2085 本当は今日から別の会社に押出しは移っているはずだが、実態は今までのままである。私にも、予定がどうなっているのか分かっていない。曖昧なのはインドネシアらしいところか、とにかく、今月いっぱいは、ここを借りていていいらしい。社長になる人と話をしたが、彼は大変だと思う、38歳、若い、精力的に動き回っている、楽しそうだ。遣り甲斐を感じて充実しているようで、私も応援したくなる。私の若いころに似ているような気がする。
エポの申請に、再び行って来た。6日に申請してもらうことにした。16日前後に日本へ帰る予定だ。その折、昼食をソト クドゥス ブロックMで取った。本当に久しぶりで、多分、二年ぶりくらいではないか、もっとかもしれない。美味しい、私は二杯注文した。この写真の右にある皿の食べ物は、食べただけ払う。私は食べなかった。左に写っているジュルック、酸っぱい柑橘類、カボスのようなものか、ソトやソッ(スープ類)には、必ずと言っていいほど付き物です。私は、沢山もらって搾っていれます。
エステーマニス(アイスティー)とソト二杯とご飯で400円くらいでした。安いと思ってたべている。
10年以上使っているHPのバッテリーがチャージできなくなってしまった。いよいよ、老朽化である。チャージの信号は出ているのだが、一晩、充電していても、一向に、進まないのだ。溜まりかねて、ついに、バッテリーを買ってしまった。300円、もっと早く交換していればよかったと思う。
昨日通ったチカランの町の象徴のようなSGCです。このあたりがチカランの中心です。国道沿いに開かれた待ちです。1998年の暴動の時には、ジャカルタから国道沿いの東の町がターゲットにされました。ブカシバラット、ブカシティムール、タンブン、ティビトゥン、そして、チカランまで到達し、止まった。カラワンへは行かなかった。私は当時、チカランとカラワンの中間のルマーアバンに住んでいた。このSGCが小規模ながら、投石をされた跡を見たことがあった。この十字路、直行できなくなり、遠回りを強いられるようになった。
リッポチカランが開ける前は、こちらがチカランでしたが、今、チカランと言うと、リッポチカランの方かと思う人の方が多いと思う。リッポチカランに多くの日本人が住んでいるが、ジャバベカまで行くことはあってもチカランの町まで行ったことがある人はほとんどいないと思う。
先ほども、今までの蛍光灯直管タイプではなく。大型のPCカバーの見積もり依頼が入った。100mm幅だ。バンドゥンの照明器具メーカーからだ。パイプ26φ(外観は蛍光灯と同じ)を1.00US$./1140mmで見積もりを出した。安いのか高いのか、一般の人には分からないでしょう。
余裕 準備 見積り