14日は同級生の結婚式に参加しました。しかし、ただの結婚式ではありません。1334年に創建された龍勝寺(伊那市高遠町)で、第43世の住職をしている同級生の結婚式だったのです。初めて、「仏前結婚式」に出させてもらいました。
龍勝寺本堂 - 我々が普段目にするお寺の本堂とは雰囲気が違いました
式師(式の立会人)をなされた木村励雲老師の説法で、「今日はおめでたい日ではあるが、同時に、これから平凡と繰り返される日常の出発点でもある。日々助け合い、仏様に生かせれているのだという気持ちをもって慎ましく年月を重ねていきなさい。」という言葉には重みがありました。
式師だけでなく、住職をしている同級生も、お寺という特殊環境のなかで、日々淡々と仕事をこなし、仏道の修行に励んでいます。
自分はどうだろうか?仏道ならぬ英語道において、妥協や自己満足はないだろうか?日々のルーティーン的な勉強を、当然やるべきものとしてやっていただろうか?
自分が生きていけるのは英語があるから。そして、その英語を必要としてくれる人がいるから、自分が生かされている。
今一度、謙虚で真摯な姿勢で英語に取り組みなおし、自己を高めていきたい。なぜなら、私が生きていくには、英語しかないのだから。
今回の結婚式は、自分の英語道と人生について考えさせられた有意義な一日でもありました。
龍勝寺本堂 - 我々が普段目にするお寺の本堂とは雰囲気が違いました
式師(式の立会人)をなされた木村励雲老師の説法で、「今日はおめでたい日ではあるが、同時に、これから平凡と繰り返される日常の出発点でもある。日々助け合い、仏様に生かせれているのだという気持ちをもって慎ましく年月を重ねていきなさい。」という言葉には重みがありました。
式師だけでなく、住職をしている同級生も、お寺という特殊環境のなかで、日々淡々と仕事をこなし、仏道の修行に励んでいます。
自分はどうだろうか?仏道ならぬ英語道において、妥協や自己満足はないだろうか?日々のルーティーン的な勉強を、当然やるべきものとしてやっていただろうか?
自分が生きていけるのは英語があるから。そして、その英語を必要としてくれる人がいるから、自分が生かされている。
今一度、謙虚で真摯な姿勢で英語に取り組みなおし、自己を高めていきたい。なぜなら、私が生きていくには、英語しかないのだから。
今回の結婚式は、自分の英語道と人生について考えさせられた有意義な一日でもありました。