幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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阿川佐和子さん「サワコの朝 遠藤憲一さん」 ”強面の悪役から好感度俳優に。昨年CM契約社数第一位”

2018-11-17 08:08:08 | 生き方/考え方
ATMも分からない。一人で銀行行ったことがない。
ドラマ、バラエティ、CMに活躍。服は女房が買ってくれる。最近は飲みに行かない。家にいる時は同じ服。中学の同級生に毎年会うが服が同じだった。

阿川佐和子さんはハグする人だと思って(ハグして)。
1961年生まれ。22歳でTVドラマにデビュー。犯人か悪役。
強面を様々なシーンで見かける。甘えん坊。年上の女性に特に弱い。

メチャクチャ忙しい。CM契約社数第一位(昨年)。強面の好感度。ドラマが4つ。勝海舟役。高校中退している。歴史上の人物を演ずるときには、教師をしている友だちに講義してもらっている。今は仕事のことに関することを学ぶことが嬉しく感じている。

1曲目、ベートーベン「交響曲第一番」。18歳で演劇に目覚めて、本を読むことを始めた。初めて読んだのが太宰治著「人間失格」。タイトルが自分に似ている。面白くて面白くて。音楽だとベートーベンだと。聴いたら涙が止まらなかった。流石ベートーベンだと。朝から清々しい気持ちに(サワコ)。
音楽を聴いていた方が演技の発想が生まれる。
悪役を演じていた時にも悲しみがあるので、それをわからないように加えていた。無名塾を10日間で辞めた。無名塾800人で合格したのが6人なのに。朝が早かった。この業界は朝が早いことを後で知った。思い出横丁で友だちに愚痴を言った。その内友だちも聴いてくれなくなった。飲み屋の知らない人に話した。特に年上の女性に弱い。年上ですか? 弟と同じ年(サワコ)。何でも聴いたげるよ(サワコ)。

最初のTVに出たのは、TBS「青が散る」。22歳。この頃は人と話せない。溶け込むのが苦手だった。後半になって佐藤浩市さんに一緒に飲みに誘われた。
その後悪街道まっしぐら。太陽にほえろ!の最終回の犯人役だった。
そっけなくした恐さをやっていた。監督からはもっと芝居がかった話し方を注意された。今はそっけなくが普通になった。女房がきっかけだった。わがまま、心配性など悪いところをいっぱい持っていた。覚えるのがすごく遅い。29歳で結婚した。女房も女優をやっていて、自分より稼いでいたが結婚したらすぐに女優を辞めた。マネージャーをやって欲しいと3年頼んでいた。「だったら、私通りにやってね」と言われた。敏腕マネージャー兼社長。バラエティは苦手。瞬発力が苦手。テレホンショッピングで出るのが嫌で。「笑っていいとも」で大失態。ゲストを当てるのに名前が出てこなかった。最後になってゲストから「久しぶり」と言われても名前が出てこなかった。
女性を説教する番組。キャバクラ嬢に同情してしまった。休憩時に女房から「あんたの話がつまらない」と言われた。その後はしっちゃかめっちゃかになった。もうバラエティには慣れてきた。世間のことを何も知らない。ATMも知らなかった。

映画「アウト&アウト」。きうちかずひろ監督が脚本、演出兼。新作映画でアイデアを監督に言った。アイデアを言って3日目に、「アイデア出さないでくれるかな。やりたいことがたくさんあるから」と監督に言われた。最後は語尾も言われた通りにやった。出来上がりが不安だったが、力強い作品になっていて、監督に「ありがとうございました」と言った。

2曲目「アウト&アウト」。旅をした気分になれる曲。ロケ先で聞くと旅をしている気持ちになれる。
お酒は完全に止めた。今年1月1日に女房にコテンパンに言われて止めた。

感想
悪役だったのが、今では好感度の役に。
CMにもたくさん出ています。

狭き門の無名塾を10日で辞めてしまうなど。
それでも今があるのがすごいと思いました。

遠藤憲一さんの弱いところを奥さんが支えておられるのでしょう。





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阿川佐和子さん「サワコの朝 草刈正雄さん」 ”しがみついていて良かった”

2018-11-10 08:51:08 | 生き方/考え方
俳優。ダンディ。趣味はテニス、ひっぱたけるのが好き。
最近、初の写真集。NHKの大河ドラマで人気に。恥ずかしがり屋。
1952年生まれ。17歳で福岡からモデルとしてデビュー。
2016年NHK大河ドラマ真田昌幸行を演じた。出演が終わったらファンが真田昌幸ロスに。
今でもファンからその時のことで声をかけられる。
ナイトガウンのブランディ―のイメージだと思われていたが、焼酎にメザシが好き。

「真田太平記」で真田幸村を演じたことがあり、「真田丸」では真田昌幸の父親役を。

1曲目、「七つの子」アメリカ横断旅行したときに聴いた曲。日本の童謡はいいなと思った。仲間が皆歌いだした。

母が時代劇が好きで、時代劇を観に映画館へ連れて行って貰った。悪役が面白かった。

小倉出身。高校は夜学。スナックでバイト。父親はアメリカ人で小さい時に亡くなった。貧乏で働いていた。スナックのマスターが「顔がいいからモデルした方が儲かるよ。モデル事務所知っているから照会するよ」と言ってくれた。
資生堂のCMモデルに「カリフォルニアシャワー」。上京してすぐにこの役を貰った。懐かしい。
CMに出演し一躍人気者に。最初の2~3か月は雑誌のファッションのモデル。最初は評判悪くて、動けない。それと女性モデルと一緒に撮る。怒られてばかり。「あんな動けないモデル連れてくるな」と。資生堂のCMは九州でも放映されると聞いて、自分が働いてるところを母に見せられると思った。CMで初めて母に自分の姿を見せられたのが嬉しかった。

角川映画「復活の日」(1980年)。ロケバスが返るとき夕陽のシーンがあり、あの坂登れと言われ夕陽をバックに撮れたシーン。
映画「汚れた英雄」。バイクの練習をした。
「復活の日」はロケ地はアメリカ、南米チリ、南極、アラスカなど。英語の訓練はダメで一年前からやり出した。
「汚れた英雄」ではかっこいい俳優を撮りたいと角川春樹監督が。

二枚目でずっと来た。ダンディリズム。しかし、真逆な人間。ナイトガウンにブランディのイメージ。実際は焼酎にメザシ。ファッションにまったく興味なく、心が付いていかなかった。家では何もしたくなかった。ぼーっとしている。陽に顔の半分が焼けたこともあった。最初はモテルが話すといなかの兄ちゃんなので、離れていった。

仕事が減ってきた。学歴がないし、とにかくしがみついていようと思った。役が小さくなってもやろうと。主役でなくなってきた。大女優、若尾文子さんから「あなた舞台やりなさい」と言われて紹介して貰ってやった。やってみてハマった。
辞めなくて良かった。しがみついて良かった。長女、次女活躍している。心配性で二人のことをいつも心配していた。姉は派手だった。ずっと喧嘩していた。
映画「体操しようよ」主演。定年してかわいそうなお父さん役。自分もこのような役をやるようになったと感慨深い。もちろんまだまだ二枚目役もできるぞ。この番組を見て。

2曲目舟木一夫「高校三年生」。カラオケでいつも歌う。
舟木さんは今も学ラン姿で通されている。
こういうことをやってみたいは? 特にない。皆さんがいじってくれたら新しい草刈正雄がでるのでは。「何でもやるそうです。でも二枚目もやらせよ」(サワコ)

感想
人気になってもそれが長く続きことはありません。仕事がない時期もあります。そんなときに小さな役でもしっかりとやっていく。そうすると時代の波でまた脚光を浴びる時がくるようです。
それと何でもやってみる。そこから新しい可能性がでてくるのでしょう。
できないと断っていると、その可能性の芽を摘んでいることになります。
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さだまさし 35億円の借金を完済できた“めげない”思考法とは? "不幸せは、自分が不幸せだと思い始めたところから始まるんですから"

2018-11-05 02:36:48 | 生き方/考え方
https://news.goo.ne.jp/article/dot/life/dot-2018110100006.html AERA

さだまさしさん/シンガー・ソングライター、小説家。「秋桜」「関白宣言」等、数々の国民的ヒット作品をもつ。グレープ「雪の朝」でレコードデビューし、今年10月25日で45周年を迎えた。通算45作目のアルバム「Reborn」、最新刊『銀河食堂の夜』が大ヒット中。

 借金や人間関係など人生には様々な問題がつきもの。逆境に立ったときこそ、折れない心の持ち方が重要になってきます。どうすれば、不安に押しつぶされずに、ポジティブな思考に変換できるのか。35億円の借金を完済したシンガー・ソングライターで小説家のさだまさしさんに聞きました。

 いやあ、さだまさしさんのコンサートは圧巻だ。コンサート会場は文字どおり、老若男女が集まる「祭典」。幕開けは27歳年下のシンガー・ソングライター、ナオト・インティライミさんと2人で作った超イマドキで華やかな曲。のっけから観客総立ちである。しかし2曲歌ったあと、さださんは皆に語りかける。

「あっ、途中で寝ていただいても全然かまいませんから。寝やすい曲、僕、いっぱい作ってきましたからね」

 あはは、さださん最高! しかし寝ている暇などありはしない。歌詞の言葉ひとつひとつが心にしみてくるさださんの歌には、やはりどんな人間も心を鷲掴みされてしまうからだ。

 数多くのヒット曲を持つさださんだが、その人生は決して順風満帆だったわけではない。

「28歳のときに製作した映画『長江』で総計28億円の借金を背負いましたからね。僕なんて百敗将軍です」

 映画では、中国で一番長い川・長江(揚子江)を源流に向かって遡っていった。通り過ぎる街と人々と、その歴史を追うドキュメンタリーフィルムを作ったのだ。

「僕の祖父母、父母は中国で青春時代を過ごしました。だから中国に対する憧憬や郷愁に似た思いが、僕の中にあったんです」

 映画製作は父の夢でもあった。そこで製作総指揮は父が務めたのだが、思いのほか製作費はかさんでいき、最終的にはなんと28億円という借金になってしまった。あの、正直、ビビりませんでしたか?

「正直、実感がわかなかったんですよ(笑)。28億という数字は見ましたよ。全部赤い文字でね、28という数字のあとにゼロが八つついていて」

 そして数字の前には真っ赤なマイナス記号。いっそ逃げ出したいとか、思わなかったのですか?

「僕はメンタルが弱い人間ですからね。それゆえに『借金を返し続ける』という“逃げ”を選んだんです」

 返し続けることが、“逃げ”なのですか?

「はい、だって自己破産するとかって言ったら、これはもう“攻め”ですよ。何と言っても自分の人生に対して、ある種の決断をしなければならないわけですから。そんなの怖くて、僕には考えることもできませんでした。そして『もうお願い、いっそのことダメになるまで走らせて〜!』というのが、僕の選んだ道です」

 幸いレコードは売れていたので、印税は入ってきた。しかしそれでは全然追いつかない。さださんは1年にコンサートを100回以上行い、ひたすら借金返済にあてた。

「そうやって走り続けている間になんとか返済のメドがついてきて、利子も含めて35億円を7年前に完済したんです。30年かかっちゃいましたけどね」

 ちなみに今までのコンサート回数は、現時点で日本一。その数は、4300回を超える。

 途中でもう無理と思うことも、まったくなかったのでしょうか。

「そりゃ、『まだ返さないといけないんだ』と思ったことは何回もありましたよ。でもそもそも、銀行というお金のプロが、こちらが返せると判断してお金を貸してくれたわけですから。そうしたらこっちも『返せる』に賭けなきゃ」

 そこに途中下車はないってことですね。

「もちろん。山を登り始めたら、途中で下を見て『怖い』『やめたい』と思っても、自分から麓に向かって飛び降りたりしないでしょう? それと同じですよ」

 走った。とにかくがむしゃらに走り続けてきた。

「そうホント器用な人生ではなかったですよねえ。でも人間て本当に追い込まれると何とかしようとあがくものです。もしいま何かしら人生に困難を感じている方がいるのであれば、僕ができる提案は『開き直ること』です。開き直って、まずは『どうにかなるんじゃない?』って自分に言い聞かせてください。そして物への執着などはなくすことです。手放せるものは手放して、新しく生き直す意識を持つことが、僕は一番大切なことだと思いますよ」

 いまの世の中、定年後の人生も長い。定年後は定年後でスパッと人生を切り替えたいところだが、

「それは僕は、ゆっくりでもいいんじゃないかなと思っているんです。老後の自分の居場所をつくろうと“悪あがき”をすることはない。無理をして新しいコミュニティーに入ろうとすれば、それは最終的には自分を追い詰めていくことになりますから。自分の居場所は、つくるものではありません。心地いい居場所は探すもの。ちょうどいい場所に出会うまではちょっとぐらい孤独を楽しんでもいいんじゃないかな」

 そして心にとめておきたいのは「生きることはせつないこと、苦しいことの連続なのだ」ということだ。

人生には苦しいことがあって当たり前なんです。それを前提に生きていないと、何か問題に直面したときにすぐ、めげてしまいますよ。でも何があっても、自分が不幸せだなんて思わないこと。不幸せは、自分が不幸せだと思い始めたところから始まるんですから

 ああやっぱり神様、仏様、さだまさし様。最後は金言で、人の胸をスパッと射ぬいてくれるのである。(赤根千鶴子)

感想
言葉は誰の口から出るかで重みが変わってきます。
さだまさしさんの口から出ると、彼の人生が重なってきます。
そして人々に伝わります。

美辞麗句を選んでも、伝わってこないのは、その人のこれまでの行動に問題があったからではないでしょうか。


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阿川佐和子さん「サワコの朝 安藤和津さん」 ”生きてると楽しいことを子どもに教える”

2018-11-03 08:11:44 | 生き方/考え方
エッセイスト。夫は奥田英二さん。孫ができて、悪いことをしないと思ってか出かけない。寝かしつけ名人。はつらつとして感服している。

亭主が一番猛獣です。その後生まれてきたのは可愛い。
政治家の子として生まれ、舞台に出た後、コメンテーターとして活躍。長女百子。次女はサクラさんは人気女優。

孫二人。桃子さんは高知に移住した。2人の娘は離れて暮らしている。最近、夫がずっと家にいる。たまには飲みに行って欲しい。男は夜活躍しなければならないとのダンリズムがある。二人だと何を喋って良いか分からない。
1曲目、ミュージカル・ヘアー「Aquarius」。20代の頃、出演したミュージカル。アメリカで見て、皆裸で演じていた。スッポンポンで出る舞台。肌の色が違うけれど皆同じなんだよとのメッセージ。それを日本で行うと知り参加した。母が毎日見て来ていたのでスッポンポンになれなかった。母が風邪を引いて来れない日があり、その時は皆と同じようにすポンポンになった。

シングルマザーだった。過保護に育てられた。中三まで一人で出かけたことがなかった。映画に行くなら誰と行く。映画館から電話する。パンフレット買いなさいと。喫茶店に入ると電話。母から友だちに電話して確認。夜ぬいぐるみを蒲団に入れて、こっそり抜け出してディスコに行ったことがある。

奥田英二さんは借金しかなかった。
奥田英二さんが前にサワコの朝に出た時は、「かっこいい男性が二人来たから」と言っていたが正しかったか?
2人の出会いは約40年前。私の友だちがあの人が誰か聞いてきてと言って聞いてきた。救済事業みたいな気持ちだった。お好み焼きに入った。その時、奥田は3日間食事してなくて、お好み焼きを口にした時、よだれが下まで垂れるほどたくさん出た。助けてあげないとと思った。

娘二人を育てるのに気をつけたのは。虚弱体質だったこともあり楽しい記憶がなかった。なので娘たちには楽しく過ごして、好きなことをやらせるようにした。生きる意欲を与えるには生きていると楽しいことがあることを教えたいと思った。仕事があっても食事は作る、作れない時は一緒に食べることをした。

夫の浮気をはささいなことではない。言うと笑われるけど、夫がプチトマトを捨てたので大ゲンカした。プチトマトは娘のお弁当の彩。朝の4時まで喧嘩した。その時は離婚しようと思った。

映画「0.5ミリ」。安藤一家を結集。監督は桃子さん、主演はサクラさん。夫はプロデユーサー。和津さんは料理のプロデユーサー。
桃子から「お母さんに仕事をお願いしたい。今回は生きるがテーマなので、お母さんにフードスタイリストをして欲しい」。料理コンテントを出して確認した。貧しい家の料理は茶色ぽい、咀嚼する料理。例えばキュウリを出すとか。芝居に関してはサクラから父に拒絶している。考え方が違うからと。ぶつかり合って摩擦し合ってそこから良いものが出てくるとの考え方。

母の介護のあと“うつ”が10年位続いた。自分がやらないといけないことがなくなった。それが去年の暮。知り合いが前から来ると隠れたり。パーティーで知り合いを見つけると視線を避けた。母は74kgあったのでかがんで世話していた。「胸を張って生きろ!」。そうすると視線が上になり息もできる。今介護されている人に胸を張って深く息をすると少し気持ちが変わることを伝えたい。

2曲目。母がもうダメと言う時に母の枕もとで家族皆で歌った。ディック・ミネ「リンゴの木の下で」。母の大好きな詩。
きっと母と父がダンスホールで踊っていたのだと思う。

あるとき突然うつが消えた。見ている世界が違った。お掃除していた時、お笑い番組見てて笑った。その時、口から黒い塊がスポット出て行った。あの黒い塊は誰のとこにいったのだろう。笑

感想
生きていると楽しいことがあることを、子どもの時に教える。
とっても大切なことだと思いました。
人生は生きる価値がある。
その信念が人を生きさせるのかもしれません。
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阿川佐和子さん「サワコの朝 磯田道史さん」 ”とてもユニークな方”

2018-10-27 08:18:08 | 生き方/考え方
歴史学者。数々の著書がベストセラー。歴史をわかりやすく説明してくれる。頭脳明晰だったのは豊臣秀吉。今は世襲の率が高い。秀吉は化物でしょう。

この人が歴史の先生だったら、もっと点数をとったのではないか(サワコ)。
皆が変だという。食事もせずに古文書を読んでいる。サワコさんはよくしゃべる人。今日はしゃべらないようにする(サワコ)。

京都・国際日本文化研究センターの准教授。映画「殿、利息でござる」の原作者。本人も奉行役で出演。歴史から学ぶ現代をより豊かに生きる方法を教えてもらう。

日本史に関する本がブームになっている。未来を予測する本を読んだ方がよい。歴史的に見て、今は異常な時代。過去の良かった時代を見ようとしている。江戸時代は人類の20人に1人が日本人。日本の最盛期は江戸時代。過去の良かったことを思うのはよくないのでは。歴史などやっているじだいではないのでは。

1曲目。渡辺美里「My Revolution」 勉強が苦手だった時代に聴いた曲。自分が変わらないといけないと思った。応援歌のように(サワコ)、岡山出身。古文書が好きで、それを解明するためにどうしたらよいか。弥生式土器を拾って、作れるはずだと思って野焼きだと出来なかった。生焼きだった。そこで図書館で焼き物の本を読んだ。釉薬が鉄だと。鉄を溶かして焼くとキレイに赤がでた。文字の情報のすごさを知った。9歳の時。2000年の歴史が教えてくれる。中学の時に古文書を読みだした。家に古文書があって、おばあちゃんが見せてくれた。読めない文字だった。古文書解読の本が古本屋にあった。500円だった。しばらくは学校の勉強せずにそれを読んでいた。「源氏物語」の四文字を教えて、源氏物語を教えていない。考えることを教えていない。短期記憶の試験。覚えていない。あまりにも覚えていない。歴史は因果関係を教えてくれる。何でこの名前か。

彦根藩井伊家の本。忍者の本。隠れている忍者の実態を知りたい。戦場でどのように忍者を使うか。昼間は忍者は寝ている。夜に忍者を使う。3人一組で使う。忍者のたまり場は見晴らしのよい山の上。橋の近く。古文書に「口言」でと書いてある。書いておいて欲しい。古文書を読むと自分しか知らない。本を書くとそれを皆に知らせなければいけない。幕末では40%識字率。士農工商の制度。読めないと恥ずかしいとの恥の文化。長男に全部伝える。家を盛んにするために子どもへの教育をしてきた。

子どもの能力を伸ばすには、子どもと親が会話すること。おもしろいこと。子どもが興味を持つこと。子どもが相撲に興味を持ったので、相撲図鑑を買ったらそれを読んでいる。決まり手を離すようになった。大切なことは「発想」だと。官僚制度は上手く作るためにできた。これからのAI時代は面白いことをする。その内古文書はAIが読み読く。AIは将棋盤をひっくり返して凹んでいる床にパスタを入れて食べるは 「反実仮想」。早めに起きることを考えて対応する。日本人はそれをしないところがある。起きる前に考えて手を打つこと。高潮の災害は歴史に残されている。それを書いていた。それがこんなに早く来るとは思わなかった。頼まれない勉強をすることが21世紀に必要かと。歴史は過去とのキャッチボール。違う視点から見ると歴史の見方も変わる。「歴史の救急車」歴史を紐読くことをやってみたい。

2曲目は山下達郎「クリスマス・イブ」 何言ってやるんだ。人など自分には来ないと思って古文書を読んでいた。
恋人はクリスマスに会わないといけないという文化を創った偉大な曲。
金魚やウナギを飼っている。同じ飼うなら地震の時にどうなるかを見たいから。

感想
歴史から学ぶことの大切を9歳で実感されたようです。
実家は備前岡山藩の支藩である備中鴨方藩重臣の家系で、家には古文書などが残されていた(ウイキペディア)。
興味を持ったことにはエネルギーをかけることができる、まさにその人生のようです。
歴史から学ぶことの大切さが伝わってきました。
歴史から見ても今は異常な時代だとのことです。
「反実仮想」の言葉、これを常に考えることがこれからはますます必要なのでしょう。
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