幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

多忙にストレス…心の病で公立教員5千人超休職 ”対策はどうなっているのでしょう?”

2018-12-31 03:10:44 | 社会
https://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/bizskills/20181225-567-OYT1T50103.html yomiuri online 12月25日
 2017年度にうつ病などで休職した公立小中高校などの教員は前年度比186人増の5077人だったことが、文部科学省の調査でわかった。心の病気による休職は07年度以降、5000人前後で推移しており、多忙でストレスを抱えていることが要因の一つとみられている。

 発表によると、病気での休職者は同38人増の7796人。精神疾患による休職者はこのうち5077人で、全教員の0・55%に当たる。今年4月までに復職したのは1994人、引き続き休職したのは2060人で、1023人は退職していた。世代別では30代(0・63%)が最も割合が高く、40代(0・62%)、50代以上(0・57%)などと続いた。現場で経験を積み、責任が増す年代ほど、心の病にかかる傾向がみられた。

 精神疾患での休職者は急増しており、最近25年で4倍超になった。文科省の担当者は「休職者が高止まりしている背景には多忙化などによるストレスもあり、働き方改革で業務を見直すことが必要」としている。

 一方、免職などの懲戒処分や訓告などの処分を受けたのは同2929人減の5109人。体罰での処分は同69人減の585人、わいせつ行為での処分は同16人減の210人だった。

 また、再任用の教職員は今年4月現在、同4739人増の4万595人で過去最多となった。フルタイム勤務が2万6192人、短時間勤務が1万4403人だった。

感想
平成29年度の教員の自殺者数
男 78人 女 25人 合計 103人
警察庁調べ

若者の自殺者が日本は多く、死因のトップになっています。
若者が苦しんでいます。
先生も苦しんでいます。

もっと手を打てると思います。
F35導入に1腸炎。
1機が100億円
1機だけでも、かなり自殺者を助けることができるのではないかと思います。
国の将来を担う若者、若者の育成に大きく関与できる先生の支援することが、国の将来を守ることにもなるのではないでしょうか?


「ど真剣に生きる」稲盛和夫著 ”上司の一言『君の能力ではもう限界だ。手を引いてくれ』から生まれた京セラ”

2018-12-29 09:55:55 | 本の紹介
・「世のため、人のために尽くすことが人間として最高の行為である」という私の人生観に基づき、稲盛財団を設立し、京都賞という顕彰事業などを通じ、社会貢献にも努めてまいりました。

・「ど真剣に生きる」とは、このように歩みを続けてきた私が信条としているものです。

・盛和塾に入塾された方に、私は最初に、こんなことを申し上げています。
「本当にいい経営をしたいのなら、従業員の人たちを少しでも幸せにしてあげたい、社会に貢献したいといった、公明正大な大義名分を持つことが大事です。・・・。そのように心を高めることが経営を延ばすことにもつながるのです。まず心を磨き、立派な人間性を身につけてください」

・「能力か人間性か、どちらか一つ」と言われれば、迷わず、「人間性が重要だ」と答えます。

・「汚い寮にいるから、気分も落ち込むんだ。研究室で実験漬けの暮らしをしよう。厳しい環境から逃げずに、逆にそこに自分を追い込もう」
すると、不思議なことに、すばらしい実験結果が出るようになったのです。そうなると、仕事がおもしろくなってきます。不平不満をこぼしている暇もなく、努力すること自体が快感になってきます。

・日立さんが要求する仕様は極めて難しいもので、なかなか満足する開発成果が得られず、悪戦苦闘の毎日でした。そんなとき、新任の技術部長に「悪いが、君の能力ではもう限界だ。今後はほかの者にやらせるから、君は手を引いてくれ」と引導を渡されたのです。おまけに、「ウチには、君より優秀な、いい大学を出た先輩の技術者がでた先輩の技術者がたくさんいるからね」とまで言われた。「そうですか。ではその人たちにやってもらってください。私は会社を辞めますから」と言い放っていました。部長は「そういう意味で引けと言ったのではないんだ」とあわてて引き留めましたし、話を聞きつけた社長からも、祇園で夕食をふるまわれ、「何も辞めんでもいいじゃないか」と宥められました。しかし、私の気持ちは治まりません。慰留されればされるほど、「男が前言を翻せるか」と依怙地になっていきました。いまとなっては「向こう見ずな」という気がしないでもありませんが、あのときは寝食を忘れるほど仕事に打ち込んできたという、自負とプライドのほうが勝ったのでしょう。結局、辞めることになって、それから「さて、これからどうしよう」となったわけです。

・特磁課の部下たちが、寮に押しかけてきて、口々に「僕も辞めて、稲盛さんについていく」と気炎を吐きます。やがて、前任の技術部長だった上司の青山政次さんまでやってきて、「私も辞める。友人に相談して、会社を作ってもらおうと思う。君の技術をぜひ、世に出したい」と言いだされました。この一言は嬉しかった。もとより、私がそれを拒否するいわれはありません。

・会社に勤めたとき、与えられた仕事がそんなにおもしろくないのは、みんな同じだと思うのです。だけど、人生というのは何といっても長丁場なんです。何十年も実社会で生きていかなければなりません。そうであるならば、仕事にしろ、いまやっていることを好きになる努力をしなければいけないと思うのです。

・若手社員の反乱から生まれた理念
「全従業員の物心両面の幸福を追求すること」「人類社会の進歩発展に貢献すること」を大書きしました。それで悩んでいたことがすべて吹っ切れて、翌日だったでしょうか、従業員全員を集めて「今後は、これで経営していきます」と宣言しました。その瞬間、「稲盛和夫の技術を世に問う」という京セラ設立の動機が雲散霧消し、新たに京セラという会社の存在意義を明らかにした経営理念が確立したのです。

・M&Aを行う際、大切なことは、新たに仲間に加わる人たちが、自分たちの会社の経営理念や哲学を理解、共有してくれることです。だから、他の企業をグループに迎えるときに、私が行う最初の仕事は、自ら相手先企業に出向き、全社員の前で諄々と自分の考え方を語り、さらにはコンパを開き、膝詰めでとことん話し込むことです。

・円福寺の西片擔雪ご老師(薬事法違反に問われたとき)
「それはしようがありませんな。稲盛さん。苦労するのは生きている証拠です。死んだら、そんな目にも遭わないのですから、いいじゃありませんか。災難に遭うのは、過去に作った業が消えるときです。どんな業があったか知らんが、その程度のことで業が消えるなら、赤飯でも炊いてお祝いせんといかんですな」

・(托鉢して疲れきって足取りも重く)そんなお寺への帰り道、私がとぼとぼと歩いていたら、道横の公園で落ち葉を掃除していた年配のご婦人が私のほうへスタスタと歩いてこられました。そして、黙って百円玉を差し出されたのです。私は頭陀袋で受けるという作法も忘れて、無意識のうちに両手を合わせて「ありがとうございます」と拝んでいました。そのときです、幸福感が全身を貫いたのは。肉体を構成するすべての細胞が喜びに打ち震えているとでもいいましょうか。決して豊かそうには見えないご婦人が、私にお布施をくださる美しくも優しい心に、いままでの人生で感じたことがないほどの、新鮮で純粋な感動を覚えたのです。これぞ神仏の愛、いま思いだしても、その幸福感がよみがえってきます。こんな至福の境地を得たのは、後にも先にもこのときだけ。円福寺の修行で得た、私の一番の宝です。と同時に、この修行を通して私はこう信じられるようになりました。「善きことを思い善きことを実践すれば、善きことを招来する。悪しきことを思い悪しきことをすれば、悪しき結果を招く」

・「何のために生きるのか?」という根本的な問いと真正面から向き合うことが、いま必要だと私は考えています。

・「毎日を『ど真剣』に生きなくてはならない」

感想
稲盛氏は松風(しょうふう)工業に入社しました。
入社したころは経営が厳しかったようです。
松風工業は松風となり今は歯科材料の会社として、240億円ほどの売り上げのようです。
決算短信http://pdf.irpocket.com/C7979/axM2/QOJW/unDV.pdf

技術部長の一言がなければ、株式会社松風は大きく変わっていたのかもしれません。
「悪いが、君の能力ではもう限界だ。今後はほかの者にやらせるから、君は手を引いてくれ」
「ウチには、君より優秀な、いい大学を出た先輩の技術者がでた先輩の技術者がたくさんいるからね」

「ど真剣に生きる」
今できることに精一杯やり続けること
「何のために生きるか」
考え続けること

それが将来に花がさくのでしょう!
過去は今に生かし、今の努力が将来の姿なのでしょう。
過去をくよくよと引きずり、今は何もせずに将来を心配している。
わかっていてもつい行ってしまいます。
「ど真剣に生きる」の言葉を心に持ちながら今を大切にしていくことなのでしょう。

「いちいち“他人”に振り回されない心のつくり方」中島美鈴著 ”自分を幸せにする考え方を身に付ける”

2018-12-28 03:24:00 | 本の紹介
・代表的な「考え方のクセ」
 ・一般化のしすぎ
  1つの失敗や嫌な出来事だけを根拠にいつも、・・・だ」「すべて・・・ない」のように、「一事が万事」式に考える。
 ・自分への関連づけ
  よくないことが起こったとき、自分に関係ないことまで自分の責任だと判断する。
 ・根拠がない推論
  はっきりとした根拠がないまま結論を急ぎ、否定的にあれこれ考える。
 ・全か無か思考
  ものごとを白か黒かで考える。善悪をはっきりさせないと気がすまない完全主義の傾向
 ・すべき思考
  「~すべきだ」「~しなければならない」といった思考
 ・過大評価と過少評価
  自分の欠点や失敗を実際よりも過大に考え、長所が成功を過小評価する。逆に他人の成功を過大に評価し他人の欠点を見逃す。

・「~しなければならない」というところを「~したほうがよい」と書き換えてみるのです。

・三者三様
 ・上司から仕事の出来を褒められた三人
  ・マリさんは「上司が評価してくれたんだ」と素直に受け取って喜びました。
  ・エミさんは「このくらいの簡単な仕事、誰にでもできる。上司は私の能力をこのくらいにしか見ていないのか。正当な評価をしていない」と考え、不服そうな顔をしました。
  ・ミチコさんは、「私は仕事ができないから。上司も私に手を焼いている。なんとか褒めるとこを探してやろうと面倒をかけさせている」と考え、また苦笑いしました。
 ・どうして、この三者三様の「らしさ」が築き上げられたのでしょう。その背景には、「信念」と呼ばれる、いわば考え方の根っこのようなものがあるからなのです。いわば、この世を眺めるときの心のフィルターをつくっているというわけです。

・次のようなことでお困りの場合、自身の心の奥底には、認知行動療法でいう「服従」にまつわる信念が隠れているのかもしれません。
 ・人に振り回されている
 ・人間関係において取り越し苦労が多い
 ・人の顔色が気になるほうだ
 ・家族、恋人、友人などの身近な人のせいで生活が制限されている
 ⇒こうした困りごとに関する「服従」の信念は、次のようなものです。
 ・他者を喜ばせる 自分がみじめになっても、常に相手を喜ばせなければならない。
 ・対立への恐怖 互いに愛し合っている人間同士は決して喧嘩したり口論したりしない。
 ・自己非難 私の対人関係上の問題は、自分に落ち度があるにちがいない。

・自分の思い込みが正しいかどうかを確かめる試みを、認知行動療法の専門用語で「行動実験」といいます。

・「自己達成預言」
 対人関係において、「どうせ相手ははこんな人間、こんなふうに、行動するだろう・・・」と自分で予想することに基づいて、それをあたかも実現するかのような言動を相手にとってしまうことです。

・いつも人にイライラさせられる人に多い、要求しすぎな信念
 ・いつも相手のせい主義
 ・オレ様・女王様主義
 ・我こそは正義の委員長!

・怒りは、数ある感情の中でも「二次感情」といわれます。二次感情とは、出来事を経験して最初に生まれた別の感情があり、その次に二次的に生まれた感情という意味です。怒りの一歩手前にどんな感情を持っていたかを明確にすると、怒りの原因がわかるだけでなく、本当に相手に伝えたい感情に気づくことができるのです。

・スモール・ステップの原理
 確実にゴールできるごく小さな一歩にする必要がある。一歩目の行動をいかにうまく設定するかがポイント。

・結果に対するコントロールを手放す
 結果はコントロールできない。

・相手の視点に立つだけでもいい
 「相手の立場でも同じように思うか?」と立場を変えて考える癖をつけましょう。

・社会的地位、人との関係性、所有物などが自分の自信を支える基盤になっている。⇒「条件つき自尊感情」。
 変化に富んだ人生をしなやかに生き抜いていくためには、条件つき自尊感情では対応しきれない面も出てくるわけです。⇒「無条件の自尊感情」へ
 仕事で成功していても、成功せずたとえ無色であっても受け入れて、自分には価値があると感じることができる、ということです。

・「満足度予想表」
 ・これからの一日の中で、「楽しそう」「充実しそう」と思われる活動を書き出します。
 ・誰と行うものかを書きます。
 ・活動する「前」に、予想する満足度を書いておきます。0-100%
 ・活動を終えた「後」、実際の満足度を書いておきます。
 ・一日を振り返り、「友人と一緒にいる満足度」と「自分ひとりで活動するするときの満足度」を比べてみます。

・人間関係の悩みのあるときの解決法で最も効果的なものは、自分自身の態度を変えてみることだといわれています。これは決して「これまでの態度が悪かった」といっているわけではないのです。二人の関係になんらかの変化を求めたいと思ったときには、そう望んだほうの人が少しだけ(正しいかどうかにかかわらず)態度を変化させることで、望んだ変化が得られるかもしれないのです。

・「回避行動」
 脅威的な状況を一時的に避けることができる手っ取り早し方法である一方、実質的な解決法にはなっていない行動。

・自分自身が昔、他人に振り回されてしまうことをしょっちゅう経験するタイプの人間だった。そんな人の顔色を気にする私が、こんな本を書く日が来るなんて思いもしませんでした。私は認知行動療法と出会うことで、少しだけですが変わることができました。以前ほど他人に振り回されなくなり、自分の内側の世界にも目を向けることができるようになったきがします。そして、以前よりは自分のことを好きになって、大切にできるようになりました。

感想
周りを気にするのは、結局「よく思われたい。悪く思われたくない」に辿り着くのでしょう。
悪く思われることで、自分の会社や社会での立場も生きづらくなりますし。

ほどほどであれば、それは潤滑油になりますが、それが過度になると自分のストレスになり自分を苦しめます。
そして身体の体調不良にもなっていきます。

私は、”ゲシュタルトの祈り”の言葉に出逢って気持ちが楽になりました。


「女の子が生きていくときに覚えていてほしいこと」西原理恵子著 ”王子様を待たない”

2018-12-27 09:16:28 | 本の紹介
・上京(高知から東京へ)した日のことは、今でもよく覚えている。見送りにきたのは、あの頃つきあっていた彼氏で「別れたくない」って泣いてくれた。「あたしも」って言ったけど、頭の中はこれから東京で始まる新しい生活のことでいっぱいで、優しくて、かっこよくて、おまけに地方公務員という、この先、二度とめぐりあえないハイスペックな彼氏とさよならすることに何のためらいもなかった。美大に進学して、絵を描いて食べていく人になる。高知にはもう戻らない。そう決めて、ただ、前だけを見ていた。

・私の田舎はとても貧しくて、子どもの頃、私の友だちは大人たちから本気で殴られていた。貧しさからくるどうしようもない怒りや悲しみは、暴力になって、一番弱い者にいく。

・カワイイ子ほど、ろくでもない男につかまって、人生決まっちゃうのが早い。離婚率も高くって、シングルマザーになっても、養育費をもらえないどころか、逆に借金だらけ。男に頼るような生き方をしていたら、確実に路頭に迷う。みんなひどくイライラしていた。それはすぐに暴力になって、男は女を殴り、最後は子どもにいく。そういう生き方を山ほど見てきた。

・自分も、将来はあんなふうに男に殴られて、子どもを殴る親になるのかと思ったら、大人になるのが、すっごく怖かった。

・私が大学を受験するはずの日に、父親が首を吊って死んだ。お葬式に呼び戻された私を待っていたのは、借金まみれの父親に、私の進学のためのお金を「出せ」と迫られて、ボッコボコに殴られた母親で、母親が死守したわが家の全財産140万円のうち、100万円が、私が東京に行って、予備校に通うための軍資金になった。

・夢や希望があって、ここまで歩いてこられたわけじゃなかった。働こう。自分でお金を稼げるようになれば、あんなつらい場所には戻らないで済む。もう二度と、あの場所には戻らない。そう心に決めていたからこそ、どんな時だって前を向くことができた。

・だから今、逆風の中にいて、どうしたらいいかわからずにいる女の子たちに、言っておきたい。そこから一歩踏み出すことを、どうか諦めないで。

・20歳までは、困れば誰か助けてくれるかもしれない。でもそこから先は、自分で道を切り開いていくしかない。

・若さや美貌は、あっという間に資産価値ゼロになってしまう。仕事のスキルや人としての優しさ、正しい経済観念。ゼロになる前にやっておかなければならないことはたくさんあります。自立するって、簡単なことじゃないからね。

・結婚したからって、そこがゴールじゃない。相手が病気になることもあれば、リストラされちゃうことだってある。どんなに立派な人だって、壊れてしまうことがある。つぶれない会社、病気にならない夫はこの世に存在しません。そうなってから「やだ。私、なんにも悪くないのに」じゃ、通らない。だから娘に言っています。「王子様を待たないで。社長の奥さんになるより、社長になろう」

・これから世の中に出ていく女の子に、覚えておいてほしいことがある。立派な言葉なら世の中に溢れてるけど、私が言いたいことは、そういうことじゃない。本当に覚えておかなきゃいけないのは、たぶん、転んだ時の立ち上がり方。長い人生、人は何回も転ぶ。その時腐らずに立ち上がる方法。どうか、覚えておいて。

・「5分間ルール」
つい感情的になっちゃう。5分間だけ別の部屋に行って、お互い冷静になる。たった5分、でも、その5分が、つい手をあげたり、声を荒げたりしないための防御壁になる。

・やりたいことができると、人は、コンプレックスと向き合うことになる。

・(美術予備校でデッサンが)最下位の自分にできることは、何なのか、そこで考えた。予備校時代の一年間で、最下位からスタートしたおかげで、自分と相手にどのくらい実力の差があるのか、それがわかるくらいの知識と技術は、身についていた。それで、私はエロ本に行ったんです。「自分には才能がある」と思っている人たちが、絶対に行かないところにこそ、自分の座れる椅子があるんじゃないか。そこからは売り込み1000本ノックですよ。下手な鉄砲も、数撃ちゃ当たる。「何でも描きます。よろしくお願いします!」

・連載コラムの挿絵を描くことになったときも、絵が下手だから文章で、って思い切りツッコミを入れるようにしたら、そのコラムを書いているライターの人が、わざわざ電話をくれたんですよ。
「毎回よく読んで描いてくれて、ありがとう。面白いよ。君はカット描きとして、きっと、食べていけると思うよ」って。自分のやった仕事を、人が「面白いよ」って褒めてくれた。あれは本当に嬉しかった。

・私は、美大に入った瞬間にまわりの人間の超上手なデッサンを見て「芸術はやめ!」って決めましたから。道はひとつじゃない。人生には抜け道、けもの道があるんですよ。地図には載っていない道が。自分が進むべき道を曲げる。このプライドのない切り替えが、大事なんだと思う。

・毎晩、酔っぱらいでぎゅうぎゅう詰めの終電に乗って、帰ってくると、ぐっちゃぐっちゃに散らかされた部屋でずっとテレビを見ていた無職の彼氏から「ねえ、靴下どこ?」って言われちゃう、そんな生活。今、あの頃のあの彼氏をぶん殴るじゃなくて、そんな男を捨てられないあの頃の私をぶん殴りたい。とにかく一人が怖かった、情けなさすぎる自分。

・絵の仕事だけで月収30万円を達成したのはその5年後のこと。嬉しくって、いつも行く定食屋で上エビフライ定職、頼んじゃった。エビフライが5本もついている、贅沢すぎて、普段は絶対に頼まないヤツ。この際だから、ビールもつけて、ひとりでカンパイ。あの嬉しさは、今でも覚えている。

・貧乏も、苦学も、若いうちなら笑ってできますから。資格をとるんなら、早いうちの方がいい。若い娘さんたちにもお願い。追い込まれて、次の一手が打てなくなる前に、生き抜くための戦略を必ず立ててください。

・誰かを好きになって、でもうまくいかないこともある。だからって、もう誰のことも好きになれないと思ったことは一度もなかった。傷ついたからこそ、それを分かり合える新しい出会いもあるんだなって。生きて生きて、今がいちばん幸せ。そう言える場所まで、ようやくたどりついた。ここまで私、よく頑張った。自分、お疲れ! みたいな。

・高須先生が、前に言ってくれたことがある。
鴨ちゃんとのつらい経験、それは若い頃の耕す時期だからです。人生の耕す時期は、台風や日照り、害虫など、それはもう理不尽なことがあとからあとからたくさんやってくる。それが生きていくということ。「そしてごらんなさい。今、目の前にある豊かな畑は、あなたがいろんな嵐から何度も何度も家族を守って、実らせた実ですよ」って。その畑の前に立ってる私は、ちょうど秋の夕暮れのいちばんまぶしい時期で、何を言われても、ただ嬉しくて涙がぽろぽろと出てくる。

・いい子にならなくていいんですよ。
 いい子は幸せを人に譲っちゃうから。
 いい嫁なんかになっちゃダメ。
 いい嫁っていい女中。
 あなたが笑うとあなたの大切な人が笑うよ。

・大事なのは、自分の幸せを人任せにしないこと。
 そのためには、ちゃんと自分で稼げるようになること。
 食いぱぐれないためには、最低限の学歴は確保する。できれば、資格もとって、スキルアップしておくこと。少しでもちゃんと稼げるように、早いうちから自分に出来ることをさがして下さい。

・人格を否定されたり、お金をわざともらえなかったり、見えないところで、ちくちくひどいことを言われたりしたら、殴られていなくても、それは「暴力」です。女の子たちに、まず知識として知っておいてほしい。あなたの人格を否定してはいけないということ。誰もそんなことをしていい人なんていない。覚えておいて。もしそういうことがあったら、世間体を何も気にする必要はない。行政には当日に入れるシェルターがあることや、いざというときの生活保護のうけ方。先に必ず知識として入れておいて下さい。とにかく逃げて。我慢しないで、頑張ろうと思わなくっていいから、一刻も早くそこから逃げて下さい。

・今から30年前、田舎のフィリッピンパブで皿洗いのバイトをしてて、そこの日本人ママに、こんな話を聞いた。
 あの頃、パブで働くフィリピーナたちは、とういうわけか、みんな、遠距離交際中の白人の彼がいた。なぜって、白人の男と子どもをつくると、とびきりきれいな子が生まれるから。昔のフィリピンという国は、貧しいとこはとことん貧しくて、出稼ぎが主な産業で、風俗系のは特に多かった。

・どんな時でも、次の一手は、自分で考えて、自分が選ぶ。王子様を待たないで。幸せは、自分で取りに行ってください。

感想
著者が何度も強調されていることは下記のようです。
”自分の人生人任せにせずに、自分が責任を持つ。そのためには自分で稼ぐことが必須で、幸せを自分で掴む”

多くのダメ男を好きになってきた体験からの言葉だけに重みがありました。
でも、つい寂しいので、ダメ男の温もりにすがってしまうのでしょう。
ダメ男もそこにつけ込むのが上手いのかもしれません。

ロゴセラピー注)では下記の言葉があります。
”二度目の人生を生きるように今を生きる”
人生を二度体験することはできません。
今を二度目を生きるように生きるということです。
二度目だと一度目の失敗をしない生き方を選択することができます。
西原さんが、”過去のあの時の私をぶん殴りたい”と言われています。
二度目ならぶん殴らなくても自分でよりよい選択ができます。
そのためには、先達の生き様からヒントを貰って生きることなのでしょう。
それには本から、歴史から学び、今に生かすことなのだと思います。

注)
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/logo.html
ロゴセラピー




高須院長 辺野古反対で物議のローラ「ボクならCM降ろす」 ”タレントへの圧力?”

2018-12-26 09:08:08 | 社会
https://news.goo.ne.jp/article/tokyosports/entertainment/tokyosports-entame-entertainment-1230349.html 東スポ 12月25日
 高須クリニックの高須克弥院長(73)が25日、ツイッターを更新。沖縄の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に関し、工事中止の嘆願書への署名を呼びかけたモデルのローラ(28)について言及した。

 ローラの発言を巡ってはSNSを中心に賛否両論が起こっている。23日放送のTBS系「サンデー・ジャポン」でもこの問題が取り上げられ、芸能人の間で激論が交わされた。

 ローラが移設反対に代わる代案を出していないことから混乱に拍車をかけている現状があり、説明不足を指摘する声もあった。一方、テリー伊藤(68)は「この程度の発言で、コマーシャル降ろす会社って何なの?」と“騒ぎ過ぎ”との認識を示した。

 高須院長はテリーの発言を引用し「テリーさんのおっしゃる通りスポンサーの自由です。僕なら降ろします」と即答。芸能人としてのローラの投稿、コメント内容を疑問視していることをにおわせた。

 ローラはインスタグラムを頻繁に更新しているものの、あれから辺野古については言及していない。クリスマスは米国で滞在を楽しむ様子を報告している。

感想
ボスが部下に、ボスが気に入らない相手の顔に傷をつけよといって、部下にやらせる。
相手はボスのグループの調和を乱しているから、脅しをかけて止めさせるために。
部下は忠実にそれを実行する。
それを止めようとする人、ただ見ている人。中には賛成する人。

沖縄の辺野古埋め立てがまさにそうではないでしょうか?
ボスは政権のトップ、部下はトップを支持している党と官僚、その工事を請け負った業者。
顔に傷付けられているのは沖縄の自然と沖縄県民の心。
ただ見ている人は本土の人なのかもしれません。

ローラーは声を上げて、辺野古埋め立ては問題だと発言し、阻止の署名募集の声掛けを実施。
ローラーのその行為には賛否両論。
非難する一人が、高須クリニック院長。
まだ、ローラーのCM降ろしは起きていませんが。

これを見た芸能人の中にはCMや番組出演を考えて沈黙している人も・・・。

政府にもたくさんの言い分があるでしょう。
これしか解決策がないと。
これまで、十分な話し合いがなかったこと。
沖縄県民の民意を無視し続けてきたこと。
これまでの政権が問題をより難しくして来たのかもしれません。

政府の方針に沿って、沖縄県民の民意を無視していた方が、TV局もタレントも政府や関係者からの介入がなく安泰であるには違わないです。

映画「衝動殺人 息子よ」を見たことがあります。本も読みました。
タクシー待ちの列に割り込んで来たグループに注意した男性が、割り込んで来たグループのメンバーに殺されました(実話)。
夫には幼子2人と妻がいました。
妻役が吉永小百合さんでした。
「注意せずに黙っててほしかった」とつぶやいていました。
夫が正義感が強かったのでしょう。

新幹線で刃物男に立ち向かい殺された人。
恐くて手を出せなかった人。

多くの人が声を出した人を助けることがもっとあれば、結果が変わっていたかもしれません。
まさに自分がその時、その場でどうすべきかが問われているのだと思います。