幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「悲しみを生きる力に 被害者遺族からあなたへ」入江杏著 ”悲嘆と和解するとは悲嘆を意味あるものにすること”

2022-02-13 16:26:00 | 本の紹介
・一橋大学教授で精神科医の宮地尚子先生、著書『環状島=トラウマの地政学』の中で、トラウマを抱えた人と、その人を取り囲む人間関係を環状島というモデルで説明しています。

・ここで皆さんに知ってほしいのは、悲嘆というのはとても複雑な感情で、人によって感じ方も違うし、体に与える影響も違うと言うことです。私は、悲しみによって、理性を失い自暴自棄になるのだけは止めようと思っていました。

・事件から10年以上も経ってから突然体に症状が現れました。それは、東日本大震災の直後のことです。・・・。画面に釘づけになってから数時間後、気がつくと全身がじんましんで覆われていました。かゆいと思ったときには、呼吸さえ苦しくなり、結局は入院することになってしまいました。

・明るい雰囲気を心がけ、できるだけ前向きにふるまう、それが新しい人生をスタートさするうえで大切だとわかっていても、そう行動すると逆に攻撃されやすい状態になってしまう。

・「時間は止まったまま」ではない
マスコミなどで、遺族の気持ちを表す常套句としてよく使われる言葉に「あの事件の日から、遺族たちの時間は止まったままです」というものがあります。こうした表現に、私はとても違和感をを覚えます。これも「『弱者』はこうあるべき」という思い込みの一つだからです。

・『飛ぶ教室』エーリヒ・ケストナー著
かしこさのともなわない勇気は、不法です。勇気のともなわないかしこさは、くだらんものです!
世界史には、ばかな人々が勇ましかったり、回顧委「人々が臆病だったりした時が、いくらもあります。それは正しいことではありませんでした。
勇気のある人々がかしこく、かしこい人々が勇気をもった時、はじめて甚るの進歩は確かなものになりましょう。これまでたびたび人類の進歩と考えられたことは、まちがいだったのです。

・心が弱っている状態に置かれると、つい自責の念を持ってしまいます。大切な人を失い、遺された者が抱く自責の念を「サバイバーズ・ギルト」といいます。

・悲しみから回復する三つの局面
1) 悲嘆を理解する
2) 悲嘆とつきあう
3) 悲嘆と和解する(自分の悲嘆を意味あるものにする)

・1995年に起きた阪神・淡路大震災では500人以上の子どもが親を失いました。そうした子どもたち(遺児)の心のケアに取り組むために、99年に設立されたのが「阪神レインボーハウス」です。今では震災遺児に限らず、病気や事故などさまざまな遺児の心のケアに取り組んでいます。そして、2006年に、全国の遺児の心のケアセンターとしてつくられたのが、あしながレインボーハウスです。

・夫は事件後、半年近く、仕事を休んでいました。・・・仕事(独立してレーシング・カーのエンジンの設計/イギリスを拠点)を休むことを即断してくれたことで、どれほど私や家族が助けられたかわかりません。

・人の悲しみや苦しみの体験を聴くことは、心を傾ければ傾けるほど、聞き手が消耗する作業です。聴く際には、文字通り耳を傾けて聴きます。しかし、心のケアの専門家といわれる人が、共感をもって真剣に相手に耳を傾けているとは限りません。自らが消耗することを避ける工夫を、身につけている場合が少なくないからでしょう。

・七回忌を迎える頃、私に転機が訪れました。きっかけとなったのは、絵本『ずっと つながってるよ こぐまのミシュカのおはなし』の出版です。
そして翌2007年には、事件やその後の出来事を綴った『おの悲しみの意味を知ることができるなら-世田谷事件・喪失と再生の物語』という本を出版することができました。

・もし、辛い体験をした私の話を聞いてもらうことがきっかけで、何かが変わるのなら、事件の話をきっかけに、さまざまな悲しみや苦しみに向き合い、共感し合える場を設けることができるのなら。そんな催しが実現したら、事件とは直接的に関係のない人たちにも意味のあるものになるのではないか。そう考えて始めたのが、現在も続けている「ミシュカの森」です。

・悲しみに向き合うことで、新たなつながりが生まれていく。そのことは、事件後しばらくはとても想像できなかったことでした。

・夫を失って(動脈乖離で享年60歳;事件から10年目)気づいたことがありました。それは、殺人事件で妹一家を奪われた時は、悲しみ以上に、怒りや悔しさがあったのだということです。理不尽な犯罪への怒りであり、何もできない自分への悔しさです。けれど、夫の死は、「これが本当の悲しみだったんだ」と改めて思い知らされるほどの辛さでした。

・『人間の土地』サン=テグジュベリ著から
自分が助かりたいとだけ望んでいると力が奪われてしまうが、待っていてくれる人を救いたいと思うなら、辛さ苦しさも生きるエネルギーに変わる。

・「ロスライン」というのは「喪失のカレンダー」のことです。自分の誕生から現在までを、横に線を引き、タイムライン(時間軸)に沿って、線の上に「喪失体験」を書き出していきます。

・かけがえのない夫の死と、それに続く悲しみ。そこから再生する鍵は、やはり喪失体験に中にありました。それは母の死です。母の看取りは、壮絶といえるものでした。介護者へのうっ憤をぶちまけたり、自暴自棄になって、自殺を試みようとしたこともありました。

・母の言う「役立たず」とは
母の目の病は、白内障の手術から始まり、緑内障を患い、黄斑変性症を併発して、急速に視野が狭まり、最終的には全盲となってしまいました。
母にとって時間の流れとともに目の光が失われていくことは、あたかも死神に後ろから追われているような恐ろしさだったのかもしれません。恐怖を抱えた中で出た言葉が「役立たず」だったのでしょう。
母や、「役立たず」になった自分を受け容れなかった。

・24歳で結婚した後、26歳の時に父が死んだことは、当然挙げられるべき喪失の大きなイベントです。

・私が悲しみからの再生を模索する中で、大きな影響を受けた人が二人います。
一人は末盛千枝子さんです。
 子どもにも大人にも、人生の一番大切なことを伝えるためにすばらしい絵本を出版しています。
もう一人は、副島賢和さんという学校の先生です。
 病気やけがで入院して、学校に行けない子どもたちのために病院内え授業を行っています。

絵本『しあわせの3つのおしえ
 この絵本の表紙には、お母さん犬を見つめる子犬の絵が描かれています。新しい飼い主にもらわれていう子犬にお母さん犬が三つの教えを伝授しているところです。
1) 飼い主に従うこと
2) 道を渡る時、左右をよく見ること
3) 困っている人は助けること

・私自身も、悲しみから逃れたい時、本にはずいぶんと助けられました。

・被災地となった東北には、多くの方からの協力を得て、沢山の絵本を贈りました。

・『津波!? 命を救った稲むらの火』小泉八雲原作

・絵本『ぴくぴくビリー』アンソニー・ブラウン作
 ビリーはとっても心配屋さん、いつもびくびくしています。いろいろなことが気になって、ベッドに入っても、なかなか眠れません。ビリーのおばあちゃんに話したら、小さな人形をくれました。「心配を引き受け人形」です。

・悲しい気持ちからの回復を探るためには、「自分の悲しみから少し離れてみる」ということが大切です。悲しんでいる最中にはそんな風にはとても思えないのですが、ちょっと離れて眺めてみると、「何であんなに悲しんだり、悩んだりしていたんだろう?」と思えることもあります。
びくびくビリーのびくびくを笑ってしまうように、自分のびくびく、くよくよ、めそめそが急におかしくなったりするのです。それは、落っこちてしまった穴からひょいとはい上がれるようになる瞬間かもしれません。読み取りの会に、辛い体験をした子が集まった場合、悲しみから離れた本を読むのは、そういう理由です。

・ラテン語に「メメント・モリ(memento mori)」という言葉があります。「いつか自分が死ぬことを忘れるな」「死を想え」という意味です。

感想
事件から10年後、突然夫が動脈乖離で亡くなり、その後すぐに母を亡くされました。
妹家族を含め、8人だった家族が、今は息子と自分だけになったそうです。

悲嘆と和解すると言うことは、悲嘆を意味あるものにすることだと。
まさに、妹家族の殺害を伝えることをすることで、通常では縁がないような人々とつながり、それから活動が広がって行っています。
まさに意味あるものにして来られたのでしょう。

実際に多くの悲嘆を体験されたからこそ、伝えることができることがあるように思いました。

学校側一転、いじめ否定 母「転校の意向表明後」 旭川・中2死亡 ”旭川市教育委員だけでなく、中学校の先生も教育者ではなく、ただのいじめを傍観する人だった!”

2022-02-13 14:54:54 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/142f7883dec3f3e5133034740ada7eceefe6eed3 2/13(日) 11:49北海道新聞
「爽彩は『何で学校はいじめを隠すの』と悲しんでいました」と話した広瀬さんの母親

 【旭川】旭川市内で昨年凍死しているのが見つかった中学2年広瀬爽彩(さあや)さん=当時(14)=が2019年にわいせつ行為の被害を受け、広瀬さん側が転校の意向を示したところ、いじめの疑いも含め調査していた学校側が「単なる悪ふざけだった」などといじめを否定する見解に変わっていたことが分かった。学校側は、本人に聞き取りしないまま、いじめを認められなかったと市教委に報告。問題視した道教委は事実解明をするよう市教委に対し、2度の指導を行っていた。

 北海道新聞のインタビューに対して、母親が明らかにした。母親は「爽彩は『何で学校はいじめを隠すの』と悲しんでいました」と話している。

 中学1年だった広瀬さんは19年6月、体を撮影して画像を送信させられた。別の日に複数の生徒らとトラブルになり、川に入って自殺未遂し、入院した。

 母親によると、トラブル後、学校にスマホの画像や加害生徒らとの通信内容を知らせたところ、学校はいじめの疑いも含めて調査を開始。当初は母親に聞き取りの状況報告があった。

 しかし、広瀬さんが退院した同年8月、母親が「画像を同級生が持っているかもしれないので学校に行けない」と転校の意向を伝えると、学校側は「悪ふざけの度が過ぎちゃっただけ。転校しなくても大丈夫」などといじめではないとの見解を示すように態度が変わった。

 母親は「誰かが画像を持っているかもしれない。怖いですよね」と理由を説明したが、教頭は「自分なら怖くない。男だから分からない」などと話し、溝は埋まらなかったという。

 広瀬さんはその後、転校。学校は本人に聞き取りをしないまま、市教委に20年3月、わいせつ被害を文書で報告した際、いじめに該当すると記入しなかった。

 学校側の対応の変化について広瀬さん側の代理人弁護団は「転校先でいじめの実態を明らかにされ、評価に影響が生じることを恐れたのではないか」と指摘する。

感想
「いじめ疑い」2度指導 旭川中2死亡で道教委 市教委は調査せず ”旭川市教育委員は首! 教育委員の資格なく、その前に人として問題あるのでは?”


学校の先生も教育者というより、人格欠損した人だったということでしょか?
教育者としてのプライドはないのでしょうか?

ガンジーの言葉
「自分から誇りを投げ捨てない限り、誰もあなたから誇りを奪うことはできない」

旭川市教育委員と中学校の先生は、自ら教育者としての誇りを投げ捨てられているようです。
市民が怒らないとまた同じことが起きてしまいます。
次は自分の子どもかもしれないのです。

「いじめ疑い」2度指導 旭川中2死亡で道教委 市教委は調査せず ”旭川市教育委員は首! 教育委員の資格なく、その前に人として問題あるのでは?”

2022-02-13 11:44:11 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/199ee0d14ccaf3f258264a82bdd704e8a7d015d2 2/12(土) 10:15北海道新聞
 【旭川】いじめを受けた疑いのある中学2年の広瀬爽彩(さあや)さん=当時(14)=が旭川市内で昨年凍死して見つかった問題で、道教委が2020年1月に旭川市教委に対し、「客観的にいじめが疑われる」などと再指導していたことが11日分かった。道教委からの指導は19年10月に続き2度目だったが、市教委は「指導とは受け止めていない」として改めて調査はしていなかった。

 複数の関係者によると、広瀬さんは他の生徒からわいせつ行為の被害を受けたことなどで19年6月に自殺未遂していた。広瀬さんの母親は20年1月上旬に道教委の北海道子ども相談支援センター(札幌)に「学校がいじめを認めず、対応も納得がいかない」などと相談。これを受け、道教委は「客観的にいじめが疑われる」などと市教委を指導し、口頭でトラブルの概要などの報告を受けたという。

 一方、市教委は「いじめの認知に至っていない」と答え、再調査しなかった。心のケアなど丁寧な対応を求める指示で、いじめの疑いについて事実確認を求める指導とは受け止めなかったという。

感想
旭川市教育委員会は、いじめをいじめと判断する能力ないようです。
即刻辞職願を出された方が良いです。
出されないなら、旭川市は教育委員を首にした方がよいです。

自分たちは何のために存在しているかの使命感がまったくありません。
その前に、人としての大切な心が欠如しているようです。

旭川市の市民のレベルが問われています。
市民が声を上げて、教育委員を変える運動をしないと、旭川市はそんな街だと思われます。
旭川市に住んでおられた三浦綾子さんが生きておられたら、どう思われたでしょう?

《旭川14歳少女イジメ凍死》公文書入手で判明した学校側に歪められた“イジメの真実”「なぜ市教委は被害者の聞き取りを行わなかったのか?」 ”それで教育委員会の委員? 素人の方がまだましかも”

コロナ「専門家」が科学的な正しさより重視するものとは~上昌広氏に聞く "保健所に拘る”

2022-02-13 09:04:44 | 新型コロナウイルス
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022020700007.html
コロナ対策徹底批判【第四部】~上昌広・医療ガバナンス研究所理事長インタビュー⑪
佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長 RONZA 2022年02月10日


 臨床医でありながらコロナウイルスに関する世界最新の論文を日々渉猟する医療ガバナンス研究所の上昌広氏に私が最初に取材でお目にかかったのは、一昨年の3月12日だった。それ以来何度も直接取材や電話取材、メール取材などを重ね、今回のロングインタビューに至った。

 コロナウイルスに関する上氏の合理的な説明を聞くたびに感じたのは、テレビや新聞などに出てくる、いわゆる「専門家」たちの口の端に上る「知識」がいかにも浅薄かつ非合理的であるということだった。

 理由はすぐにわかった。上氏が世界の最先端の知識を常にアップデートし重要視しているのに対し、マスコミに登場する「専門家」と称する人たちは、厚生労働省の医系技官ピラミッドや国立感染症研究所などが構成する「感染症ムラ」の利害に縛られ、最先端の知識には、二の次、三の次の重要性しか置いていなかったからだ。

 全国8000人以上が加盟する日本感染症学会は2020年4月2日、「軽症例には基本的にPCR検査を推奨しない」との声明を出した。この声明は現在、HPから削除されているが、この国の感染症関連の専門医たちはこの事実をどう感じているのだろう。コロナ感染症から社会を守るには、第一段階として大々的なPCR検査を実行するしかない。今では常識になっているこの考えが、この国の専門医たちによって長らく拒否されてきたのだ。

 さらに驚くべきは、コロナウイルスのメインの感染ルートが空気感染であることは今や世界の医学界の常識なのにもかかわらず、日本ではいまだに感染者の「濃厚接触者」や「クラスター」にこだわっているということだ。空気感染であるならば、飛沫感染や接触感染が前提の「濃厚接触者」や「クラスター」の概念は意味をなさない。有効な対策は、大量のPCR検査と感染者の隔離、徹底的な室内換気だ。

 この国の「専門家」は、自らが棲息する「感染症ムラ」の利害に縛られ、合理的な対策に転換できず、今なお飲食店や一般店舗、学生などをはじめとする国民に多大な経済的、精神的犠牲を強いている。上氏へのインタビューによるコロナ対策徹底批判【第四部】では、政府の専門家会議やその後身である分科会に集まる「専門家」に焦点を当て、不思議で悲惨なこの国の体制を変えるにはどうすれば良いかを考えたい。

 「専門家」たちをヒーローのように取り上げている本がある。岩波書店刊行の『分水嶺』(河合香織著)だ。私はこの著者には一面識もないが、過去に私自身の著書を刊行していただいた岩波書店については少し知っている。読者としても大変愛着のある出版社だ。それだけに、この本の登場には驚いた。

 私が岩波書店から刊行してもらった本(『ドキュメント金融破綻』)は、当時の大蔵省分割を目指したものだったが、大蔵省幹部や金融マンにはその趣旨を正直に話してインタビューに応じてもらった。インタビューはしばしば「対決」の様相を呈する。批判的なことを書かなければならないとすれば、それは避けられない。そのうえで、インタビューに答えてくれたとすれば、その受け答えは歴史的、建設的な意味のあるものとなるだろう。

 残念ながら、『分水嶺』はそのような試練を経た本ではないように見える。そのため、この本は新型コロナ小史を振り返る際、便宜的に利用されはするが、批判に耐えるようなものになるかどうかは甚だ疑問だ。本稿でも便宜的に利用することとする。

「スーパー・スプレッダー理論」は単なる思いつき
――『分水嶺』は「専門家」たちのコロナウイルス対策を無批判に称賛している本ですが、「専門家」たちの確認は経ているはずなので、便宜的に参考にしたいと思います。この本で「専門家」の「物語」がスタートする2020年2月より前に、次のような現実が展開されていた点は、改めて確認しておきたいと思います。

 1月17日、厚労省は感染研に積極的疫学調査の開始を指示しました。同月24日にイギリスの「ランセット」誌上で、香港大学の研究チームが無症状感染者の存在を報告しましたが厚労省の医系技官はこれを無視し、同月28日には新型コロナを感染症法上の指定感染症上位に位置する「2類感染症並み」に政令指定しました。無症状者も強制入院させられることになり、医療崩壊の恐れからPCR検査を抑制する大きな動機になっていきます。

 一般的にはほとんど知られていませんが、実は昨年1月中にこれだけのことが起きていた。その後、政府の専門家会議(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)が発足し2月16日に初会合が開かれました。この会合には出ていませんが、会議の理論的中心になる押谷仁(東北大学大学院医学系研究科微生物分野教授)さんは、それ以降の日本のコロナ対策の大きい柱となる考えをほとんど同じころに思いついています。

 それは、『分水嶺』の記述を参考にすると、コロナウイルスには多くの人は誰にも感染させないが例外的に一人が多数に感染させる例があるという可能性に、押谷さんは気がついた。そう考えなければ、流行が起きている理由の説明ができない、と。いわゆるスーパー・スプレッダーが、多数に感染させるという考え方です。そして、これがその後、専門家会議の基本になっていく。

 しかし、前月に無症状感染者が多数存在することが分かっていたわけですから、「スーパー・スプレッダー理論」は論理的にあまり有効とは言えない。少数のスーパー・スプレッダーよりも、隠れた無症状者がウイルスを広げていたと考える方が論理的だったと思いますが……。

上 スーパー・スプレッダーも中にはいるかもしれませんけど、そういう人たちが中心かどうかっていうのは分かりませんよね。そのあたりが研究者の匂いがしない点なんです。すべてが思いつき。

 感染研は積極的疫学調査をすることにした。そして、感染者の周辺の濃厚接触者を調査した。ここで無症状感染者がガンガンうつしてるなんて言ったら、この調査が何の意味もなくなってしまうじゃないですか。

仮説とコンセンサスをごっちゃにした議論
――厚労省の医系技官は当初、感染症法上の積極的疫学調査を感染研にやらせることにしました。当時は何もわかっていませんでしたから、仕方ないとしても、その後、無症状感染者の存在が分かってからも軌道修正しなかったことはまずかったですね。

上 そうですね。現在の知識で言うと、コロナウイルスは主に空気感染しますので、スーパー・スプレッダーなんているかどうかはっきりしないんですよ。その建物の構造が悪かったとか、換気の具合がどうだったかとか、複合的な要因が考えられるわけです。
そのあたりを考えれば、当初の議論もまともな議論とはとうてい思えない。はっきり言えば科学者の議論ではありません。仮説とコンセンサスがごっちゃにされています。

――仮説とコンセンサス、とは?

上 空気感染でウイルスが空中にいるのなら、スーパー・スプレッダーがいなくても広がりますよね。この考え方は検証されていないものの一つに過ぎず、結果的にそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。要するに、仮説なんです。

ウイルス対策を深く考えていない医系技官
――最初に考えた仮説と、他の研究者たちのコンセンサスが得られた事実とを区別せずに、ごっちゃにしたということですね。なぜこういうことが起きたのでしょう。押谷さんが特別なのか。日本のいわゆる「専門家」という人たちにおしなべて言えることなのか。

感想
政府が行なっているコロナ対策がエビデンスに基づかずに、お抱え専門家の科学を無視した考えに基づいて行っているからでしょう。

日本は科学を大切にしてきましたが、医系技官は科学が分かっていないようです。
あるいは分かっていても、自分たちの保健所を確保したいために、いちいちPCR検査を保健所通しているので、パンクしています。
また入院も保健所通しているのでパンクしています。
大阪府で自宅でコロナで亡くなったは保健所からの連絡がありませんでした。
自宅で多くの人が亡くなった前回の再現が目の前に来ているようです。

それにしても医系技官は直ぐに入院できるので、コロナ恐れるべからずなのでしょう。
入院して治療すれば死なずに済む病気になっています。