・歌というものは、心のほとばしり、なのである。
・くらやみの中での祈り 詩篇八十八番
88番の特殊性は二つあり、ひとつは絶望的な調子に終始貫かれていること、第二は、「それにもかかわらず」なお、神に呼びかけつづけていること。べつの表現をとれば、呼びかけつづけることによって、神への信頼と希望が心の奥底にのこされていることの証し。
・自然万象をとりあげながら詩篇をつらぬくものはただひとつ。「神に向かって日々の呼びかけ」。
・聖書的単語というものがある。どのひとつは、「見る」、「知る」。この二つはほとんど同意語。
・教会――教え教えられる会という邦訳はまことにまずい――は本来「呼ばれ(招かれ)て集る人々の集まり」。ギリシャ語の言語はエクレシア。
・人生の途上、俗に言う「にっちもさっちも動きのとれない」切羽詰まった状態に投げ出される体験をほとんどの人は経ているではないか。そんなとき、力をつくし、意をつくし知の限りを動員して、つまりはへこたれてしまわずに立ち向かおうとする人に限って、思いもかけぬ一条の進路が突然開かれ、前に進むこと――というより、この道をゆくより他仕方ないことを発見する、のっぴきならず、思いもよらぬ道に進む。「救い」はそこにある、というのが紅海のエピソード(出エジプト)の持つ重要な意味のひとつ。
・聖書とは、あからさまに人間の弱さ愚かさ、むごさを民族史に織りこんで書く書物でもあるのである。
・このような「モデル」「文学型」をあちこちから借りながら、ある事件や体験を書き綴るのも旧約聖書の一大特徴なのである。
・人は決して強制されたり「えらい人のおすすめに何となくしたがうあげくに」「マニュアルにしたがって」「生き方をえらぶ」者ではない。いちどネジを巻いたら正確に動き続ける機械や、人形遣いの意のままに踊るあやつり人形とはちがうのである。生存欲や食欲だけに支配される下等動物ともちがうのである。人間とは与えられているあたまを(知性を)使って自分で判断し、与えられている良心のままに、与えられている行動力(意志の力)をよくよく使って自らに由って行動するもの、なのである(この能力を各自の中に育てあげようとするのがほんとの教育)。この能力の中にこそ、「人間の尊厳」がある。
・神は人間に、幸福に生きてゆくための正しい道はこれですよ、とわからせるために語りかけつづける、良心と呼ばれるひそかなしかしつよい力を、万人の心の底に置くことによって、また歴史を通し出来事を通して語りつづける。十戒などとややこしい難しい単語を使うから、わかりにくくなるけれど、十戒が告げている中の重要なものは、十戒授与の時から三百半年ばかり前に書かれた人類最初の成文法として名高いハムラビ法典にも入れられている「良心の声」。その声を聞くか、聞かないか、人は自由なのである。聞いておこなえば善い選択となる。「その通り」と考えて(知性)おこなう。「その通り」と十二分に知りながらなお、逆の選択を意志によってえらびとっておこなえば、聖書語での罪となる。
・罪とは、「自由選択力の悪用」なのである。善い道から自由にどんどんはずれて行ってしまう。ハタァ「罪を犯す」 。知性で知って考えて、医師を使って、自らえらんで、「ハタァ」。
逆にまた、この上ないすばらしい選択を自由におこなって人々や社会に輝かしい灯をとおすことも人間には出来る。マザー・テレサのように、安楽で一生の保証されていた、学校教師の生活を投げ棄てて、良心の底にささやかれた紙のことばと招きに聞き入って、無一文になって貪のどん底に棄てて置かれる人々の友となり、全世界に隣人愛の光を与えたマザー・テレサ。
・旧約聖書とは、人類の長い歴史の間を通して、そのときごとの状態にあわせながら、「てかげんを加えつつ」何を人間に望むか、何が人間をしあわせの方向に再びつれ戻せるかを神が少しずつ示し出す書物。「長い時間の流れ」を神は「教育のために」必要とした、のである。
・旧約の中で、ぬきん出て「率直・ありのまま」の人間像を浮き立たせるのが「ほとばしる声の詩集」「歌う人々の歌の書物」「神に語りかけてやまない書物」詩篇なのである。
・祈りとは何なのか。祈りとは「芸」に似ている。日々、深めてゆくべき「語らい」。
感想;
「詩篇」のことを少し知ったように思いました。
犬養道子著『旧約聖書物語』、『新約聖書物語』を大学生のときに読みました。
とても分かりやすい本でした。
聖書を少し知ることが出来たように思いました。
教会はギリシャ語のエクレシア、呼ばれ(招かれ)集まる場、この方がすっきりします。
犬養道子さんは犬養毅元首相のお孫さんです。
私の記憶が正しければ、祖父が五・一五事件で暗殺されたとき、祖父とそのとき一緒に居て、祖父から「ベッドの下に隠れなさい」と言われて隠れて、祖父が殺される時を体験されたそうです。
祖父の「話せばわかる」を聞いたと書かれていました。
「良心」はロゴセラピーでも大切にしています。
「良心のアンテナ」により、何を選択し行動するかで、人生はおおきく変わるのでしょう。
この良心のアンテナの感度を良くすることが大切なようです。
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