幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「君たちはどう生きるか」原作 吉野源三郎 漫画 羽賀翔一 ”弱い自分がどう生きるかにヒントを与えてくれる”

2019-08-29 09:16:00 | 本の紹介
叔父さんからコペル君への手紙
 コペル君、
 いま君は大きな苦しみを感じている。
 それはね、コペル君、
 君が正しい道に向かおうとしているからなんだ。
 「死んでしまいたい」と思うほど自分を責めるのは、
 君が正しい生き方を強く求めているからだ。
 人間ってものの、あるべき姿を信じているからだ。
 さあ、コペル君、いまこそ答えを見つけよう。
 ここには、君が決してゴマ化すことなく考えてきた、
 気づきと発見が記されている。
 おじさんのノートを最後まで読んでくれれば、
 きっと君は、自分を取り戻せる。
 あらたな一歩を踏み出すことができる。
 僕たち人間は、
 自分で自分を決定する力をもっているのだから。

感想
コペル君の名前は、地動説を言ったコペルニクスから取っています。
それまでの天動説から地動説をいう、真逆の発想をコペルニクスがしたのです。
それはキリスト教会からも強い反発を受けました。
この本は考え方を変えると見え方も変わってくることを教えているのだと思います。

叔父さんにコペル君が相談していろいろとアドバイスをもらいます。

コペル君はクラスの仲間が虐められているのを見ているだけで助けることができません。
そんな自分がとても嫌になります。
虐められていた子が学校をしばらく休んでいたので心配でその子の家を訪問したら、家の手伝いをしていました。
そして休んでいる間の授業を教えます。
学校に出て来て、その子を含めて仲間ができます。
仲間の一人が同じクラスの兄(上級生)から睨まれます。
そこで皆でそれに立ち向かおうと約束します。
あるとき上級生から暴力を受けます。
その時、コペル君だけがそれに一緒に立ち向かわずに逃げてしまいました。
それがとてもコペル君を苦しめます。
そして学校を休んでしまいます。
叔父さんのアドバイスで、友だちに謝りの手紙を出します。
いろいろありましたが、また友だちとして迎えてもらいました。


はるな愛さん「学校という狭い箱にとどまる必要はない」…STOP自殺#しんどい君へ  ”虐めで苦しんだ人からのメッセージ!”

2019-08-28 12:32:22 | 社会
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/stop01/interview/20190822-OYT1T50237/ 読売新聞オンライン2019/08/27
 若者の自殺が増える傾向にある夏休み明けを前に、悩み、傷つき、苦しんだ著名人たちが、しんどい思いを抱える「君」へメッセージを送る。

 幼少期から生まれつきの性別に違和感を持っていたはるな愛さんは、中学生になると自分らしさがわからなくなり、いじめの対象とされた。だが、LGBTの人たちが生き生きと活動していることを知り、自分を取り戻すと、いじめもやんだという。愛さんは「学校という狭い『箱』にとどまる必要はない。嫌なことがあったら他の場所に動いて。本当の世界はずっと広いよ」とメッセージを送ってくれた。

 中学に入った頃は、学校も友達も怖くて嫌でした。
 物心ついた頃から女の子になりたいと思っていたのですが、中学1年生の時には、親の言うとおり男らしく振る舞いました。でも、自分らしくいられずにビクビクしていたからか、いじめのターゲットになりました。
 ラインを引く石灰を口の中に突っ込まれたり、掃除の時間や放課後に蹴られたり、殴られたり……。周りは見て見ぬふりで、先生に助けを求めたら、「あなたにも悪いところがあるんじゃないの?」と言われました。心配をかけたくなくて親にも相談できませんでした。
 「何のために生きているんだろう」。命を絶とうと思いました。歩道橋から行き交う車を見下ろして、トラックが来た時に飛び降りようとしたこともあります。頭を壁に何度も打ちつけて血を流したこともあります。
 中2の時、母の知人がショーパブに連れて行ってくれました。ニューハーフのお姉さんたちが生き生きと輝く世界を知り、自分は独りぼっちじゃない、居場所を見つけたと思いました。自信が持てるようになって、自分らしくいられるようになりました。すると、いじめもやみました。

絶対に居場所はある

「誰にでもいいから、SOSを発信してほしい」
 あの時、死なないで本当に良かった。好きな洋服を着たり、おいしい物を食べたり、こんなに彩り豊かな日がくるとは想像できませんでした。
 孤独でつらい気持ちはよくわかります。でも、学校という狭い箱にとどまる必要はない。他の場所に動いて。本当の世界は、ずっと広いから。絶対に居場所はある。嫌なことがあったら、その分いいことも待っています。誰にでもいいから、SOSを発信してほしい。一緒に生きていこう。

 周りの大人は、子供からSOSがあっても、自分のことで精いっぱいで対応できないと思うかもしれない。でも、子供の心は変化のスピードが速いことを知ってほしい。帰宅が遅かったり、目がうつろだったり、何か異変を感じたら、手遅れになる前に、子供の目線に立ってちゃんと向き合ってほしいです。インタビュー[STOP自殺 #しんどい君へ]

感想
虐めで苦しんだ はるな愛さんの言葉だからこそ、伝わるものが大きいと思います。

中2の時、母の知人がショーパブに連れて行ってくれました。ニューハーフのお姉さんたちが生き生きと輝く世界を知り、自分は独りぼっちじゃない、居場所を見つけたと思いました。自信が持てるようになって、自分らしくいられるようになりました。すると、いじめもやみました。

母の知人が、はるな愛さんに居場所を提供してあげたのでしょう。
生きる希望を見出せるか見いだせないか。
人は希望を持つと大きな試練にも耐えることができるのだと思います。
苦しんでいる人に、希望を見つけるお手伝いを周りもできるかどうか大きいのでしょう。

日テレ「駅伝ゴール」のあおり受け大泉洋主演ドラマ「ノーサイド・ゲーム」視聴率初の1桁転落 "考えすぎでしょうか?”

2019-08-27 10:46:46 | 社会
https://news.goo.ne.jp/article/tokyosports/entertainment/tokyosports-1524408.html 2019/08/26(東スポWeb)
 25日にTBS系で放送された大泉洋(46)主演ドラマ「ノーサイド・ゲーム」(午後9時)第7話の視聴率が9・7%だったことが26日、分かった。

 同ドラマは「半沢直樹」や「下町ロケット」シリーズなどを手がけた人気作家・池井戸潤氏の同名小説のドラマ化で、出世の道を断たれたサラリーマンがラグビーチームのGMとして再起をかける姿を描く。

 松たか子、西郷輝彦ら豪華共演陣でこの夏一番の話題作ともいわれ、7月7日の第1話の視聴率は13・5%と好スタート。その後も2桁をキープしてきたが、前回の第6話の13・0%から3・3ポイントの大幅ダウンで初めて1桁に転落した。

 この日、日本テレビ系「24時間テレビ42」のチャリティー駅伝の第4走者・いとうあさこ(49)のゴールが放送終了に間に合わず、同局系「行列のできる法律相談所」(日曜午後9時)で感動シーンを放送。前週放送(17・8%)から26・3%と大幅アップした影響とみられる。

感想
日本テレビのチャリティ駅伝が放送時間内にゴールできませんでした。
十分余裕があったのに、なぜ時間内にゴールさせるようにスタッフがしなかったのかと思いました。
近くで時間がわかるところで休憩しても良かったのです。
スタッフの時間の読みのミスかなと思っていました。

しかし、この記事を見て、意図的に遅らせたのではないかと思ってしまいました。
「行列のできる法律相談所」では遅れることの準備もされていました。
事前準備が良いと思ったのですが、最初から少し遅らせることをしていたのかと思ってしまいました。
遅らせたことにより、他局の視聴率を下げる効果があったのですから。
考えすぎでしょうか?


「フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミア・ラプソディ」ピーター・フリーストーン著 ”創作活動は感情的なバランスを失うと輝きを増す”

2019-08-25 12:54:08 | 本の紹介
・ツアーに同行して、フレディに関して気がついたことが2つほどあった。ひとつ目は彼は感情的に安定することを欲していたものの、パフォーマンスへの触媒として葛藤や衝突も欲していたということ。彼は頭の中で自分に必要な事柄を明確にわかった上で、自分の理想通りにことが運ぶよう癇癪を起す準備までしていた。フレディは自分が癇癪を起した時に価値を良く分かっており、何らかの大きな効果を狙った上で、その矛先をバンドや仕事の仲間たちに向けていた。
 そして、二つ目はフレディは完璧主義だということ、彼のことを知る者は誰も、彼が多くの物事にたいする自分の知識や理解に関してはとても謙遜していた一方で、最後まで100%完璧に理解できていると確信の持てないものに関しては足を踏み入れない質であることを知っていた。フレディは人並みはずれた洞察力を備えており、彼が「だから、そう言ったじゃないか」というセリフを言う場面に多くでくわした。

・フレディが他人にドラッグを強要するようなことは1度たりともなかった。

・フレディがこう尋ねた「この飛行機、どこのなんだろう?」。私はおおよそ察しはついていたが、緊急用の手引きを手に取った。そこには飛行機がDC10型機であることが記されていた。それを見るなり、フレディは「Dなんて縁起が悪い!」と叫んだ。DC機が巻き込まれて大きな飛行機事故がちょうど2件続けて起きたばかりだったからだ。フレディは自分の手荷物を引っつかむと客室乗務員に「僕はこの飛行機に乗らないからね」と告げて、ポールと私を従えると飛行機からターミナルへとスタスタ引きかえしてしまった。

・恋人とまたしても感情的なもつれから破局を迎えてしまったフレディだが、彼の創作活動は感情的なバランスを失うと輝きを増すようなところがあった。まるで彼が自らの創造の泉を溢れさせんがために、情熱の波を必要としているようにさえ見えた。ツアーや曲の創作活動に集中している時など、彼はあえて他人との関係を終わらせたり、逆にドラマティックな方向にもっていこうと口論をふっかけたりすることがしばしばあった。

・日本へのツアーは彼の買い物ツアーの口実といっても良いだろう。フレディにしてみれば買い物の谷間にステージがあるようなものだった。

・フレディは突然私のほうを向いてこう言った「いい言葉が浮かんだんだ。ペンと紙はあるかい?」

・<ラ・ジャポネーズ>は、フレディにとってこの世で最も美しい宝である日本のものがすべてに対して愛情を表した曲だ。

・フレディがひとめで気にいったのはスペイン絵画の巨匠ゴヤの絵だった、絵の持ち主は50万ぽんどの値を付けたが、フレディは即決した。しかし、契約を結ぶ段になって、思わぬ障害が生じた。国の財産である芸術品を国外に輸出するためにはスペイン政府の許可が必要だったが、下りなかったのだ。・・・ 最終的には、手に負えそうにない問題が山積みしたためにすべての計画は流れてしまったが、たかだ1枚の絵を飾りたいために、家を買うことまで本気で考えるような人物はそういないだろう。

・誰かの家でぶっ続けのパーティが行われることもあり、入り口で興奮剤が手渡されたら、その場でそれを飲まなければいけなかった。ゲストがみんな同じようにハイになるためにも、ホストはそういった気配りが必要だ。フレディが自分のドラッグをみんなに寛大にあたえていたのは、いつも彼らが自分のために飲み物を持ってきてくれたりすることへの感謝の意味も込められていた。

・フレディは「イエス・マン」を憎んだ。なんでも「イエス」としか言えないような人間は「自分」を持たない都合のいい人間だとみなしていた。フレディが好んだのは自分のままにあろうとする人々だった。そして時には自分を遠ざけようとする友人や仲間も必要だと思っていた。そんな友人たちとの平和な葛藤を通じて、自分自身の本当の感情に気がつくこともあったからだ。

・しだいに体が衰弱していたにもかかわらず、フレディはこれまで同様に寝室の大きなベッドの上で愛する猫たちに囲まれて過ごしていた。彼は生涯を通じて、たくさんの猫を飼った。彼にとって猫たちは人間と同じように大事な存在だった。

・薬を摂るのをやめた時、フレディが自殺を考えているのではと考えた人間もいたかもしれない。しかし、彼はそれを問答する必要はなかった。避けられないものが近づいてくるなか、くよくよ悩んでいる時間すらないことを彼は痛いほど分かっていた。フレディの会話は、ただ時間を過ごすだけの簡単なおしゃべりだった。

感想
創作活動においては、辛い時にこそ輝きを増すことがあるのでしょう!
意図的に癇癪を起すことにより、感情から湧き出るものを創作活動に生かすこともされていたのでしょう。
それが素晴らし作品を生み出しエネルギッシュなコンサートを創り出しましたが、命を削ってしまったのかもしれません。

阿川佐和子さん「サワコの朝 三遊亭小遊三さん」 ”笑点に36年出演中!”

2019-08-24 08:00:28 | 生き方/考え方
1947年生まれ。明治大学在学中に弟子に。36歳で真打。古典落語の名手と言われる。
72歳でモテ期を迎えている。その秘密について。

落語芸術協会の副会長兼代行を務めていた。徹底したイエスマン。歌丸師匠の言うことにイエスしか言わなかった。春風亭昇太に会長を。人には向き不向きがある。コンプライアンスに合わない人ばかりがメンバー。春風亭昇太が還暦まで結婚しなかったのはお金を神さんに取られたくなかった。

寄席は元旦から出ている。落語協会と落語芸術協会がお互いに寄席に出ている。落語家は師匠には頭が上がらない。弟子になるときに「何でもやります」と言ったから。

1曲目。ラジオしかない時代。中学生の時に低音ボイスに魅せられた曲。ザ・プラターズ「YOU’LL NEVER NEVER KNOW」
10歳上の兄、12歳上の姉と17歳上の姉。末っ子。父親は無口な“明治男”。食事しながらしゃべると「だまって食え」と。母親は嘘つき。姉は1月15日。私は3月2日。5月5日父。母は3月3日だった。でも4月30日が誕生日だった。それが亡くなってからわかった。誕生日はカレーと決まっていたので、分かりやすい日にしていた。

落語家になるには家族は反対だった。三遊亭遊三師匠に弟子入りした。師匠のところで食事した。桂米助など親しい仲間と寄席で一緒になるので楽しかった。真打になるのに16年かかった。そしてすぐに笑点にでるようになった。あの顔ですけべーなことを言うのがたまらないということで女性に人気。
艶っぽい人。ちょっとエロい。声出して笑っています。好感度がとても高い。
子柳枝さんの奥さんと妹さんから「根がまじめ」と。勇気がないだけ。自分が好きなものしかしない。古典落語しかできない。「冗談いっちゃいけない」というような言葉が多く出てくる落語が好き。女性を上手く表現できないといけない。笑点に出ることになってから人生が変わった。笑点に出て36年。

これからの落語は? 歌丸師匠は噺家の鏡ですよ。なかなか真似ができない。酸素吸入しながら高座に上がっていた。終わるとはあはあと言っていた。東京オリンピックの時、聖火ランナーを17歳の時。スポーツ部のキャプテンとの限定で、卓球部のキャプテンだった。かつ成績優秀、品行方正との条件だった。聖火ランナーには応募しない。けれど頼まれたら出る。

2曲目 石原裕次郎さんの「男の横丁」。僕らはゆうちゃんだった。家にレコードがあった。語尾がかっこいい。物まねもお上手なのですね(サワコ)。

感想
一つのことをやり続ける。
若い時から寄席に出るのが楽しかったとのこと。
楽しいことをやるのが一番良いのでしょう。

知るは好きに如かず
好きは楽しいに如かず

同じやるなら楽しみながらやりたいものです。