明な川に何度も出会う。インドネシアの平地の川でこんな透明のはここだけかもしれない。明日のダナウ チュルミン(鏡のような湖という意味)が楽しみになって来た。

 

良くこんな道を作ったものだというくらいに、只、ひたすらジャングルの中を通る。道が悪い上に、景色など何もない。見えるのは、これでもかこれでもかというくらいのうっそうとした木々だけです。途中に小さな集落が在るが、電線が見当たらない。道路の脇にも電柱は立っていない。普通、道の沿って電線が張られているが、この道にはそれが無い、だから、その道の両側に僅かにある家々には電気が通っていない。何をして生計を立てているのでしょうか、時々、どこから湧き出てきたのでしょうか、子供が道で遊んでいる。不思議な情景だ。

とにかく試練の一日が終わり、プンギナパンに落ち着いている。

 

ガソリンがかなり不足している。どのガソリンスタンドも長蛇の列、バイクは一列では無く5列ぐらいの面で並んでいる。車の最高後尾は3時間待つという。面白いというか、ひどいというか、其のガソリンスタンドの真向かいでポリタンク20リットル、20万Rpで、堂々と当り前に売っている。ガソリンは4500Rpだから20リットルでは9万Rpが正規価格だ。警察が元締めをしていると言っていた。私が、写真を取っていたら、運転手が、制止しながら、そういっていた。

ヒドイ きつい 試練

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(^_-)-☆別人世界

2012-04-11 23:02:14 | 行きすぎ

1182 面白いですね。3月の終わりまで日本の大井川のちょっと西、高速道路のちょっと北の会社に往復三時間かけて通勤し、仕事みたいなことをしていた私が、今日は、インドネシアのカリマンタン島の東側のちょっと島から離れた島デラワン(Derawan)に来ている。島より遥かに拾いサンゴ礁に囲まれた美しい島です。前々、次元が違う場所にいます。気持ちが良い。

今朝、09:00頃、頼んだ車で、2時間、東の端の岬の港、タンジュン バトゥという処に着いた。そこから、モーターボートをチャーターし、30分でこの島に着いた。近くに二つしまが見えたが、人が住んでいるのはこの島だけだとか、リゾート地で欧米の若者がダイビングを楽しみに来ている。日本人を見掛けなかった。しかし、日本人もダイビングツアーで偶に来るそうだ。

 

まだ、ムシンウジャン(雨季)だそうだが、今日は、どう見てもムシンクマラウ(乾季)の雰囲気だった。天候は快晴、遠くの雲も良く見えたが、頭の上には雲ひとつなかった。積乱雲とその下に落ちているスコールが遠くに見える。日本には全くない風景である。

海岸にそって小さい島を一周(約、1.5Km)しようと歩いていたら、“老人と海”の老人のような人から、呼びとめられた。一人か?どこから来たのか?一寸ここへ座って話していったらどう?などと言っている。一寸話し始めたら、何のことはない、モーターボートを持っているから、もっと沖の遠くのサンゴ礁の島へ行かないかと誘ってきた。私は、明日行きたいと思っていた島だ。今から行けば夕方までに戻って来られるという。それなら、明日はまた別のところへ行けるので、その誘いに乗った。

その老人、62歳だという。私より6歳以上若い。その人も元気、海が引いていて、桟橋までボートを係留場所から100mほど歩いて引っ張ってきて、私を乗せ、また、100mほど沖まで引っ張って行き、そこから船外機を降ろして、スタートした。私は運転席の横に座らされた。後ろに坐ると船尾が砂についてしまって引っ張れないからである。スタートして、あなたは、酔いは大丈夫か、泳ぎは得意か、と、聞いてきた。おいおい、誘う前に聞くことでしょ、と思いながら、どちらも大丈夫と答えた。それならと、いきなりボートのスピードを上げた。長さ3~4m、幅2m弱の小型ボート、四人乗りだと思う。バンバンすっ飛ばし始めた。ジャンプと落下の繰り返し、酔いはしないが、尾てい骨が痛くなりそう、実際、数時間後には痛くなったしまった。

お陰さまで、各島に着くのが早い、予定では3時に出発で、7時、暗くなってから戻る予定だったが、6時まだ明るいうちに戻った。いずれも、島より遥かに拾いサンゴ礁に囲まれていて、周囲何百mの間は波が全くない、穏やかな湖のような状態、勿論、カラフルな熱帯魚ボートの上からも良く見える。

 

自然が十分に残っている島々で、一番印象に残ったのは、島に囲まれた湖のような海でした。200m幅の陸地上陸し、100mほど登りの階段が在って、100m程の下りの階段の向こうには内海が在る。静か、一人で、飛びこんで泳いでみたい気持ちになった。時間が無いので泳ぎはしなかった。

 

ウミガメの島、海亀と陸ガメでは、インドネシア語が違う。Punyo,Kura-kura(プニョとクラクラ)である。プラウ プニョというのがあって、一周1km位の島。全部が砂浜になっていて、毎夜、カメが10匹平均産卵に来るそうです。その島は管理人がいて勝手に上陸してはいけないことになっている。私たちは特別に了解を得て上陸させてもらったが、昼間なので、産卵を見ることはできなかったが、その場所の埋まっているという目印は何箇所も見ることが出来た。

 

途中、イルカ数匹が魚の群れをとび跳ねながら追っている風景にも出会った。この歳になって、色々な体験をさせてもらった。その操縦の荒っぽい爺さんに感謝である。

 

つい十日前までの私は、抑圧された世界に居たが、今は、十分に解放感を味わっている。しかし、他人に勧めることは出来ない、今回も以前、ロンボックのリンジャニへ登った時の様に、一人で良かったと思う。連れがいたのでは、決してしないことが、出来るのだから。

別人 別世界 南国

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(^_-)-☆旅に出た

2012-04-10 21:48:05 | インドネシア

1181 今、どこにいるかというと、私にもよくわかっていないところにいる。今朝、08:30頃、家を出て、空港へ向かい、ジョクジャ、ダリクパパン経由でグラウ(Gurau)

というところです。東カリマンタンでもサマリンダよりもっと北でもう少し北へ行けがマレーシアになってしまうところです。空港へ着いたのが現地時間19:30過ぎだったので、回りが全然見えない、どんなところにいるのか分からない。ホテルへ案内してくれとミニバスの運ちゃんに頼んだら、プンギナパンかという。ホテルとは云わないらしい。灯りが異常に少ない、かなり田舎の町に来た感じだが、案内されたところが、そういう場所なのか、もっと、賑やかな町が在るのか、今のところ、明日になってみなければわからない。

 何故ここにいるのかというと、仕事をしてはいけないわけで、その証拠作りの一環として、旅に出たわけだが、この近くに大変美しい、海と島と湖があると大分前にテレビで紹介されていたことを思い出したからである。透明度がずば抜けていいらしい。それだけである。

 電波の状態が非常に悪い、ネットにアクセスが難しい。ローディングが出来たりできなかったり、出来ても時間がかかるので、写真のアップが出来ない。その点でも、かなり田舎に来た証拠になる。明日、ホテルの外を見れば、どんな場所か想像が付く、どう過ごそうか、それから考える。

 

 とにかく、今は、何もわからない。

 気まま どこ カリマンタン

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(^_-)-☆トムキャット

2012-04-09 10:32:20 | 環境

1180 キャディの間では、邦人アパート殺人事件より、トムキャットの話題の方が主だった。というのも、キャディの一人がトムキャットに触ったかどうか、手がミミズ腫れになって仕事を休んでいるという。Tomcat戦闘機F1トムキャットではない。アリのように小さい動物だという。私がインドネシアへ来ていない3月の終わりのテレビや新聞でジャカルタとブカシ、タンゲランでトムキャットによる被害が出ていると報道されたらしい。バンドンでも発見されたという。

写真を見せてもらった。なるほど、私が子供の頃に、良くいた火傷虫でした。今の日本では殆ど話題にならないが、多分、絶滅してはいないだろうから、たまには蚯蚓腫れを起こして、原因が分からないという、こともあるでしょう。

インドネシアでは多分外来動物になるのではないでしょうか、もともと、熱帯に居た動物では無く、日本では一年中いたが、どちらかというと、寒い時期の方が被害が多かったようでした。姿についてはネットで調べればいくらでも出ている。ちょっと大きめな蟻といったところでしょうか、気持ちのいい、愛される様な姿では無い。

見たことがない動物なので、インドネシアでは、話題になったのだと思う。

トムキャットの何故命名したのでしょうか、それは分からないが、その名前だけでも、昔からいた動物では無いことが分かる。

「アオバアリガタハネカクシ」が日本名です。青羽蟻形羽隠なら、姿がちょっと想像できる。有りがたいからではありません。
 体液がペデリンという猛毒で、虫が歩いた後をさわるだけでミミズ腫れになるとか、一か所なら丸く湿疹や腫れが広がります。見つけても、決して触ったり、潰したりしてはいけない。もし虫の体液がついたら、すぐに水と石鹸で洗い落とし、冷やすのがいいらしい。

日本人が持ち込んだのかもしれませんね、とにかく、蟻のように小さい動物です。色は赤と黒ですが、真っ黒や黒っぽい茶色もいます。

 

私にとっては驚く動物ではありません、インドネシアはもっとほかのことで話題にし、対策を取った方が良いことは沢山あります。例えば、デングフィーバーです。

 

化粧パックの偽物を作る工程をテレビで紹介していた。格安の製品については、簡単に信用しないこと。買わないこと。買っても、先ず、手の甲に塗ってみて確認することを勧めていた。

 

毒虫 触らない トムキャット

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(^_-)-☆廃品回収マフィア

2012-04-08 22:10:04 | 行きすぎ

1179 インドネシアのどこもかしこも、分別収集ができないのは何故でしょうか。ゴミ関係、廃棄物関係は、政府、行政は口出ししないのです。口出しできないのです。ユドヨノさんも、知らんふりをしています。

それでは、どんな組織が牛耳っているのか、廃品回収業、廃棄物マフィアです。私たち、外国人では全く知ることができない闇の組織だと思う。もし、彼らが気に入らないことを、企業がすれば、どこかから、多くの人間が湧き出てきて、工場の出入り口の封鎖をされてしまいます。マフィアどうしも縄張り争いが在るし、既得権が在るのです。今までと違う業者に廃品を渡せば、たちまち、デモ隊がやってきて、工場の生産をストップさせられます。新しく進出した工場は、そこのところを十分、慎重に業者を選ばなければなりません。トップで挨拶に来たところに直ぐに任してしまってはいけません。

 

日系企業は例外なく、ISOの認定を直ぐに受けます。廃品の分別廃棄は常識です。マフィアはそこがおいしいのです。カートンケースや缶やボトルをしっかり分けてくれて、姿が痛んでいないのです。それらを粉砕して原料して別の製品を作ることはしない。其のまま横流しして使うのです。大変、合理的です。余分な手間を掛けずに偽物を詰め込んで市場に提供するのです。多くの日系企業はそういうことに協力しているのですから、一度掴んだ、日系企業を横取りされては、デモをするのも当り前です。

 

家庭ごみは、ゴミ拾いの末端の人が、ゴミ袋をあさって、そのまま使える物、粉砕すれば再生できるものだけを持って行ってしまいます。生ゴミや汚れた紙やプラスチックは散らかしたまま、残します。彼らは、まだ、夜が開けないうちに住宅地を巡回します。早い者勝ちだからです。

 

スーパー、コンビニ、町内、サービスエリアなど、どこにも分別ごみ捨て場は有りません。空港などの自動販売機の脇にもボトルの捨て場は有りません。私が思うに、そういうシッステムにすると、必ず、盗まれるからでしょう。マフィアに手を貸すようなものだからでしょう。それほど、マフィアの力は大きいのです。

 

日系企業のゴミ処理についてはマフィアが牛耳っているのは当然として、再生企業も彼らが握っているのです。日系企業が再生事業に進出しようとしても出来ないでしょう。BKPMから、定款内容に許可を得られないでしょう。エプテもプラスチックや紙の再生原料を作って売ろうなどという会社には許可が出るはずがない。

 

 洪水の最大の原因はゴミの詰まりです。インドネシアの大問題は交通アクセスとゴミです。大統領もどうしようもない。

 

 廃品回収 マフィア リサイクル

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(^_-)-☆なんでもあり

2012-04-07 22:27:50 | 環境

 

1178 やはり、インドネシアのゴルフは良い。一ヶ月ぶりである。ちょっと、留守をした、暫くのご無沙汰でしたという感じ。心地よい暑さの中、木陰に入れば涼しい風が清々しい。今日は皆さんから、例の事件についての話が出ていた。それぞれが持っている情報を出しきったようだ。私にとっての新事実はなかったが、ローカルテレビしか見ていない私の情報が一番、詳しいようだったし、広かったようだ。ただ、その日本人と一緒に先週ゴルフを一緒にやったとか、昨日、電話で話をしたとか、同じ棟だから、何回か挨拶したことがあるとか、彼女の顔を見たことがある、などと、そういう事を云う人もいた。

ジャバベカゴルフのメンバーだから、私も、あったことがあるはずだ、といった人もいたが、私は、その人の事を全く知らない。

その人は、どうするのでしょか、これから。

 

私には関係ないが、グッドゥフライデーで休日、昨日の夜から各キリスト教会では催しがあり、今日はそのピークになる。この時期、毎年、イスラム過激派による嫌がらせ、時には爆弾テロも起きる可能性が大きいため、その周辺の警備やチェックが厳しくなる。インドネシアのためのも、何も起きなければいいと思う。そして、大きな事件は無かったようです。

 最近盛んに流され始めたコマーシャルがある。アクア(AQUA)とアデス(Ades,コカコーラの水)である。どんな内容かというと、もっと飲んでください。というのではなく、飲み終わって捨てる時に両手で握って搾るようにつぶしてから捨てましょう。と、いうものである。要するに完全に潰してから捨てましょうというものです。リサイクル利用するにはそうした方が良いという。もし、それが趣旨なら、別にアクアに限らず、全てのペットボトルや缶類について、そうしましょうと、公共が流すべき、物である。ところが、政府も行政もそういう指導はしていないし、分別廃棄というか、種類に分けてゴミ捨てをしましょうなどとは全く言っていない。

 アクアが何故、そんなコマーシャルを流すのでしょうか。偽物を作らせないためです。家の前に出した、ゴミ袋を破って中味をあさるのは、ヤギや猫ばかりではありません。袋を担いだ人間さまが、紙やペットボトルを探すのです。ペットボトルと紙は粉砕して溶かしてそれぞれの製品の原料になる流れに売ることができます。というのは、日本。インドネシアは違います。ペットボトルは、アクアの偽物を作る闇のルートに売ります。偽物を作る工場は水道の水を入れて、全く、同じ封をして売り出します。インドネシア中の道端の掘立小屋販売所のどこへ持って行っても、それらは、売り出すことができます。ゴミあさりの人や子供は、ペットボトルだけでは無く、香水や化粧品のプラスチックボトルやガラス瓶も偽物作りルートに流れます。蓋やラベルや密封シールはどうするの?そんなものは簡単に作ります。

 アクアは偽物を作らせないためにそんなコマーシャルを流し始めたのです。すごいですね、インドネシアはイミテーションはどんなものでも作られていて売られているのです。先日もバリでアラック(地酒)の偽物を飲んでしまって亡くなった邦人がいました。

 

 これも、イミテーションかもしれません。日本語表示があるセンベイ、高いですね。300円近い。その他にも日本語表示のビスケットなど沢山ありますが、明らかに日本からの輸入製品では無い。その他の表示が日本語では無いし、有っても、日本語が間違えている。

もう一つは偽物では無い。シンコンチップスです。ポテトチップスではありません。インドネシアではクルプックと並んで、大変人気が在るスナックです。私も好きです。一袋50円くらいです。これはバーベキュー味と書いてありますが、ノリ塩味もあります。その他色いとナ味が在ります。

たくましい 何でも 偽物

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(^_-)-☆仕事は厳禁

2012-04-06 22:28:26 | 行きすぎ

1177 このことは、たびたび書いているが、1か月のショートステイビザで、入国した人は、会議に参加することくらいは、許されるが、仕事をしなくても作業服を着て、工場内に入ることもいけない。何人も何社もイムグレ職員に抜き打ちチェックをされ、なん百万円も払わされたケースを知っている。一つの会社で一遍に20人も検挙された例もある。知らなかったやちょっとの間だけという油断が落とし穴です。ついていなかったと片づけるには大きい支払いが生じます。
会社のセキュリティやホテルやアパートの従業員とイミグレ役人と連絡を密にしているのです。摘発すれば、何らかの報償が入るからです。
仕事をしてはいけないので、来週は旅に出ることにした。カリマンタン ティムールへの旅をするためのエアーチケットを入手した。往復、三万円くらいでした。目的地やそこでの過ごし方は大体、決まっているが、泊る場所やガイドなどは全く白紙、行き当たりばったりです。サマリンダやスンガイ マハカムは何年か前に行っているので、その辺りではありません。今から、もうすぐ遠足へ出かける、子供の様に、楽しみにしている。
インドネシアの新しいメールアドレスを手に入れ、使えるようになっているが、暫くは使わないようにする。多分5月中旬以降から使うことになるでしょう。

 装置を置く場所のレイアウトについて打合せをした。新しい仕事を受け入れてくれる日本人もインドネシア人も、なんだか、私より期待をしていてくれるので、話しに入りやすいし、彼らは、電気や機械の専門家揃いなので、多くを語らなくても、自分たちで何とかしましょうという感じで楽である。場所の準備は律速ではなく、日本からの装置が律速になりそうだ。
 ここへ来て、あわてても焦っても仕方がない。のんびりしようと思う。
 値上げが話題になっているプツタミナのガソリン価格は4500Rpですが、シャルの価格は倍します。ガソリン、ハイオク、ジーゼルの価格です。ジーゼルが安くないのも日本と違うところです。
 左がホテルサヒッドリッポです。右の奥がクラウンコートです。事件は右のA棟でした。明日早朝、ゴルフ仲間を迎えに行く。
チェック 密告 違反

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(^_-)-☆洪水と渋滞

2012-04-05 22:44:45 | 欲望

1176 2日 ジャカルタへ着陸するときの機体のローリングは今まで体験したことが無いほどひどかった。夕方6時過ぎだったが、真夜中のような暗さ、大雨と強風が吹き荒れていた。タクシーで空港を出る時も収まっていなかった。

もう、雨季が開けるころである。しかし、名残雨季が続いているようです。3日の夕方も大雨だった。南ジャカルタの洪水は広範囲で腰辺りまで達している。河川の氾濫の上に排水機能がマヒしている。今日も南ジャカルタと空港への高速道路の南側のタンゲランの洪水が伝えられていた。タンゲランでは一次、高速道路をバイクが使っていいという措置が取られた。南ジャカルタの洪水の原因はボゴール方面の大雨で川がジャカルタを通って南シナ海にそそぎこんでいるが、途中で横に流れ出しているためである。ゴミが流れを塞いでいるし、排水もゴミが邪魔をしている。空港方面の洪水は、高速道路が嵩上げされる前には、高速道路を洪水にしながら、南シナ海に流れ込んでいたが、流れを塞がれて、タンゲランに溜まってしまったためである。あちらの洪水を防ぐようにすればこちらが洪水になる。渋滞と同じで、今迄、渋滞になりやすいところを広くして流れやすくしても、渋滞はその先へ移動するだけである。雨水が溜まるところもそんなものです。もう四日も水が引いていないどころか、水かさが徐々に増している。

住人に深刻さを感じないのも、政府や行政が直ぐに対策や解消案を検討しないのも、学者がコメントを出さないのも、インドネシアらしい。

 

タイのように、日系企業が多く入っている工業団地が洪水になることはない。洪水地帯のタンゲランや北ジャカルタにあった日系企業のほとんどが、チカンペック方面の工業団地に移転した。

 

昨日の現地妻の殺人事件について、テレビで詳細に報道されていた。殺された女性の夫や両親や警備員へのインタビューが流されていた。契約妻の実態について、顔隠しの声変えの女性の何人かにインタビューをしていた。盛んに、日本人、日本人という声が聞こえていた。600US$位が相場らしい。リッポチカラン ブカシが、外国人が、特に日本人が多く住む新興都市として全国的に有名になってしまったようです。実際には韓国人の方が多いようですが。

 

16年以上インドネシアに住んでいて、日本人がカラオケの女性を殺してしまった事件は有ったが、こんな例は今迄になかった。たった3カ月前からの同居で、運が悪かったというしかない。色白のかなりの美人である。その日本人がほれ込んだのも仕方がない。

現地妻や住み込みのお手伝いさんなど外国人と同じ部屋や家に住む女性が無くなることはない。自然に生ずるシステムである。私も一人住まいは心配です。自分の身に何が起こるか分からない。そのためには同居してくれる女性もいればいいと思うし、一週間の内、何日か通ってもらえる人がいてほしいとも思う。ほとんどに人はカラオケで知り合った女性と合意のもとに同居するようになる。殺人の事件より、Istri kontorakの実態についても報道になってしまっている。

 

 装置の注文をするための、見積もりを依頼した。日本から入れる押出機や引取機だけでは押出成形ラインは完成しない。水槽などが必要である。

 

 ジャカルタのど真ん中のロータリーで小規模のデモに遭遇、右がホテルニッコー、左はハイアットです。もう一枚は旧市街の玄関、コタ駅である。ヨーロッパの駅の作りです。

 

 洪水 年中行事 契約妻

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(^_-)-☆衝撃が走る

2012-04-04 22:28:37 | 情報

1175 私が使う装置や設備の費用として必要な金額を投資することにしたので、そのことについて打合せをした。私のビザは一か月以内の滞在のいわば観光ビザです。この期間中は仕事をしてはいけません。作業服を着て工場内を歩いているだけでもペナルティの対象になります。だから、私は通常の服装で会議というか、打合せをするだけです。勿論、報酬を受け取ってはいけません。

私のポジションがまだ決まっていないので、ビザの申請もまだできません、おそらく、20日過ぎまで掛るでしょう。それまで、ゆっくりしようと思う。というか、それが、今のビザでの本当の過ごし方です。誰にも迷惑を掛けない過ごし方です。

2月末まで手伝っていた会社に客として訪問をした。ビジターの名札を貰って、中へ入って行った。皆さん、元気にやっている。仕事も徐々に増えているようでなによりです。インドネシア人スタッフは私の動向が気になるようで、しつこく、かまを掛けてくる。止めてしまっても私は引きとらないよと釘を刺してある。

 

クラウンコート(リッポチカランのサヒッドリッポとシロアム病院の間の道の奥のアパート)で、殺人事件がった。日本人と一緒に住んでいる女性が日本人が会社へ出勤している間に何者かにナイフでめった刺しにされたという。日本人が犯人ではないが、同居していたという事なので、きまりが悪い。新聞にその人の名前も乗ってしまっている。

クラウンコートは1996年私がインドネシアへ始めて来た時に半年ほど利用したアパートでした。その年に、ノイローゼになってしまったと聞いているが、日本人が8階から投身自殺をしたという事件もあった。

前の会社の人も数人このアパートに入っている。そう広くはないが、設備は全部整っていて、平均で1000US$くらいでしょうか。この価格は十数年前からずっと同じです。時々、ゴルフをする朝、日本人を迎えに、今でも行く。空き部屋がないほど人気が在るアパートです。韓国人の方が多いと聞いている。日本人はアパートではなく、一戸建ての高級住宅に入るようです。平均で1500US$以上が普通です。

とにかく、インドネシア人女性と一緒に住むにはその方が良いのでしょう。しかし、今回の殺人事件、皆さん、現地妻のような状態を、ちょっと、考えさせられたことでしょう。もっとも、一か月もすれば、何事も無かったような心理に戻るでしょうが。

 

ガソリンの値上げは引っ込めたが、6月からとか半年後にとか、必ず、近いうちに上がるだろうと噂されている。

 

桜の浅間神社二十日祭、満開でした。

 殺人事件 同居 現地妻

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(^_-)-☆当然引っ掛かる

2012-04-03 22:41:00 | 行きすぎ

1174 また、自由を求めてインドネシアに来ている。いつもの通り、06:20に家から出発し、08:30の成田エクスプレスを使い、ガルーダでは、T-1は初めてでした。
約一ヶ月ぶりのインドネシアですが、何も変わっていない。空港からタクシーで新しい会社に20:30に到着、新しい車を受取ってタマンセントサの家に入ったのが21:30でした。日本時間では23:30です。疲れた。
ガルーダのターミナルが1に変わっても戸惑いは何もなかった。北ウイングの一番奥がカウンターになっていた。私は始めて、チェックインの後直ぐにショートステイのビザの代金、25US$を払った。円やRpはだめ、US$でしか受け付けないので、近くの両替でUS$を手に入れた。
14番ゲート、私を呼びだしている。何事かと思って搭乗口へ行ってみたら、バゲジの中身があやしいから開けてほしい、という。例の蓄光顔料である。今まで、他人が呼び出されているのを聞きながら、なんで呼び出されているのだろうと思っていた。今日始めてその理由がわかった。今日も私の他に二人、呼び出されていた。私のは液体か粉体かはっきりしなかったが、金属の様に写ったという。MSDSを持っていれば問題なかったが、持っていなかったので、購入会社のウェブサイトでチェックしてもらった。その結果OKになった。もし、OK出ない時には、一時預かりで、帰国時に返す、らしい。
それで終わらず、ジャカルタ空港でもバゲジに案の定、チョークで印が何箇所に鮮明に着けられていた。隠しきれずにカスタムでバゲジを開けされられた。これも、内容物を説明して分かってもらった。それぞれ、5分程度のチェックと確認で終わったが、ジャカルタではもし説明出来なければ没収されているところだった。成田のチェックでOKになっているのだから、問題ないでしょう、という、一言が、一番効いたようだった。
それにしても、日本語と英語のMSDSを持っていれば問題なかったし、説明はいらなかった。可燃物は必ずといっていいほど取り上げられるので、缶に入れないで、ペットボトルに移し換えて持ち込むことが多いが、粉末の場合は金属やプラスチックのボトルに入れない方が良いようだ、ポリ袋が一番いい。なにはともあれ、安全シートMSDSを持っていることが重要です。
元々、顔料などハンドキャリーすることが間違っている。費用節約のためにやっていますが、他人には絶対、勧めません。商社を通して輸入するのが当り前のやり方です。
私の様にしたら、タダでは済まない、引っ掛かるようなことをしているのだから、必ず、何かある。引っ掛かります。
テルコムフラッシュ用のプルサを空港でバゲジが出てくるのを待っている間に買った。10万Rp二枚を入れたが、ここは高い、24万Rp払った。チカランの街中で買えば、21万Rpである。しかし、家に入ってから直ぐ使うには、途中で買うには店が閉まってしまっているので、空港で買うしかなかった。
 成田エックスプレスから何とかタワー、と、成田T-1の14番搭乗口付近
MSDS 安全シート プルサ

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(^_-)-☆いい加減にしたら

2012-04-02 11:12:02 | 変!

1173 多分、十年も過ぎないうちにこの種の話は消えてしまうでしょうが、今は流行っている。東の本大震災後、福島原発大事故後、地震とそれに伴う津波の大きさ、被害の甚大さの予測を見直すのが流行っている。それ以前は、全く、流行っていなかった。それも、1.5倍から2倍くらいの規模にしている。震度7とかM9以上とか、津波の高さが35Mとか、素人の私でも、適当に言えそうな数字を出してくる。相変わらず場所については東京直下型の脅かしと東海、南海を強調している。その場所が、一番、日本にとって被害が甚大になる地域だからです。悪いが、田舎の地帯にはそんなに張りきった警告を出す必要がないと思い込んでいるだろうし、脅かしが効きやすい場所について強調しているのです。面白いですね。

 どこに、何年以内に大地震が襲う可能性が何十%という予想と同じようなもので、来ないからといって何の責任を置くことはなので、とにかく、以前に比べれば、大きめにそして、確率を高めにしておけば良いのです。多くの日本人はそれで満足するのです。原発廃止論者にとっても後押しになる見解なのです。そして、彼らは、この予測さえ、もっと、規模は大きく、確率は高く、出して欲しいと思っているのです。満足していないのです。

 結局、この種のものは、気分的なものです。何の根拠も無いのです。根拠を示したところで、疑問を持って、理屈を着ければ、幾らでも着けられるシロモノです。

 私なら、全国どこでも震度8、M10、津波の高さ50Mとして起き、10年以内に起きる確率は90%以上にしておきます。全ての施設はそれに対応できるようにすることを提案しておきます。町作りも原発の立地も避難場所も皆、対応できるようにすることを提起します。

 何度も書いているが、地震学者の方々、口から出まかせのような数字出しは、みっともないと思いますよ。マスコミは仕方なく報道していると同情しますが、何も一面トップにすることはないでしょう。

先ほども福島沖が震源の地震がった。この地方の予測はどうなっていますか、東京のような直下型の警告はしないのですか、今のは全てが余震でしょうか、それとも、新しい地震でしょうか、3,11より以上の地震が数年以内に何%の確率で来るという予想はしなくていいのですか、ここ30年以内にどの程度の地震がどのくらいの確率であるか予想をしないのですか。とにかく疑問だらけです。

 

 日本最終日です。孫にせがまれて、ちょっとした祭り気分の町へ出かけて見た。50年ぶりに桜の時期の浅間さんの展望台まで行ってみた。中学の時には西から、高校の時には東側から、駆け足で浅間さんへ登り、百段は6年間で何百回上り下りしたことでしょうか。今でも百段へ行くと駆けあがり駆け下りてしまう。

百段を見上げた処と、孫の後ろに懐かしの母校がある。

予知 担保 保険予測

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(^_-)-☆セールス志望

2012-04-01 23:07:03 | 能力

1172 インドネシアのガソリン価格の値上げは延期された。国際原油価格が何%以上、上がったら、ガソリン価格を上げるという決議はされたが、その何%が決定されなかった。とにかく、これで、全国的な騒ぎは収まるでしょう。

インドネシアのメールアドレス(okta-okta@nanbu.net.id)は4月1日から使えなくなります。新しいアドレスは4月4日にはお知らせできます。
個人で持っているメールアドレス(kota02@y6.ne.ne.jp)なら、いつでも、どこでも受けることができます。同じく、HP(ハンドホーン)番号は、今迄通り08111007012です。

花粉症は治ってしまったのでしょうか、それらしき症状は現れなかった。自然に治ってしまうこともあるのですね。それが、いつごろから治ったのか確認できていない。

最期の投資になると思う。押出成形の工場を作る、ただ、場所は借りる。技術指導では無くて、少し、利益を上げる仕事をする。インドネシアでは、今迄、客先からの依頼をうけて物を作っていたが、今回は、私の製品を作る。そしてそれを売る行動をする。販売店への営業をするので、そのことは全くの初体験になる。営業という仕事を意識してやったことが無い。サラリーマンの時には営業ができるかと、聞いてきた話を、出来るといって、やっていた。社長の時には、口コミで話が飛び込んできた物を作っていた。インドネシアではやはり日系企業から、こんなものはできますかと聞かれて、出来ると言って、やって来た。ようするに、物を売るのではなく、技術を売る仕事をしていたので、営業に回るという行為は馴染まないと思っていた。こんな技術を持っていますが、そういう技術を使って作る部品はありませんかと、回る気はしなかった。それでも、どこで、どんな形で仕事をしていても、依頼は必ずあった。そして、インドネシアへ戻れば、必ず、仕事はくるでしょう。
ということだが、今回は、商品に名前を自分で付けて、カタログを作って、置いてもらえそうな店を回っておいてもらう事から始める。また、通信販売というか、ネット販売もする。
若いころから一度はセールスという仕事をやってみたいと思っていた。物を作る仕事が私には向いているというのは承知しているが、営業をやったって、並みの人より、売る自信はあった。一番やってみたかったのは車のセールスでした。自分が売って歩いて客先の反応を聞くことをしてみたかった。70歳近くになって、やっと、それが実現しそうである。自分にとっては、初体験になりそうなので楽しみである。多分、はりきってやると思う。
技術指導はそれに伴って誰かにしていることになる。
家の近所の桜、三分咲き
 セールス マーケティング ネット販売

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