電子政府が間違った方向へ進まないためにも、電子政府を評価することは大切です。しかし、そこには自ずと限界があります。実際に国民が触れるサービスを考え、作り、実践する人たちの理解と行動を伴わなければ、評価は「高みの見物」に終わってしまうからです。
電子政府・電子申請サービスの作り手や現場の人たちが、
「なぜ行政サービスを良くするのか」を考え、その結果、心の底から「行政サービスを良くしたい」と思うのであれば、
電子政府の評価など必要ありません。人材の不足に嘆くこともありません。
「行政サービスを良くしたい」をいう思いがあれば、お金や人が足りないことのせいにしないで、自ら勉強して、倹約と工夫を重ね、必ずやサービスは良くなるでしょう。
電子政府・電子申請サービスの作り手や現場の人たちが、
「なぜ行政サービスを良くするのか」を考えず、心の底から「行政サービスを良くしたい」と思わないのであれば、
いくらお金をかけても、いくら厳しく評価しても、サービスは良くならないでしょう。
それどころか、お金を得るために、サービスが良くなることよりも、評価を切り抜けることばかり熱心になってしまう(まるで、先生の前だけ良い子でいる成績優秀な生徒のように)危険があります。
電子政府を評価する側も、一歩下がって全体・大局を見るだけでなく、自らが積極的に現場と交流し、一緒に考え汗を流すことが必要なんですよね。
ということで、不徳な作者ですが、一生懸命がんばりまっす
電子政府・電子申請サービスの作り手や現場の人たちが、
「なぜ行政サービスを良くするのか」を考え、その結果、心の底から「行政サービスを良くしたい」と思うのであれば、
電子政府の評価など必要ありません。人材の不足に嘆くこともありません。
「行政サービスを良くしたい」をいう思いがあれば、お金や人が足りないことのせいにしないで、自ら勉強して、倹約と工夫を重ね、必ずやサービスは良くなるでしょう。
電子政府・電子申請サービスの作り手や現場の人たちが、
「なぜ行政サービスを良くするのか」を考えず、心の底から「行政サービスを良くしたい」と思わないのであれば、
いくらお金をかけても、いくら厳しく評価しても、サービスは良くならないでしょう。
それどころか、お金を得るために、サービスが良くなることよりも、評価を切り抜けることばかり熱心になってしまう(まるで、先生の前だけ良い子でいる成績優秀な生徒のように)危険があります。
電子政府を評価する側も、一歩下がって全体・大局を見るだけでなく、自らが積極的に現場と交流し、一緒に考え汗を流すことが必要なんですよね。
ということで、不徳な作者ですが、一生懸命がんばりまっす
電子政府評価委員ご苦労様です。
「評価の限界を知る」ということでしたが、限界はないような気がします。
現場で実施にやってみて、国税庁の場合は次々と改善してくださっていますが、それでもマダマダ利用率が高くないわけで、100%になるまでは限界ではないと思います。その方法として、やはり、実際に多くの申請申告をトライしていくことだと思います。
私も、ともかく少しでも利用率に貢献しようとやっています。やってみると、想像以上に難しいことがあるのと同時に、考えているより簡単であったりして驚くこともあります。すべてそれは、細かな減少でしかないかもしれませんが、評価していくことが可能です。
是非ともがんばってください。
どんどんわれわれを使ってください。
可能な限りご協力しますから。
電子政府推進員としてのご活躍、いつもありがとうございます。
ご指摘の通り、改善の余地はたくさんあり、仮に利用率が100%になっても、限界は無いと思います。
ですから、改善に繋がる評価ができるのであれば、評価にも限界は無いと言えます。
ただし、「評価があるから改善する」という発想でいる限り、改善の余地も限られたものとなります。
「改善したいので、色んな視点から評価してください」という発想であれば、改善の可能性は無限大となるでしょう。
「結果」は大切なのですが、それ以上に、「結果」を目指すにあたっての「動機」を大切にして欲しいのです。