幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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目隠し、裸で連れ出し…「しつけ」称し虐待か 岡山女児死亡 ”何のために児相は存在しているのか? 助けて!の声を聴かなかった!”

2022-02-15 19:22:00 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e75545b2c128263e7a1ac321c80c1b967bed49a 2/15(火) 11:30毎日新聞

 岡山市で当時5歳だった西田真愛(まお)ちゃんが虐待を受け、その後死亡した事件で、逮捕された母親の交際相手が事件の1年前、「しつけ」と称して真愛ちゃんを目隠しをして裸で家から連れ出し、墓地で立たせていたことが児童相談所などへの取材で判明した。児相はこの事案の後にも虐待を「軽度」とする評価を変えていなかった。

 逮捕されたのは母親の西田彩容疑者(34)と交際相手の船橋誠二容疑者(38)。2021年9月10~23日、西田容疑者宅で真愛ちゃんに殴るなどの暴行を加えた上、空の両手鍋の中に長時間立たせたり、裸で扇風機の風を当て続けたりした疑いが持たれている。真愛ちゃんは同25日、病院に搬送されたが脳死状態となり、翌年1月に死亡した。死亡時は6歳だった。

 児相によると、事件より1年前の20年9月、船橋容疑者が真愛ちゃんに目隠しをつけ、裸のまま車で連れ出した。西田容疑者も一緒だった。墓地に立たされ、叱責されているのを見た通行人が110番。県警が出動し、児相が一時保護した。

 児相に対し、船橋容疑者は「(真愛ちゃんが)風呂で騒いだため、しつけをした」と説明。船橋容疑者らが反省していたことなどから、児相は14日間で保護を解除し、同年10月に真愛ちゃんを西田容疑者に引き渡した。その後、事件までの1年間で児相は船橋容疑者と直接面談できず、電話で1回話しただけだったという。

 真愛ちゃんに対する虐待をうかがわせる通告は19年から複数回あったが、児相は「日常的な暴力が認められない」として虐待レベルを「軽度」と判断し、その後も評価を変えていなかった。【松室花実】

感想
幼い命を救わなかった岡山市?の児相。
幼い助けて!との声を聴かなかったのでしょう。
何のために児相は存在しているのでしょうか?
誇りはないのでしょうか?
誇りではなく、埃にまみれているようです。

「告発 児童相談所が子供を殺す」 山脇由貴子著 ”児童福祉司は誇りを持って活動されているか?”
まさにこの本のタイトルのことがまた起きてしまいました。
真面目に一生懸命やられている人もいると信じたいのですが。
ただ、このケースもあまりにもひどすぎます。

きちんと、責任者を処罰して責任を取らせることです。
責任をうやむやにしているとまた同じことが起きてしまいます。

助けての 声を聴かない 児相かな
また起きた 幼いいのち 見殺しに
プライドを 自ら棄てて 平気です

福島の小児甲状腺がんと“原発事故の影響”めぐり山口環境相は発言を修正か・・・小泉元首相ら声明の波紋続く ”甲状腺がんの発生確率と福島第一原発の放射能汚染はどう考えても強い相関関係あり”

2022-02-15 18:50:05 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/6481ee58c1ab5c72424a4369a804526de04977ab 2/15(火) 16:06 TBS系(JNN)

福島県での小児性甲状腺がんの原因をめぐって山口環境大臣は、きょうの会見で「引き続き調査すると言ったことはない」「福島県の専門家のレポート、国連のレポートの判断につきる」などと述べました。今月4日の発言を事実上修正した形です。

この問題は先月27日、小泉純一郎氏ら5人の総理大臣経験者が、EUでの原発活用の動きを受けて福島第一原発の事故の影響の大きさを訴える声明をEU側に送付していたことがきっかけです。

声明の中で、福島第一原発の事故によって「多くの子供たちが甲状腺ガンに苦しみ」などと書かれていたことに対し、山口環境大臣が「誤った情報を広めている」として、5人の元総理らに抗議の書簡を送付していました。

福島第一原発の事故をめぐっては、事故による放射能の影響で小児性甲状腺がんを発症したとして、当時6歳から16歳で福島県に住んでいた男女6人が東京電力に対し、損害賠償を求める裁判を先月、起こしています。

弁護団によりますと、小児甲状腺がんは年間の患者数が100万人に2人という極めて稀な病気ですが、福島県が事故当時概ね18歳以下だった約38万人を対象に甲状腺の検査をしたところ、がんやその疑いが266人に見つかり、222人が手術を受けています。

こうした中、福島の小児性甲状腺がんには原発事故が影響している可能性を指摘した元総理5人の見解は、現時点で山口大臣が抗議した通り、「誤った情報」と断定できるものかどうか。山口大臣は、今月4日の記者会見では「結論的に福島の原発が原因という風には断じられないという状況がずっと続いている」と述べた上で、「甲状腺がんは普通なかなか調べないが、(福島で)266人見つかったということでもあるので引き続き調査する」との考えを示していました。

しかし、きょうの会見で再び見解を問われた山口大臣は「現時点で、検査にて発見された甲状腺がんが被ばくによるものかどうかを結論づけることはできない」としながらも、元総理5人の見解が「誤った情報」と言い切れるのかどうかについては正面から回答を避け、「調査の継続」をめぐってもトーンダウンしました。

記者:2月4日の閣議後会見で甲状腺がん、原発事故による放射能による影響か断定できず引き続き調査すると述べられていたかと思うんですけど、現時点では放射線の影響があるのかという問題提起に対して「誤った情報」と断定できるのかどうか、なぜ誤った情報と断定しているのか、2月10日に環境省の貼り出しもあったかと思うんですけど、そのあたりが明らかにされていなくて、そのあたりの大臣のお考えを教えていただきたいと思います

山口環境相:きわめて明らかになっていると思います。引き続き調査すると私は言ったことはないと思います。国連の13年の報告書20年の報告書、そこを引用させていただきました。それから断定というのはなぜ断定と言われるのかわかりませんけど、国連の調査結果を引用させていただいています。

記者:2月4日の閣議後会見で「原発が原因という風には断じられない状況がずっと続いている」と大臣がおっしゃられていて、「断じられない状況がずっと続いている」ということはつまり明らかにされているわけではないというふうな意味なのかなと解釈したんですけど

山口環境相:それはあんまり解釈する話ではなくて、(10日の会見で)私は福島の報告書と国連の報告書を読み上げました。

記者:大臣のお考えとしては、専門家の会議の調査報告書や結果をそのまま環境省の考えとして示しているということ?

山口環境相:専門家が科学的知見に基づいて、かなり正確にいろいろと見ておられるわけですから、それが何よりも大事だと思います。私が申し上げているのは福島の方々の気持ちに寄り添う、あるいは当事者の方々の気持ちを一番大事にするとそういうことを申し上げています。

記者:念のため確認だったんですけど、甲状腺がんのところで、たしかに2月4日の記者会見のときに「266人見つかっているので引き続き調査していく」と。「結論的に原発が原因とは断じられない状況が続いている」と閣議後で大臣おっしゃっていて、つまり現時点では原発ではないと断定していない風にも聞き取れるような内容ではあったんですね。つまり、それは修正されるということで良いんですか?そういう理解ではないと?

山口環境相:(10日の会見で)福島県の報告と国連の報告を私は読み上げたつもりです。そこにつきます。私が専門家でもないのにいろいろ判断するつもりはありません。

記者:ようは事実上修正されるということですか?我々の理解も含めて。つまりここの部分に関しては、そのまま読み上げるというふうには全然読めないんです、普通にとらえれば。だから質問出たんだと思うんです、一応念のため。

山口環境相:もうしわけない、私今原文目の前に見てないからなんとも言えないですけど、私が今申し上げているのは福島県の専門家のレポート、国連のレポート、そこでの判断につきます。

記者:県民健康調査はまだ終わっていなくて、最終的な検証作業は続いていると思うんですけどそういった議論は引き続き見定めていくという考えになるんでしょうか

山口環境相:調査を打ち切ったということではないと私も認識していますから、そこまでじゃないでしょうか言えるのは。私の方で実施どうのこうのと言えるのかどうか、若干、いま判断できる材料を持っていないので。あんまり踏み込んだ発言しないほうがいいのかなと思います。

記者:いまの朝日さんと同じで2月4日の会見で「引き続き継続する」という風な意見を大臣がおっしゃったという風にしか理解できなかったんですけど、ここを確認したかったところなんです。A.オープンエンドだと思ってください。

記者:オープンエンド?

山口環境相:要するに、打ち切ると言ったつもりはありません。

記者:継続は大事だというふうに・・・

山口環境相:私が申し上げているのは、福島県の方々の気持ちにより添いますと、そこがすべてです。

記者:きょうはそうおっしゃっていて、2月4日は続けるのが大事だというふうにしかとれなかったので、そこもやはり変わったのかなという風に感じるんですけど

山口環境相:そうですか。私はオープンエンドで打ち切ると言ったつもりはありませんというのが答えです。それは別にごく普通のことを言ってると思います。

記者:2月4日の会見の印象とはずいぶん一般的に読めばそういうふうに読めなかったので、ちょっと指摘させて頂きました。

山口環境相:きょう申し上げたとおりです。

感想
「小児甲状腺がんは年間の患者数が100万人に2人という極めて稀な病気ですが、福島県が事故当時概ね18歳以下だった約38万人を対象に甲状腺の検査をしたところ、がんやその疑いが266人に見つかり、222人が手術を受けています。」

検査したから発見できなかったとの主張ですが、222人が手術されています。
つまり必要だったのです。
手術が必要であれば、検査しなくても症状が出ているはずです。
マクロで見た場合、これは福島第一原発の放射能汚染と甲状腺がんは強い相関があるとみるのが通常の判断です。
福島県も抗議されているとのこと。
安全だから大丈夫と言われ、過疎化対策とお金で誘致を認めました。
そして、今一番の犠牲者である福島県が、「関係ないとして抗議」それている姿をみると気の毒になり、国はひどいことを福島県に科してきたんだなと思います。
きっと風評被害が広がるとの不安なのでしょう。
風評被害ではなく、汚染レベルが高いという事実があるのです。
そして汚染水を基準以下に薄めて海洋に放出するそうです。
基準を超えているものを、薄めて基準以下になるなら、何のための基準でしょうか?
食品が農薬に汚染されていたとします。
汚染されていない食品と混ぜたら基準以下になった。
これは販売しても良いのでしょうか? 農林水産省に尋ねたいです。
医薬品が基準を超えていました。
そこで他と混ぜて基準以下になったので出荷しても問題ないでしょうか? 厚労省に確認したいです。

昔、中国でのマクドナルドのチキンナゲットで、床に落ちた鶏肉を拾って元に戻していました。
作業者曰く「確かに落ちた箇所は微生物汚染され問題だが、混ぜると微生物が減るので基準以下になる。何が問題か?」と。
それを聞いて、ひどい! 中国はそんなレベルなのか!と思った人も多かったと思います。
汚染水を薄めるということは同じことをしていることになります

事実を客観的ゐ眺め、そしてきちんとした対策を講じることなのですが。

「ボディ・サイレント」ロバート・F・マーフィー著 ”心の拘束からの解放!”

2022-02-15 03:40:00 | 本の紹介
脊椎に「良性」肉腫ができたために、全身が麻痺していくという病いに侵された人類学者が、自分の身体や、自分を取り巻く家族、社会を人類学的観察の対象とした感動のドキュメンタリー

・腫瘍は容赦なく氷河のようにゆっくりと侵食していった。私の病状が日々悪化していく様子を報告されても、それは芝生が伸びるさまを観察するようなもの。

・1977年~1979年までの後退ぶり
約1年後には歩行はさらに困難になった。1978年の末には転倒を恐れて、私は歩行そのものを諦めるに至った、

・できることをすること、つまり能力をもっていることと実際にそれを使うことの間には、相互に働きかけ増幅し合う関係があるものだ。足を使えば使うほどその能力は増すが、使わなければ委縮し機能は低下し失われる。歩行を断念した結果、私の足はどんどん衰え始め、しまいに椅子やベッドから立ち上がることができなくなった。

・立ち上がることができないということの意味は決定的だった。これまでゆるやかに音もなく進行してきた量的な変化が、急に大きな質的な転換となって現れる。私の足はもう63kgのからだを支えられなくなっていた。

・病気の初期には尋ねて来てくれたある人々は、障害が永久的なものとわかると顔を見せなくなった。さらに悪いことには、これらの人々が私から遠ざかったことに罪悪感を覚えるせいで、和解は一層難しくなった。

・障害のないものたちと付き合おうと思ったら我慢強く不平を言わぬことだ。さもないと彼らはみな逃げていってしまう。しかしあまり辛抱していると今度は彼らに英雄にしたてあげられてしまうことが多い。

・特別扱いを執拗に拒む私のやり方はある程度功を奏した。門戸開放策のおかげで私の研究室は間もなく学部の社交の中心となった。門戸開放というのは文字通りの意味で、それは、開けっ放しにしておかないろいちいちドアを開けに行くこともできず、私の弱い声では、一日中“どうぞ”と叫び続けるわけにはいかなかったからだ。

・中枢神経組織の退行というものはあまりにゆっくりと知らず知らずのうちに進むものなので、何か新しい機能喪失が生じる度に私は途方にくれるしかなかった。

・車椅子の身障者の抱える問題は四肢の麻痺だと人は簡単に考えるだろうが、しかしそれは氷山の一角にすぎない。肛門や膀胱の括約筋がきかなくなり、脊椎上部の損傷は呼吸機能に影響する。また血行を司る自律神経系にも影響があって。皮膚の表面に近い毛細血管は温度の変化に反応しなくなる。いいかえれば、体温を一定に保つための主要なしくみのひとつが故障するわけだ。
・・・夏の暑さに苦しむようになった。・・・冬はもっとひどくて、体温が低下するので外の寒さの中に数分間もいることができない。

・成長する脊椎腫瘍のために上半身までが委縮するにしたがって、当然にも私の社会生活の軌道は移動し、その範囲は縮まり、行動様式は変化し、自己の意識もさらなる変形を遂げた、対麻痺から四肢麻痺の移行によって、私は新しい社会的地平に立たされた自分を発見した。
・・・トイレにも助けなしに行けた。しかし1981年以後の四肢麻痺の着実な進行で、こうした一定の自足性は根本的に、そして永久に失われることになった・・・。

・授業後、携帯用人工呼吸装置を使用する若者が私のところへ来てこういうのだった。彼が治療を受けている外来患者のためのポリオの診察所に来る人々の中に数件の近親相姦の例があることを彼は知っている。どの場合も父娘の近親相姦で、母親が障害者となり一番上の娘が家庭の仕事を引き継ぐ中で、次第にそれが父親とのセックスも含むようになった。

・子供たちが10歳と11歳になった1968年、ヨランダ(妻)は高校の非常勤教師として働くようになった。

・そんなにひどいなら、ではなぜヨランダは仕事を辞めないのか、と問う意図があるかもしれない。経済的な理由もあるがそれは部分的な説明にしかならない。健康保険でカバーできない毎年何千ドルという医療費を払わなければならない私たちに、金が問題でないとはいえない。しかしそれよりずっと重要なのは、職業生活こそ彼女に残された最後の砦だということである。それは他の誰のためでもない、彼女自身の活動として唯一のものであり、彼女が無給の看護人としてではなく、一人の人間として働き評価される場所なのだ。(学校への)往復50マイルの旅は私からの、そして私をめぐる厄介事からの逃避という意味を持つ。異なる世界に入り込むことで、彼女は家出のストレスから束の間解放される。それに彼女は自分の仕事がとても気に入っている。

・病み衰えて病院のベッドに横たわっている夢うつつの私につきまとって離れない一つの思いがあった。過去の人生はすべてこの現在へ向けてのリハーサルだったのではないか。

・身体麻痺者は、ほぼ文字通りの意味で、肉の虜である。だが思えば、身障者ならずとも大概の人は多かれ少なかれ囚われの身だ。自分でつくった壁に囲まれて生きること。文化によって建てられ、自分自身の恐怖によって補強された鉄格子の間から人生を傍観すること。このように文化への奴隷が物化され固定化された形は、肉体でできた私自身の“拘束服”よりもたちが悪い。なぜなら、それはからだばかりでなく心の麻痺を引き起こし、思考の静寂を招くから。・・・
この好機を掴み、しなやかな心と豊かな想像力をもって、身体麻痺者は-そして我々のすべては-自由を我がものとすることができるだろう。

感想
人生にどんなことが起きるかわかりません。
38歳で胃がんになった時、何で自分ががんに?との思いがありました。
一方、それまでがんになぜならなかったのだろうとの思いもありました。
小児がんや白血病になる子供たちも多いです。
また、その頃アナウンサーの逸見さんも胃がんで、スキル性で助かりませんでした。
私がスキルス性胃がんであっても不思議ではなかったです。

徐々に身体の自由が利かなくなることの不安は恐怖でもあります。
昨日までできたことが今日できなくなってくるのですから。
その中で、気持ちを維持してできることをすることがその不安に対抗する手段なのでしょう。
考えてみたら、時間のスピードは違いますが、年と共にできないことが増えていくのです。
まさに今できることが将来できるとは限らないのです。
その思いはがんになって強く感じました。
そして将来いつかやりたいと思っていたボランティアを始めたり、いろいろなことに挑戦しました。
胃がんになっていなかったらやっていなかったか、やっていてももっと後だっとと思います。
当時残業を80時間/月ほど行っていました。
時間はないからできないと思いましたが、今やらないとの思いが強くなりチャレンジしてみたら、できました。

臨済宗の言葉に人惑があります。
自分の考えだと思っているものは、実は親や先生から言われてそれが自分の考えだと思い込んでいます。
その思い込まされた考えに、自分が拘束され、苦しめられている可能性があります。
良い**にならないといけないとか。
社会学者ルッソは”人惑”を”社会的催眠”と呼びました。
つまり、社会によって催眠術をかけられているのです。
ルールは破ることができても、自分の考えを破ることはなかなかできないです。
自分で自分を苦しめるのはとても苦しいことです。
人惑から自由に! 
社会的催眠から目覚める!
を臨済宗は説いています。
そして自分の考えが真善美なのかを問うことなのでしょう。

周りの期待に応えたい。
その周りの期待はまちまちです。
ポッジョ寓話「ろばを売りに行く親子」のお話です。
周りの意見に従っていると最後はとんでもないことになります。
あれこれ言う人は、私の人生に責任を負いません。
私の人生の責任は私が負うものです。
自分が良いと思う人生を送ることではないでしょうか。
仮に間違った判断であっても、その時の自分が良かれと思って選択したことですから、その結果責任を受けます。
もちろん、より良い選択肢をするために周りの意見を参考にすることはあります。

本を読むことで、経験できないことを知ること、これから先のことを知ること、そして今をどう生きるかが問われているのでしょう。
そしてこれまでの体験は今からのリハーサルのためだったと思い、これまでの体験を生かすことができたらステキです。

ロゴセラピーは「あたかも二度目の人生を生きるがごとく、今を生きる」との考えがあります。
二度目の人生だったら、こうしようとの思いは私も含め皆さんお持ちだと思います。
まさにこれからの人生をあたかも二度目の人生を生きるように生きるとこれまでの体験と学びが生かされているのだと思います。
マンガで分かる心療内科・精神科in渋谷 第74回「フランクル~人が生きる3つの意味」

お釈迦様が過去も未来もない。あるのは今だけだと。
ところがつい、過去を悔やみ、未来を心配し、今の大切な時間をそれに使うことで、今のことに使う時間を浪費している場合があります。
そういっても過去のことを悔やみます。
未来を心配します。
それに拘束されないことなのでしょう。