・一橋大学教授で精神科医の宮地尚子先生、著書『環状島=トラウマの地政学』の中で、トラウマを抱えた人と、その人を取り囲む人間関係を『環状島』というモデルで説明しています。
・ここで皆さんに知ってほしいのは、悲嘆というのはとても複雑な感情で、人によって感じ方も違うし、体に与える影響も違うと言うことです。私は、悲しみによって、理性を失い自暴自棄になるのだけは止めようと思っていました。
・事件から10年以上も経ってから突然体に症状が現れました。それは、東日本大震災の直後のことです。・・・。画面に釘づけになってから数時間後、気がつくと全身がじんましんで覆われていました。かゆいと思ったときには、呼吸さえ苦しくなり、結局は入院することになってしまいました。
・明るい雰囲気を心がけ、できるだけ前向きにふるまう、それが新しい人生をスタートさするうえで大切だとわかっていても、そう行動すると逆に攻撃されやすい状態になってしまう。
・「時間は止まったまま」ではない
マスコミなどで、遺族の気持ちを表す常套句としてよく使われる言葉に「あの事件の日から、遺族たちの時間は止まったままです」というものがあります。こうした表現に、私はとても違和感をを覚えます。これも「『弱者』はこうあるべき」という思い込みの一つだからです。
・『飛ぶ教室』エーリヒ・ケストナー著
かしこさのともなわない勇気は、不法です。勇気のともなわないかしこさは、くだらんものです!
世界史には、ばかな人々が勇ましかったり、回顧委「人々が臆病だったりした時が、いくらもあります。それは正しいことではありませんでした。
勇気のある人々がかしこく、かしこい人々が勇気をもった時、はじめて甚るの進歩は確かなものになりましょう。これまでたびたび人類の進歩と考えられたことは、まちがいだったのです。
・心が弱っている状態に置かれると、つい自責の念を持ってしまいます。大切な人を失い、遺された者が抱く自責の念を「サバイバーズ・ギルト」といいます。
・悲しみから回復する三つの局面
1) 悲嘆を理解する
2) 悲嘆とつきあう
3) 悲嘆と和解する(自分の悲嘆を意味あるものにする)
・1995年に起きた阪神・淡路大震災では500人以上の子どもが親を失いました。そうした子どもたち(遺児)の心のケアに取り組むために、99年に設立されたのが「阪神レインボーハウス」です。今では震災遺児に限らず、病気や事故などさまざまな遺児の心のケアに取り組んでいます。そして、2006年に、全国の遺児の心のケアセンターとしてつくられたのが、「あしながレインボーハウス」です。
・夫は事件後、半年近く、仕事を休んでいました。・・・仕事(独立してレーシング・カーのエンジンの設計/イギリスを拠点)を休むことを即断してくれたことで、どれほど私や家族が助けられたかわかりません。
・人の悲しみや苦しみの体験を聴くことは、心を傾ければ傾けるほど、聞き手が消耗する作業です。聴く際には、文字通り耳を傾けて聴きます。しかし、心のケアの専門家といわれる人が、共感をもって真剣に相手に耳を傾けているとは限りません。自らが消耗することを避ける工夫を、身につけている場合が少なくないからでしょう。
・七回忌を迎える頃、私に転機が訪れました。きっかけとなったのは、絵本『ずっと つながってるよ こぐまのミシュカのおはなし』の出版です。
そして翌2007年には、事件やその後の出来事を綴った『おの悲しみの意味を知ることができるなら-世田谷事件・喪失と再生の物語』という本を出版することができました。
・もし、辛い体験をした私の話を聞いてもらうことがきっかけで、何かが変わるのなら、事件の話をきっかけに、さまざまな悲しみや苦しみに向き合い、共感し合える場を設けることができるのなら。そんな催しが実現したら、事件とは直接的に関係のない人たちにも意味のあるものになるのではないか。そう考えて始めたのが、現在も続けている「ミシュカの森」です。
・悲しみに向き合うことで、新たなつながりが生まれていく。そのことは、事件後しばらくはとても想像できなかったことでした。
・夫を失って(動脈乖離で享年60歳;事件から10年目)気づいたことがありました。それは、殺人事件で妹一家を奪われた時は、悲しみ以上に、怒りや悔しさがあったのだということです。理不尽な犯罪への怒りであり、何もできない自分への悔しさです。けれど、夫の死は、「これが本当の悲しみだったんだ」と改めて思い知らされるほどの辛さでした。
・『人間の土地』サン=テグジュベリ著から
自分が助かりたいとだけ望んでいると力が奪われてしまうが、待っていてくれる人を救いたいと思うなら、辛さ苦しさも生きるエネルギーに変わる。
・「ロスライン」というのは「喪失のカレンダー」のことです。自分の誕生から現在までを、横に線を引き、タイムライン(時間軸)に沿って、線の上に「喪失体験」を書き出していきます。
・かけがえのない夫の死と、それに続く悲しみ。そこから再生する鍵は、やはり喪失体験に中にありました。それは母の死です。母の看取りは、壮絶といえるものでした。介護者へのうっ憤をぶちまけたり、自暴自棄になって、自殺を試みようとしたこともありました。
・母の言う「役立たず」とは
母の目の病は、白内障の手術から始まり、緑内障を患い、黄斑変性症を併発して、急速に視野が狭まり、最終的には全盲となってしまいました。
母にとって時間の流れとともに目の光が失われていくことは、あたかも死神に後ろから追われているような恐ろしさだったのかもしれません。恐怖を抱えた中で出た言葉が「役立たず」だったのでしょう。
母や、「役立たず」になった自分を受け容れなかった。
・24歳で結婚した後、26歳の時に父が死んだことは、当然挙げられるべき喪失の大きなイベントです。
・私が悲しみからの再生を模索する中で、大きな影響を受けた人が二人います。
一人は末盛千枝子さんです。
子どもにも大人にも、人生の一番大切なことを伝えるためにすばらしい絵本を出版しています。
もう一人は、副島賢和さんという学校の先生です。
病気やけがで入院して、学校に行けない子どもたちのために病院内え授業を行っています。
・絵本『しあわせの3つのおしえ』
この絵本の表紙には、お母さん犬を見つめる子犬の絵が描かれています。新しい飼い主にもらわれていう子犬にお母さん犬が三つの教えを伝授しているところです。
1) 飼い主に従うこと
2) 道を渡る時、左右をよく見ること
3) 困っている人は助けること
・私自身も、悲しみから逃れたい時、本にはずいぶんと助けられました。
・被災地となった東北には、多くの方からの協力を得て、沢山の絵本を贈りました。
・『津波!? 命を救った稲むらの火』小泉八雲原作
・絵本『ぴくぴくビリー』アンソニー・ブラウン作
ビリーはとっても心配屋さん、いつもびくびくしています。いろいろなことが気になって、ベッドに入っても、なかなか眠れません。ビリーのおばあちゃんに話したら、小さな人形をくれました。「心配を引き受け人形」です。
・悲しい気持ちからの回復を探るためには、「自分の悲しみから少し離れてみる」ということが大切です。悲しんでいる最中にはそんな風にはとても思えないのですが、ちょっと離れて眺めてみると、「何であんなに悲しんだり、悩んだりしていたんだろう?」と思えることもあります。
びくびくビリーのびくびくを笑ってしまうように、自分のびくびく、くよくよ、めそめそが急におかしくなったりするのです。それは、落っこちてしまった穴からひょいとはい上がれるようになる瞬間かもしれません。読み取りの会に、辛い体験をした子が集まった場合、悲しみから離れた本を読むのは、そういう理由です。
・ラテン語に「メメント・モリ(memento mori)」という言葉があります。「いつか自分が死ぬことを忘れるな」「死を想え」という意味です。
感想;
事件から10年後、突然夫が動脈乖離で亡くなり、その後すぐに母を亡くされました。
妹家族を含め、8人だった家族が、今は息子と自分だけになったそうです。
悲嘆と和解すると言うことは、悲嘆を意味あるものにすることだと。
まさに、妹家族の殺害を伝えることをすることで、通常では縁がないような人々とつながり、それから活動が広がって行っています。
まさに意味あるものにして来られたのでしょう。
実際に多くの悲嘆を体験されたからこそ、伝えることができることがあるように思いました。
・ここで皆さんに知ってほしいのは、悲嘆というのはとても複雑な感情で、人によって感じ方も違うし、体に与える影響も違うと言うことです。私は、悲しみによって、理性を失い自暴自棄になるのだけは止めようと思っていました。
・事件から10年以上も経ってから突然体に症状が現れました。それは、東日本大震災の直後のことです。・・・。画面に釘づけになってから数時間後、気がつくと全身がじんましんで覆われていました。かゆいと思ったときには、呼吸さえ苦しくなり、結局は入院することになってしまいました。
・明るい雰囲気を心がけ、できるだけ前向きにふるまう、それが新しい人生をスタートさするうえで大切だとわかっていても、そう行動すると逆に攻撃されやすい状態になってしまう。
・「時間は止まったまま」ではない
マスコミなどで、遺族の気持ちを表す常套句としてよく使われる言葉に「あの事件の日から、遺族たちの時間は止まったままです」というものがあります。こうした表現に、私はとても違和感をを覚えます。これも「『弱者』はこうあるべき」という思い込みの一つだからです。
・『飛ぶ教室』エーリヒ・ケストナー著
かしこさのともなわない勇気は、不法です。勇気のともなわないかしこさは、くだらんものです!
世界史には、ばかな人々が勇ましかったり、回顧委「人々が臆病だったりした時が、いくらもあります。それは正しいことではありませんでした。
勇気のある人々がかしこく、かしこい人々が勇気をもった時、はじめて甚るの進歩は確かなものになりましょう。これまでたびたび人類の進歩と考えられたことは、まちがいだったのです。
・心が弱っている状態に置かれると、つい自責の念を持ってしまいます。大切な人を失い、遺された者が抱く自責の念を「サバイバーズ・ギルト」といいます。
・悲しみから回復する三つの局面
1) 悲嘆を理解する
2) 悲嘆とつきあう
3) 悲嘆と和解する(自分の悲嘆を意味あるものにする)
・1995年に起きた阪神・淡路大震災では500人以上の子どもが親を失いました。そうした子どもたち(遺児)の心のケアに取り組むために、99年に設立されたのが「阪神レインボーハウス」です。今では震災遺児に限らず、病気や事故などさまざまな遺児の心のケアに取り組んでいます。そして、2006年に、全国の遺児の心のケアセンターとしてつくられたのが、「あしながレインボーハウス」です。
・夫は事件後、半年近く、仕事を休んでいました。・・・仕事(独立してレーシング・カーのエンジンの設計/イギリスを拠点)を休むことを即断してくれたことで、どれほど私や家族が助けられたかわかりません。
・人の悲しみや苦しみの体験を聴くことは、心を傾ければ傾けるほど、聞き手が消耗する作業です。聴く際には、文字通り耳を傾けて聴きます。しかし、心のケアの専門家といわれる人が、共感をもって真剣に相手に耳を傾けているとは限りません。自らが消耗することを避ける工夫を、身につけている場合が少なくないからでしょう。
・七回忌を迎える頃、私に転機が訪れました。きっかけとなったのは、絵本『ずっと つながってるよ こぐまのミシュカのおはなし』の出版です。
そして翌2007年には、事件やその後の出来事を綴った『おの悲しみの意味を知ることができるなら-世田谷事件・喪失と再生の物語』という本を出版することができました。
・もし、辛い体験をした私の話を聞いてもらうことがきっかけで、何かが変わるのなら、事件の話をきっかけに、さまざまな悲しみや苦しみに向き合い、共感し合える場を設けることができるのなら。そんな催しが実現したら、事件とは直接的に関係のない人たちにも意味のあるものになるのではないか。そう考えて始めたのが、現在も続けている「ミシュカの森」です。
・悲しみに向き合うことで、新たなつながりが生まれていく。そのことは、事件後しばらくはとても想像できなかったことでした。
・夫を失って(動脈乖離で享年60歳;事件から10年目)気づいたことがありました。それは、殺人事件で妹一家を奪われた時は、悲しみ以上に、怒りや悔しさがあったのだということです。理不尽な犯罪への怒りであり、何もできない自分への悔しさです。けれど、夫の死は、「これが本当の悲しみだったんだ」と改めて思い知らされるほどの辛さでした。
・『人間の土地』サン=テグジュベリ著から
自分が助かりたいとだけ望んでいると力が奪われてしまうが、待っていてくれる人を救いたいと思うなら、辛さ苦しさも生きるエネルギーに変わる。
・「ロスライン」というのは「喪失のカレンダー」のことです。自分の誕生から現在までを、横に線を引き、タイムライン(時間軸)に沿って、線の上に「喪失体験」を書き出していきます。
・かけがえのない夫の死と、それに続く悲しみ。そこから再生する鍵は、やはり喪失体験に中にありました。それは母の死です。母の看取りは、壮絶といえるものでした。介護者へのうっ憤をぶちまけたり、自暴自棄になって、自殺を試みようとしたこともありました。
・母の言う「役立たず」とは
母の目の病は、白内障の手術から始まり、緑内障を患い、黄斑変性症を併発して、急速に視野が狭まり、最終的には全盲となってしまいました。
母にとって時間の流れとともに目の光が失われていくことは、あたかも死神に後ろから追われているような恐ろしさだったのかもしれません。恐怖を抱えた中で出た言葉が「役立たず」だったのでしょう。
母や、「役立たず」になった自分を受け容れなかった。
・24歳で結婚した後、26歳の時に父が死んだことは、当然挙げられるべき喪失の大きなイベントです。
・私が悲しみからの再生を模索する中で、大きな影響を受けた人が二人います。
一人は末盛千枝子さんです。
子どもにも大人にも、人生の一番大切なことを伝えるためにすばらしい絵本を出版しています。
もう一人は、副島賢和さんという学校の先生です。
病気やけがで入院して、学校に行けない子どもたちのために病院内え授業を行っています。
・絵本『しあわせの3つのおしえ』
この絵本の表紙には、お母さん犬を見つめる子犬の絵が描かれています。新しい飼い主にもらわれていう子犬にお母さん犬が三つの教えを伝授しているところです。
1) 飼い主に従うこと
2) 道を渡る時、左右をよく見ること
3) 困っている人は助けること
・私自身も、悲しみから逃れたい時、本にはずいぶんと助けられました。
・被災地となった東北には、多くの方からの協力を得て、沢山の絵本を贈りました。
・『津波!? 命を救った稲むらの火』小泉八雲原作
・絵本『ぴくぴくビリー』アンソニー・ブラウン作
ビリーはとっても心配屋さん、いつもびくびくしています。いろいろなことが気になって、ベッドに入っても、なかなか眠れません。ビリーのおばあちゃんに話したら、小さな人形をくれました。「心配を引き受け人形」です。
・悲しい気持ちからの回復を探るためには、「自分の悲しみから少し離れてみる」ということが大切です。悲しんでいる最中にはそんな風にはとても思えないのですが、ちょっと離れて眺めてみると、「何であんなに悲しんだり、悩んだりしていたんだろう?」と思えることもあります。
びくびくビリーのびくびくを笑ってしまうように、自分のびくびく、くよくよ、めそめそが急におかしくなったりするのです。それは、落っこちてしまった穴からひょいとはい上がれるようになる瞬間かもしれません。読み取りの会に、辛い体験をした子が集まった場合、悲しみから離れた本を読むのは、そういう理由です。
・ラテン語に「メメント・モリ(memento mori)」という言葉があります。「いつか自分が死ぬことを忘れるな」「死を想え」という意味です。
感想;
事件から10年後、突然夫が動脈乖離で亡くなり、その後すぐに母を亡くされました。
妹家族を含め、8人だった家族が、今は息子と自分だけになったそうです。
悲嘆と和解すると言うことは、悲嘆を意味あるものにすることだと。
まさに、妹家族の殺害を伝えることをすることで、通常では縁がないような人々とつながり、それから活動が広がって行っています。
まさに意味あるものにして来られたのでしょう。
実際に多くの悲嘆を体験されたからこそ、伝えることができることがあるように思いました。