Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

I'm on my own

2006年01月06日 | diary
 なんでこんな寒いの?わけわかんね…。どうにか元気だそうと、ストーンズの『A Bigger Bang』をかけてみたりするんだけど、んでまぁいいんだけど、やっぱり寒いもんは寒いわけで。気分は“Tenth Avenue Freeze-out”。凍てついた十番街。

 and I'm all alone, I'm all alone
 and I'm on my own, I'm on my own
 and I can't go home

 つまり、心安らぐ居場所が自分にはないと、スプリングスティーンは歌っている。きっとこの歌は今日のような冬の日に書かれたに違いない(断言)。寒さは人に自分の中の孤独を思い出させるから。そして僕は恋しい人に会いたくなる。とても会いたくなる。幸か不幸か、そういうものである。まぁ、陽が昇ってあったかくなると、ちょっとは気分もましなってくるんだけど。

 結論:きっと沖縄に住めばいいんだと思う。

 やっぱりね、あったかいのは大事だよ。太陽ばんばんざいだよ。年中Tシャツ短パンでいてさ、ベルトなんかしないでさ、ウエストがどんどん太くなっていくゆるゆる人生。最高。

 こんなにやる気のない日が、こともあろうか今年の初出勤日。あと20分もすれば、僕は鎌倉にある事務所へ出かけることだろう。あー不幸だ。自分があまりに可哀想で涙が出る。こんなに寒くちゃ風邪ひいちゃうよ。どうしてくれんだろ。ねぇ?でもま、明日からまた3連休だからな。ちょっとは我慢しなくちゃいけないのかもな。

 しかし、すげー愚痴っぽい日記だ。いいぞ。今日はこの調子でいこう。

雪が降った日の“Thunder Road”

2006年01月05日 | diary
 甥っ子と俺。江ノ島大橋にて。ほら、安心して寝てるでしょ。仲良しでしょ。

 3日の午後、両親と妹一家と一緒に、江ノ島神社へお参りに行った。ここは参拝すべき主だったお宮さんが2つ3つあって、その他にもちっこいお稲荷さんなどがいくつかある。それらを全部まわるのは大変なので、たいていは、主だったものだけに立ち寄り、お賽銭を投げ、手を合わせていく人が多い。しかし、僕の親族はちょっと違っていた。

 母親:「(小さなお稲荷さんを見つけて)あら、こんな小さいのもあるのね」
 妹:「ほんとだ。誰もお参りしてないね」
 妹の旦那:「みんな通り過ぎていくよね」
 母親:「かわいそうだから、寄ってあげましょうか」
 妹:「そうだね。お参りしてあげようよ」
 妹の旦那:「かわいそうだからね」

 あの、なんか間違ってませんか?まぁ、面白かったからいいんだけど。

 その夜は、北海道に住む友人が泊まりにきた。これに共通の友人をひとり加え、3人でしばし旧交を温める。僕らは古畑任三郎をテレビで観て、『Born to Run』のメイキングDVDを観て、あとは飲んだり食ったりしながら、僕の引越し先についてなど、いろいろな話をした(僕は引越しをしようと割と真剣に考えている)。彼は昨日1日ここでゆっくりしてから、今日の午前中に今度は長野県へと旅立っていった。彼を駅で見送ったとき、外では雪がちらちらと舞っていた。

 僕と残ったもうひとりの友人は、ひとまず部屋に戻り、さして美味くないデリバリーの中華を食べた。それからスプリングスティーンの『Storytellers』をはしょりつつ鑑賞。奥深い言葉のひとつひとつに、毎度のことながら胸を打たれる。番組の最後に歌われる名曲“Thunder Road”。これを歌った後、スプリングスティーンはこんなことを言った。

 「言ってみれば、この曲は招待状のようなものだった。招待客はオーディエンスと僕自身。そして興味をもってくれた人達。僕が招待するのは…、長いこの世の旅だ。愛する人と一緒に行きたい。愛する人々と。そして心地良い居場所をさがす。幸運を祈っているよ」。

 そうあれたらどんなに素晴らしいだろう。そうありたいとずっと願っている。

正月の過ごし方その1

2006年01月03日 | diary
 眼鏡が悪いのか?帽子が悪いのか?それともその下の坊主頭が悪いのか?甥っ子はしばらく僕に心を開いてくれなかった。目が合うと顔をそむけてしまう。きっと彼には僕が誰だかわからなかったのだろう。おどかしてごめんね。

 でも、僕らは少しづつお互いの距離を縮め、仲良しに戻ることができた。甥っ子は僕がレゴでせっせと作った動物園を容赦なくぶっこわし、手渡したお年玉を僕に突き返した。こんなことって、よっぽど心が打ち解けてないとできないでしょ。ね、そうだよね?

 とにかく、僕らの間には笑顔がある。それでいいのである。

 それにしても、正月は食ってばっか&飲んでばっかだ。そしてよく寝る。おかげで腹は慢性的に苦しいし、寝過ぎで腰が痛かったりする。もしこんな毎日をつづけたら、さぞや不健康になることだろう。今年はいくらか体力を取り戻して、なまった肉体をいささかなりにもしなやかにしたいので、まぁ、こんなんじゃいけないなぁと思った。もっとしっかりと自分を管理して、常にベストな状態でありたい。

 僕がこんな殊勝なことを思ったのも、ひとえに甥っ子がもってきた犬のぬいぐるみを見たからである。僕は古いタイプの人間なので、ぬいぐるみといえば、動かない、しゃべらない。ましてやバック転なんかしない、と当たり前のように思い込んでいた。ところが、この犬のぬいぐるみは、そのすべてをやってのけてしまう。見事な着地を決めるぬいぐるみに、僕は盛大に驚き、「うーん、ついに犬のぬいぐるみがバック転を決める時代がやってきたんだなぁ」と、深い感動を覚えた。そのうちオリンピックとかにも、ぬいぐるみが出場する日が来るかもしれない。来ないかもしれない。

 そんな僕も、今年はとしおとこ。犬のぬいぐるみにはかなわないまでも、自分のできることを(そこそこでもいいから)頑張っていきたい。

Bruce Springsteenをよろしく

2006年01月02日 | diary
 年末に友人から、村上春樹が音楽のことをあれこれと書いた本『意味がなければスイングはない』を貸してもらった。以前、僕は村上春樹の本を割と熱心に読んだ時期があった。今はそうでもなくなったけれど、今でもあの頃に読んだ彼のいくつかの作品はほんとに素晴らしいものだったと思っている。どう考えてもひねくれたところのある村上氏が、小説を書くという行為を通して、なんとか誠実であろうとしているのは彼の作品を読めばはっきりとわかったし、僕はそんなところが気に入っていた。そして、あまりうまく言えないのだけど、彼の本から僕は、スプリングスティーンの音楽を聴くのに似た感覚をよく受けたものだった。

 『意味がなければスイングはない』の中で村上氏は、スプリングスティーンに関するエッセイを書いている。データ上の細かい間違いや、見解そのものがいささか偏ってはいるものの、物語の作り手として(音楽と小説という違いはあるが)同業者ならではの視点で語られる言葉には、その是非を超えたところで、強い説得力があった。言ってることも、8割くらいは本質をついたものだと思う。…なんてこと書くと傲慢に思われそうだけど、おそらく僕は村上氏よりも長い時間とリスクをかけてスプリングスティーンの音楽を聴いてきたと思うし、その間に心と体の大事な部分を、彼の音楽に深く重ねあわせてきたと思っているので、まぁこれくらいは言ってもいいかなぁと。駄目かな?

 まぁ、いいや。なんであれ、彼のような人がスプリングスティーンのことを正しく捉えているのはよくわかる。そして、こうして自分の本の中で話をしてくれることには、あまりにスプリングスティーンへの認識の薄い日本においては、それなりの意味があることだと思う。
 
 というわけで、この本の中から村上氏の言葉をいくつかご紹介。かなりあざとく。

 「僕は70年代から80年代初めまで、ロック音楽にほとんど興味をもつことなく生きてきたのだが、ブルース・スプリングスティーンのレコードは折をみて聴いていた」、「(“Hungry Heart”の歌詞に触れ)ロックン・ロール.ミュージックが、これほどストーリー性のある深い内容の歌詞を与えられたことが、その歴史の中で一度でもあっただろうか(注:この後にボブ・ディランはそうではないという説明がはいる)」、「(“Born in the U.S.A.”の歌詞に関して)ロック音楽史上で、これくらい誤解を受けた曲もないかもしれない」、「『Born in the U.S.A.』は客観的に見て、きわめてよくできた、見事なアルバムだし、当然の結果として商業的な成功を収めた。それも圧倒的な成功だ。僕自身もずいぶん何度もターンテーブルに載せたものだ。(中略)まさかここまで売れまくり、社会現象化するとは、ブルースもランドウも予期しなかったのだろう。そしてその予期せぬ「ぶれ」はブルース・スプリングスティーンの人生に、少なくともしばらくのあいだ、陰鬱な影を落とすことになる」、「(そういうこともあって)スプリングスティーンは80年代半ばから、芸術的な転換を試みることになった。彼がやろうと志したのは、一言で言えば、ワーキング・クラスの抱えた問題を、ワーキング・クラス固有の階層的問題としてではなく、より広範な、(中略)時代や階層を超えた「救済の物語」にまで昇華していくことだった。それはとりもなおさず自らを、人間的に、芸術的に、道義的に、もうひとつ上のステージに押し上げていくことでもあった」、「(その結果生まれた作品)『The Rising』をまだお聞きになっていない方は、是非この素晴らしいアルバムを聞いていただきたいと思う」。

 そして、村上氏は、この同年齢のロックン・ロール・シンガーに対して、「(こんなことを言う自分を)あつかましいとは思うものの」、つい密かな連帯感を抱いてしまうと言って、このエッセイを締めている。

 「僕が1970年前後、東京でなんとか生き残るための努力をしていた頃、ブルース・スプリングスティーンもやはり同じように、このうらぶれたアズベリーパークの町で悪戦苦闘していたのだ(注:村上氏はかつてニュージャージー州で暮らしていたことがある)。それから30年以上の歳月を経て、我々はそれぞれにずいぶん遠い場所にまで歩を運んできた。うまくいったこともあるし、うまくいかないこともあった。そしてこれからも生き残るために、それぞれの場所で、それぞれの闘いをつづけていかなくてはならないはずだ」。

 ほらね、ちょっといい話でしょ。どうですか?聴いてみたくなったりしませんか?今年もブルース・スプリングスティーンをよろしくお願いいたします(あつかましいんだけど)。

A Happy New Year 2006

2006年01月01日 | diary
 『Born to Run』が流れる部屋からあなたのいるところへ。新年のご挨拶。

 明けましておめでとうございます。
 今年もどうぞよろしくお願いします。

 大晦日は友人達と夕方から飲みはじめ、がんがん音楽をかけまくり、年を越す頃にしっかり年越しそばを食って、無事にニューイヤーを迎えることができた。「あけましておめでとー」と乾杯し、ディランの“Like a Rolling Stone”をでっかい音でかけた。それから“Thunder Road”をかけて、また“Like a Rolling Stone”にもどって…。もちろんこの強引な流れは僕の仕業です。だって、そうしたかったもんで。

 それから近所の神社へ初詣など。ずらっと並んだ列の後ろにくっついてみると、なんとなく正月っぽい気分になった。お賽銭を投げて、昨年と同じことをお願いした。変わらない気持ちを心に刻む。おみくじをひいたら中吉だったんだけど、枝に結ぼうとしたところびりっと破れる。「縁起わりー」とそのまま火にくべて燃やしたんだけど、そんなことしてよかったのだろうか?寒空の下、おみきをいただき、甘酒もいただく。うまかった。

 午前5時頃、友人達は去って行き、僕は誰もいない部屋へ戻って、寝た。で、さっき起きたとこ。ポストにきてた年賀状を取ってきて、しばし眺め、今はこうして今年最初の日記をつけている。ちらかった部屋をかたづけたら、今日は実家へ。

 とりあえず始まりました2006年。いい一年にしよう。