Harbard Business Review
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あなたは職場に有害な「考えすぎな人」ではないか
サマリー:かつてないほど多くの情報にアクセスでき、これまでになく高い要求を突きつけられるようになったいま、多くの人が「考えすぎてしまう」状況に陥っている。この傾向は、すべてを過剰に分析し自己批判する「センシティブ・ストライバー」と呼ぶ人々に顕著で、不安やバーンアウトを引き起こし、組織の成長を阻害する。本稿では、考えすぎの3つのタイプ、すなわち「反芻」「フューチャートリップ」「過剰分析」を理解し、それに対処する方法を紹介する
「考えすぎ」は個人とチームにとって大きな問題
現代における仕事の世界は、考えすぎてしまう状況に満ちあふれている。新しい市場トレンドの影響や重要顧客へのメールの口調、さらにはフィードバックに対する従業員の反応など、リーダーが頭を悩ませることは無限にある。
かつてないほど多くの情報にアクセスできる一方で、これまでになく高い要求を突きつけられるようになったいま、米国の成人の50~75%が「考えすぎてしまう」と答えるのも不思議ではない。
筆者は10年以上にわたり、世界のトップ企業でプロフェッショナルのコーチングを行ってきた。その結果、ある共通のパターンを見つけた。成功しているように見える人でも、あらゆることを複雑に考えすぎたり、自分の決断を不要に複雑にしたり、必要以上に長時間にわたり考え込んだりする人がいるのだ。この傾向は、筆者が「センシティブ・ストライバー」と呼ぶグループに、特にはっきり見られる。身の回りの世界をやたらと深く分析し、しばしば自分自身の最も厳しい批判者となる人たちだ。
考えすぎは疲れるだけでなく、放っておくと、不安や燃え尽き症候群(バーンアウト)をもたらし、組織にも幅広い影響を与える。個人(あるいはチーム全体)に考えすぎる癖があると、ボトルネックが生まれる。意思決定が遅くなり、目の前のチャンスを逃し、リスク回避の文化が定着して、ビジネスの成長を妨げる。
職場における「考えすぎ」に、これまで以上に効果的な解決策が必要とされているのは明らかだ。しかし、この問題に真に取り組むためには、まず考えすぎには3つのタイプがあることを知り、理解することが重要となる。3つのタイプとは、反芻(同じことをぐるぐると考えること)、フューチャートリップ(未来に思いを馳せること)、そして過剰分析だ。この知識を身につければ、ターゲットを絞った戦略を立てられ、従業員にとっても企業にとっても、有意義で持続的な変化をもたらすことができる。
本稿では、3つのタイプの考えすぎを見抜き、対処する方法を紹介しよう。
反芻
反芻とは、過去の出来事(特に嫌な出来事や苦痛を伴う出来事)を、いつまでも思い悩むことだ。反芻する人は、後悔や罪悪感、そして「ああすればよかった、こうすべきだった、こうできた」といった考えにはまり込むことが多い。何がいけなかったかを考えて、自分を責めることも多い。反芻の特徴的な側面は、思考が過去に向いていて、そこから抜け出せないことだ。
注目すべき兆候
・好意的でないフィードバックが頭を離れない。
・誰かとの会話で、過去の失敗や挫折、不手際を話題にすることが多い。
・ミスを避けたいがために、自分の仕事を二重、三重にチェックして過剰に用心する。
対処方法
意外だと思うかもしれないが、いっそのこと「心配する時間」をスケジュールに組み込むとよい。反芻で1日を終わらせないようにするために、管理可能な時間(通常は15~30分以下)に制限するのだ。自分にとって都合のよい時間帯を選び(ただし寝る前は避けること)、くよくよする場所を決める。特定のイスや部屋、公園の一角でもよいだろう。そして自分の心配事を、自分がコントロールできるものと、そうでないものに分けよう。自分でコントロールできる心配事については、アクションや解決策を考えてみよう。たとえば、仕事の期限を守れるかどうかが心配なら、その間は新しい仕事を断るといったアクションが考えられる。自分にはコントロールできない心配事の場合は、視覚化を試みてみよう。その心配事を風船に入れて、空に放つイメージを思い描こう。
反芻思考に対処する時間を設定しておくと、「考えるのをやめよう」と葛藤することからも解放される。自分の都合のよい時間に先送りするだけだ。決められた時間以外に反芻が起こったら、「いまではなく、後で時間をつくる」と、そっと自分に言い聞かせると、自分の思考パターンに気づき、コントロールする助けになる。
フューチャートリップ
フューチャートリップ(未来に思いを馳せる)型の人は、過去をくよくよ振り返るのではなく、将来どうなるかを心配している。将来を予期することは、ある程度ならば有益だが、エスカレートすると自分の足かせとなる。何が起こるかわからない不透明性や、失敗する可能性、そして未知への恐怖が、難しいタイプの考えすぎをもたらす。
注目すべき兆候
・あらゆる不測の事態に備えることに過剰にエネルギーを費やす。
・いつも次のことを考えているため、目の前の成功を祝うことが難しい。
・やることが山積みだという思いに囚われて、落ち着かないか、動揺を感じることが多い。
対処方法
過去ではなく未来を考える能力を活かそう。具体的には、心配の対象となっている時点を超えた未来に思いを馳せよう。
たとえば、マーケティングマネジャーのケーリンは、新製品の発売の準備に追われている。期限は厳しく、期待は大きく、彼のチームは大きなプレッシャーにさらされている。ケーリンはキャンペーン戦略や、チームの仕事量、そして顧客の反応が気になって仕方がない。
そこでケーリンは、昼休みになると静かな会議室を見つけて、目を閉じ、5年後の自分を思い描く。いまよりも上のポジションに就いていて、これまでのキャリアパスを振り返っている。この未来の視点に立つと、今回の新製品の発売は、ケーリンが担当した多くのプロジェクトの一つにすぎないことに気がつく。別の視点から把握することができるようになるのだ。重要なキャンペーンだが、彼のキャリアを決定づける瞬間ではない。準備作業の一部が計画通りに進まなかった、彼のチームがしっかりと対処して、その経験から教訓を得た。
このように、心配事から一時的に距離を置くと、その切迫性や強さを軽くし、より穏やかでバランスの取れた心持ちで「いま」に集中しやすくなる。
不要なストレス要因にさらされる機会を減らして、「選択的無知」を実践してもよいだろう。自分が消費する情報、とりわけニュースソースやSNSから得る情報を意図的に選ぼう。フューチャートリップをエスカレートさせるきっかけは何だろう。市場の変動に関する最新情報や業界の予測かもしれないし、KPI(主要業績評価指標)ダッシュボードや銀行口座を常時チェックすることかもしれない。日常業務や意思決定に影響を与えない最新情報やデータは、チェックする必要がないのかもしれない。アクションにつながる情報を優先しよう。
過剰分析
反芻が過去、フューチャートリップが未来を向いているのに対して、過剰分析は深さに思考が向いている。あるトピックや考え、状況に、過剰なまでに深くはまりこんでしまうのだ。それは深遠なインサイトをもたらすこともあるが、さほど重要ではない細部に囚われてしまうことも多い。
注目すべき兆候
・物事を深堀りするために、アクションを先延ばしにしたり、遅らせたりする。
・自分の分析に自信が持てないため、他人の承認や確認を何度も求める。
・優先順位の高いタスクと低いタスクを区別できず、決断しなければならないことが溜まっていく。
対処方法
完璧な選択を求めるのではなく、「十分な」選択を目指そう。これは「満足のいくアプローチ」と呼ばれるものだ。ある決断が自分の設定した基準を満たし、満足できるものであるなら、たとえ潜在的によりよい選択肢が存在する可能性があっても、その決断を下して先に進むべきだ。このことを、あらゆる選択肢を検討し、よりよい代替案や合意や結果を探し続け、最大限の利益を追い求める(その結果大きな不利益を被る)人と比べてみてほしい。2つのタイプの意思決定のうち、最大限を求める人は過剰分析に陥る傾向があり、自分の決断の結果に満足感を得にくく、自分と他人を比べてネガティブになりがちだ。
意思決定の主な基準(原則、指針、要件)は、ある決定を下すうえで、重要な変数に優先順位をつける時も役に立つ。決定の基準は仕事上のものかもしれないし、個人的なものかもしれない。たとえば、製品やサービスに新機能をつけるかどうか検討する時、過剰分析に陥って思考がマヒしている状態を想像してみよう。その決定の基準には、コストや収益性、労力、リスク、インパクトなどが含まれるだろう。
では、転職のために引っ越すべきかどうかという、個人的な決断を下す状況を思い浮かべてみよう。すると、新しいポジションは自分の長所に合っているか、給料やそのポジションは将来の希望に合っているか、といった基準を検討するかもしれない。いずれの場合も、検討する基準は3つ以下に抑えよう。また3つのうち一つは、ほかよりも上に位置づけよう。グループでの決定を下す時は、全員でブレインストーミングをしてもらい、全員で基準を決めるとよい。
* * *
目指すべきは、深い思考をすべて排除することではなく、それが非生産的な思考に陥るのを防ぐことだと覚えておこう。あなたやあなたのチームがどのタイプの考えすぎに陥っているか知ることは、そこから抜け出す第一歩になり、思慮深い決定を迅速に下すことがこれまで以上に求められている現代において極めて重要になる。
"3 Types of Overthinking - and How to Overcome Them," HBR.org, February 07, 2024.
メロディ・ワイルディング
エグゼクティブコーチ、ライセンスト・マスター・ソーシャルワーカー(LMSW)。著書にTrust Yourself, Chronicle Prism, 2021.(邦訳『満たされない気持ちの解決法 : ストレス・不安・自己疑念と決別しよう』パンローリング、2022年)がある。
感想;
これはビジネスだけでなく、生き方にも通じるように思いました。
お釈迦様が「過去も未来もない。あるのは今だけだ」
ところが多くの人が過去に起きたことを悔いることに、まだ起きていないことを心配することに、今の大切な時間を使っています。
過去は今に生かすためのもの、未来は今の結果なので、今を大切にすることなのですが。
この論文は、今の時間の扱いについても言及されています。
①周りの目を気にしすぎている
②それを選択して良いかずーっと迷っている
③その結果何も決められないし行動もしない
周りは私のことを面倒見てくれません。
革新的なことには批判的な意見が多いです。
やってみないとどうなるかわかりません。
やってみて成果がでて初めて気付く人も多いです。
なにより何も行動しないと変わりません。
何をして良いか、優先順位が分からないときは、私は簡単にできることをします。
それと締切が迫っていることをやります。
締切が曖昧なものはつい「翌檜」状態になりますが。涙
今は毎月やることをメモにして、それをやると赤で消していきます。
仕事はエクセルにもスケジュールを載せているので、そこでも管理するようにしています。
それでもうっかりすることがありますが。
何でもよいので、自分がやりたいことをやってみることなのでしょう。
そのやりたいことが人に危害など与えなければ問題ないと思います。
そして起きたときにまた考えたら良いのではないでしょうか。
もちろんやる場合にはある程度の確認や、場合によっては信頼できる人の意見をもらうなども必要かもしれません。
山上の垂訓「門を叩け! さらば開かれん」
扉の向こうにどんなことが待っているか。
まさにそれが人生なのかもしれません。
とわかっていても、なかなか出来ないです。涙
自分に何度も言い聞かせることなのでしょうね。
せっかくの大切な時間をムダにしていますよ。
その時間を今に使えばもっといろいろなことが出来、思い出を増やしたら、楽しい時間を創ったり、幸せなひとときを増やせる可能性もあると信じてですね。
愛媛いのちの電話広報誌
豆塚エリさん
自宅のアパートの3階から飛び降りて、自殺を図った。頸髄を損傷し、胸から下が麻痺する障害を抱えることになった(ウイキペディアより)。
岡山いのちの電話広報誌
高橋美清住職
「一隅を照らす ~諦めず生きる~」
<自分の傷は誰かの薬に>
一隅は、今いるここ です。照らすは明かりを持ってきて照らすのではなく、私が今ここでできること、それぞれの役割を一 生懸命頑張っている姿は必ず誰かの灯りになるんだ と最澄様は教えてくださいました。
⇒
「一隅を照らすこれ国の宝なり」「自灯明」法灯明」の二つを説明されていると思いました。
「自分の傷は誰かの薬に」その悲しみ/苦しみは同じ悲しみ/苦しみを味わった人でないと本当は分からないと言います。
傷ついたからこそ、出来ることがあるのだと思います。
傷ついたことを悔やんで過ごすか、傷つき/悩み/苦労したことを生かして同じようなことで傷ついている人の灯明として生きていくか。
これは自分の選択です。とっても難しいですが。
もし、そのように生きられると、試練が体験として生かしていることになります。
豆塚エリさんもそのお一人だと思いました。
岐阜いのちの電話広報誌
榊原信子さん
この二つの言葉知りませんでした。
早速それぞれの本を図書館に予約しました。
広報誌、印刷されているのを見るのはとても見やすいです。
印刷物の良さがあります。
でもHPに掲載するともっと多くの人に見てもらえます(印刷もできます)。
印刷したものの配付だとその地域の一部だけです。
HPにアップすることで多くの人に見てもらえると誰かの助けになるかもしれません。
全国各地のいのちの電話のHPをその都度そのサイトに行き、さらに広報誌のサイトに行って見るのは手間がかかるので、一か所にまとめました。
また見たい広報誌の選択もできます。
クリックで広報誌を見ることができます。
4か月ごとに更新しています。
まだまだHPに広報誌Upしていないセンターも多いです。
「pdf送っていただいたらUpします」と掲載していますが、送ってくださるセンターはありません。(このサイトご存知ないか、そんな手間までされたくないか)
せっかくのサイトなので連盟に伝えましたが、レスポンスがなかったのは残念です。
連盟から各センターに伝えていただいてHPにアップしていないセンターにも活用していただければと思うのですが・・・。
センターによっては広報誌発行しても数か月後にUpのところもあります。
タイムリーにUpする、HPにUpする、そこには多くの人に読んでもらいたいとの熱い思いがないと難しいのでしょう。
HPアップの技術ではないように思います。
京セラの創業者稲盛和夫氏が『生き方』の本に下記が書かれています。
結果(パーフォーマンス)=考え方(思い) × 熱意 × 能力
一番大切なのが、考え方
二番目に大切なのが、熱意(どれだけ時間とお金をかけるか)
能力はそれがあれば伴うと稲盛氏は言われています。
この考え方を、相談者のために、相談員のために、そしていのちの電話を支えてくださる多くの方に、広報誌で活動を伝えることではないでしょうか。
広報誌を作成するだけでも多くのエネルギー(時間とお金)がかかっていると思います。
そのエネルギー(input)の効果(output/input)を大きくするためには、作成する視点だけでなく、多くの人に見てもらう視点(output)も高めることが両輪だと思います。
広報誌作成は貴重な寄付で行えていると思います。
寄付を少しでも有効活用する視点が大切だと思います。
その気持ちが寄付してくださる方への感謝にもなっているのではないでしょうか。
その地域だけに留めておくのはもったいないです。
⇒鹿児島県の特攻隊の基地が知覧にあり、そこでのことを小説として若者に戦争のこと、特攻で死んでいった若者のことを知ってもらうことで、戦争の悲惨さ、悲しさを考えさせる本です。映画にもなりました。
自分がその当時に生まれていたらどうだっただろうかなど、いろいろ考えさせられました。
⇒これも映画化されています。
周りの目を気にして優等生を演じること、それが自分の人生としていいのだろうかを考えさせる内容になっています。
また人を好きになる、人を愛するということはどういうことかも考えさせられる内容でした。
汐見夏衛さんの本はこの2冊を読みましたが、もっと読んでみたい作家の一人になりました。
この記事の3つのポイント
- ビジネスパーソンの教養には、基礎編と応用編がある
- 知識は“身体化”して、はじめて「教養」となる
- AI時代の教養には「宗教観」が不可欠だ
少子高齢化に伴う深刻な人手不足と、デジタル化の進展による急激な人余りが同時に起きつつある日本社会。なぜ、「人手不足」と「人余り」という一見矛盾した現象が両立するのか。そうした社会のなかで、価値ある人材としてあり続けるにはどうしたらいいのか。企業再生支援の第一人者で、近刊『ホワイトカラー消滅 私たちは働き方をどう変えるべきか』(NHK出版新書)が話題の冨山和彦氏と、多摩大学サステナビリティ経営研究所所長の堀内勉氏(『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』著者)が、日本社会でビジネスパーソンがとるべき戦略と「新しい教養」について語る。最終回である3回目は、ホワイトカラーが身に付けるべき「新しい教養」について。第2回から読む管理職ほど陥りやすい「給料分の価値」を生まない働き方
教養の「基礎編」と「応用編」
堀内勉氏(以下、堀内):今日、どうしても冨山さんとお話ししたいことがあるんです。それは、ビジネスパーソンにとっての「新しい教養」についてです。
「教養」や「リベラルアーツ」という言葉は、かなり手垢(てあか)にまみれているじゃないですか。僕も『読書大全』なんていう、200冊もの本を紹介するガイドを書いているから誤解されてしまうんだけど、「本を読んでいれば、教養が身に付く」と思っている人があまりに多すぎる。だから、ホワイトカラーの人たちが身に付けるべき「新しい教養」について、少し整理したいと思っているんです。
冨山和彦氏(以下、冨山):「本を読んでいれば、教養が身に付く」というのは、確かに間違いですよね。僕は教養には、「基礎編」と「応用編」があると考えています。日本の社会で脆弱になっているのは、基礎編のなかでも「言語」です。簡単にいえば、「読む力・聞く力・話す力・書く力」です。人間は言葉でものを考えますから、思考するためには「文章を読んで書く」ことが本質です。
でも、本を読む時間がないというのは本当によく聞く話ですよね。書くほうはもっとひどくて、ホワイトカラーの管理職でも、1000字以上の文章をスラスラ書ける人って、ほとんどいないんじゃないかと思うんです。若いときには、稟議(りんぎ)書などをある程度は書いているのですが、偉くなると文章はあまり書かないですから。
さらに経営に関係するなら経済学と簿記・会計という「経営の言葉」が必要だし、エンジニアリングの世界では数学で表現し数学で思考しますから、数学も言語といえますよね。
堀内:では、ビジネスパーソンにとっての教養の「応用編」はどのようなものになりますか?
冨山:ざっくり言えば「問いを立て」「答えを模索し」「決断する」力です。あくまで「基礎編」をマスターした上で、ケーススタディなどのシミュレーションと実践のなかで、その力は育まれると考えています。
堀内:知識を身体化することが必要だということですね。表層的な知識を得るだけなら、ChatGPTでいい。我々に問われているのは、知識を自分の行動様式や思考様式のレベルまで身体化できるかどうか、つまり「身体知」にできるかどうか。要するに、技能・技芸の問題ですね。
冨山:そもそも「リベラルアーツ」の「arts」は抽象名詞で、日本語に訳すと「技芸、技能、技法」です。教養というのはまさに、身体知ということなんですよね。
身体知となった生きた知識の形成には実践が不可欠
堀内:先ほど「本を読んでいれば、教養が身に付く」というのは間違いだと言いましたが、それでも僕は本を読むことは必要なことだと思っています。ですから『読書大全』では200冊の書評を載せましたし、ただそれぞれの書評を順番に読んでもなぜこのような並びで紹介されているのか分からないと考えて、序章で「学問の構造と本書の構成」を紹介し、「第Ⅰ部」で「宗教と神話」「哲学と思想」「経済と資本主義」に分けて、人類の知の進化の大きな流れをたどることにしました。
冨山:確かに堀内さんの『読書大全』は前半部分がユニークですよね。
堀内:本だって、読んでいるだけでは身に付かない。僕がなんでこれほど書くかといえば、インプットとアウトプットを高速で繰り返さなければ身体知にできないからです。
さらに身に付けた知識は、ビジネスの現場で実践しなければ役に立ちません。僕が完全に学者の世界に入らず、半分の時間をビジネスに使っているのはそのためです。知識の習得と実践を両方高速で回さないといけない。いわば車の両輪みたいなものです。
冨山:音楽やスポーツの修練と一緒ですよね。バンドだったら、学んで聴いて練習して本番に臨む。知識の習得と実践を繰り返すことで、どんどんレベルが上がるわけです。
堀内:学者の先生のなかには、実社会やビジネスのことを単純に批判する人がいます。でも、知の体系が頭に入っていることと、現実のビジネス現場で起こることにどう対処するかは全然違うんです。シャドーボクシングと実際のスパーリングくらい違う。実践で得た痛みとかが、また知識のレベルに還元されるんですよね。ですからその両方をやらないと。
冨山:具体と抽象を行き来することですよね。それが多分、身体化のプロセスだと思うんです。ホワイトカラーが日常で行っている「人をいかに説得するか」に関しても、個別の具体的事象から、人間の行動様式や思考様式を抽象化できるかが大事なんです。抽象化をしておかないと、状況が変わったときに再現できない。
人はつい、あるところでうまくいったことは、他でもうまくいくと考えてしまうのですが、そうではないのです。そこにはいくつかの条件がある。一つひとつの個別ケースを、実践のなかで抽象化していくことが求められているのです。N(母集団のサイズ)が大きくなれば、どこでも通用する話と、条件が変わると通用しない話の差が見えてきます。
堀内:僕はエグゼクティブ教育やリベラルアーツ・プログラムに来られる皆さんに、こういうところに参加して、本を数冊読んだからといって、「自分は他の人よりちょっとは勉強している」なんて思うのは甘すぎると伝えています。人生の時間はとても限られています。ですから、本当にビジネスパーソンとして一人前になろうとするなら、2人分の人生を生きるくらいの勢いで高速で学習と実践を回さないといけない。そう考えれば、おのずと自分の時間をどう使うべきかが分かってくると思います。
新しい教養に入るのは「宗教観」
堀内:中世では、「リベラルアーツ」と「機械的技術(アルテス・メカニカエ)」の2つは明確に分かれていました。後者は、職人が手で覚える技術、「実学」のことです。知識階級が身に付けるリベラルアーツと職人が身に付けるアルテス・メカニカエでは、大学と職人学校というように、学ぶ場所も違っていました。
ところが、その時代に比べて自然科学やテクノロジーが格段に進歩した現在、実学の重要性はすごく増していると感じます。テクノロジーが実際に世の中をけん引している。この意味でも、これからのビジネスパーソンが身に付けるべき新しい教養を整理し直したいんですよね。
冨山:ただ、いわゆる昔の実学も現在ではだいぶ言語化されていますから、リベラルアーツとアルテス・メカニカエの境目は、昔ほどの意味がなくなってきたのではないでしょうか。プログラムも言語で動いているし、AIも一種の言語になりました。大谷翔平選手の技術も、ボールの回転数やスピードなどの数値で言語化されています。技術と言語の境目が消え、広い意味ですべてが言語領域に入っていく可能性はあると思います。
その上で整理すれば、「言語を使って判断する」というところが重要になってくるはずです。ですから、その人の主観が立ち上がる領域についての整理が必要だと感じます。客観的な領域は、どんどんAIに侵食されていきます。ただ、AIは情報を集めるだけですから、最後の判断は人間に残ります。まさに主観力の問題になるわけです。そうなるとやはり、古典とか宗教の世界観に入っていくのかなと。
堀内:世界観を持たずに行動することはできませんからね。僕も、最初はビジネスパーソンにとっての教養という意味では、神や宗教という観念はあまり関係ないと思っていました。でも最近は、こうした社会や個人のベースにある宗教観のようなものがとても重要になってくるのではないかと考えています。もちろんこれは、特定の宗教を信じなさいということを意味するわけではありません。その人を動かす社会学的な意味でのOSに宗教観が深く関わっているということです。
冨山:AIが発達するということは、結局、人間はメタのほうにいかなきゃいけない。つまり、自分の行動をより高い視点から見なくてはいけないということです。低い次元は、どんどんAIに置き換わりますから。となると、神の視点に近づかざるを得ない。
だから堀内さんの言う通り、宗教観を抜きにはリベラルアーツを語れなくなるかもしれないですね。
堀内:日本人の場合は、自分たちのベースになっている仏教と神道をちゃんと勉強した上で、キリスト教的な世界に臨まないと、自分が何者なのかが分からなくなってしまうかもしれません。西洋哲学の本はだいたいキリスト教的な一神教の世界観で書かれていますが、多くの日本人はそこには立脚していないですから。そういう意味で、現代的なリベラルアーツには「宗教観」も入ってくると思いますし、仏教を勉強しないで教養を語るのは無理だと思っているので、僕自身も今、仏教の勉強をしています。特に、多くの日本人もある程度理解している大乗仏教よりも前の、初期仏教を学ぶ必要性を感じています。
これからの教養がもたらす「愉快な生き方」とは
堀内:「自灯明(じとうみょう)」という言葉があるじゃないですか。お釈迦様が死ぬときに、弟子から「あなたに死なれたら困ります、我々はこれからどう生きていったらいいんですか?」と問われて、「もうあなたたちは十分に学んだのだから、これからは自分を灯(ともしび)として生きていきなさい」と返した、という。僕は結局、こういうことなんだと思っています。
この教えを簡単にいうと、「自分の基軸に従って、自分でちゃんと考えて、自分が正しいと思う道を生きなさい」ということですよね。偉くなったとか、金持ちだとか、いい大学に入ったとか、いい会社に入ったとか、関係ないわけですよ。「自灯明」に加えてもう一つ、「法灯明」という言葉もあるのですが、ここでいう「法」というのは「真理」のことです。
このように、世の中には普遍的な道理があり、そして自分の中に自分の基軸がある。だから、それに従って生きなさい。言われてみれば当たり前のようなことで、本来は誰でも知っているような話なんだけど、周りに翻弄されているうちにそれが見えなくなって右顧左眄(うこさべん)し始めるんですよね。
堀内:ただ、自灯明といっても、自分の中に何も灯となるものがなかったら困ることになります。ですから教養が必要だと言っているのです。
冨山:教養がないと、「俺のルールだからなんでもいい」ってなっちゃう。そうなるとますます、選択肢を創造し、決断する力が求められることになり、「相手に気に入られるにはどうするか」は意味がなくなってくるんですよね。
堀内:「自灯明」や「法灯明」だけでなく、キリスト教のような強い律法宗教に比べて、仏教には「自分で納得して決めていける範囲」というのが広いんだと思います。特に初期仏教においては。そして、その自分なりのルールを構築するための一つのツールとして、本がありますよという話ですよね。繰り返しになりますが、ただ本さえ読んでいれば教養が身に付く、なんでも解決できるということではない。
冨山:そのレベルの本物かどうかっていうのは、実践に移してみないと分からないですよね。本物であれば実践したときに結構気分がいい。なんかいい感じだし、愉快だと思います。
堀内:スポーツもそうじゃないですか。野球の理論書を一生懸命読んで、ボールが時速何キロだとか何回転しているとかの分析をいくらしてみたところで、結局は自分で何度も実践してみてうまくいったと思えるかどうか。
冨山:だから実践とセットなんです、必ず。仕事も同じで、自分とは本当はフィットしていない世界観で仕事をしているときは大体不愉快ですよ。いつもshall(すべき)とcan(できる)だけに縛られてしまう。will(したい)の議論の心地よさはないですよね。
堀内:本当にそう思います。心の状態はすぐに体にあらわれるし、自分が思っていることと違うことを言っている人は表情がゆがみますよね。人間の体は非常に精密にできているんで、ちょっと心の迷いとかがあると表情とかに出ちゃう。
冨山:たった1度の人生ですから、やっぱり愉快に生きていたいですよね。
(構成/黒坂真由子、撮影/尾関祐治)
感想;
「読む力・聞く力・話す力・書く力」
本を読む。これはインプット
読んでそしてアウトプット
先ずはこれを行うことなのでしょう。
アウトプットには書く、話すが必須ですね。
インプットは読むと聴くなのかもしれません。