幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

石川啄木顕彰室(終焉の地)に行って来ました。文京区小石川(茗荷谷駅徒歩8分)

2015-03-31 02:46:38 | 生き方/考え方










石川啄木の詩では、よく下記を思い出します。
「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」
「 はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」

上野駅にも石川啄木の詩「ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」のモニュメントがあります。


啄木のような才能ある人でも、そう思うのだ、凡人の私なら当然いろいろと思ってしまうと自分を納得させることがあります。
前の会社近くに啄木終焉の地があります。これまでは”石川啄木終焉の地のプレート”だけでしたが、そこに”石川啄木顕彰室”ができ、図書館に行くついでに寄って来ました。

啄木の詩は幾つか知っていましたが、終焉の地もあり、どんな人か興味を持ちました。
啄木は日記を残しています。死ね時に家族に「燃やして欲しい」と伝えましたが、家族は残しています。

生活は苦しく借金していますが、貸す方も返して貰えないとわかっていて貸しています。友だちが朝日新聞の校閲の仕事を紹介してくれましたが、休みがちで、とうとう辞めています。啄木には地道に働くことがきつかったのでしょう。

有名な ”一握の砂” の詩集は啄木が亡くなってから出されました。出す準備をしていましたが、それを見ることができませんでした。
情熱的な方のようで、高校生の時から、妻になる女性とデートしていました。高校を退学して上京していますが、それからの人生は波乱万丈でした。

啄木の妹さんが、終焉の地の家の状況を語っています。二間ほどの家だったみたいです。そこは、数ヶ月住み、亡くなりました。
その最後の住まいはもう取り壊されていますが、そこに”石川啄木顕彰室”が設けられました。

あの人の人生を知ろう~石川啄木
上記に石川啄木の生涯と代表的な詩が紹介されています。

周辺には”小石川植物園”(園庭内に小石川療養所後の井戸、銀杏の精子発見の木など”、”徳川慶喜終焉の地(当時の大銀杏の木あり)”、”徳川家康の母、於大の方(伝通院内)”などがあります。 

文京区の桜並木のお花見 多くの人でにぎわっていました。

2015-03-30 02:30:01 | 笑顔




文京区の桜並木の桜を見て来ました。
近くの小石川図書館に行く途中に少し見ました。
東京は満開日とのことでしたが、こちらは八分咲きでした。
多くの人が花見をされていました。

近くにあるスーパー”三徳”の前では焼きそばやフランクフルトを炒めながら販売していました。
午後2時頃から雨になりましたが、ランチは十分楽しめたようです。
昔はトイレがなく、周辺から苦情があったそうですが、トイレも作られ、文京区のお花見会場にもなっています。
前に、野際陽子さんがここでお花見をしたとのエッセイを読みました。
”三徳”の側道に車が停まっていて、野際陽子さんが助手席に座られていたのを見たことがあります。
この桜並木では時々ドラマの撮影にも使われています。
夜の10時過ぎにここを通ろうとしたら、止められました。
ドラマの撮影中でした。
明石家さんまさんと広末涼子さんのドラマだと後で知りました。

お花見をしながら仲間と楽しい時間を過ごすのもよいのでしょうね。

ここから、小石川植物園は3分くらいのところにあります。
小石川植物園の桜も見事なところです。
多くの人でにぎわっていたでしょう。

東京駅に富山県(砺波市)のチューリップ展示 観光客の誘致に様々な工夫

2015-03-29 02:41:17 | 笑顔







東京駅に富山県(砺波市)のチューリップ1,100本が展示していました。
北陸新幹線開通で、富山のPRだったのでしょう。28日と29日でチューリップ1,000本を配布とのことです。

様々なチューリップがありました。チューリップと言えばオランダです。下記のHPにオランダのチューリップの写真がありました。

http://www.holland.com/jp/tourism/article/keukenhof-jp-1.htm


花を見るとどうして癒された気持ちになるのでしょう。
きっと花を見たことで、何かホルモンが出ているのでしょうね。

長野県もポスターで観光PRをしていました。北陸が目立って、長野県が忘れ去られるのを懸念されているのでしょう。

姫路市役所の観光客増加対応をTVで紹介していました。
姫路城改が装されました。外観だけでなく内部も観光客用にタブレットを活用したお城の紹介ができるようになっていました。
姫路市を訪れる観光客は姫路市に滞在するよりも通過する人が多いそうです。
姫路城だけを訪問して、次の岡山や広島まで行き宿泊する観光客が多いので、何とか姫路市に滞在して欲しいと工夫をしていました。
海外からの観光客用にローマ字表記を英語表記に変えるなどの工夫もしていました。

いろいろと工夫することが大切なのでしょう。いろいろなチューリップを見ることができて楽しむことができました。

「林原家同族経営への警鐘」 林原健著 "人の話を謙虚に聴くことの大切さ”

2015-03-28 01:31:44 | 本の紹介
株式会社林原が1,400億円の負債を抱えて会社更生法により整理することになった。父の急死により社長業を19歳で引き継いだ。大学2年生になったばかりだった。50年社長を行い、会社を大きくしてきた。マルトースの製造、インターフェロンα製造、トレハロースの製造など画期的な製品を造って来た。
経理は実弟に全て任せていたため、不正帳簿がずっと続いて来ていたのを把握していなかった。メインバンクから監査人を置くように言われていたが、必要ないと判断して来た。取締役会も株式の全てを林原一族が持っていたことから、一度も開いていなかった。取締役会を開いたことにして重要な案件が議事録として社長の印を押していたが、それも把握していなかった。
同族経営の良さとして、研究開発に多くの投資が社長の判断でできたことにより、長期テーマについても研究ができたことが上げられる。会社更生法での整理に至った原因は経理を担当していた弟のコミュニケーション不足だった。兄弟との思いで根拠のない全面的な信頼をおいていた。チェック機構がなかった。林原の売り上げは280億円であったが、土地を多く所有していたため、1,400億円の借り入れがあっても十分担保があると思っていた。
ソニーでは井深氏と盛田氏、ホンダでは本田氏と藤沢氏のように良い関係で成長して成功したケースがあるが、大きな違いは林原は女房役が身内だったことである。

感想;
“驕れる者久しからず“の言葉があります。驕ってはおられなかったと思いますが、謙虚な気持ちが薄らいで行っていたのでしょう。監査人を置かなかった。取締役を開催しなかった。取締役会議事録を確認しなかったなどのやるべきことをやっていませんでした。「岡山では、林原健(社長)にものを言えるひとがいない」と言われるほどになっていたそうです。”実るほど頭が下がる稲穂かな“を実践することはとても難しいのでしょう。
本田宗一郎はラジエーターを空冷式に拘っていたそうで、技術者も本田宗一郎を説得できなかったそうです。その時、藤沢(女房役)が本田に「技術のことは技術者にまかせないのか」と伝え、水冷式に切り替えました。本田の拘りが会社に悪い影響を出し始め、藤沢は本田に社長を辞めることを迫り、それを本田は受け入れました。本来なら藤沢が社長を引き継ぐところを、本田と一緒に藤沢は副社長を辞任しています。林原にはそういう人がいなかった、そういう人を見出さなかったのも大きかったのでしょう。


結婚式場をキャンセルした時のホテル側の対応にがっかり 一流ホテルでも窓口の社員一人ひとりの対応が大切

2015-03-27 03:27:10 | 生き方/考え方
ボランティア仲間の息子さんが、結婚する予定でした。
ところが二人だけの問題だけでなく、様々な問題などもあり、このままでは幸せになれないとのことで二人で話し合って別れることになりました。

既にホテル(仮にホテルC)の結婚式場の予約をしていたのでキャンセルになりました。
ホテル側からキャンセル料の請求書だけが親に送られてきました(息子さんが親宛てを依頼)。何の説明資料もありませんでした。キャンセル料70万円でした。

受け取った親(ボランティア仲間)は息子が別れたことは悲しいことでした。
ただそれは二人がよりよい人生を選択することを悩んだ末に出した苦渋の結論でしたので、何とか受け入れようとしていました。
そこに請求書だけの連絡で、あまりにも事務的な対応に冷たさを感じました。
キャンセルになれば、もうお客様でなくなるとこんな対応になるのか。ホテルCは、有名なホテルです。
元武家屋敷で都心に大きなお庭もあり夏は蛍が飛んでいることでも知られています。
明治政府の元老中の元老として総理大臣など様々な重職を歴任し、その後も陰で大きな力を持っていた人の屋敷にもなったところでした。
それだけのホテルだったのでホテルはお客様に丁寧だとのホテルへの期待も大きかったのでしょう。
そういうホテルだからこそ、たくさんのホテルの中からホテルCを結婚式場に予約していました。

そこで、その対応について悲しい思いをしたことをホテル側に一言伝えたくて電話しました。
そうしたら、電話に出た人が、「それは担当が違うから」との返答でした。
思わず「あなたは関係ないの?」と返したら、「むにゃむにゃ」とはっきしません。
電話の対応は終始気の抜けた態度にしか感じなくて、他人ごとのようなので、
「この苦情に対して、ノーコメントなのですが?」と尋ねました。
そうしたらようやく初めて「すみません」との返答がありました。
請求書だけを送って来ただけの対応に冷たさを感じ、電話対応でさらに気分を害したそうです。

ホテルCは、前の会社ではいろいろなことによく使っていたところで、職場で懇親会などにも使ったことがありました。
よく使っていたのもあるのか、とても対応が良かったのを覚えています。

最近「伝説コンシェルジュが明かすプレミアムなおもてなし」の本を読みました。
リッツ・カールトンで主任コンシェルジェを行っていた前田佳子さんが著者です。
ボランティア仲間から聞いたホテル側の対応は、その本に書かれている内容とは雲泥の差でした。

この話を聞き、ホテルCの責任者はこんな対応をした組織、社員がいることをご存知なのだろうか?と思ってしまいました。
企業は結局、お客様に接している社員一人ひとりの対応で企業が判断されてしまいます。
”担当が違うから”、まるで私がやっていないので、それは別の組織がやったのでと返していたら、どうお客様は思うでしょうか?
対応がまずく、お客様が嫌な思いをされると、お客様は少なくとも友達5人にその対応の不満を話すと言われています。
その一人が私でした。5人はさらに他の人に話されるでしょう。立派なホテルでもつまらないことで評判を落として行きます。

今の時代は、ネットに投稿して、自分の意見や感想を多くの人に知って貰える時代になっています。
それだけに苦情一つひとつに真摯に受け止め、対応が十分でないとそれが広がってしまうリスクを抱える時代になっています。
是非今回のことをブログで紹介して欲しいと言われました。

翌日、電話に出た人の上司と思われる方から、お詫びの電話がありました。
電話に出た方が上司に報告されたのでしょう。ホテルCはまだきちんと苦情を伝える仕組みがあったようです。さすが一流のホテルです。

ではどうすればよかったのか。請求書だけを送るのではなく、なぜキャンセルになったか、そこにはお客様には深い悲しみがあると思いを馳すことが出来たら対応が異なったでしょう。
例えば以下の主旨が入ったレターを添えていれば、受け取った側の気持ちは違ったのではないでしょうか?

このたびは、当ホテルを結婚式場にお選びいただきありがとうございました。
ご事情があり、結婚式を当ホテルであげていただけなくなり残念でした。
大変恐縮ですが、別紙の規定に従いキャンセル料をお願いいたします。
いつか当ホテルをまたお選びいただける機会がありましたら、喜んで精一杯努めさせていただきます。
お二人のお幸せを願っております。

それと苦情を受けたら、自分の担当ではない(お客様にはその人が担当かどうかは関係がありませんから)と言わずに、先ずはお客様に嫌な思いをさせたことをお詫びすることでした(対応をお詫びするのではなく、嫌な思いをさせたことをお詫びする。対応については後で確認する)。
そしてお客様のお話をよく聴くことなのではないでしょうか。お客様は何を求めて電話をかけてこられたのだろうかと思いを馳せながら聴いていれば、きっとよりより対応がが見えてくると思います。
多くの場合はお客様は言えばそれですっきりされる場合が多いと言われています。
お客様からサービス向上のヒントをいただける機会になるかもしれません。

私がホテルの責任者なら、それぞれに2人のお食事券2枚×2(男性と女性に)を送るようにします。
お客様がホテルの使用が終わった後もお客様との意識をどれだけ持っていただけるかが重要と言われています。
ホテルのお食事券でお客様との繋がりを維持します。そのチケットには印を付けておき、そのお客様が来られたら、レストランでもわかるようにしておき、ていねいな温かい対応を行えるようにします。
結婚式キャンセルということはとても辛い、悲しいことがあったのですから、美味しいお食事とおもてなしで少しでも傷心を癒せることができたらと思います。

ジェリーの販売では、ジュエリーを見るだけ見て買わないお客様が多いとのことです。
ジュエリーはどうしても高額になりますのでお客様は迷われます。
その時に、買わずに帰ったお客様だからと失礼な態度を示すと、そのお客様は二度とそのお店に来てくれません。
買わずに帰られるお客様にも買われたお客様と同じくらいの対応をすることが必須だとのことです。
そうすれば、またお客様は来ていただけます。そして購入の機会に繋がることにもなります。

ボランティア仲間は、「お詫びの電話があったので気持ちは治まったけれど、もうこのホテルは使わない」と言っていました。
お客様を失うか、お客様を維持するかはまさに一人ひとりの社員の行動と言動によるのだと思います。
立派な企業とはどれだけそういう社員が多いかだと思います。
そういう社員を一人でも多く増やすことが社長の大切な仕事でもあるように思います。