2839 亡くなったダブルスのコンビとの記憶。静高の卓球部の時に、二年から三年にかけて、彼が主将、私がマネージャーをしていた。彼は、高松中学の時から知られた存在だったが、団体としては、私がいた末広には、勝てなかった。確か、彼はシングルでベスト8に入っていたと思う、私は16止まりだった。彼の方が強かった。高校に入って、直ぐに、私も彼も団体戦のレギュラーになった。というのは、その時、私たちより強かったのは、三年に一人、二年に一人しかいなかった。ダブルスはその二人が組んで、私たちはシングルだけに出た。当時、中学が市で優勝を争ったのが、安倍川と末広だった。三年生は、安倍中の出身、二年生が、私の先輩、末中からだった。
その人、現在、精華学園?高校、大学、良く知らないが、理事長かなんかやっているみたいだし、県の育英会の会長もやっているみたいだ。静岡県の事務長みたいな仕事、何年もやっていて、人事異動の新聞に顔写真が、乗っていたのを見たことがある。話はそれるが、その人、K,Mさんで、三番町小学校からずっと、私の近くの上にいた。ケイさんと呼んでいた。先輩が卒業の時に私が送辞を読んだ。その前の年、先輩が送辞を読んでいた、私の姉が、答辞を読んでいた。目立った人だが、結構、面白かった。いい加減な人だった。中学の時の逸話、先輩、三年の時、学校の風紀委員長をやらされていた。ある朝、風紀委員とその指導の先生が、遅刻生徒を見張っていた。先輩はその役目をしなければならない立場だったが、先輩自身が遅刻、そこで、門からではなく、離れた塀を乗り越えて学内に入った。それを、他の先生に見つかって、こっぴどく叱られたのを知っている。その次の年は、私が風紀委員長になっていた。
高校の時には、部のキャプテンだったが、部の仕事は、全く、マネージャー任せで、知らん顔、そのマネージャー、後に、中町にあった県の中小企業振興会の会長になったと思う。私は歩きで、片道一時間くらいかけて通学(三年になって自転車通学)していたが、練習が終わって帰宅する時、先輩の自転車の後ろに乗せてもらって途中まで一緒のことが良くあった。遠回りをして、焼き芋屋に寄ったり、黄金饅頭を食べたり、女学校(中学の時の知り合いも多かった)巡りをした。大学になっても、静大と梨大になったが、国公立の大会や静高の合宿でよく会う機会があった。国公立、北大での開催の時には、先輩、ベスト8まで行っていた。私がやっと32位以内だった。
で、同級のT.Y君の事、二年になると、先輩と彼がダブルスを組んで、私はシングルだけ、そして、もう一人のシングルは、一年生の服織中学出身のF君だった。彼は、北大をでて、地元の藁科?で動物病院を経営していた。
で、また、話が戻ると、二年の時には団体、県中部で二位、個人は8位以内だった。彼は、4位以内になった。二年の後半から、彼と私がダブルスを組むようになった。彼は左利き、一年の時から、私は彼といつも練習をしていた。彼にとって、私が一番良い練習相手だったから、彼が、私を離さなかった。試合形式で限りなく繰り返した。私は不満だった。実戦で、左利きと戦うことは無いにもかかわらず、いくら、私より強いからと言って、左利きだけとしか練習できないわけだから、右利きで相手になる相手は私にいなかったし、そうするしかなかった。当時、彼は中部で、シングルで準優勝、私は、矢張りベストエイト止まりだった。私が伸びなかったのは、彼の練習台になっていたからだと思っていた。何年か後に、彼に、それを言ったことがあった。すると、彼は、左利き相手に、私がいろいろ工夫して、勝とうとしてくれたことで、自分がうまくなったと言っていた。私を頼りにしていたと言っていた。
彼は、静大の夜間を卒業し、県の財務局?に就職し、そして、要職について長く、税務関係の仕事に携わっていた。どこかの税務署長になっていたと思う。左利きの彼とダブルスを組んで、団体戦では、県大会に行っても無敗だった。個人戦はあったが、ダブルス戦がなかった。有れば、ダントツで優勝していたと思う。顧問やコーチの先生がいない部だった。個人戦の決勝の時、既に準決で負けていた私は彼のコーチ役に回っていた。いちいち、私に、アドバイスを求めてくる、負けてしまったが、第三者的に見ると、絵になりそうだと自分で思った。まわりには、大勢の女学生(私たちの同級生、知り合いもおおい)が、彼や私を応援していた。中学の時、同じクラスだった人もいた。彼女は、彼がなくなったことを、直ぐに知ったと思う。その頃には、結構周りから意識をされていたと後から思う。私が緊張したのを覚えている。
当時、県の卓球協会の役員が、壇上にいて、見回していたが、各学校の顧問をしている人も多く、顔見知りになってはいた。中学の時に強かった生徒が、他の高校に進学して、出てきている。私を含めて、それほどでもなかった私たちが、コーチの先生もいないのに、自分たちだけで、中学時に負けていた他校の選手より強くなっているのには、感心していたようで、“お前ら、矢張り、静高生だな”と、妙に感心されたことがあった。
昨年の暮れ、彼のことを知って、書いたが、そういう歳になったのかなと思う。折しも、大学の時の応用化学同級会の案内のメールが入った。何故か、12月2日だそうだ。金曜日にするということと、送られた人数が30人、どう読めばいいのでしょうか。私は、行けない。その時、日本にいないから。
タンゲランの“こしひかり”5kgで15万Rp,安いし、美味しい、私はこれにしている。“富士光”は23万Rpだ。
ジャバベカ ファーマーズ マーケットの駐車場から、東の空を望む。
同級生 先輩 後輩