幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「フランクル人生論 苦しみの中でこそ、あなたは輝く」 山田邦男著 ”祝福させたまえ、その運命を”

2014-12-31 00:54:46 | 本の紹介
フランクルは日課の散歩の時間に次のような「讃美歌風の考えにふけった」という。
 祝福させたまえ、その運命を
 信じさせたまえ、その意味を

「これは、どんなことでも、人に起こることにはすべて、何らかの究極的な意味があり、まさに超意味があるはずだ、ということえある」

「苦悩は、人間に、ものごとを見抜く力を与え、世界を見通せるようにします。人間は存在を見通し、存在はみずから苦悩する人間に開示します。苦悩する人間は、まさに真理のすぐ近くにいるのであり、たやすく真理に気づくのです。彼は真理の中に立っているのです。

教育者にして仏教者であった東井義雄はこう詠っている。
「悲しみを とおさないと 見せていただけない 世界がある」

仏教系の大学のパンフレットに「今、いのちがあなたを生きている」があり、大学でフランクルの生きがいを教えているが、この一言が全てを言い表している。

                充足 ホモ・パチエンス(Homo patiens)
        サンクチエンス  |
     失敗 --------------------------------------------- 成功 ホモ・サピエンス 
                | Existential vacuum(実存的空虚感)  
                絶望

フランクルの人生の目的「人々がそれぞれの人生の目的を見つけるのを手助けする」こと。

玄侑宗久氏のエッセイの中に、
京都の禅宗の本山の管長は毎朝早く、自転車に乗って境内を散歩しならが、出会う人に「おはようございます」と挨拶された。その中に、いつも出会う老人がいて、その人にも「おはようございます」と丁寧に挨拶されたのだが、唐人は何の答えも返さなかった。それが三年も続いた。
ところが、三年後のある朝、その老人は「管長さんの挨拶に立ち止り、近づいてきて号泣したのだった。その時、お爺さんの中でどんな変化が起こったのか、それは誰にも分らない。三年間挨拶しつづけたりそれを無視しつづけた時間があって初めて、そんな深い変化があったのだろう。それ以降のお爺さんは人が変わったように明るくなったらしい。」
管長さんは挨拶が返されなかったことを一向に気にしなかった様子である。このことを禅では「前後際断」と言う。
沢庵禅師の原文、「前後際断と申す事の候。前の心をすてず、又今の心を跡へ残すが悪敷候なり。前と今との間をば、きってのけよと云う心なり。是を前後の際を切りて放せという義なり。心をとどめぬ義なり」

創造価値についてフランクルは、あるエピソードを残している
ある日、一人の青年がフランクルのところにやってきて、生きる意味の問題で次のように異議を唱えた。「あなたはなんとでもいえますよ。あなたは現に、相談所を開設されたし、人々を手助けしたり、立ち直らせたりしている。私はといえば・・・。私をどういう人間だと思いですか。私の職業をなんだと思いですか。一介の洋服屋の店員ですよ。私はどうしたらいいんですか。私はどうすれば人生を意味あるものにできるんですか」。
この青年の異議に対してフランクルは、次のように述べている。
「この男が忘れていたのは、なにをして暮らしているか、どんな職業についているかは結局どうでもよいことで、むしろ重要なkとおは、自分の持ち場、自分の活動範囲においてどれほど最善を尽くしているかだけだということです。活動範囲の大きさは大切ではありません。大切なのは、その活動範囲において最善を尽くしているか、生命がどれだけ「まっとうされて」いるかだけなのです。各人の具体的な活動範囲内では、ひとりひとりの人間がかけがえなく代理不可能なのです。だれでもがそうです。各人の人生が与えられた仕事は、その人だけが果たすべきものであり、その人だけにもとめられているのです。」
「古人曰く、径寸十枚(直径3cmの玉、10個)、是れ国宝に非ず。一隅を照らす、此れ即ち国宝なり」(最澄)

ある青年の話
容姿端麗で学歴も職歴も一流のエリートであった。法学部を出て一流企業に就職し、周りの評価も高く出世していった。ところが伊藤氏(教育心理学者)に会いに来た彼には生気がなく、表情も暗すぎた。
彼の勤めている会社が一部兵器製造に関わっていて身震いするほどの嫌悪感におそわれるといる。
でも、今の会社を辞めることは両親も親しい同僚も反対している。青年は帰り際「ぼくは生きていないんです」。
四年ぶり、ふらりと尋ねて来た。はっきり違うのは、その表情だった。なんと明るいのだろう。底抜けに快活だ。とりわけ、目がいい。光っている。そして柔和である。
「先生と別れてから、さんざん考えました。陶芸を始めました。いただいている給料は1/3に達しないほどです。こんどはだれもお嫁さんを世話してくれなくなりました。世の中っておもしろいですね。娘を持っている親御さんたちは、結婚相手の選択基準が、お金とか、身分とか、将来性といった、いわば人間に附着しているものなんですからね。四年前に、そういう社会基準をすっぱりはずしたことに、真底からよかったと思っています。朝早く起きるのも苦でなくなりました。今ではほんとうに楽しく、充実した一日のはじまりであるとおもいます。粘土をこねることも、窯の火加減をみることも、少しずつわかって来ました。」
伊藤氏は最後にこう付け加えている。「ほかの人にくらべて優れているかどうかではないのだ。あなたはあなたのなりうるものになっているか、それが大事なのだ。この青年は、自分のなりうるものに、はじめてなりえたのだ」

愛とは西田幾多郎氏によれば「自他一致の感情」である。
自他一致とはいうことは、自己と他者が団子のように直接的にくっついて一つになるということではない。仏教では、自己を忘れて他者に専心するということ。フランクルの言う他者への「自己超越」ということがなければならない。

自分を育てるのは自分 東井義雄著

木村ひろ子氏は脳性麻痺、両手両足が動かず、話すことができなくなった。
三歳の時に父親、十三歳の時、母親が亡くなった。彼女は学校にも行けず、わずかに動く左足で辞書をめくって漢字を覚えたという。
「不就学 なげかず左足に 辞書めくり 漢字暗記す 雨の一日を」
彼女は左足でお米を洗い、左足で墨をすり、左足に筆をはさんで絵を画いた。そして、その絵を売って得た収入の中から、毎月、体の不自由な人たちのために寄付しているという。
木村さんの文章。
「わたしのような女は、脳性マヒにかからなかったら、生きるということのただごとではない尊さを知らずにすごしたであろうに、脳性マヒにかかったおかげさまで、生きるということが、どんなにすばらしいことかを、知らしていただきました。」

「苦悩する人間は、まさに真理のすぐ近くにいるのであり、たやすく真理に気づくのです。彼は真理の中に立っているのです」

「人間は、自分がそれを欲しようと欲しまいと、認めようと認めまいと、息をしている限りは何らかの意味を信じているのです。自殺する人ですら、何らかの意味を信じています。たとえ生きる意味、生き続ける意味ではないにしても、死ぬ意味を信じているのです。本当にその人が何の意味も信じず、どのような意味も信じられないとするなら、そもそも指一本動かすことすらできないはずでありましょう。」

島秋人(死刑囚;一軒の農家に押し入り2,000円を奪ったが、家人に発見され争って奥さんを殺害。昭和41年に処刑された)
・たまわりし処刑日までのいのちなり心素直に生きねばならぬ
・被害者に詫びて死刑を受くべしと思ふに空は青く生きたし
・愛に飢ゑし死刑囚われの賜りし菓子地に置きてありを待ちたり
・世のためになりて死にたし死刑囚の眼はもらひ手もなくかもしれぬ
・許される事なく死ぬ身よきことのひとつをしきりと成して逝きたし
・笑む今の素直になりしいのちの在るとは識らず生かされて知る

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「フランクル人生論入門」 広岡義之著 キリスト教でのイエスの行動をロゴセラピー的な観点から考察

2014-12-30 02:34:32 | 本の紹介
広岡義之著(神戸親和女子大教授、日本基督教団神戸平安協会会員;出版当時)
フランクルのロゴセラピー全体を学ぶには良い書物だと思いました。

・自分が人生に目的を見出すと言うより、人生が自分に問いかけて来てそれに対してYesと答え(受け容れ)、そこでできることを行う。
・価値には「創造価値」、「体験価値」、「態度価値」がある。寝たきりになっても、「態度価値」を表すことができる。
・自己超越は対象が自分の幸せに向くのではなく、他者の幸せに目が向くことである。眼は自分を見ることはできない。視線は常に外部に向いているように。
・“良心“ それ自身が”超越“の声である。超越者からの「呼びかけ」が人間に鳴り響きわたり、それが”良心“になる。
・「逆説思考」が自分の不安を取り除くことがある。汗を大量に出す人に、さあ、汗が緊張したら1Lでるなら、10L出してみようではないかと自分に言ってみる。10Lだしたらギネスものだとか、ユーモアの観点が必要になる。そうするとふしぎなことに汗が普段でていると思っていた1Lも出てこない。
・人間とは何ものかとため、誰かのため、神のために自分を忘却する地点に達して初めて真の自分を発見する。

著者がクリスチャンであることから、キリスト教でのイエスの行動をロゴセラピー的な観点から考察している箇所は興味深く読みました。その例を紹介します。

「もう人生から逃避するのはやめなさい」
レスリーは(「イエスとロゴセラピー -キリスト教精神療法入門-」は、時として「態度的価値」を動員するために力強い人格を直接介入する必要があると述べています。ペテスダの病人に対するイエスの励ましは、簡潔にただ「起きて、あなたの床を取り上げて、そしてあるきなさい。」「もう罪を犯してはならない。何かもっと悪いことが、あなたの身に起こるかもしれないから」というものでした。これをレスリーは、「人生から逃避するのは、やめなさい」と意訳して理解しています。実際に、どのようにこの病人が癒されたのかは現在の科学知識では説明できません。しかし何かがこの病人におこったにせよ、困窮の只中で長年苦しんでいたひとりの人間が、イエスの面前で奇跡的救われたことはまちがいないのです。

「あなたは多くの事に心を配って思い煩っている」とイエスに指摘された姉マルタ
姉マルタは一般の女性に求められている「来客への食事等の準備」という象徴的な形で表現されているのに対して、妹マリアはイエスの足元にすわって「じっとイエスの語られる内容に聞き入る」とう象徴的な形で対照的に表現されています。マルタはイエスにマリアの態度に異議を申し立てました。イエスは「あなたは多くの事に心を配って思い煩っているとマルタの在り方をやさしくではありますが非難するような返答をしたのです。そこにはマリアの行為を批判するのではなく、「もっと自分自身を見つめなさい」というイエスのメッセージが込められているのです。マリアのとった行為は、当時の女性の役割を拒否した在り方かもしれません。しかしマリアは単に女性である前にひとりの人間であることを主張したかったのでしょう。マルタの行為は「創造価値」という一般的な価値ですが、マリアの行為は「体験価値」として重視されるべきだというのです。

「間違った人生観を正すことにエネルギーを注ぎ続けたイエス」
新約聖書を読むと、イエスは主として個々人の間違った人生観を正すことにエネルギーを注いでいたことが分かります。ザアカイ人やヤコブの井戸のサマリヤの女、またペデスダの病人や姉マルタと妹マリアたちもその対象でした。イエスはいつでも彼らに人生を別の視点から見るように促しました。

「人生に何らかの意味があるならば、それは神から生じている」
イエスの教えの特徴は、神との関係を重視したことです。イエスは繰り返し人間の生に対する神の要求を私たちに示します。人生は神なしでも理解できますが、それでは真の理解にはならないとイエスは主張するのです。元来、ロゴセラピーは宗教的な治療ではないのですが、宗教にも門戸を開いている治療方法と言えるのでしょう。

新約聖書の信仰は、苦悩のなかから大きな救いが生じると考えており、こうした視点はフランクルのロゴセラピーと軌を一にしていると言えるでしょう。
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「長生きは三百文の得」 大滝秀治著 向いていないと周りから言われても努力を続け花を咲かせる

2014-12-29 02:43:44 | 本の紹介
(娘さんが過去の発言をまとめられました)
大滝さんは電話局に勤めていた時、近くの帝国劇場で見た舞台に感動し、23歳の時に民衆芸術劇場付属養成所の第一期生として参加しました。
小学校5年生の時に中耳炎を患い鼓膜の手術をし片方が聞こえなくなっていました。
中学2年生の時、肺湿潤になり肺の手術(当時は成功するのは1~2割と)を行い、幸い助かりましたが、
ストレプトマイシンの大量投与のため耳が聞こえなくなりました。
当時、ビタミンAを大量投与すると良いとの説があり、それを行ったところ、何とか聞こえるようになりました。
俳優になってからぎっくり腰になってコルセットをするようになりました。

宇野重吉さんから、いろいろと指導を受けられ、ダメ出しされた言葉を清書して大切にされていました。幾つか紹介します。
・自信と謙虚さの間にいないといけない
・焦ることはない、でもぐずぐずするな
・台本の文字が見えている間はまだダメだ
・その時、その気になる
・思えば出るんだ、普通にやれ
・人の芝居の粗ばっかり見える時はお前の心がさもしい時、人の芝居がいいなと思う時は心が豊かな時、だけど、そればかりではない
・「なにもしない」と言ったらお前はなにもしていない

生まれた時、産婆さんがびっくりしたそうです。髪の毛が灰色でした。宇野重吉さんから「お前のこえはぶっ壊れたハモニカみたいな不協和音を出す。ドレミファソラシド全部入っている不協和音を出すと、お客に不快感を与えるから、役者に向かないんじゃないか」、「声が悪いし、見た目かたちもちょっと・・・。おまえ、二十三だけど、老けてるな」と言われたそうです。

感想;
役者に向いていないと周りから言われても、俳優を一途に努め、味わいのある役者さんになられたと思います。
台本を与えられると24時間台本を抱えておられたそうです。2012年87歳で亡くなられました。
八千草薫さんとの夫婦共演の北海道の派出所を舞台にした、大滝さんの駐在員のドラマ「ほんかん」は6話でしたが、温かみのあるドラマでした。
いまだに記憶に残っています。
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「アナ夢女子大生に雪解け予感」 日本テレビ経営層は清廉性に欠けるホステスがいるクラブに行くのでは?

2014-12-28 00:42:03 | 社会
アナ夢女子大生に雪解け予感(日刊スポーツ)
http://news.goo.ne.jp/article/nikkangeinou/entertainment/p-et-tp0-141227-0021.html
 ホステス経験を理由に東洋英和女学院大4年の笹崎里菜さん(22)が日本テレビのアナウンサー内定を取り消され、地位確認を求めた民事訴訟で、東京地裁は26日、双方に和解を勧告した。笹崎さんの代理人、緒方延泰弁護士は「望んでいる方向に走っている」と笹崎さんの来年4月入社に手応えを見せた。

 前代未聞の騒動が解決へ動きだした。この日、東京地裁が和解勧告。緒方弁護士と、日本テレビ側の木下潮弁護士が出席し、約1時間半にわたり話し合いがもたれた。話し合いの後、フジテレビの取材に応じた緒方弁護士は「日テレさんもそれなりのお考えを示してくれた。非常にいい方向に進んでいる」と話した。

 「2011ミス東洋英和」の肩書を持つ笹崎さんは、昨年9月に日本テレビのアナウンサー職の内定を受け、入社前研修を受けていた。今年3月に人事担当者に銀座のクラブのアルバイト経験を報告したところ、5月になり「アナウンサー職について必要とされる清廉性に欠ける」ことを理由に内定を取り消された。

 笹崎さんは、内定取り消しの撤回と、予定通りの来年4月に入社を求めて、日本テレビを相手に「地位確認請求」の訴訟を起こした。先月14日に東京地裁で第1回口頭弁論が行われたが、日本テレビ側の代理人は出席せずに請求棄却を求めて争う姿勢を示していた。しかし、和解勧告を受けて緒方弁護士は「文書で提案があった。和解交渉は始まったばかりだが、『傷ついたヒナ鳥(笹崎さん)の毛をむしったから、それを治していらっしゃい』ということ(内容)だった。すぐには成立しないが、通常よりも温かい手を差し伸べてもらって、不安のない形で入社させてもらいたい」と話した。

 一方で、日本テレビ広報IRは「本件は民事裁判が進行中の事案であり、コメントは差し控えさせていただきます」と発表。年明け早々に再協議が行われる。

感想;どうして裁判所に日本テレビ側は出席されないのでしょう。対話が全ての基本だと思います。両者間で対話ができないから裁判所での対話があります。
今回のケースは、正直者がバカをみる(正直に話したから、黙っていればよいものを)ケースです。裁判を続けること自体が日本テレビの印象を悪くします。知り合いのクラブを手伝った→ホステス→印象が悪い。まるでホステスの仕事が悪い仕事のように理解していることになります。日本テレビのこのような判断をした経営層は銀座のクラブに通っているのではないかと想像します。つまり認めているのですが。さんまの「恋のから騒ぎ」に出演した人が堂々とアナウンサーになっています。恋のから騒ぎで自分の恋愛体験など話すことはアナウンサーとしての気品を損ねることではないとの判断だと思います。クラブのホステスも、このホステスも知り合いに頼まれてアルバイトでやっていた、アナウンサーの気品を損ねることではないと思います。どうしても日本テレビの方針と合わないなら、採用してバラエティとかのアシスタントに起用すればよいのですから。
翁知事と面談しない、菅官房長官、安倍首相、対話するという人として大切なことを忘れておられるように思います。日本テレビの経営層も同じようです。話し合いが進むことを願っています。
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翁長知事 安倍首相・菅長官と面談できず 反対意見の人と面談されない度量の狭さ(涙)

2014-12-27 00:43:55 | 社会
http://www.otv.co.jp/newstxt/index.cgi
就任挨拶で上京した翁長知事。しかし閣僚との面談は山口沖縄担当大臣のみで、安倍総理大臣や菅官房長官との面談は実現しませんでした。
翁長知事の申し入れに対して菅官房長官は、日程の都合などを理由に年内は会わない方針を示し、午後3時からの山口沖縄担当大臣との面談が正式に決まったのは1時間前でした。沖縄振興への支援を要望した翁長知事に対し、山口大臣は協力する意向を示しました。翁長知事「普天間の問題を強くは申し上げていません。振興策を中心に短い時間でより多くの話をしたので(沖縄関連予算の)所要の額の確保を頑張っていくのでぜひ沖縄側も支えるものをつくっていただきたいと」翁長知事は安倍総理や菅官房長官と面談する機会がなかった事について、「残念だ」と述べました。翁長知事「残念ではありますけどそういう状況ですのでまた何回か上京する時に是非お会いして意見交換というかさせていただければありがたい」今回の上京で外務・防衛については副大臣や政務官との面談も実現しませんでした。普天間記者「今回の上京で如実に示された政府との間に吹く隙間風をかわし、普天間基地の移設問題をはじめとする民意・公約をどう伝えて国政に反映させていくのか解決への道筋は年明け以降に持ち越されます」

感想;
先ずは対話ではないでしょうか?
反対意見はあって当然です。反対意見があるからこそ、政策はより良くなって行くと思います。
その反対意見を持つ相手と話し合うことが重要ではないでしょうか?
その話し合いを行わないことで、国と国との紛争も起きて来るように思います。

仲井元知事に約束した沖縄支援の財政支出は凍結だけでなく、これまで行っていた支出までも減らすことを考えているそうです。
自分の意見に合わない者を敵視して行くのは、独裁者の思考と同じように感じます。

大切なことは、普天間基地をどうしたいか。その時、地元の県民はどう考えているの民意の反映。
民意の代表者である翁知事との面談拒否は沖縄県民に対する拒否でもあるように思えてなりません。

この面談拒否は大きな記事だと思いますが、NHKの9時からのニュースは紹介すらありませんでした。
それにしても、度量の狭さには、日本の首相としてとても残念です。






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