幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

(音声記録は7月中)講演「今なぜテレジンなのか」 野村路子氏(2024年7月21日10時~12時)「テレジン収容所の幼い画家たち展」浦和パルココミュニティセンター9F 24日14時まで

2024-07-22 09:26:26 | 生き方 考え方 笑顔 ロゴセラピー
1991年から展示会を行っている。
絵の話をしたいと思います。

パネルが経年劣化しています。
解説の中に子どもたちが映っているのを展示しています。

今世界では、飢えや砲撃で、病気でも治療を受けられない子など、そういった子どもたちと同じように、テレジン収容所の子どもたちを紹介したいと思います。

1989年2月、1989年はベルリンの壁がなくなった年、娘の卒業旅行を一緒に東欧を巡りました。
二人で行くから、やはり一人では行けない国に行こうと。
ビザをとらないといけない国は東欧だと。
面白かった、大変だった。ポーランドに行こう。
だったらアウシュビッツに行こうと。
今は観光地になっているが、多くの人に見てもらいたい。
当時はだれもいない。でも誰かの声が聞こえてくる感じ。
犠牲者が残したもの。靴が山のように。子どもたちの靴も。
それに違和感を。荷物は一人ひとりの持ち物。

2日後にプラハに入って、アウシュビッツで気持ちが落ち込んでいました。
偶然、子どもの絵が展示されていました。
英語の解説はありませんでした。
わからないけど、子どもの名前が書いてありました。
1930年何月、1940年何月、その下に書いてあった言葉。
当時地図にアウシュビッツの名前はなくオシフィエンチム と呼ばれていた場所。
ユダヤ人以外の障害者やジプシーも殺戮の対象になりました。
絶滅収容所とも呼ばれています。
プラハの小さな建物の展示で、その年に生まれた子どもがアウシュビッツで殺されたんだなと分かりました。
明るく生き生きした絵が多かった。
殺されるのになぜ、明るく、普通の絵だったのだろう。
そして名前が書いてあったのが素晴らしいと思いました。
でもなぜ名前があるのだろう?
その展示がチェコ語、ロシア語で、私が知っている日本語、英語、フランス語が通じない。娘が通じない時は日本語が一番良い。なぜなら感情がこもるのでと娘が言うので、日本語で話したら、係の人にトイレに連れて行かれました。
その建物を出て道を歩いている人に英語通じますかと尋ねたら、そのところの展示なら、あの建物の事務所に行けばよいと教えてくれました。
そこに古いパンフレットをくれて、それがフランス語だっったのでホテルに戻って読みました。当時私は3つくらいの収容所しかしらなかった。
テレジン収容所を知らなかった。
中継所として使われていた。
文化人が多く収容されていた。

ドイツはテレジン強制収容所は優遇していて、テレジンを使って国際社会にPRしていた関係もあり、文化活動を少し許していた。
子どもたちだけが収容され、そこで大人が子どもを教えていた。
絵も描かせていた。
子どもたちは15,000人いたが解放されたとき、100人が生き残った。しかし、絵は4,000枚残っていた。それをパンフレットで知りました。

こどもたちの絵が暗かったり、寂しかったら、私はこころが動かなかったと思う。
生き生きした明るい絵が多かった。
テレジンでは子どもたちは勉強した。
フリードル・ディッカー・ブランデイズという芸術家が絵を教えていたことが分かった。
絵を描くことで子どもたちの心をよみがえらせていた。

その絵を日本で展示しようと友だちに話したら、「良いのでは」というだけで、積極的にやろうという人はいなかった。
その絵を日本の子どもたちに見せたいと思った。
当時過程調停の仕事をしていた。
離婚が多いが、子どもたちに付き添って裁判官と話をすることもある。
鑑別所に子どもの絵が掲示してあるけど、その絵には心が動かない。
子どもに、「少年院に行かなくて良い」良かったねと言っても、子どもは良いと思わない。「学校に戻れるのよ」と言っても、別にと。
そこの絵はお手本通りの絵だった。
しかしテレジンの絵は子どもたちが生き生きと描いていた。
この絵を日本で見せたいなと思った。
ちゃんと大人がやれば、子どもたちは描けるのだと。
1年経過してもやはりやりたいと思った。
チェコスロバキヤの大使館を突然訪問した。
でも言葉が通じるのだろうかと不安になった。
受付は日本人。
一等書記官の方は日本語が上手いので良かったが、写真のことは知らなかった。
その人はプラハに生まれ育ったけど「知りません」と言われた。
彼はとても誠実な方で、本国に問い合わせしてくれた。
チェコスロバキヤは当時ソ連の支配下で、ホロコーストを教えていたなかった。
その方は、日本に3年おられた。日本で行った展覧会に来てくれた。

帰るとき、「私は国の歴史をあなたのおかげで知りました」と言ってくれた。
そのおかげで1991年から展示会を行えるようになった。
ユダヤ人コミュニティーに子どもたちの絵は保存されていた。
その団体からもお礼を言われた。
絵を借りた。

実物の絵が来ると思っていた。
絵は傷んでいて動かすことができません。
絵の写真を撮って、そのフィルムを差し上げます。
その永久使用権をあなたにあげますと言われた。
大使館を通して生き残りの人の内6家族と連絡を取ることが出来た。

テレジンに移る時は1家族、最大50kgの荷物だった。
学用品を持って行って良いよと両親は行ってくれたそうだ。
フリードルさんは荷物に、多くの紙や絵の具、ひょっとして子どもたちと会うかは分からなかったがそのときのために。
テレジン収容所では皆が協力してくれた。
封筒、包み紙、ダンボールなど。
それに絵を描いていたことが分かるように思って、何度も何度もお願いした。
多額の保険をかけることを要求された。1,000万円の保険。スティールのケースに。
封印がされいる。絵のケースが鎖を腕に付けてと言われたけど、それだけは許してもらって、6点の原画と150枚のフィルムを日本に持って帰れた。
何人かの友人たちが手伝ってくれた。
同級生の男性、マスコミに勤めている、厳しいことを言われた。
日本は世界の名画が見られる。原画は6点、人は来ないよと。
でも多くの人が見に来てくれた。
子どもを連れてくる人も多かった。
最初は熊谷市の八木橋デパートだった。
その次の展示が大宮のそごう。
受付にいたら、子どもが来て、「おやつあげるよ」と。
絵の中にアーチがあって、「幸せの国」に入れる。1コルク。
籠を持った天使。豚やハリネズミにもフォークが突き刺さっている。
その子に飴をあげると。この子に見てもらっただけで良かった思った。
子どもたちは子どもの気持ちで分かってくれる。
自分たちは今幸せでもそうでない子どもたちがいたことを、明るい絵から感じ取ってもらう。
子どもたちは絵だけでなく、詩を書いていたこともわかった。
大使館の方が英語に訳してくれて、そして日本語に訳した。

絵の展示を私は1年で止めるとつもりだった。
新聞に私の名前とか住所が載って要望が来て、私から知り合いに頼んだりもして、23か所、札幌から鹿児島での展示ができた。
8万2千人が泣いたとの新聞記事が載ると、私たちも見たいと全国から言われた。
それから30年以上続いている。
私は今は80代後半、50代後半で初めて、今も続いている。

家を描いた絵が多い。4,000枚見ていない。300枚の絵は見ている。
300枚の中で、家を描いた絵が多い。次に花と蝶々、街の風景。
子どもたちは家に帰りたかった。
この道を走って帰ったら家に帰れる。その思いが強くあったと思う。
私の子どもも学校で家の絵を描いた。
当時団地に住んでいたけど、家の絵は資格ではなく、三角屋根の絵を描いていた。
テレジンの子どもたちの絵は、家に続く道を描いていた。
後になって思うのは、なんか声がする。聞かないといけない。
家に続く道があるのは子どもたちの願望が描かれているのだと。

絵を教えた先生の存在が大きかった。
フリードル先生は、子どもたちに絵を描いたら、「名前を書きなさい」と言って書かせていた。
収容所では、番号で呼ばれていた。
番号札はダンボールに番号が書いてある。
この番号がわからないと食事も摂れない。
フリードル先生は、名前を書きなさいと。
名前のない絵は未完成の絵。
絵を描く時間は短く、一回で描き終わらない。
次の時間に描こうと思って、毎日点呼があり、体が弱っていると東へ(アウシュビッツ)送られた。
病院の風景、女の子。この絵を頼んだ頼んで日本に持ってきた。
絵の女の子の髪の毛は毛糸で、もう一人は自分の髪の毛で切って貼っていた。
この絵は完成していない。医者の頭は鉛筆で髪を描いている。
名前もなく、この絵を描いた女の子は亡くなったのだなとと思った。
多くの人が触りたくなる。これぽっちの髪の毛しか残せなかった。
今はパネルなので、触って大丈夫です。

日本での展示を進めていた。
1990年、この絵が初めて世界に出る予定だった。
「アウシュビッツで消えた子どもたちの絵画展」を開催する会を作ってやっている間に、準備がかかって、イタリアに先を越された。

プラハのシナゴークに犠牲になった人の名前が書いてある。
600万人犠牲者の正確な数字はわからない。
ナチスが調べた当時のユダヤ人は1,100万人いた。生き残った人を差し引いた人数が推定、600万~650万人が犠牲になった。
チェコスロバキヤに住んでいたユダヤ人の名前。それだけ名前を大切にしようとしている。
アウシュヴィッツが解放された日を記念日にしている。
一人ひとりに顔があった、名前があった。それを大事にしていると。

生き残った人の話、100人生き残っていたと本に書いてあったので、誰か紹介して欲しいと頼んだけど、それは難しいとの返事。
テレジン収容所が出来て50年、1991年のアニバーサリーを行い、ユダヤ人コミュニティが調べて分かったのは、消息が分かったのは23人だけだった。
その人にお手紙を英語で書いた。
そこで過ごした人がどうだったかと、何度も手紙を出したけど、返事が来ない。
またお断りの返事が。
イスラエルにはテレジンに行った人の集まり、キブツがあるから行ってみたら良いと言われて、行った。
ナチスは自分たちの証拠を燃やした。
しかし、紙が残っていたので見たら、それが子どもたちの絵だった。

キブツでその方が待っていてくれた。
その方はが女流画家を尊敬して、手伝っていた。
フリードル先生の教えを、ビリー・クロアさんから聞いたら。
ビリーさんが、この近くに子どもで生き残った人が住んでいるよと紹介してくれた。フロントから、とてもステキな女性が立っていて、「私が生き残りよ」と。
リタ―・クリアさんの紹介で1929年生まれ。アンネフランクも同じ年齢。
これ以上の年でないと当時の記憶を覚えていない。
私は1937年生まれ。
市ヶ谷で焼夷弾落ちて焼き出されている。
記憶が断片的。姉は記憶している。
ちょうど記憶を語れる年齢かなと。

ビター・クラウさん、チェコで講演を頼まれて、チェコにも家がある。
私より元気でイスラエルとプラハを往復している。
日本に招いたことがある。彼女はテレジン⇒アウシュヴィッツ⇒ベルゲン、手に番号が刺青されている。
どうしてもマスコミがインタビュー、その刺青を写真を取りたいという。
それを彼女に謝ったら、あなたは、「ごめんなさい」と謝る必要はない。
私は語ることが求められている。
だからあなたは「ありがとう」と言えばよい。
私は生き残っているのだから、語るのがキムなのよ。
誰だって辛いことを語りたくなかったのだから。

私は今度私がたくさんの方に語りたい。
私は話を聞いてしまったのだから。
大人がきちんと子どもに語ればどんな状況でも、子どもたちは普通の絵を描ける。
私はまだ十分語っていないと思う。

もう一人元気な生き残りの方はヒルガさんは外には出られないけど。メールや電話はできる。
6人の内3人は亡くなっている。もう一人の方は消息がわからない。

子どもたちの絵には、花と蝶々、たくさんの蝶々。
蝶々は花の咲くところへ飛んで行ける。
蝶々だったら。

紙芝居をライアさんを描いた紙芝居。
ライアさんからいただいたブローチも蝶々。
「伝える努力」
こんな話は聞くのは嫌だと言う人に、現実にあったのよと言っていまし。
事実を知る努力
「知る勇気、伝える努力」

「テレジンからの子どもたちの贈り物」(紙芝居)



感想
 アウシュヴィッツではだいたい14歳以下はガス室に送られていたようです。
絵に描かれた子どもの生まれた日が絵に書いてありました。
そしてアウシュヴィッツに送られ年月が書いてありました。
絵のほとんどの子どもは1~2年以内にアウシュヴィッツに送られていました。
アウシュヴィッツでは明確な年齢でのガス室送りの年齢は決まっていなかったようですが、だいたい14歳が分かれ目だったようです。
絵に書かれていた子どもの年齢はほとんど皆14歳以下でした。
絵画のフリードル先生もアウシュヴィッツに送られたそうです。

 午前中、野村路子さんのお話を伺い、その後、展示を見ました。
ネットで調べると、フリードル先生はチェコを去るパスポートを友だちが手配してくれましたが、子どもたちと一緒に残ると言ってアウシュヴィッツに送られました。

 蝶の絵が多かったとのこと。アウシュヴィッツのガス室に蝶の絵が描いてあったそうです。
エリザベル・キューブラ=ロス女史がそれを見て、ご自分の活動団体の象徴に、蝶の絵を使われています。
手から新しく飛び立つ
蝶は共通しているように思いました。

第4回;NHK『こころの時代』 ヴィクトール・フランクル第四回人生という「砂時計」(死を考える)

2024-07-21 06:58:06 | 生き方 考え方 笑顔 ロゴセラピー
 ビルケナウ 煙突から数メートルの高さに不気味な煙。あそこからお友達が天国に上っている。
『夜と霧』に強制収容所の体験。死体の山。
フランクルの家族も収容所で命を落とした。彼らが生きてきたことは無駄だったのか? どんな意味があったのか? フランクルのずーっと考えてきたテーマ。
4歳のとき、自分もいつか死なないといけないということで初めて気づき大きな衝撃を受けた。
生きることに何の意味があるのだろうか?
人生の意味が少なくなっていってもずーっと考えてきた。
死ぬのは怖いですか?
怖くない。(フランクル)
大きな意味で正しいことをしなかったらそのことを悔いる。(フランクル)

フランクルの死生観について考える。
人生という「砂時計」
フランクルは死をよく考えた人。
私たちは「死を考えない」生き方をしているかもしれない。
フランクルは父親、母親、妻を失い、過酷な試練。フランクルは死をどう考えたか。
フランクルは「何のために生きているのだろう?」ち常に考え続けた。
強制所の中でも、何百、何千の人の死を見てきた。
それがフランクルも大きく影響を受けた。
砂時計の上にはいろいろな可能性という砂を持っている。
人の人生を砂時計に例えた。
上にはこれからの未来がある。それはこれから起きること。
砂時計の狭い部分を通って。
下には狭い部分を通過した砂。
この狭い部分を現在を示している。
私は何千何百、どの砂粒を下に落とすかの選択肢がある。
フランクルは「そのとき、どうするかの決断の自由の場がある」という。
強制収容所には自由がないように思えるが、何かをする自由がなくても、精神はどうするかの自由がある。
砂粒が下に落ちたときに永遠のものになる。どう自分が対処するか。
自分の選択の結果が下に残る。
下に凝固剤が入っているように、落ちたままの形は変わらない。
永遠に保存されているものだとの考え。
大切にとっておかれる。

永遠に残るというのが興味深いところだが?
その人の過去、生き様が消えずにあると思うと、救われる気持ちになる。
残るだけでなく、それを思い出す人がいなくても、事実として永遠に残される。
何百万人がホロコーストで殺された。一人ひとりの名前があり、生きたんだと。
ホロコーストでなくても、死んでいった多くの人がいてその事実は残る。
一度起きたことはなかったことにできない。

フランクルは多くの死を見てきたので、一人ひとりのいのちは大切だと。
その事実が尊い。
できれば価値のあるものを砂時計の下に落とす。
何をやっても自由だと。
ヒットラーのように何百万人を殺す。
お母さんは子ども三人育て、ガス室で殺される。
その自由に価値があるか。
一瞬一瞬を価値のある生き方をしたい。
フランクルが一人生き帰った。
なぜ自分一人が生き残らなければいけないのか。
死んだ人を無駄にしないをフランクルは大切にしたいと。
死んだ人の分まで。

日めくりカレンダーの例え
過ぎ去った日を元に戻すことはできない。
日めくりカレンダーが毎日残りが薄くなっているを見ている人。
カレンダーから切り取ったカレンダーを積み重ねている人。
そのカレンダーの裏にメモを書いていく。
フランクルはカレンダーの裏に楽しいこと、辛いことを、一日一日を大切にしたいとの思い出日めくりカレンダーの例えを使った。
「今日も一日終わったな」と感謝の気持ちで過ごす。

相談に来る人で、「嫌なことばかり」と言う。
毎日良かったことを5つ書いてください。
次回来たとき、何もありませんと。
朝のお茶が美味しかったなど。
その練習をしていくと、自分の時間の使い方が深まっていく。
感謝して生きると、人生の生き方が変わってくる。
高齢の方、人の世話になる。
生きていても仕方がない。
そんな人にも良かったことを5つ書いてもらう。
何もなかった人が見方が変わる。
まなざしが変わってくる。
感謝の気持ちを持つことができれば、介護されている高齢者でも人生が変わって行く。
ウィーンで講演したとき、「憎しみを感じない。感謝の気持ち」を感じるとフランクルは話した。
憎しみで生きる人、それが爆発する人もいる。
「悪の鎖」はどこかで断ち切らないといけない。
あなたがやりなさいではなく、自分がやらないとそれが終わらない。
世界中の見ても、カザの出来事も、暴力でやられたら仕返しをする。
それは次の悪の鎖が出来てくる。
自分たちは関係ないと思うのではなく、悪の鎖を断ち切った人が居たと。
例外的な人かもしれないが。

人が生まれたきたくさんの可能性が詰まっている。
残された砂が少なくなると悲観的になる人が多い。
その人は収穫が終わりに近づいている畑を見ている。
その人は収穫を終えた納屋のたくさんの収穫物を見ていない。
刈り取り機から見ていると、どんどん減っていくこれから刈り取られる農作物を見ている。
収穫されたものを見ていない。
こんなにたくさんの収穫物があるじゃない。
それを見てもらうのは力になる。

楽しいことがないということはないはず。
日々それを見つける実践。
フランクル的な人生の見方、それで一瞬一瞬が変わってくる。

シニアの合唱団をやっている。
私は甘やかさずに厳しくやっている。
皆厳しいと言うが、楽しくやっている。
三部合唱もやる。

自分がどう自覚するかによる。
一瞬が大切である。
人間は有限である。
それがつながっている。
終りがなければ、この番組も今ではなく50年後にやろうと考えるかもしれない。
有限だと今の時間を大切にしようとする。
砂時計の何を落とすが大切になる。

実存主義。
今も過去もない。
フランクルはそれに過去は収穫物と考えた。
今という時間を大切にする。
砂時計のイメージはわかりやすい。
まさに今どの砂を落とすか。
人生より大きな、地球環境がずーっと続くと考えると地球を大切にしない。
死を考えることで今をより良くする。

砂時計の上の砂がなくなるとそれが死。
自分が過去としてある。
人は一瞬一瞬の行動で自分を作り続けている。
死んだときにすべてが定まる。
人間は死ぬことで世界の中に出される。
死で人生が完成する。
その人自身がはっきり出てくる。
本人はわからない。
亡くなってその人の人柄がわかる。

人は死によって完成される。
それなら必ず訪れる死をどう考えるか。
死は寝ている子を優しく目覚めさせる母親の行為。
どんなに優しく手が触れてもそれを感じることはできない。

死とは精神的次元からみると完結させるもの。
死とは冷たい手が永遠の眠りに連れて行くのが一般的なイメージ。
フランクルが強制収容所で書いた戯曲がある。
ジャガイモ盗んで食べた。その人は暴力を受けて殺される。
それを天国から見ている母親がいる。
天使に頼んで自分のところに子を呼び寄せる。
辛いことからの解放とのひとつの見方。
それも一瞬一瞬を大切にすることに繋がる。
自ら死ぬことを肯定するようにも聞こえるがそういう意味でない。
死によって新しく生きることに繋がる。

この世に生まれるのが神様からの贈り物と考えると、終わりが悪で終わらせていけない。
どう生きているか、その積み重ねが死。
人生からの最後の問いかけ。
どういう人生を創りたいか。
どんな人間にも何か使命を与えられている。
どんなミッションを与えられているかわからない。

ウィーン中央墓地、ここにフランクルは眠っている。
フランクルが大切にしていた一つは登山。
輝く日々それが過ぎ去ったのを嘆くのを止めよう。
かつてそれがあったのを喜ぼう。

勝田が地元で取り組んできたこと。
高齢者と歌うことで時間を分かち合っている。
年齢を重ねた今こそ、一瞬一瞬を大切にできる。
(参加者の声)
歌うより、祈りのような気持を込めて歌っている。
歌うのは本当に楽しい。
「ふるさと」を皆で日本語で歌う。



感想
 砂時計の例え
未来は前にあるが、砂時計の例えでは、未来がこれから訪れると考えます。
どの砂を落とすかの自由が、選択肢が自分にあります。
 死を考えることで、今を大切にしようと思う気持ちが高まってきます。

 何もできない。人生に意味がない。生きる価値がない。
それは自分がそう思い込んでいるだけなのかもしれません。
あるいはそれまでの親や先生や周りから、自分の今の考え方は大きく影響を受けているのかもしれません。
 砂時計の例え、どの砂を下に落とすかはどんな時にでも選択肢なのでしょう。

「これからのマネジャーが大切にすべきこと 42のストーリーで学ぶ思考と行動」ヘンリー・ミンツバーグ著 ”地に足をつけて現場に関わっていく”

2024-07-19 15:37:37 | 本の紹介
・誰かの欠点を知る方法は、2つしかない。その人と結婚するか、その人の下で働くかだ。

・私は、マネジメントに「魔法の特効薬」があるとは思わない。それでも、マネジメントのあり方を大きく改善するための処方箋があるとすれば、それは「マネジャーの選考では、候補者にマネジメントされた経験のある人たちの声を聞け」というものだ。この点をじっくり考えて欲しい。

・イギリスの大手小売りチェーン、マークスペンサーは、在庫を売り場に移動させるプロセスの管理にコストがかかりすぎていることに気づいた。当時は、売り場の店員が商品補充の注文票に記入して別の担当者に渡すと、その人物が倉庫に行って商品を取ってくる仕組みになっていた。同社はこの手続きを廃止し、売り場の店員が自分で倉庫に行って、足りない商品を持ってくるようにした。これにより、チェーン全体何千人もの店員を減らし、2000万枚の注文票や書類をなくすことができた。
 イギリスの数学者で哲学者のアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは、こう記している。「当たり前に見えるものを分析するには、きわめて型破りな発想が必要とされる」。アナリストたちは、この言葉を肝に銘じた方がいい。

・一見すると、コンピューターの画面に表示された数字はいかにも信頼できそうである。しかし、そのデータがどこから来たかを考えるべきだ。

・アメリカの作家F・スコット・フィッツジェラルドいわく「第一級の知性の持ち主とは、2つの相反する考え方を同時に受けとめながら思考し続けられる人のことである」。

・『世界最強の教育機関 ハーバード・ビジネス・スクールは何をどう教えているか』

・『MBAが会社を滅ぼす』

・「MBA出身のCEOはそうでないCEOに比べて、利益のかさ上げや研究開発の圧縮など、短期志向の戦略に基づいて行動することが多い。しかし、その種の行動を取ると、のちに会社の株式時価総額が縮小する」。それにもかかわらず、MBA出身のCEOたちは、この「成果」」を理由に莫大な報酬を手にしていた。

「ニュー・パブリック・マネジメント」(NPM)と称して流行のビジネス手法を模倣することを容認すべきでない。

・「もっと多く」より「もっとよく」を

・シルヴィーが語ったストーリーは、きわめて印象的だった。彼女は、他の選手のことではなく、自分自身の経験について話した。20歳で迎えロサンゼルス五輪の競技当日、決勝への進出を決めた彼女は、あらゆる人の物事を意識の外に追いやった。コーチや親、ジャーナリストもすべて寄せつげず、新聞やラジオやテレビも遠ざけた。協議中、その時点での順位や成績を耳に入れたくなかったのだ。
 だから、最後の試技を終えた時点で、金メダルを獲得できたのか、それとも何も獲れなかったのかわからなかった。だからこそ、優勝できたのかもしれない。彼女がベスト(一番)になりたいと思っていたことは間違いない。金メダルと獲れるのは一人だけだからだ。しかし、その目標を達成するために選んだ方法は、自分のベスト(最善)を尽くすこと、言い換えれば自分自身と競うことだったのである。
 高い水準を目指す姿勢を捨てるのではなく、一番にならなくてはならないという思い込みのほうを捨てるべきだ。そうすれば、自分にとって最善の結果をえることができるのだ。

感想
 現場をよく知ること、人を大切にすること、未来のために今をすることを言っているように思いました。

『「現場主義」で品質向上!~「行為保証」でできる製造技術改革~』遠藤勇著 "行為を確実に行う”

2024-07-17 20:04:04 | 本の紹介
・世に出ている品質問題には、現象別で二つあることをご存知ですか。、
①技術力不足
②基本的に防げる不良が、何らかのミスで流出

・ある企業の品質のトップ
 そのトップが運営している工場には、「品質保証部門は無い」と信念をもった話しを聞いたことがあります、品質問題が発生するば、その日中に不具合を発生させた人が対策を立て、工場長に報告する仕組みを作り、その中でコミットメントを求め、自覚形成をおこなっています。

行為保証(目的を持った動作の保証)を単位として、品質管理する方法論であり、大きく違う点は単位の小ささではなく、保障の対象が変わることです。それは製品の出来栄え管理から作業の出来栄え管理に変わることです。

・ノーリツ事例ですが、Endo Method:組立・加工品質マトリックス導入事例です。2001年度から2006年度までの確認で、770ppmの工程内不良が60ppm程度の低減でき、それとは反比例するように、信頼性の点数が向上し8650点⇒10000点を超えるレベルになっています。

・「“〇〇に注意のこと”とありますが、具体的には、どんな指示事項ですか?」と尋ねました。生産部長は、具体的な回答に困り現場の責任者である係長に、「現場にある、品質ポイントを持ってきなさい」とその場で支持され、その係長が急いで、品質ポイントを持ってきました。
 それを確認したところ、そこには具体的な指示が無く、また、私が生産部長に「“〇〇を丁寧に”とありますが、具体的には、どんな指示事項ですか?」と尋ねると今度は、“スー”と顔色が変わっていったのです。

・一つ、気になる動作を発見したのです。10回に1程度ですが、問題個所のビスの着座確認が出来ていないことに気が付きました。
「あれや! ビスの着座に目線が当たってない状態で、ビス先が接手部のツバに当たり、ビスがうきに繋がっている」

・Endo Method:組立・加工品質マトリックス
①誰もが使えるノウハウ集「製造技術標準」の充実
②マトリックス表で品質レベル(信頼性)を評価する
③改善項目リストにより、改善課題の成果と進捗管理を行う
④品質パトロールにより、バラツキと精度確認を行い改善課題を追加し、品質レベルを維持向上する
⑤波及効果により(生産部)全体をレベルアップさせる

・正しい作業とは、目的を持った動作の中で、目的を達成したかどうかを人間の五感を使い、確認できている作業をいいます。

・具体的に作業者がどんな事を確認しているかです。
①ある・なし確認(デジタル確認)
②識別確認(名称・記号・Noなど)
③状態確認(着座・ロックップ・変形など)
④員数確認(定数確認など)
⑤複数事象の同時確認(着座とトルクップ)

・品質・納期・原価(QDC)

・品質問題は、品質管理の問題といわれる企業が時々、いらっしゃいます。生産部門の問題です。品質管理部門の方が四苦八苦しているのを見て見ぬ振りをするところがあり、間違いだらけの造り込みを行っている場合があります。
 品質管理部門の人に、課題を与えられ、そrをこなしている生産部門の技術者がおります。
 又、現場を知らない品質管理屋さんが、現場も知らず自分達の机上の品質管理の方法論を強要する形が時々見られます。
 私が、生産部門長であったとき、生産部門は品質管理部門い品質向上の手伝いを依頼しませんでした。方法論も自前で開発して実施しました。一番良かったことは、自分が決めたものを自分たちが守るところに、自分らしさがあり品質の造り込みに自覚があり、誇りをもてたことだと、今になって思います。

感想
 「品質保証部門は無い」
この言葉には驚きました。
現場が自分たちの問題と思って自分たちで解決する強い意思を感じました。

 一つひとつの行為(作業)を確実に行うことの大切さ、それをおこなうための補法のようです。

 現場を知ることがとても大切だということを改めて認識しました。

「水中の哲学者たち」永井玲衣著 ”考えることの大切さを哲学対話で学ぶ”

2024-07-16 09:18:09 | 本の紹介
・哲学対話は、日本だけでなく全世界で行われている。
 学校などで行われる子どもとの哲学は、哲学対話という名前よりも「P4C(Philosophy for Children)」という名称のほうが一般的だ。

・ある小学校で哲学の授業をしたとき子どもたちに、考えてみたい問いを紙に書いてもらった。全国どこでも相変わらず小学生に人気なのは「なぜひとは生きているのか?」「死んだらどうなるのか」「人間とは何か」で、年齢が上がっていくと「本当の友だちとはなにか」「なぜ目上のひとは敬わなければならないのか」など、人間関係の問いに入っていくのが面白い。高校生や大学生になると「責任とは何か」「平等であることは可能か」など、社会正義の問題へ集中し、社会人になれば「なぜ人間関係はつらいのか」など、人生に対する疲労が見え隠れする。

・ひとが集まって話すとなると、共感しあって終わるか、もしくは闘争するか、そのどちらかと思われがちだ。だが、弁証法はそれらと全く異なる。弁証法は、異なる意見を前にして、自暴自棄に自身の意見を捨て去ることではない。ただ単に違いを確かめて、自分の輪郭を浮かび上がらせるのでもない。異なる意見を引き受けて、さらに答えを刷新することだ。

・スマホを取り出そうとバッグをのぞき込んだら、持ち物が茶碗蒸しまみれになっていた。
財布も。
MacBook Airも。
使い古された雑誌も、このあと提出する大事な書類も、とにかくすべてが。
卵だ。卵だらけだ。
 理由はすぐに思い当たった。研究室で隠れて食べようとコンビニで買っておいた茶碗蒸しがバックの中で破裂していたのだ。

・高校生のとき、当たる心理テストがあると友だちが言った。
「まず紙に1から5を書いて」
 友だちはうれしそうに、わたしを含む3人に指示をし、わたしたちはいそいそと単語帳やプリント、教科書の空白部分に数字を書き込んだ。
「1と3の横に、異性の名前を書いて。2は自分の知っているひとの名前、4と5は頭に浮かんだ曲の名前を書いて。本当にやばい、まじで当たるから。書いた?」
「えー! ちょっと待って」
「直観でいいから、考えちゃだめ」
鞄を膝にのせ、足を組んで大人っぽく微笑む友だち。嫌味のない笑顔ができる彼女は、きっと大蛾に入ったら人気者なはずだ。
「できた? じゃあ答えを発表します。1が、あなたが恋しているひと。3が、恋したけど、叶わないひと。2が幸せをもたらしてくれる人!」
 2人は、わあっと声をあげ、きゃあきゃあと言いながら手で自分の回答を隠している。最近気になる彼の名前をかいたのだろう。
「それでね、4が愛しているひとを表す曲で、5があなたの人生を表す曲なんだって。どう?」
急に静かになったなと目をやると、友人らは感動のあまりあおざめていた。

・小学校で子どもたちが考えたい問いとしていちばん挙がるのはいつも「生きる意味」なのだ。
 最初の発言者は、「ひとに生きる意味なんねえよ!」と叫んだ少年だった。・・・
 しばらく皆が考え込んでいると、別の少年がしみじみした空気を切りさくように「たしかに人生に意味はないよ、でも生きる意味をつくっていくのが人生じゃん」と反論した。
 「あなたがたが生きる以前に生は無である。しかし、これに意味を与えるのはあなたがたであり、あなたがたの選ぶ意味意外において価値というものはない」
サルトルの言葉をどうしても思い出してしまう。人生に意味なんてないからこそ、意味を見つけていくことが可能なんだという逆説。・・・
 少年の向かいに座る少女がふと「でもさあ、死ぬからいきるんじゃん」とつぶやいた。
「変な言い方だけど、死ぬために生きてるんだよ」
 なんだよそれ、とか、変なの、と子どもたちはぽたぽたと言葉を落としていく。


感想
 「なぜひとは生きているのか?」「死んだらどうなるのか」「人間とは何か」
小学生に人気のテーマとか。大人でも答えは難しいです。

 話し合いをすることが良いのでしょう。
いろいろな意見があることを知る。
そしてまた考える。

「生きる意味」を考えるのにロゴセラピーは参考になると思います。