Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

トニー滝谷

2006年07月18日 | diary
 サンディ・デニーを聴く朝。雨の朝。

 あれこれと盛りだくさんだった3連休もおしまい。楽しいこと、嬉しいこと、ちょっぴり悲しいこと、まぁいろいろあったけど、結局は、ずっと酒を飲んでた気がする。

 7月15日の日記に書いた、自転車2人乗りで帰っていった友人達の後日談。あれからしっかり警察に止められたそうな。そのせいで、ひとりは終電に乗り遅れ、タクシーで帰るはめになったとか。友人曰く「あの日、暴走族も走ってたんすよ。パラリ~パラリ~って。俺たちなんかにかまってないで、あいつらをなんとかしろって思いましたね」。確かに。ま、面白かったけど。

 昨日は部屋で『トニー滝谷』という映画のDVDを観た。イッセー尾形と宮沢りえ。ほとんどこの2人しか出てこないちょっと変わった短いお話。僕は以前に本も読んだことがある。本も良かったけど、映画も原作の不思議な感じがよく出ていて良かった。この原作を書いたのは村上春樹で、「昔、よく読んだんだ」と僕が言うと、「村上春樹を好きだっていう男の人って、童貞みたいで嫌だ」と彼女は言った。うーんと、そういうこともないとは思うけど(実際ないんだけど)、でも、なんとなく言ってることはわかる気がする。

 ビールを飲み、ワインを飲み、ジンを飲んだ。『トニー滝谷』を観て、サンディ・デニーのレコードを聴いて、ブリの照焼きを食べた。お昼にぱらぱらと降り出した雨は、夜になると少し強くなり、今ではもう少し強くなっている。

 そんな朝に聴くサンディ・デニー。強さの中に優しさを秘めた歌声を聴いている。

どんとこい

2006年07月16日 | diary
 なにやら秋から僕的来日ラッシュがあるようでして…。ポーグス、ブライアン・セッツァー(ほんとに3ピースなのかな?)と、せいぜいこれっくらいのつもりでいたのだけど、なんとジョアン・ジルベルトの再来日が決定。これはなにがなんでも行く。で、噂されていたビリー・ジョエルの来日も決定。これもやっぱり行っちゃうんだな。で、クラプトンもきっと来るだろうし、延期になってるU2だってそろそろ来かねない。他だってさ、きっと予想だにしないような人達がさ、何人か来る気がするんだよね。

 というわけで、貯金です。ビリーの『ニューヨーク物語』を聴きながら、貯金です。

 僕はけっこうお歳をめした方々のライヴを観に行くことが多いのだけど、これに関して「もうピークを過ぎてるわけでしょ?今さらクラプトンなんか観てもさぁ」とか言われることがたまにある。いいんだよ、そう思うなら観に来なくて。僕は自分にたくさんの幸せを与えてくれた愛する人達の音楽を聴きに行く。創造性に溢れた偉大な歌の数々を聴きに行く。今なお歌いつづける彼らの姿を目に焼きつけに行く。彼らが生きていることを実感し、同じ時代に自分もまた生きていることの喜びを確認しに行く。

 ポールやストーンズを観れるだけで僕は嬉しい。そして、そんな彼らのライヴを観る方が、ちっぽけな旬を迎えているであろうその辺のバンドのライヴを観るよりも、遥かに大きな感動を僕に与えてくれる。それは偉大な人生に触れるということだし、自分が大切に心や体を重ね合わせてきた歌達の存在を強く感じる瞬間でもある。そこには言葉を超えた心の交流があって、なにものにもかえがたい気持ちがちゃんとある。

 というわけで、貯金です。ジョアンの『三月の水』を聴きながら、貯金です。

 さぁ、どんどん来いよ。かたっぱしから会いに行くから。

“Thunder Road”を聴いてほしい

2006年07月15日 | diary
 先週はなんだかディープに酒を飲んだ。

 火曜日:同僚の送別会。終電までしっかり飲んで、同僚の車で僕の部屋へ。レコードをかけたりギターを弾いたりして、午前3時頃に終了。水曜日:地元のバーで飲む。この日はそこそこ。楽しく語らって、23時過ぎに帰宅。木曜日:清志郎が癌というニュースで、急遽飲むことに。で、かなりしっかり飲んだ。「終電→地元のバー→タクシー」という定番コースを辿り、午前3時頃帰宅。金曜日:急遽、友人2人が遊びに来る。で、かなりしっかり飲んだ。レコードをかけたりギターを弾いたりテーブルを囲んで踊ったりして、午前零時頃に終了。

 というわけで、なんだかよく飲んでたのだった。

 昨日遊びに来た2人は、高校時代の同級生。えっと、僕がという意味ではなく、彼ら2人がね。そろそろ30代半ばになろうという2人だけど、仲良く自転車を2人乗りして帰って行った。久しぶりに味わい深い後ろ姿を見た気がした。

 そもそも、そのうちの1人は、忘れてったレコードやCDを取りにきたはずなんだけど、飲んでるうちに事情が変わったのか、「やっぱり今日はいいや。また来ますね」ということになり、今度は病院でもらってきた血圧の薬を置き忘れていった。で、今朝になって、僕が外に出ようと玄関に行くと、そこには見知らぬサンダルが履き捨ててあり、代わりに僕の靴がなくなっていた。電話をすると「いやなんかMIYAIさんの靴を間違えて履いてっちゃって、どうもすみません。なんでああいうことになるんでしょうね?」と不思議がっていた。

 そんなわけで、忘れ物を渡すために、明日また飲むんだと思う。多分だけど。

 ちなみに今日はそこそこ。昼間っからビールを飲んでもまったくおとがめない雰囲気の、アジアの異国のような中華料理屋で友人とランチ・ビール。夜は、肉じゃがと焼きナスと何枚かのトラッドなレコードを肴に缶ビールを数本飲んだ。

 そして最後に“Thunder Road”をかけた。結局、それだけで、僕にとっては、特別な1日になったんだと思う。

Wish You Were Here

2006年07月13日 | diary
 昨日の日記、午前3時過ぎに書いたんだけど、朝起きて読み返してみると、ところどころに意味不明な箇所があったんで修正。いや、あのときは異常に眠かったし、けっこう酔っぱらってたもんで。いつもならそんなときに日記はつけないんだけど、シドの死のショックで気持ちだけは妙に高ぶってて、なにか書かずにはおさまらない感じだったんだよな。で、やめときゃいいのにアップしちゃったと。お恥ずかしい。

 昨日は店をまわってても、バーで飲んでいても、シドのことが話題になった。今日はシドを愛してしまっている店員さん(女の子)がいる店へ行く予定なんだけど、さて、どんな言葉をかけてあげればいいものやら。なかなか難しい。

 ジューン・タバーという人のレコードを聴かせてもらった。ブリティッシュ・トラッド。僕がこれまでまったく通過してこなかった世界だったりする。バート・ヤンシュとかサンディ・デニーとか、超有名どころの名前くらいは知ってるけど、彼らの音楽を僕は聴いたことがない。ジューンは美しいファルセットに近い声で歌う人で、冷たいわけじゃないんだけど、どこかひんやりしてるというか、凛とした雰囲気が、少しジョニ・ミッチェルに似ている気がした。気のせいかもしれないけど、初めてジョニの『Blue』を聴いたときの感覚と通じるものがあった。

 そんなわけで、帰ってからはジョニ・ミッチェルの『Blue』を聴いた。『Blue』、改めて名盤なり。

 それからピンク・フロイドの『Wish You Were Here』を聴いた。ピンク・フロイドはこのアルバムをかつての仲間であるシドに捧げている。録音をしているとき、シドは1度だけスタジオに姿を見せたことがあったという。コンソールの前に座って、「僕はなにをしようか?」とうわごとのようにつぶやいていたという。その変わり果てた姿に、メンバー達でさえも、彼がシドであることに気づくのに時間を必要とした。最初に気づいたロジャー・ウォーターズが「みんな彼が誰だかわかってるのか?」と訊ねた。「知らないよ」というメンバーの答えに、「彼はシドだよ」とウォーターズは悲しそうに答えたという。

 そんな風にして、“Wish You Were Here”は書かれ、“Shine on You Crazy Diamond”は書かれ、このアルバムは作られたのだろう。

 Wish You Were Here=あなたがここにいてほしい。

Thank You...

2006年07月12日 | diary
※酒と睡魔とショックで変な文章になってたんで、なおしました(a.m 11:00)。

 なんてことだろう。シド・バレットが死んだなんて。

 どう考えたらいいのかわからない。僕は彼の熱心なファンなわけじゃない。しかし、彼の光り輝く才能と、彼が失ってしまったある種の未来と、ここまで生きてきたことを知っている。

 昨日はみんなで飲んだ後、同僚がそのまま僕の部屋へ遊びに来た。僕がプレゼントしたレコードを一緒に聴き、僕がかけたバディ・ホリーやホール&オーツのレコードを、彼は楽しそうに聴いてくれた。それから、ギターを弾いてバディの歌を歌ってくれた。ウディ・ガスリーの歌も歌ってくれた。代わりに、僕はリトル・フィートとボブ・ディランの歌を歌った。

 それから僕らは、もう一度ホール&オーツを聴いた。時計は午前3時をさしていた。同僚は帰り、僕はパソコンを立ち上げた。そこで、シドの死を知った。

 享年60歳。シドの人生は、ジャニスやジミヘンやジム・モリソンやブライアン・ジョーンズのように、27歳じゃ終わらなかった。たくさんの悲しみとつきあいながらも、シドは、とにかく60歳まで生きた。

 つまり、きっと、そういうことなのだと思う。

 ありがとう、シド。今日はあなたの音楽に耳をかたむけたい。
 

Simon Smith and the Amazing Dancing Bear

2006年07月11日 | diary
 ニルソンの『Harry』を久しぶりに。つくづく名盤な1枚。捨て曲がまったく見つからない1枚。優しさに溢れた1枚。“Mr. Bojangles”は、数あるカヴァーの中でも、ニルソンのが一番好きだ。ニッティー・グリッティーもニーナ・シモンもいいけど、やっぱりニルソンだと思う。

 ニルソンと言えば、ランディ・ニューマンの歌だけをカヴァーしたアルバムがある。僕の「休日昼下がりアルバム」ランキングの堂々第一位であり、僕にランディ・ニューマンの存在を教えてくれたアルバムでもある。「ニルソンはランディの作る歌が本当に好きだったんだなぁ」とこれを聴くと思えて、そんなとこもあったかくていい。そういや『Harry』にもランディの名曲が入ってるね。これもいいよね。ちなみにランディのアルバムでは、『Good Old Boys』が一番好き。つくづくいい曲だらけの1枚。誰にでも無差別無関係に薦めてしまいそうになる。

 ランディ・ニューマンって、駄作なしとかよく言われるけど、駄作とまではいかなくても、そんなに面白くないアルバムもちゃんとある。クラプトンが出したいくつかのアルバムや、ミック・ジャガーのソロ・アルバムと同じくらいの退屈さをもったアルバム達(聴く人によって個人差があるわけだけど)。でも、クラプトンやミックやランディ・ニューマンだから聴けちゃうみたいな。そういうアルバムがあるのは、とても自然なことだし、そうじゃないとちょっと息苦しい。で、それらにはそれらなりの良さが、やっぱりあったりする。

 ニルソンなんか、ほんとにいいアルバムなんて、むしろ少ない気がするもんな。でも、それでかまわないんだ。なんていうか、僕はそんな風にしてレコードを聴いてたりする。

 同僚が今週いっぱいで会社を去る。いなくなるのはさびしいけど、決断は正しいと思うから、喜ばしくもある。結局、僕らには僕らの人生があって、それを大事にしないといけないのだと思う。今夜は一緒にお好み焼きでも食べよう。そして、ビールを飲もうと思っている。

アズーリ

2006年07月10日 | diary
 序盤からの激しい攻防。延長戦。ジダンへのレッドカード。一発退場。騒然とする場内。異様な雰囲気に包まれたスタジアム。PK戦。そして…

 イタリア優勝。

 ビデオに録画して、6時に起きて観たW杯の決勝戦。なんていうか、観てよかった思った。勝負の世界は厳しいけど、美しい。

ボブ・ディランな日曜日

2006年07月09日 | diary
 なんだかかんだかよく寝たのだった。昨夜は晩飯も食わずに寝て、今朝はゆっくりした時間に起きて、気がついてみると、24時間ほどなにも食べてない。それでも割と平気だったりする。どういうこってしょ?

 まぁ、いいや。風呂をあびてすっきりしたし、これからなんか作るとしよう。冷蔵庫にはきのこと玉葱があるんで、それでどうにかこうにか食べられるようなものを。で、ビールかワインを飲むとしよう。そして、ディランの『No Direction Home』を観るとしよう。

 おっ、なんかいい休日じゃん。楽しくなってきたね。

 昨日は、男としてちょっと自信をなくすというか、なんだか立ち直れないような出来事があった。もし今日が七夕だったなら、「あんなことはどうかあれっきりでありますように」と短冊に書くと思う。あんなことってどんなこと?と神様は思うかもしれないけど、はっきりとは書きたくないんだよねぇ。つーか、神様ならそれくらいのことは察してほしいと思う(と思う)。

 まぁ、そんなこんなを含めて、盛りだくさんだった土曜日は去り、ボブ・ディランな日曜日がやってきたのだった。

Bye Bye Blackbird

2006年07月07日 | diary
 Happy Birthday , Ringo!

 そう、今日はリンゴの誕生日。日本的には七夕でも、世界的にはリンゴ・スターの誕生日。なんと66歳になりました。おめでとう!おめでとう!生きててありがとう!世界的にというのは、きっと短冊に願い事を書いてる人よりも、星に願いをこめている人の方がずっと多いだろうということ。えっと、多分ね。でも、もし今日短冊になんか書く予定がありましたら、どうか僕の代わりに「リンゴがいつまでも元気でありますように」と綴ってやってくださいまし。あなたの願い事の片隅にでも。

 そんなわけで、今朝は『Sentimental Journey』をターン・テーブルに。なんとも味わいのある大好きな1枚。リンゴが歌う淋しげな歌が好きだ。なんていうか、基本的に僕は淋しそうな人が好きだったりする。リンゴもポールも、どこか淋しそうでしょ。きっと優しいから淋しいんだろうなぁと思う。

 昨日は楽しい夜だった。たまにしか会えないその友人との時間は、いつだって僕には特別なものだったりする。……で、飲み過ぎたりする。まぁ、昨日は問題ない程度だったけど。

 ほんとはリンゴを聴く前に、スプリングスティーンの『The River』かけた。さぁ、元気だしていこう!と思ったときは、つい選んでしまう。で、それからリンゴを聴いたと。そんな感じ。リンゴの歌は優しい。とても優しい。

Valentine's Day

2006年07月06日 | diary
 2006年W杯の決勝はフランスとイタリアという対戦カードとなった。うーんと、どっちを応援しようかな。デルピエロの彼らしいゴールが(特筆すべきものじゃないにせよ)なんとなく良かったから、彼が出るならイタリアかな。ジダンの輝きを観れるならフランスでもいいんだけど。

 ま、どっちでもいいや。最後まで楽しませてほしい。いい試合になりますように。

 昨日は考えるべきことがあって、いろいろ考えてた。スプリングスティーンの『Tunnel of Love』を聴いていた。ブルース・スプリングスティーン、37歳。今の僕とほとんど変わらない頃の歌声を聴いた。

 このアルバムでスプリングスティーンは、心の中に隠された複雑な情緒を詩情豊かに歌っている。それは、37歳という年齢に相応しくもあり、歳の割にはあまりにきれいだったりもする。アルバムがすすむにつれ、歌は次の歌を呼び込み、なにかが綴られていく。音楽の中で、スプリングスティーンは、直面する葛藤や悩みを静かに通り抜けていく。

 踏みとどまっていると思っていても、気づけばたくさんのことが変わっている。変化を求めても、実際には求めた変化が訪れるとは限らない。僕らはいつしかいろんなことにがんじがらめになりながら、あることをきっかけにふっと自由になったりもする。

 そうしたことの繰り返しは、ときに人をしんどい気持ちにさせる。でも、最後の最後で、スプリングスティーンは希望を歌う。いつものように車を走らせ、スプリングスティーンは、待ってくれている人のところにへと向かう。それはとても美しい歌で、このアルバムの中で僕が一番好きな歌でもある。
 
 道端に吹きためられた枯葉の音のせいだろうか
 俺が今夜この気味の悪いハイウェイを飛ばしているのは
 月の光を通して流れる川の叫びのせいだろうか
 俺が恐れているのはそれじゃない
 俺が恐れているのはお前を失うこと

 死ぬ夢を見たらベッドで死ねると人は言う
 昨夜俺は死んで白目がむきだし
 天国の光が降り注いでくる夢を見た
 暗闇の中で目が覚めたとき、俺は恐れおののき
 そして、死なないでよかったと思った
 俺の上を通り抜けていったと感じたのは
 冷たい川の底ではなかった
 実際にはおこることのなかった悪夢の恐ろしさでもなかった
 俺の腕の間を吹き抜けていったと感じたのは
 灰色の原野を渡る風ではなかった
 そうじゃないんだ、お前だったんだ
 だからしっかりと俺を抱きしめ
 いつまでも俺のものだと言ってほしい
 いつまでも俺だけのヴァレンタインだと言ってほしい